都内に住む妹が、朝陽の実家に身を寄せている。幼い姪と甥も一緒。幼稚園が夏休みとなってやってきた。出張がちな義弟としばし離れての妹一家の長野ライフは、人とクルマが溢れる都会から解放され、兼業農家の夏の恵みを満喫、ということになろうか。
所用がてら実家に行くと、ちょうどいい時間で、お茶うけになすのせんべいと、そば粉の薄焼き、きうりの味噌和えが出てきた。ゆうがおといんげん、車麸を煮付けた皿も、いずれも母が作ってくれた好物ばかりでお腹がいっぱい、昼ご飯になってしまった。
出来たてで、おいしい。
野菜を、生で、あるいは茹でる煮る焼くと、単純な味付けで頂くことが、グルメや、世に溢れかえる調理された惣菜、加工品に囲まれる食生活の中で、少なくなったかもしれない。添加物やら、健康をうたうが薬に類するような成分が交じった調味料など、うっかりすると、口に体の中にすぐ、入ってきてしまう。安価なしかし、半ば工業製品のような食品が、日常に当たり前のように供給されること。
それによって味覚は、健康はどうなってしまうか。たくさん生産され、流通し消費することが、こんなにも当たり前になった環境の中で、食の見直しとは、社会の在り方への抵抗、異議申し立てとも言えるほど大変なこと。今は乱れている、と言うだけならたやすいが、こんな時代に産んだり大きくする身としては、なかなか骨が折れる。青少年健全育成を言うなら、身体に有害な食品の徹底排除、安全な食の供給保障からスタートさせるべきじゃないかな。健康を害する事象を検証する試みは、それら問題意識に支えられ、かなりの人々によって行われている。
まぁ、そんな眉間にしわ寄せるばかりではなかったのだが、束の間の、久々に妹との会話で、子どもの頃、どうだったかな、などと振り返ったり、互いの育児と日々の慌ただしさやらを認めあうひとときになった。
所用がてら実家に行くと、ちょうどいい時間で、お茶うけになすのせんべいと、そば粉の薄焼き、きうりの味噌和えが出てきた。ゆうがおといんげん、車麸を煮付けた皿も、いずれも母が作ってくれた好物ばかりでお腹がいっぱい、昼ご飯になってしまった。
出来たてで、おいしい。
野菜を、生で、あるいは茹でる煮る焼くと、単純な味付けで頂くことが、グルメや、世に溢れかえる調理された惣菜、加工品に囲まれる食生活の中で、少なくなったかもしれない。添加物やら、健康をうたうが薬に類するような成分が交じった調味料など、うっかりすると、口に体の中にすぐ、入ってきてしまう。安価なしかし、半ば工業製品のような食品が、日常に当たり前のように供給されること。
それによって味覚は、健康はどうなってしまうか。たくさん生産され、流通し消費することが、こんなにも当たり前になった環境の中で、食の見直しとは、社会の在り方への抵抗、異議申し立てとも言えるほど大変なこと。今は乱れている、と言うだけならたやすいが、こんな時代に産んだり大きくする身としては、なかなか骨が折れる。青少年健全育成を言うなら、身体に有害な食品の徹底排除、安全な食の供給保障からスタートさせるべきじゃないかな。健康を害する事象を検証する試みは、それら問題意識に支えられ、かなりの人々によって行われている。
まぁ、そんな眉間にしわ寄せるばかりではなかったのだが、束の間の、久々に妹との会話で、子どもの頃、どうだったかな、などと振り返ったり、互いの育児と日々の慌ただしさやらを認めあうひとときになった。