平らな深み、緩やかな時間

165.ポロック論の現在、『ジャクソン・ポロック ー 隣接性の原理』沢山遼

ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)は、言うまでもなく20世紀で最も重要な画家の一人であり、アメリカの抽象表現主義の代表的な画家であり、「アクション・ペインティング」の創始者で、その後の美術に画家の「行為性」を認識させた画家でもあります。
彼とともに語られるのが、やはり20世紀で最も重要な批評家の一人であり、アメリカの現代美術を一気に世界の中心へと導いたクレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)です。グリーンバーグはポロックの作品を展覧会の批評によって世に知らしめ、同時にさらなる革新への道を助言したのです。グリーンバーグはポロックの絵画をオールオーヴァー(カンヴァスを一様な平面として絵具で覆う手法)な絵画として位置付け、それがその後の現代絵画の方向性を指し示したと言っても良いと思います。
グリーンバーグの、作品の内容(形式や色、形の分析)を重視した批評のあり方をフォーマリズム批評と言いますが、彼の後の世代のポスト・モダニズムの批評と対立しながらも、いまだに現代絵画の中において重要な位置を占めていると思います。
これらのことについては、このblogでも幾度となく論じてきましたが、今回は若手の美術評論家、沢山遼(1982 ー)の『絵画の力学』という著書の第一章『ジャクソン・ポロック ー 隣接性の原理』を読みながら、現在においてポロックを論じることにどのような意味があるのかを考えてみたいと思います。
具体的に沢山の文章を読む前に、少しだけ押さえておきたいことがあります。それはポロックを論じる際に、グリーンバーグの他に忘れてはならないもう一人の評論家、ハロルドローゼンバーグ(Harold Rosenberg, 1906–1978)のことです。ポロックらの抽象表現主義の一部の作品について「アクション・ペインティング」と言ったのは、グリーンバーグではなくて、ローゼンバーグです。
例えば多摩美術大学准教授の大島 徹也(1973 - )は『トイ人』というサイトの「アクション・ペインティングはいかにして生まれたか」という文章の中で次のように書いています。

アクション・ペインティングに分類される代表的なアーティストとして、ジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニングがいます。ポロックの作風は、知っているという方もいらっしゃるかと思います。絵の具が激しく飛び散り、大きな画面いっぱいに線が走り回る彼の作品は、たしかにそれまでの絵画芸術とは一線を画する画家の動き=アクションを感じさせるものだといえるでしょう。通常の絵画は、基本的に手首中心の動きで描かれます。それに対し、ポロックは肩を中心にして、“アクション”という言葉がふさわしい大きな身振りで、床の上に広げたキャンバスに絵の具を流し込んだり撥ね掛けて描きました。
 ポロックやデ・クーニングたちの絵画を“アクション・ペインティング”と最初に呼んだのは、ハロルド・ローゼンバーグという彼らと同時代のアメリカの批評家でした。アクション・ペインティングが論じられるときには必ずといっていいほど引用される、彼の有名な言葉があります。
 
「ある時、一人また一人とアメリカの画家たちにとってキャンバスが――実際あるいは想像上の対象を再現したり構成し直したり分析したり、あるいは“表現する”空間であるよりもむしろ――行為をなす場としての闘技場のように見え始めた。キャンバスの上に起こってゆくのは一枚の絵ではなく、一つの事件であった」(拙訳)
 
 これは、ローゼンバーグが1952年に発表した「アメリカのアクション・ペインターたち」という論文の一節です。彼は、それまでは絵が描かれるものだったキャンバスが、戦後アメリカの一群の画家たちにとっては、行為する場、アクションする場になったと言っています。彼らの描画の身振りだけでなく、画面との向き合い方にも、それまでの絵画とは違った感覚をローゼンバーグは見て取っています。この論文が“アクション・ペインティング”という見方・考え方の始まりで、それは、世間的には“抽象表現主義”という用語よりも、場合によっては有名になっています。
(『トイ人』「アクション・ペインティングはいかにして生まれたか」大島徹也)

このサイトを見ていただくと、ポロックの作品も見ることができるので、もしもポロックの絵画をご存知ない方がいらしたら、見てみてください。そしてこの大島の文章は、わかりやすくてなかなか良い解説だと思います。大島は文章の最後のところで、「この論文が“アクション・ペインティング”という見方・考え方の始まりで、それは、世間的には“抽象表現主義”という用語よりも、場合によっては有名になっています」と書いていますが、確かに私が現代美術に興味を持ち始めた時のことを思い出すと、「抽象表現主義」という言葉よりも「アクション・ペインティング」という言葉の方が先になじんでいたと思います。しかし、少しアメリカの現代絵画について学びだすと、美術批評の世界ではローゼンバーグという評論家はほとんど省みられることがなくて、その代わりにグリーンバーグという似たような名前の評論家が圧倒的に影響力を持っていることに気がつくのです。
それにはいろいろと理由があったのでしょう。例えば、グリーンバーグはまさに美術批評の中心にいた人でしたが、ローゼンバーグは文化や社会全般について広く論じた人で、どちらかと言えば美術はその中の一つの分野に過ぎなかったのだと思います。グリーンバーグとローゼンバーグでは、美術との関わり方の深さが、そもそも違っていたのでしょう。
あるいは、彼らの批評の水準、質の問題もあったのかもしれません。美術評論家の藤枝晃雄(1936 -2018)は代表的な著書『ジャクソン・ポロック』の中で、ローゼンバーグについて次のように書いています。

ローゼンバーグのアクションの概念は、過去の芸術にコントラストをつけることに急な余り、そして作品を「見ることができない」がゆえに、「行うこと」に焦点をあて原則として空間的な芸術表現を追放したのである。
(中略)
かくして、表面的にラディカルな彼のアクション・ペインティングの概念において暴露されるのは、デ・クーニングの芸術作品ではなく、デ・クーニングという人なのである。彼がアクション・ペインターの芸術作品を論じなかったのは、「見ることができない」ためであるとともに、こうしたことに関連しているのかもしれない。ローゼンバーグの見解がアクション・ペインティングにたいしていま一つの通俗的な見方として作者の言葉、意図、態度のみ従属する批評家に受け入れられたのは当然である。
(『ジャクソン・ポロック』「アクション・ペインティングの批判」藤枝晃雄)

藤枝晃雄はグリーンバーグのフォーマリズム批評を日本で展開した、いわばグリーンバーグの愛弟子のような批評家ですから、その点を割り引いて彼の言葉を聞かなくてはなりません。しかしローゼンバーグが絵を「見ることができない」人だった、というのは当たっている気がします。
こんなふうに、ポロックの絵画を論じるにあたっては、さまざまな立場の人がさまざまなことを言う、という複雑な事情があります。これは高名な画家の運命のようなものでしょうか。そしてポロックの絵を言い表す時に使われる最も有名な「アクション・ペインティング」という概念について、それは「通俗的な見方」によるものだという批評家がいて、どうもその批判的な見方の方が旗色が良いようなのです。簡単に言えば、ローゼンバーグは「アクション・ペインティング」という言葉の創始者として以外は、ほぼ忘れられた存在なのです。そういう私自身も、藤枝の『ジャクソン・ポロック』には圧倒的な影響を受け、さらにグリーンバーグの批評の翻訳を何回も読んでいますが、ローゼンバーグの本を読み直す、ということはほとんどないのです。
しかし、このblogで何度も論じてきたように、私たちはフォーマリズム批評を客観的に、あるいは批判的に見る視点を持たなければならない地点に差し掛かっています。その中でローゼンバーグが提起した「アクション」、つまり「行為性」が絵画とどう関わったのか、ということを再度考えてみなくてはならないのだと思います。
沢山はまさにそういう時代に、つまりフォーマリズム批評からの揺り戻しの時代に美術批評を始めた世代なのだと思います。だからこそ、彼のポロック論は私にとって興味深いのです。
前置きが長くなりましたが、ここから具体的に彼の批評を読んでいきましょう。ここまで読んでくださった方なら、沢山が『ジャクソン・ポロック ー 隣接性の原理』のはじめの方で次のように書いていることの意味が、よくわかると思います。

一方でポロックの絵画批評から、その特異な「身振り」の所在を抹消しようとする批評的動機は、同時代以降のさまざまな言説に内在してきた。それらのうちの多くは、しばしばハロルド・ローゼンバーグの提起した「アクション」概念への敵視ないし軽視を伴う。しかし、ローゼンバーグばかりではなく、同時代のポロック受容はその動作への注目と切り離すことができないものだった。当初のドリップ絵画の受容は、ポロックの開発した技法と運動への素朴な驚きを直截に記録している。そして、それはしばしば「ダンス」という形容を伴って記述された。
(『絵画の力学』「ジャクソン・ポロックー隣接性の原理」沢山遼)

この短い一節の中で、私がクドクドと説明してきたことが、実に簡略に語られています。そして時代がまわり回って、ポロックがドリッピング絵画を世に問うた時代のことを客観的に考えてみると、「同時代のポロック受容はその動作への注目と切り離すことができないものだった」という結論になるのです。
しかしそれにしても、ポロックと同時代の人たちはどうして「ポロックの開発した技法と運動への素朴な驚き」を、それほどにも強く感じたのでしょうか。彼の絵画は型破りで衝撃的なものでしたが、一般の人たちが絵の内容だけから「アクション・ペインティング」という概念を速やかに飲み込むのは困難だと思うのですが・・・。
実はそれは、写真家のハンス・ネイムス(Hans Namuth, 1915-1990)が撮影したポロックの制作風景の写真の力によるところが大きいのです。ポロックの制作写真をご覧になったことがない方は、次のページを見てから読み進めてください。
MoMA’s Jackson Pollock Conservation Project
それでは、次の部分をお読みください。

ポロックの制作を撮影したネイムス自身もまた、その光景を「ダンスのような動き」と記述している。

それは衝撃的なドラマだった。絵具がキャンバスに接触する刹那、炎が燃え立つ。ダンスのような動き(the dance like movement)。視線は、絵具と画布との次なる接触を予測することができず翻弄される。その緊張感。ふたたび炎が燃え上がる。

51年の『ポートフォリオ』誌に掲載された『秋のリズム:30番、1950年』の制作風景を記録した写真のキャプションには、ポロックの制作を「ダンスのような動き」と形容するネイムスの言葉が引用されている。その後、ネイムスはポロックの写真の撮影を終えると、フィルムの制作に取りかかった写真の「スティル」に対するネイムスの不満は、静止画像ではポロックの動きを捉えそこなうという点に集約されていたからだ。「フィルムの制作は次の論理的なステップだった」とネイムスは回顧している。
(『絵画の力学』「ジャクソン・ポロックー隣接性の原理」沢山遼)

このようにポロックの制作の写真は当時の人たちに衝撃を与え、やがて大袈裟なパフォーマンスによる絵画制作の実演や、パフォーマンスそのものを作品と見なすような動きがあらわれます。同時代の画家、ジョルジュ・マチュー(Georges Mathieu,1921-2012)が来日した時の、和服を着て画面に向かう画家の写真が残っていますが、今から見ると悪い冗談にしか思えません。このような動向の最中にいれば、マチューとポロックの差異を語るためにも、画面重視、描かれた内容重視のフォーマリズム批評に傾きたくもなります。しかし、沢山は次のように宣言しています。

・・・すでに述べたようにポロックの「アクション」は絵画の内在的な構成原理そのものと切り離すことができない。さしあたって本稿は、このような絵画の力学的「動性」の分析を目指すものである。
(『絵画の力学』「ジャクソン・ポロックー隣接性の原理」沢山遼)

つまり沢山は、ポロックの絵画における「アクション」すなわち絵を描く動作は、ポロックの絵画の内容と関わるものであり、彼の描く行為を分析することで彼の絵画そのものが見えてくるのだというのです。それはどのような分析によるものでしょうか、沢山の具体的な文章を見てみましょう。ここで彼はネイムスの映画撮影時に製作されたポロックの『27番』(1950)という作品を主に取り上げて、次のように書いています。

もっともわかりやすいのは、いちばん上の層に放たれたカーキ色の線の連続的配置である。とくに画面左側では、上下に一列ずつ同じ間隔を持って配置された、のたうつような線の群れが認められる。等間隔で併置される線は真ん中から「く」の字型に折れ曲がるように同じような角度で屈曲し、同一形態の連携によって画面を左側から右側へとすばやく横断していくように見える。これらはポロックの画面に顕著な直立する線の形象=画面を垂直に横断する柱の構造性を備えてはいない。不定形にのたうつミミズのようなこの形象は、一定の速度をもって形態の同一性を付与するポロックの身体に刻まれるリズムとともにある。画面構造のリズムは、画家の身体のリズムとの共振的な関係において自らを打ち震わせる。
観察を続ければ、その下層部に差し挟まれた黄色とピンクの線もまた、カーキ色の線と同じように断続的なリズムないしビートをそなえた持続的な運動形態をもつものであることが了解されるだろう。カーキ色の線が比較的短く、その分いっそう躍動的に感じられるとすれば、ピンクと黄色の線は、それよりも長くどっしりとした線的形象として、画布に力強く打ち付けられるように定着している。ポロックは、ピンクや黄色の上から再びモノトーンの絵具を被せることで色彩の直接性を減速させている。だが、その配置は全面的である。
私たちはポロックのオールオーヴァーネスを、画面を「横断」する線の群れの動性から理解することができないだろうか。たとえばポロックは、かならず画面の四隅から仕事を始めるという、自身の絵画制作のルールについて言明したことがある。ポロックの絵画は、画面の中央から始められることはない。ネイムスのフィルムが正確に証言するように、運動はつねにフレームの「端」から横断的になされる。たとえば『ラヴェンダー・ミスト:1番』(1950)のように複数の層から成立するポロックの絵画は主に、一つの色が一つの層を形成する多層構造として提示される。
(中略)
したがってポロックの「層」構造は、そこに畳み込まれた複数の時間の積層を追跡するtことさえも可能にするはずだ。たとえば『大聖堂』(1947)では、モノトーンの画面をオレンジ色の線がまっすぐに貫いている。観者の網膜を切り裂くようなオレンジのするどい垂直性の深度は、このオレンジが、同じ細さ、同じ長さで引かれていることによって増幅させられている。オレンジの線の細く、長い形態は、その線が引かれた際のスピードを(実際の速度はどうあれ)劇的に高めているように感じられる。そして等間隔で画面を貫くオレンジの垂直性は、この色彩に賭けるポロックの行為が、一度きりの「横断」によってなされたのではないかという確証不可能な感覚をもたらすのである。しかし、そこに私たちが認めるのは「同じ線」が画布に引かれているということではない。むしろ同一なのは、線が「同じ運動」を伴って定着されているという、線自体の動性である。
(『絵画の力学』「ジャクソン・ポロックー隣接性の原理」沢山遼)

この沢山の作品分析の特徴は、作品の表面から見える色や形(線)から、ポロックの描く行為を読み取って解説しているところです。もしも、このような細やかな作品分析をあまりお読みになっていない方がこの文章を読むと、その微細な指摘に圧倒されて何が何やらわからないかもしれません。そこで、藤枝晃雄の作品分析と比較してみましょう。これはポロックの『第一番A』という、オールオーヴァーな画面にたどり着いた初期の作品の解説になります。

色彩は白と黒が中心でその集合のなかに灰色を帯びた色斑がある。また、赤、黄、茶などの点や染みが散在し、そして右上、左下に手形がある。とくに黒、白の無彩色の線が精神分析用のデッサンに見られた明と暗の対比を出発点としていることは間違いないが、この作品においてはもはや一方が他方の補助的役割をもつものではなくなっている。両者はそれらを中性化する灰色から同じ力関係をもって合致しているため伝統的な
モデリングから遠ざかる。これらの線は、これまでの絵画がたずさえていた線の機能をもたない。たとえば、再現的な絵画における人間の形姿はむろん、抽象絵画における幾何学的形体や不定形も、それらは線によって形を作っていることで変わりはない。ポロックの線は、一本の線そのものが何かを表すのでもないし、またその集合が形を規定していくものでもない。その線は、ポロック以前の抽象にまでいたる絵画が有していた記述や規定という性質を放棄している。フランク・ステラがいみじくも言ったように、ポロックは「絵具で線を引く代わりに、線で絵を描く」のであり、その集合がオールオーヴァーの空間構造になるのである。点や染みなどはただのアクセントとしてあるのではなく、この構造を活性化しながら、均等化している。
(『ジャクソン・ポロック』「オールオーヴァーの絵画Ⅱ」藤枝晃雄)

ここで藤枝が語ろうとしてるのは、ポロックの線や染みの形が、それまでの絵画のように何かの形象を形成する部分なのではなくて、それ自体が絵画の構造を形作るものである、ということです。このあと、藤枝はアメリカの美術評論家、マイケル・フリード(Michael Fried、1939 -)の言葉を借りて、ポロックの絵画がいかに「視覚的」であるのかを強調します。絵具の物質性すらも、視覚的な要素に還元されている、というのです。そして強調されるのが、線や点、手形や染みが画面上では均質化された絵画の構成要素であり、その集合がオールオーヴァーな絵画となっている、という視覚的な事実です。それは確かに視覚的な事実であることに間違いないのですが、フォーマリズム批評ということを意識して読めば、視覚的な要素以外は全て排除し、視覚に還元されたものだけで絵画を読み取ろうとする強い意志が感じられます。
一方の沢山がポロックの絵画から読み取ろうとしているのは、絵画の出来上がる過程であり、画家の行為であり、そこから見えてくる画家の運動や、制作時に画家が所有した時間性です。沢山は意図的にそのように絵画を読んでいるのであり、そこにはそれまでの美術批評を乗り越えようとする意志を感じます。
その沢山は、ここからさらに遠くまで行こうとします。それが、この論文のタイトルにもなっている「隣接性」という概念なのです。沢山はポロックの絵画が持つ独特のダイナミズムを「隣接性」という概念によって読み解こうとします。その論理は、ちょっと分かりにくのかもしれませんが、なんとか説明してみましょう。それでも納得できない方、あるいは何だか面白そうだと思った方は、ぜひ『絵画の力学』を入手して、原文を読んでみてください。
その「隣接性」とはどういうものなのか、というと、話はポロックが描いた精神分析用のドローイングから始まります。それはポロックが画家として大ブレークする前の1939年ごろに、彼のアルコール中毒の治療のために描かれたドローイング群のことです。おそらくは、思うままに描くように言われたであろう一連のドローイング、つまり線描きのスケッチですが、そこには奇妙な動物や人の形、模様やオブジェのようなものが紙面に溢れています。作品として意識しているわけではないので、整理されないままに一枚の紙に色々な形が描かれているのですが、沢山はそこにある共通した特徴を見出します。

とくに興味深いのは、同時期に描かれた2枚のドローイングである。これらのドローイングでは、かならずしも同一のスケールではない数々の絵文字的図像が、隣り合う形象とぎりぎりのところで干渉しあうことなく、隣接的に配置づけられている。ポロックは明らかに、大小さまざまなパズルのピースを埋め合わせるように、空間的残余として紙面の空白を活用し、先行する形態が後続する形態の輪郭やスケールを決定する時間的・空間的序列にもとづいてドローイングを成立させている。
(『絵画の力学』「ジャクソン・ポロックー隣接性の原理」沢山遼)

これはすごい指摘だと思います。私もこの時期のポロックのドローイングを学生の頃から知っていて、眺めてきましたが、こんなこと思いもしませんでした。ただの落書きのようなドローイングが無秩序に並んでいるだけで、その形象が重なり合わずに適度な隙間が空いているのも、あたりまえのことだと思っていました。しかし、そう言われてみると、このドローイング群は一つの紙面としてのダイナミズムを感じます。
そして、これだけなら「ちょっと、考え過ぎかも・・・」で終わってしまう話ですが、この「隣接性」の概念がポロックの後年のアクション・ペインティングにもつながっている、というのが沢山の指摘なのです。

不定形な線の群れは、隣り合うもの同士の非接触性という一定の規則を持ち、後続する形態は先行形態の部分的な分身として強調され、画面を分節ー接合する。「線」の画家であるポロックは、47年以降の展開において、ドローイングの隣接性を絵画面に横溢する動態的節理へと高めている。ポロックのダンスは、ドローイングにおける、間隙を保ち隣接する諸要素の配置を絵画制作の身振りとして行使するものにほかならない。ポロックにおける<隣り合うもの>の反復形態とは、あるときには柱や並び合う斜線のようなリズミックな構造を持って並列し、あるときには不定形な線描の形態的類似を谺(こだま)のように媒介させていくのである。
(『絵画の力学』「ジャクソン・ポロックー隣接性の原理」沢山遼)

おそらく、この文章を初めて読む方は、「これは何を言っているのだろう」と思うことでしょう。ポロックの後年の絵画は、線や絵具の染みが複雑に重なり合う、およそ「隣接性」とは無縁の画面のように見えます。しかし考えてみると、ポロック以降の現代絵画でポロックのような画家は一人も見当たりませんが、これはもしかすると、沢山の「隣接性」という概念で説明できるのかもしれない、と私は思い当たりました。それはどういうことなのか、説明してみましょう。
例えばポロックらの後にはカラーフィールド・ペインティングと呼ばれる動向の画家たちがいましたが、彼らの中にもポロックのような画家は一人もいません。先ほども書いたように、私はどうしてポロックがこんなにも特別な存在に見えるのだろうか、と思ってきましたが、この「隣接性」という概念を鍵として考えると、それも合点がいくような気がするのです。ポロック以外の他の画家たちは、多かれ少なかれペインタリーな画面構成で絵を描く画家たちです。つまり、画面上では色面が互いの形象の一部を覆いながら、その色彩が平面上で響き合うような表現を指向していた画家たちなのです。ところがポロックの絵画は、形象が互いを覆うことがなく、それぞれの線の一部が重なり合ったとしてもそれぞれの線や染みが自己を主張しながら存在しているのです。これは色面と色面が心地よく響き合う画面とは、全く異質なものです。
それでは、なぜそのような表現がポロックにおいて可能だったのでしょうか。それはポロックが、「隣接性」という画面の特質を持った画家だったからなのかもしれません。ポロックはその初期の頃から、画面の構成要素をときに重ね合わせながら美しく調和させるような画家だったのではなくて、画面上の形象が重ならないように配置しながら、それらを互いに緊張感をもって存在させるように仕向ける画家だったのです。
ペインタリーな画家たちがときに平凡な色面構成のような絵画に陥ってしまうのに比べ、ポロックの絵画はつねに線と線とが緊張感をもって表現されているのです。
この論文の終わりの部分で、沢山は具体的な作品を例にとって、「隣接性」を伴うポロックの絵画の特徴について、次のように書いています。

画面右上の手形の群れは、カンヴァスの線を廻り、画面左下のピンクの二つの手形へと巡回する。一つではなく、二つ一組から成立するピンクの手形は、ここでもポロックの隣接性の原理を守るように隣り合う。(ラヴェンダー・ミスト:一番、1950年)の右上と左上に見られるのも、ポロックの手の刻印と思われる手形の痕だ。ここでも先の二つのピンクの手と同じルールがかたくなに守られている。『ラヴェンダー・ミスト』の二組の手形は、カンヴァスの縁に留まり、ほとんどほかの絵具と見分けがつかないほどに画面のむせ返るような雰囲気のなかに溶け込んでいる。手形の形象においてもポロックは「一つ」を孤立させることなく、「二つ」を併置する図像的隣接化の原理を手放そうとしていない。画家は、その運動と移動の論理を単調なリズムとともに絵画面に刻み込んでいく。それは、絵画形式と運動様態との新たな結合の仕方を指し示している。このとき、自らの視線をあてどなく徘徊させるように、或いは周遊させるように巨大な画面を眺め、茫漠とした全体から発せられる律動に身を任せる観者の知覚は、画家の体躯の軌跡を辿り直すように進んでいる。絵画はそのとき追想と再演の場となるだろう。絵画は何度でも、それが見られるたびごとに私たちの目の前で不可解な「ダンス」を繰り広げている。
(『絵画の力学』「ジャクソン・ポロックー隣接性の原理」沢山遼)

これは、私のように常に絵具の層について考えている者にとっては、新しい見方を教えてくれる、素晴らしい文章です。なぜなら、私たちは絵具の層を考える際に、どうしてもペインタリーな色面の絵具の層を想像してしまうからです。そうではない「隣接性」を持った絵具の層を頭に入れておくと、自分の絵の制作上の展開が、もう少し楽になるのかもしれません。
それから沢山は、ドローイングで見られたポロックの「隣接性」を後年の絵画に応用する際に、ポロックの絵画の「アクション」、すなわち行為性を問題とし、文章をつなげています。しかし、私にとっては「先行する形態が後続する形態の輪郭やスケールを決定する時間的・空間的序列にもとづいてドローイングを成立させている」という部分の「時間的」という部分に注目したいのです。線や筆のタッチの隣接性によって「時間的」なるものを感じさせる、というふうに考えると、例えばセザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)の絵画における独特のタッチも説明がつくのかもしれません。
彼の描いた『サント・ヴィクトワール山』を見ると、難しい理屈はともかく、その小気味よい筆のタッチに魅了されます。1905年頃の最晩年の作品になると、独特のタッチによる色の斑点が独立していて、それが何を表しているのかすらどうでもいいような、そんな気分になります。実際に空の部分に使われているタッチと、山の部分に使われているタッチとの間に、いかほどの違いがあるのでしょうか。それは空であったり、山であったりすることよりも、セザンヌがそのタッチを制作上のどのタイミングで、どのような強さで描いたのか、ということの方が重要視されているように思います。そしてそのためか、その一つ一つのタッチは、ペインタリーに塗られたものだというよりは、画面上を鑿で削ったように感じられます。山の一箇所を削ったら、次に空の一箇所を削って・・・、というふうに、まさに「隣接性」という言葉がぴったりとくるような制作方法なのです。そこには、セザンヌがサント・ヴィクトワール山をどのように認識し、それをどのように画面上に表現したのか、という時間的な経過を含めたドキュメントが、画面に刻まれているのです。これはいつか、「隣接性」をキーワードにしてセザンヌの晩年の絵画の筆のタッチと、それが表象する「時間制」について論じてみなくてはなりませんね。

若くて優秀な批評家が提示した、意表をつく概念を考察したために、ちょっと私の方が整理不足でした。しかし、この「隣接性」をさらに敷衍して、もっと考察を進めた文章をそのうちに書いてみたいと思います。

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