(Thomas Bach, 1953年12月29日 - )
西ドイツのバイエルン州ヴュルツブルク出身。
ヴュルツブルクに近いバーデン=ヴュルテンベルク州のタウバービショーフスハイム(de)で育ち、両親の元、同市のゾンネンプラッツ(Sonnenplatz)で1977年まで暮らした。
この町のフェンシングクラブでスポーツを始めた。同クラブは、アマチュアトレーナーのエミール・ベックによって1950年代中頃に設立され、70年代に世界のリーダーへと成長。これまでにオリンピックで38個、世界選手権・欧州選手権で298個のメダルを獲得している。早くに父を亡くしたトーマス少年はこのクラブで心身を鍛えた。
1972年、同地のマティアス・グリューネヴァルト・ギムナジウム(高校に相当)を卒業し、1973年から1979年までヴュルツブルク大学法学部で法律・政治学を学んだ。1979年、第一次国家試験(司法試験)を通過して卒業した。主にドイツ連邦議会での司法研修期間を終えて1982年、第二次国家試験(司法試験)に合格し、1983年、博士論文「連邦憲法裁判所の裁判における予測の影響」(Der Einfluss von Prognosen auf die Rechtsprechung des Bundesverfassungsgerichts)で博士号(法学)を取得した。
続いて、タウバービショーフスハイムに自身の弁護士事務所を開設した。
1985年、アディダス(スポーツ用品)執行役会会長のホルスト・ダスラーに誘われ、同社の国際関係部局の責任者。
1988年から1990年まで、連邦経済大臣の中産層顧問団の調整役を務めた。1995年からフィリップ・ホルツマン株式会社(建設コンツェルン)の顧問。1998年、タウバービショーフスハイムのミヒャエル・ヴァイニッヒ株式会社(工作機械)の監査役会会長に就任。
2000年から2008年まで、シーメンス(電機)の顧問。
2000年から2009年まで、シーメンス・スイスの取締役会構成員。
産業コンサルタントのヴィルヘルム・シェルスキーより政府人脈を買われてシーメンスの執行役会に推薦された。
2005年から2009年まで、MANフェロスタール有限会社(鉄鋼)の顧問。
2008年から2013年まで、メリウス有限会社の諮問委員会委員長となり、投資会社「クウェイティ・ジャーマン・ホールディング・カンパニー」の子会社としてドイツ国内の活動を担った。
2009年から2013年まで、ニュルンベルク保険株式会社オーストリアの監査役会構成員、バルテック有限会社(産業保安技術)の諮問委員会委員。
2006年5月、ゴルファ・アラブ・ドイツ商工会議所(Ghorfa Arab-German Chamber of Commerce and Industry)の会長に就任。
IOC会長の就任後に辞任した。
母語のドイツ語の他、スペイン語・フランス語・英語に堪能。
オリンピックの聖火ランナーを4度務めている。
大会と場所はそれぞれ、2004年、アテネオリンピック、ベルリン。2008年、北京オリンピック、北京。2010年、バンクーバー冬季オリンピック、バンクーバー。2012年、ロンドンオリンピック、ロンドン。2010年、シンガポールで開かれた第1回夏季ユースオリンピック大会ではベルリンで聖火ランナーを務めた。
- 1977年:西ドイツ年間最優秀チームに選出(フルーレ団体・西ドイツ代表の一員として)
- 1981年:ドイツ連邦共和国功労十字小綬章
- 1984年:バーデン=ヴュルテンベルク州功労勲章
- 1993年:ドイツ連邦共和国功労十字勲章・一等
- 2004年:ドイツ連邦共和国功労大十字勲章
- 2008年:タウバービショーフスハイム市名誉市民
- 2013年:ドイツ・オリンピック・スポーツ連盟(DOSB)名誉会長
- 2013年:IOC「金の鍵」
- 2014年:ヨーロッパ・オリンピック委員会(EOC)功労勲章
- 2015年:モントリオール市名誉市民
- 2015年:ラインホルト・マイヤー・メダル
- 2016年10月20日:筑波大学名誉博士。
- 2018年:サインズ・アウォード(SignsAward)
- 2018年:ソウル市名誉市民
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