わいんとともに:一日の終わりにコップ一杯のワインを飲みながら、つぶやくあれこれ。

残り時間を気にする此の頃、せめては、ささやかな足跡を残しておきたい。

今年も無事にお餅搗き

2016-12-26 11:57:42 | 日記
 23日の祝日、息子たち、嫁さんたち、孫たち、全員揃ってお餅搗きをした。
年末恒例のお餅搗きである。長男が中学生から高校生の時、私の実家に手伝いに行って習得して来たので、要領良く、まるで、プロの技でどんどん餅を搗く。
その長男が11月の中旬、盲腸の手術をしたので、今年は無理なのかと思っていたので、無事に、皆が揃って餅搗きができたことは、ことのほか、嬉しい。
それぞれの親兄弟の分も搗いて、みんな揃って、いいお正月を迎えられることだろう。
 新しい年が良い年でありますように!!

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母の菊

2016-12-02 00:05:07 | 日記
 今、10鉢あまりの大輪の菊が咲いている。
年は植え込むのが遅れてしまい、一か月も咲くのが遅れてしまった。黄菊と白菊、それに濃紫の一重のが2本程。
 母がいろいろな花を咲かせていた。菊もその一つ。大輪の菊を見事に咲かせていた。それに、家までの20メートル程の街道の両側に、色とりどりの菊の花を咲かせていた。秋に実家に行くと、「まるで、菊御殿のようだね。」言ったものだ。夏にはグラジオラス。
春には牡丹。藤。その内、何時の間に集めたのか、サボテンが鮮やかな花を咲かせていた。あまり、出かけることのなかった母なのに、いつの間に、あんなにたくさんの花を集めたのだろう。今思うと、不思議な気がする。
その頃は、子育てに手いっぱいで、あまり関心もなかったが、牡丹が咲くと、こうもり傘をさしかけてあった。
 70歳の誕生日に母が亡くなると、間もなく見事な枝ぶりで毎年咲いていた藤が枯れてしまった。そして、何時の間にか、菊もグラジオラスも咲かなくなってしまった。あんなにたくさんあったのに、どうして、そんなに速くなくなってしまったのだろうと、不思議な気がした。
 田舎の家に引っ越してきたら、ご近所に菊を咲かせている家があった。子育ても一段落した頃、その方にお願いして、菊のさし芽と、育て方を教えて頂いた。もう、20年近く前のことになるだろうか。それから、毎年菊を育てている。一向に上達もしない。毎年ひょろひょろな菊である。でも、花だけは見事に咲いてくれる。今年はあまりに早く雪が降ったので、家の中に入れて眺めている。もう少しして、花が終わりの頃、菊なますにしていただくと、豊かな歯ごたえで、とても美味しいのだ。一つひとついただいて、今年の菊も終わる。
 それにしても、母はなんと偉大であったことか。私の年にはもう居なかったのに、いろいろなことをしていたのだ。
母の享年を過ぎて、今、しきりに母のことを思う。

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