<アンネのバラ(アンネの形見のバラ)>というバラがあるそうな・・・
↑ ホロコースト記念館。
高屋川と芦田川が合流するところにあります。
高屋川の土手沿いにあります。
ナチス・ドイツにによるユダヤ人虐殺の犠牲になったアンネ・フランクゆかりの
バラは、アンネの死後(1945年15歳で死亡)、
15年後に新種として作られ<アンネ・フランクの形見>と名付けられ、
生き残ったお父さん(オットー・フランクさん)に贈られました。
その後、日本人(館長の大塚さんの所属する合唱団)とオットーさんの交流が始まり、
1972年に、オットーさんにより、このバラが日本に入ってきました。
ホロコースト記念館
1995年開館。
2007年新館が開館。
悲劇について、平和について勉強できます・・・
(杉原千畝やシンドラーの名前もありました)
つぼみは赤く、開花すると、黄色からピンクへとだんだんに変わっていきます。
ほぼ四季を通じてみる事ができるそうですが、
<こちらでは、12、1、2、3月はあまり咲かない。>
と、館のかたがおっしゃっていました。
また、アンネが隠れ家から見ていた<マロニエの木>の二世も植えられています。
館のかたのお話を伺っていて知ったことがあります。
アンネ・フランク
1929年6月ー1945年3月
(昭和4年生まれ、生きていれば83歳)
2年1ヶ月の隠れ家生活、
強制収容所に入れられ、7ヶ月後に病死(15歳9ヶ月)
オードリー・ヘップバーン
1929年5月ー1993年(69歳没)
アンネが亡くなったころ
同じオランダでボランティアの看護婦さんをしていました。
戦後、彼女はアンネのことを知りました。
彼女は、女優さんとして大活躍をしますが、
1993年引退(64歳)。
すぐに、ユニセフ(国際連合児童基金)の親善大使となり、
内戦状態のソマリアやスーダンに入る。
この事は、TVでも見ました。
彼女が、そういう行動をとったことには、
戦後、自身がユニセフから食料の援助を受けた事、
少女時代の経験(ユダヤ人狩りに対して家族は反ドイツの運動をしていた)、
アンネが1ヶ月違いの同い年だった事を知った・・・
などの事を、教えてもらいました。
そんなバックボーンがあったんですね。
先日の成羽美術館でも、相田みつをさんに同様の事を感じました。
ホロコースト記念館
入館料無料
個人のかた(教会の神父さん)がされています。
よって、寄付金と、<ちびまる子ちゃんのアンネ・フランク>を購入しました。
(入館料のつもりデス・・)
帰りは、
坪生町から<備南広域農道(備南街道)>を通り、笠岡・玉島・倉敷へと帰りました。
おしまい!
↑ ホロコースト記念館。
高屋川と芦田川が合流するところにあります。
高屋川の土手沿いにあります。
ナチス・ドイツにによるユダヤ人虐殺の犠牲になったアンネ・フランクゆかりの
バラは、アンネの死後(1945年15歳で死亡)、
15年後に新種として作られ<アンネ・フランクの形見>と名付けられ、
生き残ったお父さん(オットー・フランクさん)に贈られました。
その後、日本人(館長の大塚さんの所属する合唱団)とオットーさんの交流が始まり、
1972年に、オットーさんにより、このバラが日本に入ってきました。
ホロコースト記念館
1995年開館。
2007年新館が開館。
悲劇について、平和について勉強できます・・・
(杉原千畝やシンドラーの名前もありました)
つぼみは赤く、開花すると、黄色からピンクへとだんだんに変わっていきます。
ほぼ四季を通じてみる事ができるそうですが、
<こちらでは、12、1、2、3月はあまり咲かない。>
と、館のかたがおっしゃっていました。
また、アンネが隠れ家から見ていた<マロニエの木>の二世も植えられています。
館のかたのお話を伺っていて知ったことがあります。
アンネ・フランク
1929年6月ー1945年3月
(昭和4年生まれ、生きていれば83歳)
2年1ヶ月の隠れ家生活、
強制収容所に入れられ、7ヶ月後に病死(15歳9ヶ月)
オードリー・ヘップバーン
1929年5月ー1993年(69歳没)
アンネが亡くなったころ
同じオランダでボランティアの看護婦さんをしていました。
戦後、彼女はアンネのことを知りました。
彼女は、女優さんとして大活躍をしますが、
1993年引退(64歳)。
すぐに、ユニセフ(国際連合児童基金)の親善大使となり、
内戦状態のソマリアやスーダンに入る。
この事は、TVでも見ました。
彼女が、そういう行動をとったことには、
戦後、自身がユニセフから食料の援助を受けた事、
少女時代の経験(ユダヤ人狩りに対して家族は反ドイツの運動をしていた)、
アンネが1ヶ月違いの同い年だった事を知った・・・
などの事を、教えてもらいました。
そんなバックボーンがあったんですね。
先日の成羽美術館でも、相田みつをさんに同様の事を感じました。
ホロコースト記念館
入館料無料
個人のかた(教会の神父さん)がされています。
よって、寄付金と、<ちびまる子ちゃんのアンネ・フランク>を購入しました。
(入館料のつもりデス・・)
帰りは、
坪生町から<備南広域農道(備南街道)>を通り、笠岡・玉島・倉敷へと帰りました。
おしまい!
生の声は、意外性や驚きが有りますよね!「聞けるとラッキーです」
お話が楽しいので30分以上、お話を聞きました。
(来館者が私たちの他にはいなかった事もアリマス・・・)
私は、<お話>を聞かせてもらうのが大好きです。