この画像から妄想?ではなく記憶のよみがえりとして「二河白道・にがびゃくどう」を思い起こす、菩提寺の老僧・住職に教えられた「二河白道」・・・私が説明するより、ココの説明を読んでいただいたほうがイイカモと・・・浄土宗HPより引用させていただく文章です
彼岸への一筋の道
ここで、中国の高僧善導大師が説かれた「二河白道(にがびゃくどう) 」のお話をご紹介しましょう。彼岸と此岸との対応が明確にあらわされています。
一人の旅人が、東から西への旅路を歩いています。突然前方に河があらわれました。立ち止まって後を振り返ると、盗賊や猛獣・毒蛇が襲いかかってきます。
旅人は河の間に小さく細い白道を見つけました。しかし白道の左の方には猛火が燃えさかり、右手は急流が押し寄せてきます。進むも死、戻るも死と、全くの絶望状態です。旅人は躊躇していました。すると、迷っている旅人の耳に、東の岸から声が聞こえて来ました。
「決心してその白道を歩みなさい。死ぬようなことはありません。そこにとどまっていたら死ぬでしょう」と、そしてさらに進もうとする西の岸からも、それに呼応するように「心から信じてすぐこちらに来なさい。私があなたを守ってあげよう。水の河、火の河を恐れることはありません」という声が響いてきました。
その声に励まされて前進する旅人ですが、背後から盗賊や猛獣・毒蛇の声が。「早く引き返しなさい、その道は通れない、行けば死ぬだけだ。我々はあなたを殺したりはしない、引き返しなさい」
旅人はその誘惑に乗ることなく白道を進み、ついに向こうの岸に到達することが出来たのです。
賢明な読者の皆さんはお気付きのことと思います。東岸は娑婆、西岸はお浄土です。盗賊や猛獣・毒蛇は私たちの心に住む煩悩を、火の河は怒りの心、水の河は貪りの心を意味しています。白道は彼岸に到ろうとする清浄な心、東岸の声の主はお釈迦さま、西岸からのそれは阿弥陀さまの呼び声なのです。
浄土宗HPより引用させていただきました。
子供たちが家庭を持つのもそう遠くない時期に、このように混沌とした時代になり、子供たちの生きてゆく時代がどのような時代か、この頃心配になってきている。高度成長期時代に育ち、オイルショック・ドルショック・バブル崩壊、いろいろあったがある意味、心まで豊かだったかもしれない、さて今はどうだろう・・・・・
彼岸への一筋の道
ここで、中国の高僧善導大師が説かれた「二河白道(にがびゃくどう) 」のお話をご紹介しましょう。彼岸と此岸との対応が明確にあらわされています。
一人の旅人が、東から西への旅路を歩いています。突然前方に河があらわれました。立ち止まって後を振り返ると、盗賊や猛獣・毒蛇が襲いかかってきます。
旅人は河の間に小さく細い白道を見つけました。しかし白道の左の方には猛火が燃えさかり、右手は急流が押し寄せてきます。進むも死、戻るも死と、全くの絶望状態です。旅人は躊躇していました。すると、迷っている旅人の耳に、東の岸から声が聞こえて来ました。
「決心してその白道を歩みなさい。死ぬようなことはありません。そこにとどまっていたら死ぬでしょう」と、そしてさらに進もうとする西の岸からも、それに呼応するように「心から信じてすぐこちらに来なさい。私があなたを守ってあげよう。水の河、火の河を恐れることはありません」という声が響いてきました。
その声に励まされて前進する旅人ですが、背後から盗賊や猛獣・毒蛇の声が。「早く引き返しなさい、その道は通れない、行けば死ぬだけだ。我々はあなたを殺したりはしない、引き返しなさい」
旅人はその誘惑に乗ることなく白道を進み、ついに向こうの岸に到達することが出来たのです。
賢明な読者の皆さんはお気付きのことと思います。東岸は娑婆、西岸はお浄土です。盗賊や猛獣・毒蛇は私たちの心に住む煩悩を、火の河は怒りの心、水の河は貪りの心を意味しています。白道は彼岸に到ろうとする清浄な心、東岸の声の主はお釈迦さま、西岸からのそれは阿弥陀さまの呼び声なのです。
浄土宗HPより引用させていただきました。
子供たちが家庭を持つのもそう遠くない時期に、このように混沌とした時代になり、子供たちの生きてゆく時代がどのような時代か、この頃心配になってきている。高度成長期時代に育ち、オイルショック・ドルショック・バブル崩壊、いろいろあったがある意味、心まで豊かだったかもしれない、さて今はどうだろう・・・・・