平らな深み、緩やかな時間

169.沖縄慰霊の日、ベルクソン『物質と記憶』について

去る6月23日は沖縄戦の慰霊の日でした。
太平洋戦争における沖縄戦は、1945年4月1日のアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始されましたが、第32軍司令官牛島満大将(当時は中将)をはじめとする司令部が自決した日をもって組織的戦闘が終結したとされています。その日が6月23日とされたことから、この日が慰霊の日と定められたのだそうです。私のような歴史に疎い者が語るべきことではないのでしょうが、沖縄の方々にとっては終戦の日に近い意味合いがあるのだろうと思います。
ところがヤマトンチューである私たちにとってはその意味合いがよく分からず、この日のことを意識すらしていない人が多いのではないか、と思います。私もそうでしたが、そのことに関して恥ずかしい思い出があります。
若い頃のことでしたが、沖縄の佐喜眞美術館にはじめて行ったときに、確か館長夫人だったと思うのですが建物の屋上に案内してくださいました。そして、見晴らしの良い展望台に登る階段の数を数えてください、と言われて、それが6段と23段に分かれていたので、そう答えるとその数字の意味を問われました。それが6月23日という日付を表していることまで教えていただいたのに、その日が何の日だか、さっぱり分からなかったのです。正直に、わかりません、と言うと、丁寧にその日の意味を教えてくださったのです。本土にいると、原爆が投下された日、終戦の日ぐらいは意識しますが、沖縄戦の終結の日というのは、はるかに遠い出来事になってしまっています。私は佐喜眞美術館でそのことを思い知りました。
そして、このところ忙しくて土日も休む暇がなかったのですが、たまたま先週の日曜日に休みが取れて、ぼーっとNHKの日曜美術館を見ていたら、この週に合わせて佐喜眞美術館にある丸木位里・丸木俊夫妻による『沖縄戦の図』が紹介されていました。
http://sakima.jp/
私は、絵画にメッセージを込めることに関して、それほど積極的な人間ではありませんが、この絵は素晴らしい作品だと思います。各部分に描かれたエピソードが、それぞれ重い意味を持っているのですが、それとは別に、大画面の構成が素晴らしいのです。日曜美術館の番組では、制作の記録が映されていましたが、白い大きな紙の上で夫妻が思い思いに筆を入れていく過程がよくわかりました。そして画面中央やや右の余白のスペースが計画的に構成されたものではなく、制作しているうちに自然に生じてきたもので、二人がそれを良しとして仕上げに至ったことがわかりました。この二人の制作過程は、後で論じることになるベルクソンの「自由」の概念そのままだと思います。私たちの心身は外部との影響関係の中で動いていて、そのこととちゃんと向き合うことで本当の自由が得られる、というのがベルクソンの自由の考え方ですが、丸木夫妻はそれを実践したのだと思います。その結果、画面の外の空間と画面内の空間が生き生きと交流する大きな画面構成を得たのです。白く残された部分は、画面の中の動きに自由を与えているだけではなく、外の空気さえも取り込んでいて、そのことによって画面に生命を与えています。
それにしても、この絵に描かれていることは悲惨です。レポーターの作家、小野正嗣がしばし言葉を失ったのも、頷ける反応です。同じ日本人の兵士が沖縄の人を守らず、アメリカに投降すれば命が助かるという正確な情報を得た人たちだけが生き残った、というのは今も生かしたい教訓です。現在のオリンピックの開催が、戦時中の楽観的な大本営の判断に似ている、という解説をよく耳にしますが、教訓は何も生かされていないと言わざるを得ません。そして、ウイルス感染は後から過ちを知っても、私たちの命を助けてはくれません。そのことに対して、誰も責任を取らなくて済むように、今から為政者たちは備えているように見えますが、仮に彼らが責任を取ろうとしたところで、命は救えないのです。
それからこの慰霊の日には、そんな現状に加えて、辺野古の米軍の滑走路を埋め立てるのに沖縄戦の遺骨が混じっている砂を使う、という信じられない記事を目るにしたことを思い出します。はじめてそれを知ってから、すでに半年になります。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/74280
沖縄県人でなくても、そんな破廉恥なことが許されるのか、と当然のことながら憤りを感じますが、その後の首相の答弁は次のようなものです。
菅義偉首相は国会で「南部で採取する場合は、遺骨に十分配慮するよう業者に求める」と語った。
これが4月27日の毎日新聞の社説の一文ですが、「遺骨に十分配慮」した土砂の採取など不可能なことは誰でもわかります。どうしてこんな子供でもつかないような嘘を平気で言うのでしょうか。(むしろ子供だったら、こんな酷いことは言いませんね。)
この埋め立ての問題については、朝日新聞が社説の中で「沖縄慰霊の日 76年なお続く傷の痛み」として取り上げていますので、リンクを貼っておきます。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14948075.html
私たちはこの慰霊の日を迎えて、政治的な立場を超えて、過去の悲惨な歴史から何かを学ぶ国であって欲しい、と願うばかりです。



さて、前回に続きフランスの大哲学者、アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson 、1859 - 1941)についてです。『時間と自由』の8年後、1896年に発表された『物質と記憶』を今回は読み込んでみたいと思います。さまざまな訳書がある中で、私が参照しているのは講談社学術文庫の杉山直樹(1964 - )の翻訳した本です。その「訳者解説」の冒頭に、次のような文章があります。

『物質と記憶』は、ベルクソンの著作の中でもいちばん難解だ、と言われることが多い。いちばんかどうかは分からないが、確かに最初から読んでいくと、そのうちに腑に落ちない点がだんだんたまっていって、最後には途方に暮れるような書物だと思う。
(『物質と記憶』「訳者解説」杉山直樹)

これは困りました。『時間と自由』でさえ十分に難しかったのに、それより難解なのではお手上げです。
そういえば、前回『時間と自由』について書きましたが、ベルクソンの「空間」と「時間」の解釈に夢中になるあまり、なぜこの本のタイトルが『時間と自由』なのか、ということについて書ききれませんでした。このタイトルは英訳の本のタイトルから取られていることは書きましたが、それでは不十分でした。そこで、ちょっとおさらいがわりに私なりの解釈を書いておきます。
ベルクソンは、心身の二元論に対して、心の側からその架け橋となるような解釈を試みました。それらはきれいに分かたれるものではなくて、相互に影響し合うものであり、私たちから見る「空間」も「時間」も、私と無関係に私の外部に存在するわけではない、という話でした。しかしベルクソンのいう通りだとして、もしも私の心が周囲のものから独立したものではなく、絶えず外部のものから影響を受けているのだとしたら、私には何かを決める「自由」意志というものがあるのでしょうか。私たちが、何かを自分で決めた、と思っていても、それは周囲からの影響によってあらかじめ決まっていたのではないか、という疑いが湧いてきます。それに対してベルクソンは次のように言っています。

私たちの行為が私たちの全人格から出てくるとき、行為が全人格を表現するとき、行為が作品と芸術家とのあいだに時おり見られるような定義しがたい類似性を全人格とのあいだにもつとき、私たちは自由である
(『時間と自由』「第3章 意識の諸状態の有機的一体化について」ベルクソン著 中村文郎訳)

難解な文章ですが、作品と芸術家の例が出てきて、私にはわかる気がします。これは「自由」について語っていると同時に、私から見ると、作品制作上の心構えについて書かれているように思います。というのも、私は作品を制作しているとさまざまな意味で不自由な自分を感じてしまい、「自由」に制作している感じがさっぱりしないからなのです。私は「自由」に作品を制作しているようでいて、作品の素材や自分の技量、自分の貧困な発想、過去の作品の記憶など、いろんなことに縛られていて、普段はとても不自由です。しかし、そんなに不自由な私でも、今の自分の全てが表出できたと感じたとき、それは作品の出来不出来とは別にして、ある種の解放感を感じます。そしてそれは、現実の時間とは別の時間の中で起こった出来事のような気分にもなります。例えば、制作のためにたっぷりと時間をとっていたつもりでも、不意にそういう状態が訪れて、え、これだけ?と思うこともあれば、ぜんぜん用意していた時間では足りなかった・・・、とあせっていても不意に納得できることもあります。この時には、少しだけですが自分自身からさえも自由になれたような気がします。ベルクソンが言いたい「自由」というのは、私たちの気分次第でどうにかなるような、気まぐれな自由ではなくて、本当に私たちが「自由」になれるというのはどういうことなのか、それはどういう意味なのか、ということをとことん突き詰めて語っているような気がします。
私の説明ではわかりにくいようでしたら、先ほどの丸木夫妻の絵を思い出してみてください。あの大画面は、二人の人格がギリギリのところで達成したものなので、緻密に描かれていながらも、「自由」な感じがするのです。
さて、そんな『時間と自由』に比べると、『物質と記憶』はもう少しわかりやすく、あるいは詳しく書こうとするベルクソンの意思を感じます。私の拙い読み込みで言えば、ベルクソンの言いたいことは『時間と自由』ですでに書かれていたのですが、その後の彼にとってはそれをどう表現するのか、がテーマだったのだと思います。そして書かれたのが『物質と記憶』だったのではないか、という気がします。
例えば、この本の出だしの部分はこう書かれています。

本書は、精神の実在ならびに物質の実在を肯定し、両者の関係を一つの正確に限定された事例、すなわち記憶力という事例に基づいてはっきり定めようと試みる。したがって、本書は、はっきり二元論の立場である。だが、他方、身体と精神を考察しつつ、二元論がいつも引き起こしてきた理論上の諸困難について、完全に消し去るとまではいかなくとも、少なくともそれらを相当程度まで緩和していきたいと考えてもいる。そうした困難があったせいで、二元論は、直接的な意識によって自然に示唆されるものであり、また常識によって実際に採用されているものでもありながら、哲学者たちのあいだでは、ほとんど評価されないありさまなのだ。
当の諸困難は大部分、物質について人が拵えるところの、ある場合には実在論的な、またある場合には観念論的な捉え方に由来する。本書の第一章が示そうとするのは、観念論も実在論も同じくいきすぎた主張であるということ、すなわち物質というものを、それについてわれわれが持っている表象に還元してしまう(=観念論)のは誤りだが、しかし物質とは、われわれの中の表彰を生み出しつつも当の表象とはまったく本性の異なるものだとする(=実在論)のも同様に間違っている、ということである。われわれの立場からすれば、物質とは「イマージュ」の総体のことだ。そして、この「イマージュ」の語でわれわれが言わんとしているのは、観念論者が表象と呼ぶものよりは多く、しかし実在論者がものと呼ぶものよりは少ない存在、つまりは「もの」と「表象」の中間に位置する存在なのである。物質のこのような捉え方は、ごく単純に言って、常識のそれである。
(『物質と記憶』「第7版の序」ベルクソン著 杉山直樹訳)

おそらく、ベルクソンは可能な限りわかりやすく、噛み砕いて書いてくれているのだと思いますが、それでも哲学に疎い私にはさらに解釈してみることが必要になります。ちょっと試みてみましょう。
まず、ここで言うところの「二元論」ですが、これは一般的には心と体、あるいは精神と物質を二つに分けて、そのいずれかの立場に立って論じる考え方です。物質というものを全て、私たちの心に映るものだと考えてしまえば「観念論」になってしまいますし、人間の脳でさえ物質で出来上がっているのだと考えてしまえば「実在論」になってしまいます。ベルクソンはそのいずれの考え方にも不満があり、その架け橋となる概念として「イマージュ」という言葉を想定しています。しかし、そのことがベルクソンの本を難しいものにしています。先ほどの「訳者解説」の続きの部分を読んでみましょう。

その(『物質と記憶』の難解さ)の理由は、ベルクソン自身の語り方にもある。彼は新奇な造語をばらまくようなタイプの哲学者ではない。彼が使う言葉は、それ自体は見慣れたものであるー「記憶」、「物質」、「イマージュ(心像)」・・・。しかし、困ったことに、彼が言いたい内容のほうは必ずしも見慣れたものではないし、彼はそれまでの哲学者にない新しいアイデアを数多くもっている。だから、かえって話は厄介になる。まあ、見慣れた言葉遣いだし、そう構えなくてもだいじょうぶ、と思って分けて入ってみるのだが、気がつくと、あたかも密林の中で遭難するといった目に遭わされるわけだ。
(『物質と記憶』「訳者解説」杉山直樹)

これはどういうことか、と言えば、単純な話、ベルクソンは「イマージュ」という言葉を、通常とは違う使い方をしているのです。だからこの本の冒頭部分で「物質とは『イマージュ』の総体のことだ」と言われてもチンプンカンプンになってしまうのです。それでは、ベルクソンは「イマージュ」という言葉をどのような意味で使っているのでしょうか。

さしあたって、物質に関する理論や精神に関する理論、外的世界とは実在なのか観念なのかという論争については何も知らない、ということにしてみよう。すると、私はイマージュを前にしている。あたうかぎり漠然とした意味で言っている。感官を開けば知覚され、閉ざせば知覚されないような、そういったイマージュのことである。これらのイマージュはみな、その要素をなす部分のすべてでもって、私が自然法則と呼ぶところの恒常的な諸法則に従いながら作用反作用を互いに及ぼし合っている。
(『物質と記憶』「第一章 表象化のためのイマージュの選別について」ベルクソン著 杉山直樹訳)

これでも、まだ分からないですね。「イマージュ」とは何なのか、私の解釈は次の通りです。
例えば、私はあなたに「朝食のパンが焼けたよ」と呼びかけたとします。いつもの、特別なことのない食パンです。あなたもそのことを知っています。あなたは「わかった」と返事をして、トースターから焼き立ての食パンを取り出します。この時に、ベルクソンが言うところの「イマージュ」として幾つかの食パンが存在することになるのですが、順を追って見ていきましょう。
まずは私の呼びかけに対して、あなたが想起した食パンがあります。心の中に想起された食パンですが、空想の食パンというのとは少し違います。実際の、いつもの食パンをあなたはよく知っているからです。常識的に言って、それを空想のパン、とは言い難いでしょう。そしてあなたがトースターをのぞきこんだとき、あなたはこんがりと焼けた食パンを実際に目にします。これは、どれくらいはっきりとあなたが食パンを見たのか、によって話が違ってきますが、これを空想のパンとは言わないものの、物質としてのパン、と言うには証拠不十分です。さらに、トースターを開けてあなたが手にとった食パンを取り出しますが、これは物質としての食パンだと言っても良いでしょう。しかし、この一連の話は同じ食パンに関するものです。それらの食パンは違うものでしょうか。
この例は、あなたが想起した食パンと手に取った食パン、という容態の違いのように見えますが、それと同時にこれは時間的な変化の問題でもあります。あなたが食パンを手に取った瞬間が現在だとするなら、それ以前の一連の動作は過去のことになりますし、また、あなたはその後で食パンを齧るつもりなら、それは未来のことになるのです。こんなふうに、私たちは明快に区別をしてしまいますが、ベルクソンの考え方だと、これらは簡単に区切りをつけることができないものです。少なくとも、それらはつながり合って起こっていることですから、実際に手に取っている食パンだけが現実であり、確かな物質であって、それ以外の食パンは私たちの心が作り出す思い出や空想に過ぎない、とは言えませんし、逆に私が「パンが焼けたよ」と言った途端にあなたの目の前に物質としてのパンが忽然と現れたわけでもありません。
このように、物質と精神(想起)との区切り、あるいは現在と過去(思い出)との区別を明快につけようとすると、日常生活の私たちの常識とはかけ離れた判断になってしまいます。例えば、ちらっと見えただけの食パンに関して、その存在を私たちはなんと言ったら良いのでしょうか。その微妙な存在を表現する言葉として、ベルクソンは「イマージュ」と言ったのです。精神か、物質か、あるいは現実か、空想か、と言うのではなくて、その架け橋となるような概念を想定することで、狭義の二元論を乗り越えようとしたのです。
そしてベルクソンがこの本のタイトルにもしている「記憶」についてですが、「記憶」とは一体なんなのか、なぜベルクソンは「記憶」を問題としたのでしょうか。例えば私たちは「記憶」したものと、いま「知覚」したものとの違いを明確に語ることができるでしょうか。「記憶」だって、かつては何かの感覚で知覚したもののはずです。そのかつての知覚といまの知覚に明快な違いがあるのでしょうか。
ここでベルクソンは、キッパリと「知覚」と「記憶」を振り分けます。彼は「純粋知覚」、「純粋記憶」とも言っていますが、これは「知覚」と「記憶」をあいまいにしてしまう逃げ道を断つためです。このことによって、ベルクソンは「知覚」と「記憶」がそれぞれの役割を担いながら、人間の精神の自由へと働きかける物語を思い描きます。私のような哲学の素人が軽々しいことは言えませんが、そのためにベルクソンはかなり苦しい説明をしているように思えます。例えば「知覚」に関する説明は次のようなものです。

すでに述べたように、われわれの知覚は、他の物体に対するわれわれの身体の側の可能的行為を描いている。だが、われわれの身体は延長を有するものなので、自分以外の物体だけでなく、自分自身に対しても作用することができる。とすれば、われわれの知覚には、われわれ自身の身体の何ものかが入り込んでいるわけである。しかしながら、周囲の物体に関するかぎり、それらは、そもそもの仮定からして、われわれ自身の身体からは何らか一定の空間で分かたれており、またこの空間は、それらが与える期待や脅威の時間的隔たりを示す尺度になっている。それゆえ、周囲の物体の知覚が描くのは、可能的作用でしかない。しかし、それらの物体とわれわれの身体のあいだの距離が減少するにつれて、可能的作用は現実的作用に変じていこうとする。距離が小さくなれば、それだけ作用は切迫したものになっていくからだ。そして、この距離がゼロになったとき、ということはつまり、知覚すべき対象がわれわれ自身の身体になったとき、ということはつまり、知覚すべき対象がわれわれ自身の身体になったとき、知覚が描くのは現実的作用であって、もはや可能的作用ではない。痛みの本性は、まさにここにある。痛みとは、損傷を受けた身体部位が事態を修復しようとして行う現勢的努力、一部位だけの孤立した努力であり、もはや身体全体の事柄にしか対応できなくなっている有機体においては失敗に終わるしかない努力なのだ。かくして、痛みは、対象が知覚される場所に存在するのと同様、それが生じる場所に存在している。感受される情感と知覚されるイマージュのあいだには、情感がわれわれの身体内部にあるのに対して、イマージュのほうは身体の外にある、という差異がある。またそれゆえに、われわれの身体の表面、すなわちこの身体と他の物体との共通の境界は、われわれには同時に感覚ならびに知覚という姿で与えられるのである。
(『物質と記憶』「要約と結論」ベルクソン著 杉山直樹訳)

私たちの外部にあるもの(物体)が知覚によって感受される過程を描いた文章だと思うのですが、あたかもSF映画の中で私たちはもの(物体)と合体するのではないか、と思えるような表現です。私たちがものを見たり、触ったりすることで得られる感覚を、ベルクソンは安易に内面化させないという決意をしているようで、そこで得られた知覚の像を「イマージュ」と言っているのです。「情感がわれわれの身体内部にあるのに対して、イマージュのほうは身体の外にある」というのは、知覚された像を外部に置き、私たちの内部の「情感」と厳正に分け隔てるベルクソンの意志を感じます。
それでは、「記憶」の説明はどのようなものでしょうか。私の読解力では、ベルクソンの文章からそれを手短に取り出すことは不可能です。そこでここでも「訳者解説」を参照することにしましょう。

では、ベルクソンが「記憶力」と呼んでいるのは何のことだろうか。日常的には、過去は放っておけば無になるものであるから、それを特別につなぎ止めて保持できる能力があるはずだということで、そういう保存能力に「記憶力」という語があてはめられている。だが、過去がそれ自体で存続するのであれば、もはやことさらに保存能力を用意する必要はない、ということになる。であれば、心理学的な能力として「記憶力」に委ねられるべきは、過去の具体的な使用だということになろう。過去の記憶を一定の単位で切り出したり、そうやって限定した記憶を現在に介入させたり、一定の類似性と近接関係のもとに諸記憶を組織化ないし「体系化」したり、といった作業が、「記憶力」が担う主要な機能となるのだ。こうした機能によって結果的に生み出されるのが、特定のイマージュへと現勢化された記憶なのである。
自分の作業領域として、この「記憶力」は過去の全体を相手にしているから、言い方によっては、記憶力が過去全体を「含んで」いる、と言うこともできるし、実際、ベルクソンもしばしばそういう言い方をしている。だが、彼は「含む、含まれる」という空間的関係を時間的関係にスライドさせることはできない、とも強調した。「記憶力」を保管場所としての袋や箱のように考えてはならないということだ。これは、彼の議論の中でも非常に重要な論点だと思う。これを切り捨ててはなるまい。
こういう訳で“souvenir ”は、暫定的なら「記憶内容」とも訳せるが、やはり最終的には「保存する容器、その中に入れたおかげで保存されている中身」と言うイメージは避けたほうがよい。だが、それをはっきり避けられる日本語はない。それでもせめて、ということで、この翻訳では、先入見を与える程度が最も少ない選択を行うことにした。“memoire ”には「記憶力」、“souvenir ”には「記憶」の訳語を割りあてたのは、こういった理由による。ともかく、これらの語の内容に関しては、以上の点を踏まえていただければと思う。
なお、そうなれば、書名は『物質と記憶力』となるべきだとも言えるし、岡部聰夫氏の翻訳では実際その選択がなされている。一つの見識だと思う。ただ私としては、従来から広く受け入れられてきている書名そのものを変えることはためらわれたし、説明なしに「記憶力」を書名に用いると、「記憶力」についての日常的イメージ、つまり「現在による、過去の、保持」というイメージが最初から強く持ち込まれてしまう危険があるとも思われた。解くべき誤解が一つ増えてしまうわけだ。かくして、結局、本書は『物質と記憶』である。
(『物質と記憶』「訳者解説」杉山直樹)

話が書名にまで及んでしまいました。しかし結局のところ、「記憶」とは何なのか、ズバッとはわかリません。しかし、一般的な「記憶」という意味とベルクソンの「記憶」の違いならば、少しわかってきました。「記憶」というと、私たちは脳のどこかに収まっているもので、それを現在の時点から思い出すことによって拾い出すものだ、と思いがちです。それに対してベルクソンは「記憶力」とは「過去の具体的な使用」だと言い、「特定のイマージュへと現勢化された」ものが「記憶」なのだと言うのです。先ほども見たように「イマージュ」とは知覚によって得られた像のようなものであり、単なる思い出とは異なるものです。単なる思い出ならば、いつ、どこで思い出してもその内容は同じようなものであり、すでに決定され、終わっているものです。しかし、ベルクソンはそのようには考えず、私たちが自分の知覚からその都度、新たなイマージュを得るように、「記憶」も過去に知覚されたものが「イマージュへと現勢化」されたものである、つまり私たちが「記憶」を呼び起こすたびに、それは過去から現在へと送り出されてくるものなのです。
こんなふうに読み込んでいくと、ベルクソンって面倒くさい人だなあ、と思ってしまいます。「イマージュ」にしろ、「記憶」にしろ、私たちの空想の中にあるもの、あるいは私たちの古い思い出の中にあるもの、という単純な解釈ではどうしてダメなのでしょうか。それは、そう解釈してしまうと、「イマージュ」も「記憶」も心身二元論の中の心の側に安置されてしまい、私たちはその檻の中で思考するしかなくなってしまうからなのです。そして、それらが私たちの心の中の固定的なもの、決まりきったものになってしまうと、私たちは真の「自由」を失ってしまう、とベルクソンは考えたようです。おそらく、ベルクソンは心身二元論によって封じ込まれてしまう人間の「自由」を、どのように有効な形で論じたらよいのだろう、ということから『時間と自由』から『物質と記憶』までの著作を書いたのでしょう。ベルクソンの結論を読んでみましょう。

意識は、もう過去のものになったあれこれの経験に関わる記憶力によって、過去をいっそうよく保持し、それを現在と有機的に組織して、さらに豊かで新しい決心を行える訳だが、しかしそればかりではない。この意識は、より強度に満ちた生を生きながら、直近の経験の記憶力によって、外的な瞬間をいっそう多く自分の現在の持続へと凝縮しつつ、行為を創造する力をますますそなえていく。そして、この行為が含む非決定性は、物質においてはいくらでも望むだけ多くの瞬間の上に繰り広げられるはずだから、それに応じて、必然性の網をいっそう容易にくぐり抜けていくことだろう。こうして、自由は、時間において考えてみても、空間において考察してみても、常に必然性の中に深い根を下ろし、必然性と密接に組織されていると見られる。精神は物質から知覚を借り受けて、それを自分の糧とする。そして、知覚を改めて運動の形で物質に与え返すのだが、そこにはもう精神の自由が刻まれているのである。
(『物質と記憶』「要約と結論」ベルクソン著 杉山直樹訳)

ベルクソンの考え方によれば、人間は外界の「物質」を知覚し、それを「イマージュ」として受け止めた上で内面化していくのですが、それを「記憶」として活用するときには「現在と有機的に組織」して、「豊かで新しい決心」として生かすことができるのです。私たちは等質のデジタルな「時間」や「空間」の中でロボットのように生きているのではなく、外界から知覚されたものを「糧とする」ことができ、さらに知覚を通じて行為するときにはすでに有機的に組織化された「精神の自由が刻まれている」というのです。
何だか、とても道徳的な結論のような気がして、ベルクソンのヒューマニズムを感じるものの、ちょっと結論が美しすぎるような気もしてしまいます。しかし、先にも書きましたが、芸術作品を制作する上ではとてもよくわかる考察でもあります。僭越ながらベルクソンに付け加えていうなら、作品に「精神の自由」を刻むためには、それなりの努力が必要です。ですから人間が人間らしい「自由」を獲得するためには、それなりの自覚が必要なのではないか、というふうに解釈したいところですが、いかがでしょうか。

さて、前回と今回でベルクソンの主著を読んでみましたが、その思想や影響を把握できたとはとても言えません。次回はベルクソンに関する評論からベルクソンについて勉強してみたいと思います。

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