ジョン・ライドン(John Lydon、1956年1月31日 - )
7歳の時に髄膜炎を患い、3か月近く昏睡状態に陥った後遺症から記憶の大部分を喪失する
中学生からのライドンは退学処分を受けるほどの不良となり、10代後半はマルコム・マクラーレンのブティック「Sex」に頻繁に出入りするようになる
1975年にマクラーレンがアメリカのバンド、ニューヨーク・ドールズとの小ツアーから帰り、スティーヴ・ジョーンズやポール・クックと共に新たなバンドの結成を模索していたとき、ライドンが現れた。
ライドンは「I Hate」とサインペンでなぐり書きされたピンク・フロイドのTシャツを着ており、店内でのオーディションでアリス・クーパーの「エイティーン」を歌った。そしてバンドへ加入、バンド名はセックス・ピストルズに決まる。
1978年1月14日、アメリカツアーのサンフランシスコ最終公演を最後にライドンは脱退を表明。ラストライブの最後に「騙された気分はどうだい」と言い放っている。
1978年4月に、ベースのジャー・ウォブル、ギターのキース・レヴィン、ドラムのジム・ウオーカーと共にパブリック・イメージ・リミテッド(PIL)を結成し、ファースト・アルバム『パブリック・イメージ』(Public Image - First Issue) を発表する。メンバーと音楽性を変遷させながら活動を継続するが、1992年に活動休止となる
妻は音楽プロモーターだったノラ・フォースター(本名ノラ・メイヤー)。1979年からパートナーとなっている。
妻ノラは法的には結婚をしていないことを明かしているが、彼女の事は妻だと紹介している。ノラはライドンより14歳年上で、前夫(ドイツ歌手フランク・フォースター)との間にできた娘はスリッツのボーカリスト、アリ・アップである。
2010年、義娘アリ・アップが乳がんで亡くなる。彼女には3人の子供(義孫になる)がおり、ノラと共に後見人となった。
2020年、コロナによる世界的パンデミックの最中、ジョン・ライドンは『ミラー』紙で近況について語っている。その中のインタビューでは、妻のノラがアルツハイマー病を患い、専門家を頼りつつフルタイムでの介護を行なっていると答えていた。そして2023年4月、妻が亡くなった訃報を伝えた
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