ヒロシのぶらっとぶらぶら

気のむくままの不定期ブログです。

宇野駅・宇高連絡船のジオラマ

2010-07-03 22:48:31 | ポッポー
振興ビルがあるのはは、私が若い頃過ごした玉野市築港、
 宇野駅のすぐそば、南側です。


玉野市は、<玉><宇野><日比>が一緒になってできました。
 だから<玉・野>

宇野というのは、今の<天満屋ハッピータウン>などのあるところで、
 国道フェリー側です。

ほぼ現在と同じ位置にある<宇野駅>あたりは、築港という地区で、
 築港銀座と呼ばれるアーケード商店街もあります。
  (倉敷も駅前アーケード商店街がありますね・・)

当時は、まだ連絡船がいました。






 宇高(うこう)連絡船が、開通したのは、
  今からちょうど100年前の、
   明治43年(1910年)6月12日なんじゃそうな。








 ↑ 宇野駅。(西側より)
   乗客は、連絡船の席を確保するために、
    列車を降りると、連絡船(画面右奥)までダッシュしたそうな・・




 
 ↑ 宇野駅。(東側より)
    連絡船が泊まっています。
    貨物車が乗るんですよ!
    貨物車はそのまま高松駅・・です。











 ↑ あららーー ピンボケです。よくあります・・
   北側からです。向こう側は、海。高松方面です。




多くの写真も展示されていました。





 ↑ 貨物が連絡船に入っていく写真、の写真。





 ↑ 大正10年の連絡船。
   えぇ~! 貨車が乗っていますー!





 ↑ 昭和4年~36年。
  この後は自動車社会になったので、
   今のようなフェリーになったのかな?





↑ 昭和17年~23年。





 ↑ ホーバークラフト。昭和47年~63年。



1988年(昭63)。
 ソウル五輪の年に、瀬戸大橋が開通し(4月10日)、
  その前日で、宇高連絡船、ホーバークラフトは廃止になりました。
   その3年後には、高速艇も廃止となり、
    国鉄・JRによる宇高航路はなくなりました。
    

昭和30年代に多くのフェリー会社が設立されたようですが、
 瀬戸大橋の開通により、多くは撤退・縮小されたようです。

宇野ー高松間においては、
 民間会社の、宇高国道フェリー・四国フェリーは、現在も残っています。
  (いろいろ大変なようです・・)
   






    

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なつかしー (元灘崎町民)
2016-10-27 14:30:06
昔の記事にコメントすみません。子供のころの宇野港を思い出し検索中にたどり着きました。この模型、もともと、どこにあったのか思い出せませんが(渋川か?)、ケース横のレバーをくるくる回すと船が動いたり、桟橋が動いたりした記憶があります。現時点で6年前の記事、この模型まだ現存しているとよいですね。岡山を離れてしまったので確認することはできないんです。。良いもの見せて頂きありがとうございました。
返信する

コメントを投稿