音楽は商業である。
なんと言われようと商品と流通して(されて)いる以上、商業のひとつである。要は、「反体制の音楽が商業になったのはおかしいぜ!」という論も、じゃあ売らなきゃいいじゃないか、ということである。
もちろん反社会・反体制を訴える音楽が、社会の一部である商業に食われてしまったことは皮肉だ。おかしな話だとも思う。だが、反体制の音楽(つまりパンクのことだが)を、社会は「商業にすることは可能だ」と判断した。そしてその判断は間違っていなかった。売り上げの高低は別として売れる品物だったわけだから。
ちょっと前からU2はそういうことを考慮してか、商業に飲み込まれることを前提とし、商業の中から何かを変えようとしている。何かを訴えようとしている。とても理にかなった判断だ。音楽が商業として消費されている今、反商業主義を訴えるより、商業を肯定し、そこから何かを生み出そうとしているんだから。
だが逆に、時として、音楽が商業に飲み込まれるのではなく、商業が音楽に飲み込まれることもある。
ボブ・ディランである。僕は彼の熱狂的ファンではない。だが尊敬している。彼がフォークからエレキ・バンド編成に移り、ファンから非難され、ファンが困惑したことは有名な話だが、ファン以上に困惑したのは商業、つまり企業であった。
アメリカの音楽産業は、ボブ・ディランがエレキに切り替える前まで、音楽ファンの層を「フォーク」と「ロック」に別けていた。で、それで儲けていた。ボブ・ディランは「フォーク」としてフォーク・ミュージックファンに愛さ、商業としても成り立っていた。だが、その彼がエレキ・バンド編成(ロック)に切り替えたものだから、マーケットを「フォーク」と「ロック」に別けることで保っていた企業は混乱した。音楽産業のあり方というものを、変えざるを得なくなった。どのように変えたのかは調査不足で記せなくて申し訳ないが、音楽によって、音楽産業というもののあり方を変えてしまうというのは僕とってエキサイティングなのだ。
なんと言われようと商品と流通して(されて)いる以上、商業のひとつである。要は、「反体制の音楽が商業になったのはおかしいぜ!」という論も、じゃあ売らなきゃいいじゃないか、ということである。
もちろん反社会・反体制を訴える音楽が、社会の一部である商業に食われてしまったことは皮肉だ。おかしな話だとも思う。だが、反体制の音楽(つまりパンクのことだが)を、社会は「商業にすることは可能だ」と判断した。そしてその判断は間違っていなかった。売り上げの高低は別として売れる品物だったわけだから。
ちょっと前からU2はそういうことを考慮してか、商業に飲み込まれることを前提とし、商業の中から何かを変えようとしている。何かを訴えようとしている。とても理にかなった判断だ。音楽が商業として消費されている今、反商業主義を訴えるより、商業を肯定し、そこから何かを生み出そうとしているんだから。
だが逆に、時として、音楽が商業に飲み込まれるのではなく、商業が音楽に飲み込まれることもある。
ボブ・ディランである。僕は彼の熱狂的ファンではない。だが尊敬している。彼がフォークからエレキ・バンド編成に移り、ファンから非難され、ファンが困惑したことは有名な話だが、ファン以上に困惑したのは商業、つまり企業であった。
アメリカの音楽産業は、ボブ・ディランがエレキに切り替える前まで、音楽ファンの層を「フォーク」と「ロック」に別けていた。で、それで儲けていた。ボブ・ディランは「フォーク」としてフォーク・ミュージックファンに愛さ、商業としても成り立っていた。だが、その彼がエレキ・バンド編成(ロック)に切り替えたものだから、マーケットを「フォーク」と「ロック」に別けることで保っていた企業は混乱した。音楽産業のあり方というものを、変えざるを得なくなった。どのように変えたのかは調査不足で記せなくて申し訳ないが、音楽によって、音楽産業というもののあり方を変えてしまうというのは僕とってエキサイティングなのだ。