鬼ノ城は、<謎の城>と言われます。
それは、まだ発見されて、あまり時間が経っていなくて、記録もないためです。
センター職員さんの説明によりますと・・
始まりは、30年ほど前。
(私が、ハイキングに来たのは15年ほど前で、
当時は、遊歩道にその<看板>だけで、素通り・・でした!)
この山は民間の個人所有でした。
ある時、マツタケ狩りのおり、気になる<石(岩)>を、いくつか見つけました。
そして、その事を<お上>に報告しました。
<礎石群>でした。
そして県が買取り、本格的な調査が始まったのであります。
その後、発掘作業により、少しずつ解明されているところ・・
が、現状です。
科学的な分析などにより、
築城された年代がしぼられ、歴史背景などから、
600年代、東アジアの戦国時代に、
朝鮮半島に進出していた大和政権は、663年の<白村江の戦い>に大敗し、
国内の守りを固めるため、<百済人>の指導のもと、
西日本の各地に<城>をつくりました。
そのひとつと言われています。(記録なし)(パンフレットより)
城壁は、山の、八~九合目にかけて
長さ2,8Km(面積30,6ha:桃太郎スタジアム15個分)あります。
東・西・南・北門があり、
貯水池(現在は湿地)、排水門6ヶ所、角楼などが確認され、
いずれも、強固な造りで、保存状態もいいようです。
城内には、倉庫、水汲み場、のろし場なども発見され、
今回、倉庫と考えられる<礎石建物群跡>の発掘調査の現場を見学させていただきました。
日本の古代山城としては、大規模な史跡整備だそうです。
(国が半分お金を出してくれているんです・・だそうです)
つづく・・・
それは、まだ発見されて、あまり時間が経っていなくて、記録もないためです。
センター職員さんの説明によりますと・・
始まりは、30年ほど前。
(私が、ハイキングに来たのは15年ほど前で、
当時は、遊歩道にその<看板>だけで、素通り・・でした!)
この山は民間の個人所有でした。
ある時、マツタケ狩りのおり、気になる<石(岩)>を、いくつか見つけました。
そして、その事を<お上>に報告しました。
<礎石群>でした。
そして県が買取り、本格的な調査が始まったのであります。
その後、発掘作業により、少しずつ解明されているところ・・
が、現状です。
科学的な分析などにより、
築城された年代がしぼられ、歴史背景などから、
600年代、東アジアの戦国時代に、
朝鮮半島に進出していた大和政権は、663年の<白村江の戦い>に大敗し、
国内の守りを固めるため、<百済人>の指導のもと、
西日本の各地に<城>をつくりました。
そのひとつと言われています。(記録なし)(パンフレットより)
城壁は、山の、八~九合目にかけて
長さ2,8Km(面積30,6ha:桃太郎スタジアム15個分)あります。
東・西・南・北門があり、
貯水池(現在は湿地)、排水門6ヶ所、角楼などが確認され、
いずれも、強固な造りで、保存状態もいいようです。
城内には、倉庫、水汲み場、のろし場なども発見され、
今回、倉庫と考えられる<礎石建物群跡>の発掘調査の現場を見学させていただきました。
日本の古代山城としては、大規模な史跡整備だそうです。
(国が半分お金を出してくれているんです・・だそうです)
つづく・・・
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