平らな深み、緩やかな時間

63.若林奮「飛葉と振動」神奈川県立近代美術館

若林奮(1936-2003)の展覧会が、葉山の神奈川県立近代美術館で開催されています。
若林の大規模な展覧会を見るのは、たぶん1987年の東京国立近代美術館「今日の作家 若林奮展」以来のことだと思います。もちろん、その頃から、いや、それ以前から若林奮は日本を代表する彫刻家であったし、すでに大家と言っていい人でした。しかし、絵画を専攻していた私にはどこか遠い存在で、興味の持てる作家ではありませんでした。それでも展覧会を見に行ったのは、現代の日本美術の著名な作家の作品を見る、という一般的な?勉強のため、あるいは知り合いの尊敬する作家から、若林の彫刻は旧套的な彫刻作品しか見ていなかった自分たちの世代(私より一世代上)にとっては、とても新鮮なものだった、という話を聞いたからでした。
実際に展覧会を見た印象は、やはり私にとっては遠い存在だな、というものでした。ミニマル・アートや「もの派」と呼ばれる作家たちの作品を主に見ていた当時の私の目からは、たとえば若林の「振動尺」のシリーズは単なる鉄のオブジェに見えてしまったし、インスタレーションの作品にしても作家の手が入り過ぎているように思えたのです。思い返せばミニマル・アート以降、作家の手の痕跡をいかに払拭し、素材の在り様をいかに表出させるのか、ということに多くの作家が心を砕いていた時代ですから、若林の作品がピンと来なかったのも無理からぬ話です。私にとって面白かったのは立体的な作品よりも、若林の平面的な作品でした。手触りの感覚が生々しく、平面を平面的に扱う独特の遠近感を持ったドローイングや水彩画が、とてものびのびとして見えたことを記憶しています。その後、画廊などで彼の作品を見る機会がありましたが、大きな作品のためのエスキース、といった感じの紙の作品が多く、時には美しく感じたこともありましたが、肝心の野外の大作などは見る機会がなかったので、作家の印象は大きく変わりませんでした。大きな作品といえば、横須賀美術館の前の「Valleys;2nd Stage」がありますが、これはロケーションがいまひとつでしょうか・・・、気がつかないで帰ってしまう人も多いんじゃないかと思います。
そこで今回の展覧会ですが、期待以上に面白いと思いました。なぜ、そう感じたのかと言えば、晩年の作品、つまり私が前回見た回顧展以降の作品がとてもうまく紹介されていたからだと思います。そして、晩年の作品から遡って初期の作品を見ると、ただの鉄の彫刻、あるいはオブジェに見えていたものが、不思議とそのコンセプトが浮かび上がってきて、若林がなぜその作品を作りたかったのか、がすんなりとわかるような気がしたのです。もちろん、これは私が勝手にそう思い込んでいるだけで、若林の作品をより深く理解している人から見れば、あさはかな考えに過ぎないのかもしれません。しかし、ここでは私の理解度に応じて、その印象をメモしておきましょう。

若林の作品は、見え方の違いはあれ、そのコンセプトは初期から一貫していたようです。そのことが展覧会の最初の解説プレートに記されています。それを引用して見ましょう。

若林は、当初より従来の彫刻の概念を乗り越えようとした。それは、水や水蒸気、空気といった形をなさないものへの関心に表れている。最初期の作品には頭部をモチーフとしたものが見受けられるが、そこには複数の穴が穿たれたものがある。・・・・
(若林奮「飛葉と振動」展 カタログ「庭への予兆(1957-1982)」)

この「水や水蒸気、空気といった形をなさないものへの関心」というところが、この展覧会を、あるいは若林の作品を貫いているものだと思います。初期においては、それらをたとえば不定形の雲のような形の立体として、直接表現しようとしていました。このあたりは、その当時の現代彫刻にありがちな発想だと思います。雲のような、あるいは煙のような形の彫刻がいささか古びて見えるのに対し、今見ると具象的な木彫りの猫の彫刻の方が、若林の独特の感性があらわれているように思えます。骨格のしっかりとした存在感のある、いかにも彫刻家が腕を振るったような猫の形ではなくて、すーっとそこにいるような、自然体の猫の姿です。そこには先入観を持たずに、純粋無垢なままモチーフを観察できる、若林の持ち味があらわれているように思いました。
それが「振動尺」の作品の頃になると、若林は直接、水や空気の形をあらわすのではなく、それを計測する架空の機器の形として、観念的にモチーフを表現しようとします。これはそれ以前よりも表現意図を高度に展開した作品になると思うのですが、その気持ちをくみ取れないと、たんなる鉄のオブジェに見えてしまいます。なぜ、そう見えてしまうのかと言えば、これらの作品が単体としても、つまり彫刻作品としても鑑賞しうるものだったからではないでしょうか。もちろん、抽象的な形体をした彫刻作品から一歩も二歩も踏み出したものですが、それを感受できなくても、完結した作品として見ることができます。逆にいうと、若林はまだオーソドックスな彫刻家としての側面を持っていたのではないか、と私は考えます。
それが、若林が「庭」の造形に関わるころから、作品が周囲の空間に対して広く開かれたような感じに変わってきます。1987年のインスタレーションではまだ重厚な感じがしますが、それ以降の作品を見ると、周囲とのかかわり、あるいは作品の背景にある若林のイメージとの共有が、より濃厚になってきます。「緑の森の一角獣座」という、大きな銅板が壁に貼り付けられた作品が今回の展覧会のハイライトだと思うのですが、その銅板の色の美しさもさることながら、それらが醸し出す空気のようなもの、その作品の持つ広がりの方が、この作品を見るうえでより重要なのだろう、と思います。そこから感受できるのは、周囲の空間や自然との一体化、と言うべきものでしょう。今回のカタログに転載されている、若林自身の文章を引用してみます。

・・・・どこか一か所に立って自分の把握する空間、言いかえれば自分が所有することができる空間の内部と、その大きさを知り、その範囲を示す境界をどのように決定していくかに多くの注意を向けていた。
 現実的に植物や土などに関連しながらの作業でなくても、以前から私は自分が自然の一部であることを確実に知りたいと考えていた。その確認のために様々なものを観察し、彫刻や絵をつくることが必要であった。例えば、一本の樹や犬や崖を見る場合、それらまでの距離や、大きさやその色の具合等を見る。しかし、これは相対的なものであると思いはじめる。観察は多様になり、それにしたがって確認の作業も多くなる。更に、自分と目の前にある木や崖や犬は自分と共通の場の上にあるのではないかと気付くことがある。それは、そのあたりを支配する雰囲気に自分が従うからである。その場を自然といってもよい。
(若林奮「飛葉と振動」展 カタログ「森のはずれで―所有・雰囲気・振動」)

このように「自分が自然の一部であることを確実に知りたい」という願望が表現となるとき、それは絵画であるとか、彫刻であるとか、インスタレーションであるとか、そういう形式はどうでもよいものになるのかもしれません。それは周囲の空間を取り込んだなにものかであり、平面的な形状をしていてもその場の空気を感じさせるものになっていきます。さらに、それは作品という独立したものよりも、もっと自然で、もしかしたら若林奮という作家の固有性すら希薄になった何ごとか、であるのかもしれません。そのような解放感が、若林の晩年の作品群には心地よいものとしてあらわれています。このことは、小さなドローイングや水彩画であっても変わりません。「4個の鉄に囲まれた優雅な樹々」と呼ばれる作品のドローイング群は、どれも大きな自然のごく一部を切り取ったような印象があります。それは「自分が自然の一部であることを確実に知りたい」という作者の願望を、率直に表現したものだと言えるでしょう。
このように、自然と一体となるような幸福感において表現活動を続けることは、優れた感性の作家において、時折みられることだと思います。たとえば晩年のモネのように、日々、睡蓮の池に囲まれて制作し、最終的にはその作品に囲まれた空間(部屋)を創作するような、そんな表現活動のことです。しかし、モネの時代には絵画という表現の場が、まだ堅牢なものとしてありました。どんなに彼の作品がインスタレーション作品の先駆的なものと見なされようと、絵画という強固な磁場から表現活動がはずれることはありませんでした。一方の若林は、まだ67歳という年齢でこの世を去りましたが、もしももう少し制作活動を続けていたら、どういう作品を制作していたのでしょうか。現代美術において、彫刻や絵画という表現の磁場が希薄になっていることは、否めない事実だと私は考えます。それは新たな可能性を示すものでもありますが、また新たな課題を私たちに突きつけているものだとも思います。年齢を重ねるにつれて感性が柔らかくなっていくような若林の作品を見て、彼がこれ以上の自然との一体化を表現しようとしたときに、どのような方法をとったのか、見てみたい気がします。今どきの67歳はちょっと若過ぎる退場だったな、とつくづく思います。

これまで、この作家に大した興味を持てなかった私としては、いま書けることはこの程度の展覧会の印象記です。もう少し深く若林のことを知ったら、もう少し書きたいことが出てくるのかもしれません。また、どうして若いころの私がこの作家に興味を持てなかったのか、それは第一に私の不勉強に原因がありますが、若林自身の表現の仕方にも一因があるような気がしています。そのあたりについても、さらに考察が深まれば、いつか書いてみたいと思います。

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