平らな深み、緩やかな時間

134.持田季未子の語るモネ

今回ははじめに、私の友人が最近、私に教えてくれたことについて、少しだけ書いておきます。
私の友人の英語の先生から、ピーター・バラカン(Peter Barakan 1951 - )が案内役を務める『Tokyo Midtown presents The Lifestyle MUSEUM』の10月23日の放送で鳥飼玖美子(1946 - )が出演しているよ、とメールで連絡してくれました。鳥飼玖美子は現在の英語教育の迷走ぶりに警鐘を鳴らしている人ですが、今回も大学入試共通テストの英語の民間テスト利用に関することを中心に、当たり前だと思われる批判を明快に語っていました。
その中で、いま話題の学術会議がこの件について提言を行っていて、その内容を公式ホームページで誰でも見ることが出来るのだと言っていました。試しにネットで検索してみると、学術会議はこの件以外でも、さまざまな提言を行っていることがわかりました。とくに教育に関しても、先日ここでも話題にした高校の国語教育のことなど、問題点の指摘から今後の取るべき対応まで、理論的に整理された(学術会議だから当たり前か?)提言を行っています。学術会議の学者は基本的に無給であり、会議のための出張費も持ち出しになることがあると聞いています。せっかくそんな思いをしてまとめた提言ですから、もっと予算をかけて世間に知らしめる努力をすべきだと思います。現在の学術会議のあり方の検討が、そんな方向に向かうことを祈っています。
さて、その大学入試共通テストの英語・民間テスト利用ですが、高校の現場にいると私のような専門外の教員でも無茶ぶりが過ぎるとハナから感じていましたが、それを学術会議は次のように書いています。

(3)民間試験を大学入学共通テストの枠組みで実施する上での問題点
①学習指導要領と整合しない試験を共通テストに用いることになる。
②経済的負担が大きく、受験機会の公平性に欠け、地域格差・経済格差を助長する。
また、障害のある受験生に対する配慮にも不十分な点がある。
③出題・採点の質および公正性の保証が民間事業者任せであり、実態が不明である。
④目的も実施方法も異なる試験の点数を公平に比較することはできない。
⑤機密保持や不測の事態への対応が民間事業者任せになっている。
(『大学入試における英語試験のあり方についての提言』2020.8.18日本学術会議)

とりあえず、民間テストの利用は延期となっているようですが、今後実施するとしても、これらの問題をどのようにクリアして文科省は実現するのでしょうか。正直に言って、とても実現できるとは思えないのですが・・・。
とくに採点の公平性について、公立高校の入試に関して言えば、少しでも問題点があれば改善のための多大な努力が現場の私たちに求められます。これまでも採点の手間や時間を度外視した業務が課された結果、無理がたたってかえってミスが出てしまう、ということを繰り返してきました。民間テストの採点者に、はたしてそんな無理を強要することが出来るのでしょうか。
それにしても、こんなふうに当たり前のことを、でも耳の痛いことを提言してきたがゆえに、為政者にとっては学術会議の存在が面白くないのでしょうね。学術会議は政策の批判だけではなくて、これからの具体的な方策も示しているのですから、素直に耳を傾けてもよいと思うのですが・・・。
さらに番組の放送では、そんな大学入試の問題以前に、話すことに傾斜した英語教育が逆に英語の基礎力を低下させていることや、私たちの暮らしの中で和製英語が弊害をもたらしていることなど、硬軟取り合わせたことが話題になっていました。
それから、これは和製英語の問題ではないのかもしれませんが、ソーシャル・ディスタンス(social distance)という言葉が問題になっていること、これは以前から聞いていたことですが、やはり鳥飼さんも指摘していました。ソーシャル・ディスタンスではなくて、フィジカル・ディスタンス(physical distance)と言うべきではないか、というのです。コロナ禍では「社会的に」に距離を取ることが求められているのではなくて、単に「身体的に」距離を取ることが必要なのだという理由です。むしろこういう状況だからこそ、身体的な距離を保ちつつも、いかに社会的な距離を縮めて人同士の孤立を克服するのか、が課題となっているわけですから「フィジカル・ディスタンス」と言った方がよさそうです。興味のある方は次のアドレスから放送を聴くことが出来ますし、学術会議の提言を見ることが出来ますので、ぜひ確認してみてください。
https://www.tfm.co.jp/podcasts/museum/
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t292-6.pdf

つぎの話題です。私の職場の友人が、私が作家の辺見庸(1944 - )を好きだということを知っていて、彼が毎日新聞のインタビューに応じていることを教えてくれました。10月28日の夕刊です。ネットでもそのさわりの部分だけですが、見ることが出来ます。
https://mainichi.jp/articles/20201028/dde/012/040/034000c
この記事の『首相の「特高顔」が怖い』、という見出しが印象的です。学術会議の問題に表れているように、首相が論理的に破綻しているのに人事権を振りかざして民主主義を破壊していく様を戦時中までの弾圧になぞらえて「特高顔」と比喩していることに、辺見庸の危機感を感じます。香港では民主運動を支持した教師が職を失っているそうですが、対岸の火事だなどと言っていられない状況に、私たちは今いるのかも知れません。かつて辺見庸は、ブッシュ大統領がイラクに侵攻した時に、「私はブッシュの敵である」と公言して矢継ぎ早に批判を繰り出していました。同じときに作家の池澤夏樹(1945 - )もメールマガジンでさかんに侵攻を食い止めようと発信していましたが、その当時はこの二人の言葉に目が離せないものがありました。そしていまは、私たち自身が危機的な状況、時代の変わり目にいるのかもしれません。コロナ禍の困難な状況ではありますが、私たちは冷静に自分の頭で考えることが求められているのだと思います。べつに社会的なこと、政治的なことに限りません。芸術についても、自分自身の考えを持てるように努めましょう。

さて、本題に入ります。
前回、ガストン・バシュラール(Gaston Bachelard, 1884 - 1962)の語るモネ(Claude Monet, 1840 - 1926)について書きましたが、今回は持田季未子(1947 - 2018)の評論からモネの芸術について考えてみましょう。その論文の中に現代のアメリカ絵画の指導者ともいえるグリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)のことも出てきます。その点も注目です。
そして、あらかじめ書いておきますが、ここで私たちはモネの芸術について、何か結論めいたものにたどり着けるわけではありません。むしろその逆です。私たちはモネの絵画がいまでに多くの課題を抱えていることに気が付き、それだからこそ、これからも彼の絵について考え続けることが必要なのだということを思い知ります。私は正直に言って、はじめて持田のモネ論を読んだときに、何か歯切れの悪い、印象がつかみにくいものを感じましたが、いまはモネの芸術に寄り添う彼女の論文の意義がよく分かります。実際に私は、モネの絵を見直してみたり、モネについて書かれたものを読み直してみたりしているのですが、そこに新たな可能性を見出せそうな気がしています。そして、それはモネに限ったことではありません・・・。
前置きが長くなりそうなので、ここで具体的な論文を読んでいきましょう。
まずは持田のモネ論ですが、これは彼女の著書『絵画の思考』のなかの「垂直に立つ水」がそれに当たります。この論文は前々回に取り上げた村上華岳(1888 – 1939)に関する「震動するエクリチュール」という論文の次の章として掲載されています。持田の論文は、村上華岳にしろ、モネにしろ、そのほかの作家達にしろ、つねに今に生きる私たちにとって彼らがどのような意味を持っているのか、という観点から書かれています。過去の作品を過去のものとして孤立させずに、現在の私たちに対して開かれたものとすることが、彼女の本のタイトルにもなっている『絵画の思考』の「思考」にあたることなのでしょう。私も、その趣旨に沿ってモネについて考えてみたいと思います。

この持田のモネ論は主にフランス、パリにあるオランジュリー美術館(Musée de l'Orangerie)のモネの作品について書かれたものです。この美術館は印象派を中心とした近代美術の作品を収めたものですが、とりわけ楕円形の部屋に円環上に設置されたモネの睡蓮の作品が有名です。
https://urtrip.jp/paris-orangerie-museum/
その最初の紹介の部分を書き写しておきましょう。

オランジュリー美術館はパリのチェイルリー公園の一角にある。階段を下り地階のモネの睡蓮の部屋に足を踏み入れたとたん、人は驚嘆と感動におそわれてしまう。楕円形をなす部屋の壁いっぱいに張りめぐらされた睡蓮の花咲く湖水の絵に囲まれると、美術作品を観賞するなどという突き放した態度をとっていられない。いきなりすっぽりと水に包まれた室内空間が体験される。それはさながら喧騒をきわめる都市のなかに沈む幻想の水槽である。部屋は二つ並んであり奥の部屋の方が広いが、窓はなく、上階に通じる階段だけが外部に通ずる出入り口となっていて地下の密室であることも、周囲と隔絶した別世界の印象を強めている。
(『絵画の思考』「垂直に立つ水」持田季未子著)

この場所に行ったことのある人には解説は必要ありませんが、行ったことのない人は写真を見ていただいて、その部屋の中に佇む自分自身を想像してみてください。美しい睡蓮の池に囲まれた自分がいるだけではなく、池を見るその眼がモネの眼になっているわけですから、これほど贅沢な体験はありません。しかし、持田の論じるモネの芸術はそれほど単純なものではなく、もちろん、単なるモネに対する賛美に終わるはずもありません。モネの絵画が抱えていた問題、長寿の画家であったモネがその晩年にどのように時代と向き合ったのか、など興味深い課題について、持田は考察を進めていきます。
それではそのモネの絵画が抱えていた問題とは、いったいどんなことだったのでしょうか。先ほどのオランジュリー美術館の紹介文のすぐ後で、持田はモネの絵が実際にはどう見えるのか、ということをきわめて冷静に書いています。

だが、このような曰く言い表しがたい美的な陶酔は徐々に切り崩される。壁のすぐそばに歩いて行くと湖水の幻影は消え、厚いマチエール自体が前景に露出してくるのだ。重ね塗りされ、かすれ、凹凸の多い画面。長大なキャンバス地を埋めつくす乱暴なまでに荒々しい、画家の腕力を感じさせる激しい線。油絵具という艶のある粘り強い素材の物質感に圧倒されてしまう。再度後退して適切な距離をとるとふたたび池の幻影がもどり、荒っぽく引かれたひと刷毛の赤い絵具も、すこし離れると立派に一輪の花となる。錯綜する青、紫、緑、モーヴ、白、黄などのブラッシ・ワークは、先刻までのように、静かに水に浮かぶ睡蓮、丸い蓮の葉がつくる日陰、水の中で葉を支える細い茎、水底の泥、水底に漂う草、水面に反映する空や雲、手前に立つ柳の幹、空気中に垂れさがる柳の葉などにきれいに分かれて見えて来る。
(『絵画の思考』「垂直に立つ水」持田季未子著)

ここに書かれているのは、モネの絵画の物質的な、あるいは行為性に関する側面、私的には絵画の触覚性に関わる側面である、と言いたいところです。そして持田はこのモネの絵画の物質性、行為性が1950年前後のアメリカの抽象表現主義に直接影響した、と書いています。「とくにポロックの線描だけによる巨大な画面との親近性がしばしば指摘されたが、ニューマンやロスコやスティルも晩年のモネに深く傾倒していた」と続けて解説しています。ここに登場するジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)、バーネット・ニューマン(Barnett Newman、1905 - 1970)、クリフォード・スティル(Clyfford Still 、1904 – 1980)については、解説は不要ですね。アメリカ抽象表現主義の代表的な画家たちですが、線描を多用したポロックだけでなく、面的な画面構成や色彩を用いたニューマンやスティルにもモネは影響を与えていた、と持田は言っているのです。このモネの芸術に対して、アメリカの現代絵画批評の第一人者であるグリーンバーグはどう反応したのでしょうか。持田はその点についても言及しています。

モネが非常に可能性があると見え出したのは40年代のなかば頃だった。オランジュリー館インスタレーションはもとより移動が不可能だが、それどころかスティルやニューマンらの修業時代のニューヨークではまだモネの比較的小さい作品しか現物では見られず、最重要な大作は渡米していなかった。にもかかわらずやがて晩年のモネは熱狂に支えられて偶像的存在となり、多くのアメリカの芸術家たちが自己の世界を作り上げていくのである。ニューヨークのヴィルデンシュタイン画廊でモネ展が開催されたのはまだ戦火も鎮まらぬ1945年5月だった。展示品は『キャプシーヌの花瓶』(1880)や90年代の『積み藁』等のイーゼル絵画が中心であった。その会期中に新聞に載った展覧会評でグリーンバーグは炯眼にも「モネのキャンバスはもっと大きな画面から切り取られた一部分のように見える」「絵のコーナーは、中央部と同じくらい眼に近く感じられ、同様の明確さをもって示されることとなる」「小さなタッチで原始的に組み立てられたユニフォームな表面とテクスチャー」などと述べ、絵画の平面性とかオールオーヴァーといったかれ自身の基本的な考え方に繋がるものを、モネの前世紀末作品に遡って発見していた。
(『絵画の思考』「垂直に立つ水」持田季未子著)

今読むと、モネの大画面がオールオーヴァーな絵画の先駆けであること、絵画の表面の物質性や筆致の行為性が際立って見えることなどは当たり前だと思えますが、ポロックの芸術が完成される前に、モネの絵画からそれらの特徴を抽出し、ポロックらに的確な助言を与えたことを思うと、やはりグリーンバーグの眼は「炯眼」だと言わざるを得ませんし、現代美術に及ぼした影響も絶大だと思います。
持田はさらにこれに続く文章で、モネの筆致についてむしろポロックのアクション・ペインティングよりも「大胆で、野性的で、ときに暴力的」であると書いています。ちなみにポロックの『秋のリズム』などの全盛期の作品は、意外と静謐な感じがします。逆にモネの絵画は静かな水面の風景を描いた作品のように見えながら、よく見ると雑音(ノイズ)に満ちた世界が表現されている、と持田は書いています。

いったんそうと知ってしまうと、たとえ壁面から遠ざかって水面の風景を再度復活させても、もう最初の陶酔に浸り続けていられなくなる。ざわめき、幻影に蓋をすることができない。最初に受けた美しい感じは、要するに静かな湖水や花や光などという道具だての選択によっていたのか。つまり万人に好まれる実際の風景への参照が手伝っていたのだろう。太鼓橋がモチーフに選ばれ、それに伴い色彩のほうにも万人の眼に快い微妙な虹のような色から濃い茶色や朱色や黒に変われば、ヴァルールの緻密さやタッチの激しさが同質でも、平面の発する衝撃力は隠しようがなくなるのであるから。
(『絵画の思考』「垂直に立つ水」持田季未子著)

そうであるなら、オランジュリー美術館のモネの部屋に入ったときの静かな広がりと感動は、実は描かれた景色のイメージのせいで錯覚していた、ということになるのでしょうか。
そして、このオランジュリー美術館のモネの壁画には、さらに問題があります。それはよく見ると、モネの絵は部屋の中央からパノラマのように広がって展示しているのにもかかわらず、その視点は定まらず、一点から眺めようとするといろいろと不都合な点が出てくるのです。持田はそのことを次のように書いています。

水の風景が徐々に崩される原因のひとつに、八点の絵画が全部別々のものだという単純な理由がまずあげられよう。二つの部屋は、既存の建物の細長い長方形の空間をほぼ中ほどで仕切り、それぞれ内側を楕円形に改造したもので(寸法を具体的に示せば、幅は二部屋とも12.40メートル、長さは差があり20.65メートルと23.30メートル)、その楕円形の内壁の四方に絵画が一点ずつ張られている。絵画には題名がつけられ、階段口に近い部屋の4点が『落日』『雲』『緑の反映』『朝』奥の大きいほうの部屋で『樹々の反映』『柳の朝』『二本の柳』『柳の明るい朝』という。パネルの大きさは縦が一様に約2メートル、横の長さは発展全部あわせると91メートルに達するが、横の連続性が出入り口等で分断される上に作品ごとに風景も視点も異なるので、見る人は、室内を歩きながら別々の壁画に対してその都度、遠近法を成り立たせるべく適切な位置を探さなければならなくなる。
<中略>
室内を歩き回る人は、こうして二つのヴィジョンの相剋する曖昧な領域をさまよわざるを得ない。像は結んだかと思うとすぐ解体する。距離を変えればいつのまにか消えている。交替は連続的で、二重のヴィジョンの境界がどこにあるか明確でない。たえず境界が動く。いつまでも睡蓮の咲く池の絵として見続けるためには、感覚でなく知識や意志の助けが要りそうだ。点在する葉むらによって遠近が保たれかろうじて池と知られるものの、全体を色彩と線の壮麗な氾濫としてだけ感覚することが可能となるのである。
この事態は、自然の再現ということを生涯捨てず伝統的な遠近法グリッドを遵守していたモネにとって、ひとつの挫折ということになるのだろうか。既存の建物を内部改造して使うという無理な条件下で生じた、不本意な結果だったのか。それとも世界や空間を見る新しい方法が探求されていたのだろうか。かりに画家自身にとって無意識であったにせよ。
(『絵画の思考』「垂直に立つ水」持田季未子著)

持田の作品や事実に沿った、ていねいな描写を追いかけるあまり、つい引用が長くなってしまいますが、オランジュリー美術館のモネの絵をつぶさに見ていくと、筆致の粗さと展示された空間の構造的な視点の不一致という問題点が自ずと浮かび上がってくる、ということなのでしょう。
そして持田はさらに、オランジュリー美術館のモネの絵の中の、空間的な視点の不一致にも目を向けています。あくまでも作品に寄り添って批評する持田の文章の真骨頂でもあるので、その部分も書き写しておきます。

たとえば最大の『二本の柳』は横の長さが縦の八倍もある帯状画面だが、こんなに横方向に広いのに対岸の土手が全然視野に入らないためには、池が公園内などにあるそれのようによほど広大か、または上から水面を見下ろす位置に視点が来なければなるまい。ところが画家自身が立っているはずの足元の土手が描かれず下端まで水面の截ち落とし、むしろ下辺にかけて睡蓮の花々の数が増え池の中央にさしかかる感じである。こんな視界は視点が池の真上に来なければありえない。それゆえオランジュリーは訪れる者に飛翔の錯覚を与える。すでに述べたようにモネは『二本の柳』『柳の明るい朝』等を庭に出て直接モチーフから制作したのではなく、外で描いた仕事を活用しつつアトリエで仕上げたが、池に架かる太鼓橋に立って足元の水面を写生した実経験が活きているかもしれない。完成作に関する限り、橋から水面を見下ろしているという設定は下辺がこれだけ横に長いと成り立ちにくいため、われわれはカワセミのように水面すれすれに低空飛行する気分にさせられる。
一方、梢も根本も截たれて幹の中ほどしか姿を見せない画面両端の柳の木は、当然手前の土手に生えているはずだが、画家が同じ地面のさらに手前に立って真横から見たように描かれているので水との組み合わせが非常に不自然である。つまりこの壁画には上からと横からの少なくとも二つの角度の視点が共存している。水が手前から遠方に広がるかわりに垂直にせり上がり、縦の壁をつくっているように感じられるのは、横から見た柳の垂直性に引っ張られるからである。ドガなどにも不自然に急激にせりあがる斜面をよく描いたが、モネのこの場合はそのことが独特な平面性を作り出している。
(『絵画の思考』「垂直に立つ水」持田季未子著)

このような画面空間の分析が、「垂直に立つ水」という論文タイトルの理由になっているのでしょう。「われわれはカワセミのように水面すれすれに低空飛行する気分にさせられる」というあたりが、熱心に画面を見るあまりに、自分の視点が鳥になってしまったかのように描写していて、なかなか面白いですね。確かにモネの絵を凝視していると、水面に落ちそうに感じることがよくあります。
それから持田は、このモネのオランジュリーの作品が、横に長い形状をしていることから装飾画に堕しているのではないか、という危惧を生んでいることに触れています。19世紀から20世紀にかけて絵画が平面的になり、その一部の動きが絵画の装飾性を追究する方向にあったことは事実です。その結果として、悪しき意味で絵画が装飾画に堕してしまった、という反省があるのです。モネのこの作品が横に長く、部屋を覆うような形状をしていることから、部屋を装飾しようという意図がそこに感じられないわけではありません。モネの時代にあって、モネが装飾的な絵画という冒険に乗りだしたとしても、あながちその意図を責めるわけにもいかないでしょう。しかし、モネのオランジュリーの絵画は、さまざまな破綻に満ちていて、そのようなひとつの方向に収まるものではありません。モネが装飾画を意図したとしても、その絵画空間の奥行きの深さが装飾性とは反していますし、ひとつのパノラマとして見ようとしても疑似自然空間のようにすっきりと見ることが出来ません。絵の近くに寄って見れば、描かれた画像が消えてしまうほどに筆致が荒れている、という状態で、どこにもすっきりとはたどり着けないような作品になっているのです。
しかし、これこそがモネの絵画の多義性であり、今の私たちにあらゆる可能性を開いてくれているところなのではないでしょうか。持田は、この論文の最後を次のように結んでいます。

自然のいたるところに眼がある。モネ芸術は、世界はこう見えた、世界はこのようである、というメッセージだけを発している。それは、見ること、視覚ということ自体をテーマにしたいわば純粋たるメタ的絵画だと評してもよいだろう。モネと同時代のもうひとりの大画家が発した、「モネは眼にすぎない。だがなんという偉大な眼であろう!」という驚嘆の言葉は、今日もそのまま受け取ることができるのである。
厚い絵具の膜が写すのは多様化され差異化されつつある現実の世界である。一見したところ線描とゆたかな色彩の雪崩なす饗宴のようにしか見えないモネの最晩年の激越な作品群は、光の反映、光の干渉、世界の中に分布している微妙なとらえがたいものを、絵画という一種の鏡面の上で受け止め、そういうものの中に世界がおののいているということを、垣間みせてくれる。堅固確実なものなど一切ない世界。最後まで自分の肉眼に見えた自然しか描かぬ、伝統的な遠近法にすら基づくれっきとした風景画家でありながら、モネの到達点の作品群は、世界がそういうものとして存在する、ということをひたすら示しているのである。
(『絵画の思考』「垂直に立つ水」持田季未子著)

言うまでもありませんが、文中の「モネは眼にすぎない。だがなんという偉大な眼であろう!」という驚嘆の言葉を発した大画家は、ポール・セザンヌ(Paul Cézanne, 1839 – 1906)です。
それはともかくとして、このようにモネの最晩年の絵に注目していくと、モネが極めて長寿の画家であったことが気になります。なぜなら、印象派の代表的な画家であるモネですが、1926年まで生きていましたから、その間にカンディンスキー(Wassily Kandinsky、1866 - 1944)もモンドリアン(Piet Mondrian、1872 - 1944)も1910年代から抽象絵画を試みていますし、1920年代には完全な抽象絵画に至っています。またシュールレアリスムの画家たちも1920年代に活躍しています。ですから、モネが「伝統的な遠近法にすら基づくれっきとした風景画家」であり続けたのは、時代的な制約があるとしても、ある程度は自分の画家としてのあり方を考えた上での、意識的なことなのでしょう。モネが具体的な空間に拘泥して制作を続けた結果、私たちは彼の絵画からその空間の歪み、時間の捉え方など、まだまだ様々な問題について考え続けることが出来るのです。

最後に私事について書いておきます。
私は今、モネの絵画の物質性、行為性、初めに書いたようにその触覚性に興味があります。しかし、それはモネの絵画の十全な理解に達する方法ではなくて、あくまでもモネの芸術の可能性の中からとりあえずその部分だけを取り出してみている、ということに過ぎません。
そして持田が繰り返して確認したように、モネの絵画が決して平面性を追究する方向へと向かわなかったというところが面白いところです。とりあえず私は、モネの絵画がもうすこし平面的であったならどのような展開があり得るのだろうか、ということについて考えてしまいますが、それはモネの追究した絵画を否定するものではありません。
それに、モネが具体的なモチーフから離れることがなかったことについても、もっと考えてみなくてはなりません。あれだけ自由な筆致で絵画を描いたモネが、具象的なモチーフがそこにあることについてどのように考えていたのか、興味があります。モネの絵画はどのように筆致が荒れていても、そこには奥行きのある空間があり、具体的な事物がそこに存在します。それがモネの絵を限界づけているように思う時もありましたが、いまはそれこそがモネの絵の根幹にあるもののように思っています。でも、その思いはまだ漠然としています。もう少しはっきりと言葉にできるようになったら、ここに書いてみたいと思います。
そして持田が最後に書いた「モネの到達点の作品群は、世界がそういうものとして存在する、ということをひたすら示している」という言葉の意味を、私たちは噛みしめなくてはなりません。私は最終的に、画面上に存在するものが何かの形でなくても、それが絵画という存在そのものであっても一向にかまわないと思うものです。そんな私でも、モネの絵画の中に描かれたものについて、強い説得力を感じます。そして、これらの描かれた意味の曖昧さ、絵画の多義性こそがモネの絵の魅力でもあります。私もいつか、自分自身の経験を踏まえて持田のようにモネの絵に寄り添って、ちゃんとした論文を書いてみたいと思います。
しかし、自分なりの「絵画の思考」を成就するのには、もうすこし、いや相当の時間が必要です。

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