ヒロシのぶらっとぶらぶら

気のむくままの不定期ブログです。

アンネのバラ ②

2012-07-05 22:20:45 | ドライブ
<アンネのバラ(アンネの形見のバラ)>というバラがあるそうな・・・







 ↑ ホロコースト記念館。
    高屋川と芦田川が合流するところにあります。
     高屋川の土手沿いにあります。






 ナチス・ドイツにによるユダヤ人虐殺の犠牲になったアンネ・フランクゆかりの
  バラは、アンネの死後(1945年15歳で死亡)、
   15年後に新種として作られ<アンネ・フランクの形見>と名付けられ、
    生き残ったお父さん(オットー・フランクさん)に贈られました。

 その後、日本人(館長の大塚さんの所属する合唱団)とオットーさんの交流が始まり、
  1972年に、オットーさんにより、このバラが日本に入ってきました。



 ホロコースト記念館
   1995年開館。
   2007年新館が開館。
    悲劇について、平和について勉強できます・・・
     (杉原千畝やシンドラーの名前もありました)    


  つぼみは赤く、開花すると、黄色からピンクへとだんだんに変わっていきます。
   ほぼ四季を通じてみる事ができるそうですが、
    <こちらでは、12、1、2、3月はあまり咲かない。>
     と、館のかたがおっしゃっていました。

























また、アンネが隠れ家から見ていた<マロニエの木>の二世も植えられています。











館のかたのお話を伺っていて知ったことがあります。

 アンネ・フランク
  1929年6月ー1945年3月
   (昭和4年生まれ、生きていれば83歳)

   2年1ヶ月の隠れ家生活、
    強制収容所に入れられ、7ヶ月後に病死(15歳9ヶ月)


 オードリー・ヘップバーン
  1929年5月ー1993年(69歳没)
 
  アンネが亡くなったころ
   同じオランダでボランティアの看護婦さんをしていました。

  戦後、彼女はアンネのことを知りました。

  彼女は、女優さんとして大活躍をしますが、
   1993年引退(64歳)。
    すぐに、ユニセフ(国際連合児童基金)の親善大使となり、
     内戦状態のソマリアやスーダンに入る。

    この事は、TVでも見ました。

   彼女が、そういう行動をとったことには、
    戦後、自身がユニセフから食料の援助を受けた事、
     少女時代の経験(ユダヤ人狩りに対して家族は反ドイツの運動をしていた)、
      アンネが1ヶ月違いの同い年だった事を知った・・・

    などの事を、教えてもらいました。


   そんなバックボーンがあったんですね。

    先日の成羽美術館でも、相田みつをさんに同様の事を感じました。





 
 ホロコースト記念館

入館料無料
  個人のかた(教会の神父さん)がされています。

  よって、寄付金と、<ちびまる子ちゃんのアンネ・フランク>を購入しました。
(入館料のつもりデス・・)


帰りは、
 坪生町から<備南広域農道(備南街道)>を通り、笠岡・玉島・倉敷へと帰りました。







おしまい!











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2 コメント

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どうも (T・・・キヨネ)
2012-07-06 16:10:00
パンフレットとは違い
生の声は、意外性や驚きが有りますよね!「聞けるとラッキーです」
返信する
まいど! (ヒロシ)
2012-07-06 21:37:04
<館のかた>は、ボランティアのかたでした。

 お話が楽しいので30分以上、お話を聞きました。
  (来館者が私たちの他にはいなかった事もアリマス・・・)

  私は、<お話>を聞かせてもらうのが大好きです。
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