キラキラかわいいのが好きなんだよホントはね。
最近よく思う事がある。
もしも幼い頃から、
自分の本質を理解して、
本当の自分の心で好き嫌いを言えていたら、
いったいどんな今を過ごしていたんだろうって。
きっと誰にでも同じ事が言えると思うけど、
本当の(本来の)「自分」と、
演じてる「自分」ってのは違うと思う。
いや、演じてるとは違うな。
少なからず今の「自分」っていうのは、
育った環境や、
親の思考や価値観が影響していて、
こういうものが正しい、
こういうものが望ましい、
こういうものが好みである。
と「思い込んでいる」ところがあると思う。
たとえば私たちの時代は、
通常テレビは一家に一台だった。
見たい番組を自由に見るよりは、
親や年上の者が見るものを見せられていた。
見たくもない野球やボクシング、
見たくもない大河ドラマ、
見たくないのに見せられているうちに、
おや?なんとなく面白いのかな?と思ってしまう。
たまに歌番組でアイドルを見ていると、
「こんなヘタなのは歌じゃない。」
「チンドン屋みたいないだな。」と言われ、
アイドルはもれなく歌がヘタだと信じてしまう。
こういった大人たちの言葉で、
本来の好き嫌いは歪んだかたちで刷り込まれてしまう。
その証拠に近年まで私はジャニーズのアイドルは、
もれなく歌がヘタな恥ずかしい男子たちと思っていた。
娘が強制的に私のウォークマンに嵐を入れなければ、
こんなに心に響く歌詞の歌だったのかと、
知らずに一生を終えていた事だろう。
それと同時にアイドルをバカにして、
拒否をしていた今までが大変もったいないと思った。
それからほぼ洋楽onlyだった私のウォークマンは、
ジャンル無視のとんでもないものになってしまった(笑)
今の時代はテレビもネットも自由に情報が得られるので、
そういった変な刷り込みはないだろうが、
情報が多様化した事で起こる思い込みはあると思う。
親がカッコいいと思うから「やらされている」事、
友達がやっているから「やらされている」事、
それが自分の好きな事と思い込んで、
自分のスタイルとして確立されてしまう。
それは気づかず終わればある意味いいが、
本来の自分とのギャップに気づいた時は悲劇だ。
私は自分の心の声を聞くようになって、
あまりのギャップに驚いている