バッサリ斬り棄て、進撃のマダム!へ

大人になり過ぎて気付くことがある。老いを恐れず、今迄積み上げて来た自分から更に素敵マダムを目指すためのエクスポート。

ラストイベントは、新たなスタートライン‼︎

2022-08-13 08:50:00 | 日記

母娘で暮らしてきた我が家は、毎年夏に舞台鑑賞するというのを定例にしてきた。例年、ミュージカルを観る事が多く、今年は、ブロードウェイミュージカルの金字塔的な傑作と言われ、既に初演より50年近く経つという「コーラスライン」の来日公演を楽しむことにした。長年演じ続けられる世界的に有名な定番ミュージカルだが、離婚した夫が常に、この作品を如何に好きかを結婚生活中に語り続けたため、なんとなく避ける傾向にあったのか、私達は未だ観ていなかった。

祝福と共に母子家庭解消の今年、既に私達母娘の歴史や記憶には、離婚した夫の影もかけらもなく、何の執着もない今、避ける理由はない。反って我が家の最後の定例イベントに相応しい作品になることだろう。

期待通り、殆どの役者が身長は高く、手足も長いその身体で繰り出す大きなジャンプや身軽なステップは圧巻だった。また、各ソロのダンスも、軸がぶれないというか基点を抑え、全身を使って舞うその安定感と美しさは見事としか言いようがない。

但し、ストーリーが、オーディションを受けるダンサー個々のここに至る迄のバックグラウンドを歌にのせて語り、ダンスで表現していくというものなのだが、そのベースが「人種差別、貧困、LGBT,家庭不和、いじめ」で、正直、そのお題はうんざりというか、内容が少し感覚的に時代遅れの様な感じがした。また、演出家とオーディションを受けに来ていた女性が以前、恋人同士だったという恋愛ストーリーも並行して進むのだが、それも現代の感覚では共感はなく、そうでなくてもこれって必要な設定?なのかと疑問に思った。その上、作品とは関係ないが、3列先に座る仲睦まじい老夫婦が、恐らくお互い年齢なりに耳が遠いようで、上演中に幾度も二人でコソコソ話をしているつもりだろうが、普通の会話よりも若干大きめな声が聞き漏れてきて、それも気になってしまっていた。

と、いう具合で舞台は進み、ラストに近付いた場面では、ダンサー達に「もし、踊れなくなったら、君はどうするのか?」という疑問が投げかけられた。最終的に彼らは「好きな事をやって来たのだから、悔いはなし」と結論を出し、全員で「What I Did for Love(愛した日々に悔いはない)」を歌い上げるのだが、それが私の心に沁みて、動かした。


コーラスライン開演前に、私は娘と暑さ凌ぎで喫茶店にいた。娘は、勤め先の同期に同じく母子家庭で育った男性がいて、よく話をするのだと切り出した。その彼が昨年、結婚をし、実家を出たとのことだが、毎月1度以上は実家に帰る日を設けていると知り、自分もそうするからと言う。

とりあえず、「ふーん」とだけ返したが、私は全くそんなこと望んでおらず、まして私の為というならば、それは間違っているし、不要である。しかし、娘は私を気遣っている様子でその気持ちは無碍に出来ず、うまく本音を伝える言い方が見つからなかった。

そして、娘の言葉は引っかかったままだったのだが、そう私は、娘を育ててきた事に対し今、やり切ったような思いなのだ。娘を授かり感謝と幸せだった。私が自分の人生で誇れるのは娘を育ててきたことだけかもしれない。だから、胸を張って嫁に出すし、娘も私を常に大切に思い、一生懸命頑張り、二人でやってこられた。娘からは既に十分に宝物の様な素敵な時間を貰った。

だから、娘にはもう親など振り返らずに、どんどん勝手に幸せ求めて進んで欲しいのだ。

私は私で、人生のネクストステージを開幕させるべく準備に忙しい。

私達は、それぞれが自分のステージを開幕させる時を迎えたのだ。


出演ダンサーらが、金の衣装を身に付け、おなじみの「ONE」を一糸乱れずに踊るフィナーレ。

正しく「ここが、新たなスタートライン」というフレーズが、舞台だけでなく、我が母娘にも相応しいと思えた。









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