平らな深み、緩やかな時間

45.『ジャン・フォートリエ展』『ヴァロットン展』

『ジャン・フォートリエ展』と、『ヴァロットン展』の二つの展覧会を見に行きました。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/
http://mimt.jp/

まず、『ジャン・フォートリエ展』です。
ジャン・フォートリエ(Jean Fautrier、1898 - 1964)は、フランスの画家、彫刻家です。アンフォルメル運動の先駆的な画家として広く知られています。
いま、仮に「アンフォルメル運動」と書きましたが、実は1940年代から1950年代あたりの、不定型な形態を描いた抽象作品を、場合によって「アンフォルメル」と呼んでみたり、「抽象表現主義」と呼んでみたりします。それ以外にも、「アクションペインティング」とか「タシズム」という呼び名もあるようですね。何となく私の中ではフランスを代表とするヨーロッパの作品を「アンフォルメル」、アメリカの作品を「抽象表現主義」と呼ぶと、しっくりきます。
それは、「アンフォルメル」という呼び名が、フランスの評論家ミッシェル・タピエによって提唱されたこと、そして「抽象表現主義」がアメリカの評論家クレメント・グリーンバーグの用語を日本語訳したものだということに起因しています。ちなみに「アクションペインティング」はハロルド・ローゼンバーグ、「タシズム」(染み)はシャルル・エスティエンヌによって、それぞれ提唱された用語のようです。(私の理解が不正確でしたら、どなたか教えてください。)
日本では、パリで活動していた作家が多かったせいか、「アンフォルメル」という呼び名が当時、隆盛であったようですが、現在では、あまり聞かれなくなったような気がします。フォートリエの作品も、今回が「日本初の本格的な回顧展」だそうで、これは一見しておかなくては、と東京ステーションギャラリーまで見に行きました。
フォートリエの作品は、アンフォルメルと呼ばれる後期以降のものならば何点か見たことがありますが、初期のものについては、今回が初めてです。
いろいろと事情があってイギリスで絵を学んだフォートリエは、ターナーの作品にとても感銘を受けたのだそうです。そして二十歳そこそこの写実的なものから、ドランの影響を受けたらしい骨太の人物画や静物画まで、充実した作品を次々と描きました。正直に言って、この人は色彩感覚の鈍い人だと思います。だから好きな作家とは言えないけれども、初期において抑制された色彩で描写された形体は、触覚的な実感があってなかなか良かったです。
それが徐々に迷いはじめ、ぼやけたような形体の絵になります。塑像も試みますが、これも土塊をべたべたと固めたようなプリミティブなものになってしまいます。後期のアンフォルメル的な作風に至る前の段階で、スタイルとしては、もっとも曖昧な時期を迎えます。個人的には、この時期がたいへんに興味深いと思いました。塑像を見るとわかるのですが、フォートリエの強い触覚性が形体描写ではなく、素材そのものの触覚性へと向かっていったように思います。絵画においても、形体描写があいまいであるにもかかわらず、どこかにやはり触覚性があります。形体を探るような触覚性と、キャンバスを絵の具と筆で触れる素材の触覚性とが、迷いの中で一つの作品に同居しています。
この迷いから簡単に脱出せずに、悶々と悩んでいてほしいところですが、フォートリエは生活のために一時期、絵を離れてしまったそうです。そこに戦争による抑圧された精神状態が重なって、第二次大戦末期に「人質」シリーズという表現様式に至って再登場します。これは迷っていた表現が、はっきりとした答えを得たとも言えるわけですが、私はこれ以降のフォートリエは、ややマンネリズムに陥ってしまったように思います。もともと色彩表現がうまく作品形成にからんでいなかった人ですが、晩年の作品ではマチエールを作る作業と、色を加える作業が完全に分離してしまって、画面の作り方が単調になってしまったようです。しかしその一方で、ただのなぐり描きのようなマチエールですが、そこにはこの作家独特の触覚的な実感が残っています。それが、他のアンフォルメルの作家たちと、一線を画するところです。ほかの作家たちの作品と並べられたら、やはりフォートリエの作品がよい、と思うことでしょう。
展覧会場にビデオがあって、晩年のインタビュー映像を見ることができましたが、なかなかダンディな人でした。そこが信用できない、と思ったのは、私の偏見でしょうか・・・。

『ジャン・フォートリエ展』の東京ステーションギャラリーは、東京駅丸の内北口内にありますが、そこから丸の内南口の方に出て、数分歩いたところに『ヴァロットン展』を開催している三菱一号館美術館があります。ぜんぜん、違ったタイプの画家ですが、二つの展覧会を同時に見に行くのには便利です。この美術館は、シャルダンの展覧会の時には、のんびりと中庭でコーヒーを飲んでくつろぎましたが、今日はあいにくの雨でした。
さて、フェリックス・ヴァロットン(Félix Edouard Vallotton, 1865 - 1925)は、スイスの画家ですが、そう言っても知らない方が、多いのではないかと思います。ナヴィ派の画家とともに活動していた、とのことですが、私もおぼろげに作品を見たことがある、という程度の記憶しかありません。画家として、あるいは版画家として活躍し、美術批評や戯曲まで書いていたのだそうです。まじめでウィットがあり、それが版画家として、今でいえばイラスト作家としての資質につながっていたのでしょう。ユーモアと機知に富んだ作品が、いくつもありました。
画家としては、アングルの影響を受けたという、はっきりとした形体描写と、現代的なクールな色彩を合わせたところが特徴です。さらにモチーフがナヴィ派的な、当時の生活の一場面を切り取ったような物語性を感じさせるため、文学好きの人にはどこか響くところがあるのでしょう。展覧会のホームページを開くと、角田光代がヴァロットンの絵から触発されて書いたという短編小説を読むことができます。超短編小説ですが、さすがに角田光代で、絵に付随するありがちな甘ったるい話ではなく、苦みのある内容に仕上がっています。
ということで、そういう絵の好きな人、あるいはナヴィ派の時代に興味がある人は、良い機会なのでご覧になるとよいかと思います。そうでない人たち・・・には、とくにお勧めする展覧会ではないかもしれませんが、いつも書いている通り、展覧会にいつもとびっきりの名画を望むのは、わがままというものです。本物の絵と出会ったときに、グッとくるのか、がっかりするのか、その経験こそが大切だと思います。とくに、このように美術史の目立たないところに焦点を当てた展覧会の場合は、そういう気持ちが必要でしょう。

余談ですが今日の『ヴァロットン展』で、ご年配の夫婦が、会場においてあったカタログで、あらかじめお気に入りの作品に、目星をつけていらっしゃったのでしょう。それは美しい静物画だったのですが、ご主人が先に展示室に入ってその絵を見つけると、「あった、あったぞ!」と言いながら、後から来る奥様の手を引いてくる、という微笑ましい光景に出合いました。
それに比べて、展覧会を一通り見て、あとから値踏みするみたいに、ああだ、こうだと言っている自分の姿を振り返ると、こういうふうにお気に入りの絵を見つけて、人と喜びを分かち合う、という楽しみ方から遠く離れてしまったような気がして、ちょっとがっくりしました。やはり、作品と接する原点には、こういう喜びが必要だな、と思った次第です。

ろくに美術に関する知識もないくせに、妙に擦れた見方をしている自分を、反省した一日でした。



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