笑いとばしたら、心も晴れるさ。

人生、山あり谷あり、壁に耳あり障子にメアリー、
結構毛だらけ猫灰だらけ、おしりの回りは…わりと綺麗っ!!

まにあってます。

2013-05-29 07:39:13 | 日記
知人、そう友人とも呼べない知り合いの方に、
それはそれは熱心にある宗教を信仰してる方がいる。
私は仏教の教えに共感するものはあっても、
神社にもお参りに行くし、
ローザに誘われ教会に遊びにも行くし、
そこら辺の祠に手を合わせたりもする。
神様とか何かを信仰するというよりは、
なんとなく「ありがたい」っぽいものは拝んでおく人だ。
それで御利益を頂けたら、
それこそ「ありがたい」じゃないですか(笑)

それでその知人の話なんですが、
その人はよく信仰してる宗教を人に薦めるんですよ。
ローザに誘われて教会に行っちゃう私でも、
(誘われるのはいつも何かのお祭りの日です)
その知人のお誘いだけは、
のらりくらりとかわしてしまいます。
と、いいますのも、
自分の親もとある宗教を熱心にしていたのですが、
その宗教仲間?って人達が子供心に嫌いでしてね。
私が親と距離を置くようになったのも、
今思えばそういう事を避けたかった部分があったのでしょう。
じつは家族が亡くなってる関係で、
仏壇を引き取っているんですけど、
それがその宗教関係の仏壇でして、
どうも気持ち的に手を合わせられない自分がいるんです
なんとかなりませんかねぇ。
そういうのに詳しい方おりましたらご一報下さい(笑)

それはさておき、
とにかくそんな過去もあって、
宗教にあまりいいイメージがなく、
その知人の話をかわし続けているんですけど、

何よりも嫌なのは、

その人熱心に宗教やってるくせに、
とてつもなく不幸っぽいんですよっ!!!
どうして熱心に宗教やってる人って不幸っぽいんですか?
いや人の幸せなんて自分で感じるそれぞれで違うんだろうけど、
一般的感覚で見ると不幸っぽい。
そしていつも暗い顔して不平不満を言ってる。
そう皆、不平不満を言うんですよね。
あの熱心なクリスチャンのローザなんか、
フィリピンのストリートチルドレンを救う運動をしていて、
毎年その為の募金活動や自身で送金したりして、
友達として見ても「偉いわぁ~」と思うのに、
年がら年中、不満や悪口をいってるし(笑)

人間生きていれば不平不満は生まれるし、
悪口だって言う事もあるけれど、
心を豊かにする為に信仰してる宗教で、
自分自身の不平不満すら解消できないのに、
わざわざ人に薦めるって何なのでしょうね。
まるで出来の悪いセールスマンじゃないですか!

神(仏)というイメージは宗教によって違うけれど、
どれも行く着くところは、
見返りを求めない無償の愛じゃないのかな?
だったら自分自身を追求すればどこかで必ず見えるはず。
たとえば誰かを思う気持ちひとつでも、
最終的にはその人がどこにいても幸せに笑っていてくれれば、
それだけで嬉しいと思うのが無償の愛。
そう神は誰でも自分の心の中にいると思う。
ぶれずに自分をしっかり持っていれば、
何にでも感謝出来て何にでも幸せは感じられる。

と、言う訳で、
とりあえず宗教は間に合ってますって事で
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