神田明神は本当に自分にとって相性が良い神社です。
そう思っても、相性は目に見えるものじゃないので説明しにくいのですが、
何が始まりなのだろうか?とずっと考えて、
こじつけになってしまうけど、時間の感覚がない世界なら有りなのか?
と思えば、高校の就職相談が事の始まりの様な気がします。
家の経済的な事と頭の出来から早々に就職を進路としてきましたが、
兎に角遊びたい盛りの高校生の私は、
早くに進路を決めてしまおうと夏休み前の推薦枠を狙いました。
バブル直前の登り景気の頃は、今では考えられない就職推薦枠があったのです。
学校が推薦すれば、顔合わせ程度の面接で内定が貰えるふざけた制度です(笑)
ある程度卒業に必要な資格を(商業高校だった)クリアしてたので、
推薦はなんなく貰え、今は無き某相互銀行に面接に行くだけとなってました。
ところが∑(゜Д゜)!!!
面接3日前、学校から連絡があり推薦がなくなったと
就職担当の先生のミスで、
そこの推薦枠にはすでに他の生徒が決まっていたのです。
先生は私に、こっちが申し訳なくなるくらい謝ってましたが、
私は別にそこに執着してなかったので何とも思いませんでした。
余談ですがそこの相互銀行は、
相互銀行そのものが消滅した金融制度改革でどうなったのかも知りません(´Д` )
先生はお詫び?に何としてでも推薦枠で就職させようとしたのでしょう。
もうすでに推薦枠の決まったJ銀行に連絡をしてくれました。
J銀行は地方銀行ですが、東京支店の女子行員は現地採用です。
しかも東京進出時から老舗?のお嬢様校だった母校と、
母校の姉妹校A校からしか当時は現地採用をしていませんでした。
あれ?ちょっと待って?
そもそも母校も土壇場で進路変更したんだったΣ(゜д゜lll)
同じレベルなら東京のオシャレな名前の学校にしよう!
なんて全くふざけた理由で…(^◇^;)
だって地元の学校の制服ダサかったんだもん
…って事はここからスタートなのかな?
まあいいや、話しを戻しまして( ^ω^ )
そんな蜜月関係なJ銀行と母校で、
しかも登り景気で規模を拡大してる最中だった為、
特別もう一人採用して頂く事になりました。
面接時、東京事務所のM野さんが出してくれた、
日本橋三越の美味しいケーキはその後しばらくハマったなぁ
今考えると推薦枠にこだわらなくても、
景気が良い当時はいくらでも就職出来たし、
金融関係じゃなくても別によかったよな?
という訳で神田明神の氏子地域で働いたのがこれが最初でした。
さて長くなるので続きます。