わいんとともに:一日の終わりにコップ一杯のワインを飲みながら、つぶやくあれこれ。

残り時間を気にする此の頃、せめては、ささやかな足跡を残しておきたい。

命の選択

2016-10-23 23:10:42 | 日記
 姉が入院した。肺と心臓に水がたまっているという。見舞いに行ったら、心臓の検査の為と、酸素吸入の為のチュウブがつけられえていて、ベットの上の生活となっていた。
それでも、暇だから、俳句でも書いてみようと思って、書くものを持って来てくれるように頼んだのだと言う。丁度、私は文庫本を三冊と、自分で書いたエッセーを持って行っていたので、それを読むように勧め、喜ばれた。思ったより元気で良かった、と思って帰ってきたのに、次の日、弟から電話があった。検査の結果、心臓は三分の一きり、機能していないので、もしもの時、人口呼吸器を付けるかどうか、相談してほしいと、病院から言われたので、集まって欲しい、と義兄から言われたと。
 私は愕然とした。昨日、俳句を作るから、今度来た時に、見て欲しいと姉からたのまれたのに、その人の死をあらかじめ是認するなどということができるだろうか。何と残酷な決断を迫ることだろう。医学は発達しすぎた。人間に、自然な終わりを許さなくなってしまった。
 私は、自然な終わりを、尊厳死、を望む。そして、それを文書にしておこう、と思う。親族がそんな選択を迫られ、悩み、苦しむことがないように。
 それにしても、長年、リュウマチで苦しみ、日常生活も一人で出来ず、更に、片足を失った姉を一人で介護して来た義兄は、どんな思いで、この決断をしたことだろうか。そのことを思うと心が痛む。そして、そんな決断をしなければならない理不尽を憎む。どんなことがあっても、この決断を姉に知らせてはならない。孫の結婚式に車いすで行かれるだろうか、と、笑いながら話していた姉。心臓の機能が回復して、是非、そんな日が来ることを切に、切に、祈っている。

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9月26日 次男の誕生日

2016-10-03 16:41:22 | 日記
 その日は実家に行って、主人は義兄たちと何処かでマージャンに興じている夜だった。誕生予定までには、まだ、1か月あったから、何の心配もしていなかった。突然お腹が痛くなり、母と一緒に、病院に連れていって貰った。
長男の時とは違う近くの病院だった。それにしても、車で、20分はかかる所だったが、誰に送って貰ったのか、記憶がない。
 2200gの小さな小さな可愛い赤ちゃんだった。それでも、元気にお乳を飲み、すくすくと育った。今思うと、町の病院だったから、保育器に入らなくてすんだのかもしれない。他の赤ちゃんに比べると、細い手脚が、頼り無いほど、小さかったことを覚えている。
 今年の秋は雨が多い。誕生の年も雨が多く、1歳2カ月の長男と二人分のオムツを乾かすのに、母が炬燵を使って苦労していたことを思いだす。

それにしても、長男は生まれたばかりの弟を可愛がり、赤ちゃんがえりしたり、やきもちを焼くということもなく、すっかり、長男の貫録を供えていた。そのことを後から思えば、これは、希有なことだったのだと思う。長男に、そのような気を使うことは全くなかったのだから。
 にいちゃんと初めて呼びし弟に何度も呼ばせては答える兄よ
   (朝日歌壇に初投稿初入選でした)
  ひろくんの隣がいいと添い寝する二つと三つの小さき兄たち
  弟に一語一語教えいる小さき兄の言葉優しき
  新しき言葉をひとつ言うごとに報告に来る小さき兄は
  けんかして泣き寝入りせし弟に耳近付けて寝息を聞く兄よ
  けんかして泣き寝入りせし弟の布団を幾度も直している兄よ

 今、40歳半ばになった息子たち。
それぞれ結婚し、家庭を持ち、全く違う分野の仕事をし、働きざかりの忙しい毎日を送っている。年に何回会うことがあるだろうか。
年末のお餅つきは、長男の主導で我が家で皆が集まってする。そして、新年会。
後何度、などと、考えるのは止めにしよう。次の世代も、これだけは、ずっと続けていってもらいたい。何があっても、年末には、皆が集まってお餅を搗き、新年には、おとそを酌み交わし、新しい年を一緒に祝う。
 無事に親離れし、独立した息子たちへの、これが、私の願い。
今年も、もうお餅搗きのことを考える時期になった。70歳を過ぎて、一年はあまりにも早い。そして、留まるものは何もない。せめて、ささやかな句集を纏めておきたい、と思うこの頃である。

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