―PTA紹介シリーズの第2弾は、千葉県の公立小学校PTAで会長4年目になるSさんにお話しをうかがいます。Sさんとはツイッターでお会いしたのですが、“PTA会長になったので書籍などで情報を仕入れたがほとんど役にたたなかった”むねの発言をされていたのが印象的でした。現場の会員の意見が最重要であることは理解していますが「役に立たない」と言われると、出版業界の人間としては聞き捨てなりません(笑)。真意を詳しくお聞きしてもいいですか?
PTAと言うと何かこう「あるべき正しい姿」があって、全国津々浦々どこでもそうあるべき、という印象を受ける人が多いように感じますが、地域性、共働き率や役員の男女比といった保護者の構成率、学校規模、歴史など、組織のあり方に影響を与える要素が多く、「同じあり方」で通用するとはとても思えないのです。メディアでとりあげられるPTA像は自分の知っているものと違うことが多すぎです。
―そうですね。メディア報道はどうしても特別な事例をとりあげるか、あるいは最大公約数的な一般論になりがちで、そこは私もいつも気になっています。しかし、一般論でも、PTAの意義や理念を知ることには意味があるのではないですか?
歴史や参考意見という意味では一般論としての「PTAの意義や理念」にも意味があると思いますが、それが現実の組織としてのPTA(単P)にどの程度影響を及ぼすかと言えば、はっきり言ってあまり大きくないのではないでしょうか。個々のPTAの意義や理念は、正直に申し上げると千差万別でも良いのではないかと考えています。
―細かいところではそうでしょうが、学校自体は法律に基づいてある程度、均質につくられていますし、PTAにも共通するものはたくさんあると思います。地域のローカルルールで苦しむ人が出ないように、スタンダードや他の地域の事例を知るという意味で、新聞・書籍をはじめとするメディア報道にも一定の意味があると思います。
私は会長1年目にPTA本を3冊読みましたが、私が知りたいことが書かれていないと感じました。私が知りたかったのは、「普通の会長としての立ち回り方」であり、「会を運営するために必要なことは何か」という事だったのです。ですからおそらく、本に問題があると言うよりは、私が本の選択を間違えた、と言う方が正しいです。
PTAのあるべき姿は1つではないと思いますし、成り立ちから時間も経って存在意義が変わっていても不思議ではないし、またそれは必ずしも悪いことではないと思います。
保護者が受け容れられる負担で、保護者や教職員の賛同を得られる活動をし、最終的に子どもたちの利益になる。そのためにどのように保護者同士が話し合い、理解し合い、誰かを置き去りにせず、手を携えて子どもたちを守り育むのか。役員という立場で、会長という立場で、また一般保護者として、それをどう担って受け継いでいくべきなのか。私が読みたかったのは、きっとそんな本だったのだと思います。
―よくわかりました。では、SさんのPTAの話をおうかがいします。特徴としては、学校自体が3年前に統合によってできた新しい小学校で、Sさんは初代会長として今年で4年目を迎えるとのことですね。それから、正式名称はPTAではなく、「保護者と教職員の会」だとか。PTA(Parents Teacher Association)は「保護者と教職員で構成された団体は規模や活動内容に拠らず一般的にPTAと呼ばれる」という意味で一般名詞だと考えられがちですが、日本PTA全国協議会などに見られるように、特定の団体にひもづいた固有名詞だと感じる人も多いようです。Sさんの組織の名称がPTAでないのは、やはり市P連に加入していないこと関係するのでしょうか?
私の住んでいる地区は埋め立て地にできた町で、町自体が比較的新しいのです。この埋め立て地全体で約30校の小中学校がありますが、市P連に加盟しているのは3校だけです。統合前にうちの子が通っていた小学校は「保護者会」でしたし、統合した隣の小学校は「保護者と教職員の会」でした。統合後は「保護者と教職員の会」になりました。
―町自体が70年代以降にできた新しい地域というのはとても興味深いです。たとえば、地域コミュニティ関連でしばしばメディアにとりあげられる千葉県習志野市の秋津小学校も1980年開校の新しい学校です。秋津コミュニティ顧問の岸裕司さんは、新住民として学校の開校に立会い、PTAに参加して、会長を務めて、地域の顏になっていったようなところがあります。組織が新しいゆえのやりやすさがあったのではないでしょうか。ちなみに、統合後の新しいPTAとして、P連に参加するかどうかをあらためて検討したりはしなかったのですか?
統合後にP連に加盟するかどうかは、全く議論しませんでした。どちらの小学校も加盟していなかった以上、どちらのやり方を引き継いでも加盟するという発想がなかったからです。
とは言え、P連から何十周年かの冊子やPTA新聞のようなものが保護者と教職員の会宛に送られてきた事もあって、一応目を通した上で、ネットで情報を収集し、個人的に加盟の是非を検討したことはあります。しかし、負担に対する見返りが少ないと判断したので、他の役員にそのことを話したりはしませんでした。
うちの地区はもともと中学校区の青少年育成委員会という組織の理事会が毎月開催されており、小中学校の校長、保護者会会長、地域団体の代表、地域自治会の代表が集うので、それで地域のほとんどの情報交換ができるほか、中学校区に存在する中学校と小学校の保護者会による連絡会が年2回開催されており、主にP連に加盟することで得られるだろう情報は既に得られているんです。
それに加えて加盟すれば何が得られるの? となると、例えば講演会は参加するメリットより開催のためのお手伝いの負担が大きく、ネットで情報を収集したり意見を交換したりも可能なので、残念ながら利益と負担とのバランスが悪いと判断して加盟は見送りました。
―よくわかりました。では、話は少し戻りますが、そもそもSさんが新しいPTAの会長になられたきっかけを教えてください。
もともと統合前の小学校保護者会で役員をしていました。 第1子が1年生の時に「他にいなければやっても良い」に丸をしたら、役員をしていたお母さんから電話がかかってきて、役員を引き受けることになったからです。 資源回収とベルマークが担当の部の部長でした。
次の年から隣の小学校と統合する事になっていたので、隣の小学校の役員さんと新しい保護者会(PTA)でのやり方について打ち合わせを重ねたのですが、次第に「これを次の人に丸投げするのは無責任なのでは」と思うようになり、次年度も役員に立候補。
ところが、役職決めで男性1名だった事や、元々物怖じせず話すタイプで全員ほぼ初対面の役職決めでもよく話していた事もあって「会長やりませんか?」と他の役員さんに言われて、断りきれませんでした。
なので、なりたくてなったわけではなく、ただの不可抗力です。まさか何年もやる事になるなんて、当時は全く想像もできませんでした。
―というわりには、PTAについて一家言お持ちのように見えますし、ツイッター上では、いろいろな意見をはっきり言ってくださる「改革派」の熱心な会長に見えます。
意見は基本的にはっきり言いますが、きちんと相手の意向をくみ取りながら、ですよ? 自分が思った事は絶対に口にする、という事ではないです。それに、ネット上では「伝わらなさそうな人に伝える努力」はほぼ徒労だと思っているので、はっきり言っても話が伝わりそうな人にしか、はっきりは言いません。
その辺の取捨選択というか駆け引きというか、そういうものは高校合唱部、大学合唱団、社会人合唱団でのべ10年ほど指揮者をしていた経験が生きていると思います。
保護者の間では統合後に私がいろいろと改革をした事になっているようですが、そんなことはありません。私はある程度旗を振りましたが、中盤以降はむしろ他の役員さんの方がノリノリで、私は意見の整理と、整理した意見をまとめた資料の作成に忙殺されていた記憶しかないです。
正直に言えば、メディアにとりあげられるような「会長発の改革」には興味がなかったですし、今でもありません。そもそも、私自身が「特定個人の熱い思い(だけ)で組織全体が変わるのは、必ずしも健全ではない」と思っています。
会長就任が決まった後に、PTA役員を経験したことがある仕事関係の知人との会話で「あー、熱い会長っているよねー。(3秒くらいの間)うざいよねー」と言われたのも鮮烈に印象に残っていました。
また、小学校から高校までPTAに関わっていた母に助言を求めた時に「会長さんは口を出しすぎない。お手紙の文案でここがちょっとと思っても、大きな問題がないならそのままで。そうでないと他の人のやる気が失われるし、じゃあ会長さんがやって下さいよ、になるから」と言われたのもあります。
―なるほど。わかりやすさを優先して、特定のヒーローやストーリーをつくりがちな、メディア報道に対する辛辣なご意見と受け止めます。では「会長発」ではない、SさんのPTAの「改革」はどのようなものだったか教えてください。
会長になった当初、私には特に保護者と教職員の会の理想像に対する強い思いはありませんでした。
ただ、効率が悪いと思われるところはありましたし、統合初年度ということで「何でも確認する(全てが新規事業)」という雰囲気もありましたから、「それでいいと思う」「それ、前から思っていたけど不要じゃない?」といった意見がどんどん出ているうちに、本校での保護者と教職員の会のあるべき姿が見えてきた、というのが正直なところです。
私は確かに「会則を変えない?」という問題提起はしました。私にとって、変える手続きが明確であるものは、賛同さえ得られれば変えても良いものだという認識でしたので、会則を変えるということに特に躊躇する理由はなかったからです。
ですが、私は100のうち10くらい変えれば良いと思っていたんです。不明確なところを明確にする、明らかにやりにくいところは変える、くらいの意識です。
ところが「面倒な部分は会長が引き受けてくれる」という安心感なのでしょうか、役員さんから私が思っていた以上にどんどん変えたいところが出てきて、それは組織のあり方そのものに関わる部分にも及びました。
結果的に、私が思っていたよりはるかに大きな改定になりましたが、それはそれで役員さん達の自主性の結果なので、良かったと思っています。
―「面倒な部分は会長が引き受けてくれる」とは、どのようなことでしょうか?
私自身は、保護者と教職員の会のあり方について強い意向を示しませんでしたが、役員の一定数がやりたいと思う(そして反対が少ない)ことは強力に推進しました。たとえば、「口頭説明」に信頼を置いていなかったので、初年度には自分が発起人でなくても何でも私が説明資料を作りました。
また、学校や保護者に対する説明責任を積極的に果たしました。私の、物怖じせず話す力が、保護者向け説明会や総会の時に役に立っていたと思います。
私としては、役員さんの「会長さんがあれこれやってくれるなら、どんどん言ってしまえ」という雰囲気を後押ししていたら、いつのまにか今のような「改革」のかたちに行き着いたと思っています。
―非常に、興味深いですね。では、具体的にどのような「改革」があったのかについて教えてください。
たいしたことはしていないです。そもそも、まったく新しい組織でもなく、統合前に存在した2つの保護者会のやり方をひきついでいる部分も多いのです。ただし、隣の学校でもやり方は結構違うので、まず統合前の役員さん同士で統合校でのやり方について話し合いをしました。
そのとき、隣の小学校には、力強く自校の方式を推薦する会長がいて、こちらは自校の方式をあまり強く押し出さずに統合後の良い方法を探る会長だったので、結果的に多くの部分で後者が押し切られた形になりました。
具体的に言えば、隣の小学校は保護者会の仕事を「基本的に役員がすべて担う(必要な時だけ個別にお手伝いを募る)」方式でしたが、こちらは「役員だけでなく、役員以外の保護者にも仕事を分担」する方式でした。
そして、「改革」と言われるものの多くは、統合時に隣の小学校のやり方に多くを揃えていた部分を、うちの子が通っていた小学校の「役員の負担は少なく、その代わり役員以外の保護者に少しずつ作業を負担してもらうことで、少しでも学校や保護者会と関わり合いを持ってもらいたい」というやり方に戻したものです。
隣の学校出身の保護者にとっては未知のものを導入する事になるので説明責任はしっかり果たしました。ただ、私自身が新しい発想で何かをしたという事はほとんどありません。
―そこは重要なところだと思います。私はPTAは大きく2つに分けられると考えていて、一つは「役員が仕事を担う」、もう一つは「全員で仕事を分担」です。よく言われる「役員決めの憂鬱」は役員負担が過大な前者のPTAに特徴的なもので、後者ではそれほどでもありません。しかし「役員決め」という言葉でごちゃまぜに扱われているために、お互いに話が通じていないところがあるような気がします。また、前者ではたまたま役員になってしまった方だけがPTAについて意識的になりますが、後者では、毎年全員にPTAへの参加が強制されるためにPTAに対する会員の意識がいい意味でも悪い意味でも強くなりがちです。私は、退会の自由があったうえで「全員で仕事を薄く広く分担」するPTAのほうが健全ではないかと考えています。
おっしゃるとおりだと思います。
うちは会員世帯数が約250、役員数が28です。28人の役員がそれぞれ100の力を出しても集まる力は2800ですが、これは役員以外の全世帯が13ずつ割いた力の合計とほぼ同等です。
現実問題として、役員が100の力を割くのは困難です。また、役員になるとそれだけの事を求められるとなれば、役員のなり手もいなくなります。
保護者会がどんな活動ができるかは、いかに無理なく多くの力を集められるかにかかっています。役員にそれを求めれば負担がとても大きくなりますが、全世帯からの協力が得られれば会員も一般保護者も無理なく、それでいて役員だけでは担えないほどの力が集まります。
ですから、「全員に仕事を割り振る」方式のほうが、「役員が仕事を負担する」方式よりもベターであると思うのです。
役員になりさえしなければ「役員が仕事を負担する」方が楽なんですけど、いつ自分が役員になるかと戦々恐々とするのは、健全ではないですよね。
―しかし「全員に仕事を分担してもらう」方式であると、どうしても一定数の「何もやらない」人が、目に見えるかたちであぶりだされてきてしまいます。「役員が仕事を担う」方式だと、そのような人は(くじびきや欠席選出など相当の強制がない限り)そもそも役員に選ばれないので、問題は表面化しません。「全員に仕事を割り振る」と「仕事をやらない」人が可視化されてしまうので「不公平だ」などの声があがりがちではないでしょうか?
まず、うちのやり方を説明します。保護者と教職員の会全体としての仕事は割と少ないと思います。
特徴をあげるならば、大きなところでは、バザーがありません。また、「○○講座」的なもの(プリザーブドフラワー作りとか)もありません。PTA連盟に加盟していないこともあって、講演会などもありません。「主催行事」と呼べるものは、夏休み最後の3日間に行っているラジオ体操と給食試食会くらいでしょうか。
役員の仕事は広報紙の作成を除くと、ほとんどが係活動(役員以外の世帯に割当)の統括作業です。係の方へお手紙を出したり、希望日時アンケートを取って係を割り振ったり、係の方が使用するものを準備したり、といった作業になります。
係活動はラジオ体操、ベルマーク仕分け、資源回収の掲示、放課後子ども教室のお手伝い、交通安全指導(4月と9月の朝3日間)、運動会(駐輪場整理と場内パトロール)等です。これを役員以外の保護者で分担して行ってもらっています。
係活動は1年間で1~4時間程度のお手伝いをお願いしているのですが、事前にアンケートを採って、やりたい係を選んでもらいます。必ずしも第1希望の係になれるとは限りませんが、多くの場合は第2希望までに収まります。
おっしゃるように希望係のアンケートを返してくれない方もいます。そのような方には児童を通じて、丁寧なお手紙をお送りします。それでも出してくれない方が全体の5%くらいいます。
希望係のアンケートを出していただけない方は「どれでも良い」と理解して割り振りますが、実際にはそういう方は係活動を割り振っても無断欠席される事がそれなりにあります。ですから、なるべく1人2人いなくても問題のない係に割り振ります。
割り振られた係活動を欠席した方には別な日程でお願いしますが、再度欠席される場合もあります。「ずるい」と個人的感想を持つ役員もいますが、そういった方々に無理にでも参加してもらうための労力がもったいないので、基本的には放置しています。
そもそも、アンケートの不提出や係活動の不参加への「ずるい」という評価は、卒業までの6年間全体で下すべきです。ある年だけどうしても忙しくてアンケートを出せなかったり活動に参加できなかったりすることもあるでしょうから。そして卒業と同時に「結局一度もやってくれなかった」と分かっても、卒業してしまった人に文句を言っても仕方ないですからね。「ずるい」と考える人から見れば「逃げ得」ではありますが、仕方ない。
「何もやらない」人を減らすために、できなさそうなことは依頼しないことと、丁寧なお手紙を出し続けることを心掛けてはいます。しかし、それ以上に何かしようとすると、最終的にその方から提供していただく力より、その方に力を提供していただくために役員がかける労力の方が大きくなって本末転倒です。
この「得られる効果と必要とされる労力(含時間)とのバランス」の問題であるという事が他の保護者に理解していただければ、不満もそれほど大きくならないように感じています。
―では、努力はするものの、どうしても出てくる一定数の「何もやらない人」は許容すべきだというお考えですね。もう一つの解決策として「何もやらない人」は、そもそもPTAの活動に賛同していないのだろうから、負担応分のない非会員になってもらえばいいのではないか、という考え方もあります。いわゆる「任意入会」論ですが、これについてはどのような考えをお持ちでしょうか?
私の考えが、必ずしもその他の役員の考えと完全に一致しているかどうかは保証の限りではありませんが、「本校の保護者と教職員の会は、自治会ではなく管理組合であると考えているので、そもそも任意入会であるべきとは考えていない」というのが回答になります。
学校に対してそれぞれの家庭が均等に責任を持つ必要があり、それは団地やマンションで共有部分の管理のために管理組合があって未入会や脱会ができない(区分所有法で定められています)のと同様という考えです。
ですから入会時に「任意加入」の説明はしませんし、そこを説明しない以上、入会をお願いしたりはしませんが、「~をしてもらいます」という言葉遣いをせず、役員や係活動、会費についても「~をお願いしています」と言うように心がけています。
―なるほど。たしかにPTA創設を推進したGHQの1946年の資料でも、PTAの意義について「学校の管理に関し、父兄及びその他の市民が責任を有している。」と書かれています。PTAは任意団体とはいえ、実質的には全保護者が参加すべきものだ、というお考えですね。しかし、PTAはマンション管理組合のように法的な位置づけがありません。「未入会や脱会ができない」と言い切ることはできないのではありませんか?
法的な根拠がない事はご指摘の通りです。 なので、うちがそういう趣旨で活動している事を丁寧に説明して、ご理解いただくという事ですね。
実際にはそのような方にお会いしたことはないのですが、もし「退会したい」もしくは「入会したくない」という方が現れた場合は、おそらく個別対応になります。
まず、大前提として「退会(入会しない)なんてとんでもない」とは、思いません(少なくとも私は)。
その上で、何が原因で退会を希望されるのかをしっかりとお聞きして、それが組織としての問題点で改善するのが妥当である、と判断した場合は、必要な変更を行います。これで済むのであれば、「問題点を指摘してくださってありがとうございます」という気持ちです。
私は、きちんとお話しさえ聞いていただければ、現在の本校保護者と教職員の会の活動内容や目指しているものに賛同いただけない方はいらっしゃらないと思っています。
ただし、賛同できても家庭としてできることとできない事があって、できない事を強制される不安というのもまた理解します。
それらを、先入観なく、結論ありきでもなく、きちんとお話し合いをした結果として「もうそれは入っていただくのは困難ですね」となれば、退会や入会しないという選択肢を否定するものではありません。
―わかりました。たしかに「PTAは入会が当たり前」という言葉も、「PTAは任意が当たり前」という言葉も、どちらも話し合いを拒否しているという意味では似ていますね。では、その「きちんとお話し」の内容をうかがってもよろしいでしょうか。
保護者と教職員の会の活動は、もちろん全て子どもたちのためになる活動であると同時に、保護者同士が接点を持つきっかけとして大切なのです。
例えばベルマーク回収は時代遅れの象徴のように言われることもありますが、学校に集まってベルマークを会社ごとに仕分けたり点数計算する作業は、居合わせた他の保護者との雑談の場となり、知らない保護者と知り合えたり、学校の様子や他学年の状況を知ることができたり、という利点があります。
これを「強制」するから問題があるのであって、係を希望してくれた人で、かつ日程調整を行って参加できる日に参加していただくのであれば、ベルマークで得られる物品ではなく活動そのものが有意義であると考えています。
昨今、保護者は共働きも多く、繋がりが少なかったり偏っていたり希薄だったりします。
そのため、子ども同士がトラブルになった場合にやり取りが全て学校経由となりがちで(学校側も相手の名前を言わなかったりします)、解決に時間がかかったり後にしこりを残すことがあります。保護者と教職員の会などで保護者同士に接点があれば、そのような事態をある程度ふせぐことができます。
ですから、子どもが学校に通っていれば、自分の子どもの問題は他の子どもや家庭に影響を与える訳で、保護者と教職員の会に参加しなくても自分の子どもさえしっかり見ていれば良い、学校とだけ向き合っていれば良い、という事にはならないと考えています。
もちろん、そういう組織である以上、負荷が過重になることは当然許されません。
保護者間の関係強化は、学校での問題発生を未然に防止し、あるいは発生した問題に迅速かつ適切に対処できる方法だと考えますが、だからと言ってできない事を強制すると目的の達成を困難にします。
得られる効果と必要とされる労力(含時間)とのバランスをしっかりと見極め、わずかなメリットのために多大な労力をかけるのは避けなければならないでしょう。
このバランスは時代や地域によって変わるのでとても難しいのですが、難しいからやらなくて良い訳ではなく、子どもたちの健やかな成長と楽しく意義深い学校生活のためには、学校任せにせずに保護者もそれぞれができる範囲でやらなければならない事ではないでしょうか。
負荷が過重かどうかなどは、本来総会での議決で判断されるべきものだと思うのですが、総会の議案書に目を通さない方も多く、なかなか難しいなと思う今日この頃です。(「負荷の高い活動計画案が提案されたら、当然否決される」というのがあるべき姿だと思うのですが)
―なるほど。「全員入会」のためには「負担の軽減」をセットで推進しなければならないわけですね。では、実際にどの程度の「負担」なのかをおうかがいします。さきほど、役員以外の人は、毎年1~4時間程度の係活動をしてもらうという話がありました。では、役員の「負担」はどの程度のものでしょうか?
役員の具体的な負担は役職にもよるので一概には言えませんが、半分以上の役員は学校に来るのは年間で10日です。
これは総会と、3月と8月以外の毎月1回開催される役員会(約1時間)および役員会の後に開かれる部会や部の作業のためで、時と場合にもよりますが9時半頃から2~3時間程度です。 半休を取って参加し、「仕事なので途中で失礼します」と帰られる方もたくさんいます。
ちなみに9月は学校の引き渡し訓練と同日、4月の総会と2月は学習参観と同日なので、「他に用がないのにわざわざ学校に来る」のは年間7回ですね。
この役員会や部会等は、もちろん欠席可能です。 部の誰かが報告してくれれば役員会は行えますし、部会や作業はいる人でやるのが基本です。
事務局や書記は、お手紙の配布作業等があるのでもう少し学校に来ますが、それは事前に分かっている事なので無理な方がこの役職に就くことはほぼありませんし、こちらも結局は来られる人で作業するので、欠席できない訳ではありません。
過去には、役員さん同士の話し合いの結果「役員会と部会は全欠席。その代わり自宅でできる部のパソコン作業を一手に引き受けてメールでやり取り」という役員さんもいました。
―たしか「役員の負担が少ないから、役員の立候補が定員の2倍ある」とおっしゃられていたと思います。役員の選出方法についてもおうかがいしてよろしいでしょうか?
会員の皆さんには「お子様1人につき6年間で1回の役員」をお願いしています。しかし決まりではないので、実際のところ、6年間で1回も役員をせずに卒業される方が学年の人数にもよりますが4~5割ほどいます。
これを個人的に「ずるい」と思う人はいるでしょうが、組織としては「ずるい」とは考えません。役員には定員がある以上「仕方ない」事です。役員の定員を増やせば素晴らしい活動ができるかと言えば、必ずしもそうではないですし、ある年になり手が集中した結果、別な年に人材不足になるのも組織の継続性にとってはデメリットなので、立候補者が余るくらいのほうがよいと考えています。
ちなみに、会員世帯250に対して、役員数は28名とほぼ1割です。そして、役員決めにあたっては、立候補する人が全体の2割、免除を申請する人が全体の4割、残りの4割が立候補はしないけど免除も申請しない人(くじ引きで当たればやる)という感じです。現在のところ、立候補者が多いのでくじ引きになることはほとんどありません。
なお、免除申請者の9割は役員経験者です。「すでに役員を経験したから」以外の理由(会則内の規定で定められている兄弟姉妹が特別支援学級に在籍、妊娠中、出産後1年以内、など)で免除を申請する人は毎年一桁しかいません(この方々はほぼそのまま免除になります)。
―なるほどですね。「6年間一度も役員をしなくてすむ人が4~5割いる」なおかつ「役員になってもその負担は比較的少ない」から、SさんのPTAには不満が少なく、うまく回っているということでよろしいでしょうか?
何事にも例外はあるので、あまり断言したくはないのですが、その認識でほぼ間違いないかと思います。
私が活動をする際に気をつけているのは「割ける労力や時間には個人差がある」という事です。役員と言っても、その量を超えて何かをお願いするような権利はありません。
ただ逆に言えば、「相手にとって問題なく割ける程度の労力と時間で、かつ相手の都合とのすり合わせをきちんとすれば、ほとんどの事はやっていただける」とも思っています。これを丁寧にやる事こそ、今苦心してマニュアル化しようとしている部分です。
ですから、会員の皆さんに「それくらいならやってもいいかな」と思えるところまで役員の負担を減らすようにしていますし、だからこそ立候補もたくさん出る。
―ネットで目にする意見の中には、「役員はうまく回っていると考えているが、現場では不満の声ばかり」というものがあります。あえておうかがいしますが、一般会員と役員との間の意識の乖離はないでしょうか?
「役員との間の意識の乖離」というのは私も常に気にしていますし、私自身は様々な場面に顔を出してできるだけたくさんの一般の保護者の方とお話しするように心がけています。保護者と教職員の会のメールアドレスもあるので、毎回おたよりの最後に載せてご意見を寄せてもらうようにもしています。
また、メールで寄せられたり役員が見聞きしたりした、ほんの少しの疑問や意見でも、役員会の「保護者の声」コーナー(あるんです、そういうコーナーが)で報告してもらって役員全体で確認するようにもしています。もちろんどうしても必要な場合を除いて、お名前は出ません。
ちなみにうちの会については入学説明会で新入生の保護者にご説明していますが、口頭での説明は最小限にとどめ、活動内容やQ&Aをまとめた6ページのパンフレットを配布して読んでいただいています。同時に、会則や前年度の総会議案書も配布します。「どんな会か分からない」という不安を和らげると同時に、「後ろめたいことは何もない」「全てが明確になっている」事を知ってもらうためです。
―少し話はそれますが、PTAのコンプライアンス(法律順守)についてはいかがでしょうか。個人情報保護や学校との間の公私混同などはありませんか?
うちは会員の住所や電話番号を情報として持っていません。また、基本的にお手紙と人づての情報交換で何とかなっているので、現時点では必要だとも思っていません。もちろん学校に確認することもありません。
また、学校の費用と同時に会費が引き落とされる事に忌避感を抱く方がいらっしゃるようですが、うちは封筒を配布して子ども→担任を通じての手集金です。
会計は保護者が全て担っており、学校側(教頭先生とか)が勝手に支出することはあり得ませんし、また予算に「学校が自由に使える費目」のようなものもありません。(ただし、学校からの依頼があり、役員会で支出に賛同が得られれば、支出することもあります)
会費は支出項目の多くが子ども単位という事もあり、子ども1名につき年額2,000円です。
―よくわかりました。SさんのPTAは、私の所属するPTAと共通点が多いので、親しみを感じます。ところで、それでも私は「入会の強制」はよくないのではないかと考えていますが、いかがでしょうか?
活動が衰退しないのであれば、自動入会より任意入会のほうが理想的だとは思います。
ですが、私の場合は前述の通り「保護者のつながり」が大切なのであり、漏れる人がいては意味がないと考えます。
つまり、任意入会で加入率100%が目指すところなのですが、現実的に、それはほぼあり得ないと思います。
となると、次善の策として「管理組合」が最も良いと考える次第です。
理想論としては「任意入会」はありです。ただ、 全国展開を考えると、管理組合方式が地域性(同じことをしてもあるPTAではうまくいくが、別のPTAではうまくいかない)等に左右されなくて良いと思いますが。
もちろん、法的な根拠がないので、現状では「管理組合」といっても反発する方が多いでしょう。
あくまで個人的な意見ですが、前述の通り「過度の負担を強制されない」前提で、保護者会(PTA)は保護者(と教職員)による学校管理組合として、法整備されても良いと思います。
もちろん過度の負担防止のための条文整備や、会計(報告)の方法の明文化なども、同時に当然行われるべきです。
もし、本当に管理組合的な法律が整備されれば「退会」という選択肢そのものがなくなりますので、「任意かどうか」や「入会の強制」の問題は消滅します。
―私も何度かその案について考えてみました。正直なところ、法律で管理されるのはあまりいい気分ではありませんが、親が子どもに教育を受けさせる「義務」の一環として、最低限の学校の管理への参加はあってもよいと思います。あくまでも最低限ですが。
話は変わりますが、PTAへの参加意識も高く、積極的に役員をやろうとする人同士であっても、意見が対立して物別れになることが多いように感じています。特に、任意入退会の周知や退会規定の整備については、それぞれの思いが異なるでしょう。SさんのPTAで、そのような対立はなかったのでしょうか? Sさんの意見に反対する方などはいませんでしたか?
すでに述べたように、私には当初「こうしたい」あるいは「こうすべき」という意見は全く何もありませんでした。それがあるように見えるのであれば、この3年間で役員さんを含めた本校保護者や教職員との関わりの中で構築されていったものです。
私の意見が否定された事は、記憶にある限りでは「広報誌は内容が古くなりがちなので、A4裏表程度で良いので毎月発行にできないか?」くらいだと思います。それも思いつきで言っただけで、そこまで強く「そうあるべきだ」と思っていたわけではなく、他の役員さん達が今のかたちが良いと思うならそれでよい、という感じです。
また、私が「それは別にそのままでもいいのでは?」と思ったことが、「負担だから」という理由でなくなった事もありました。それも「あっても良い」程度の感覚だったので、役員の負担が軽くなるのであればなくなったのが「残念」とも思いません。
役員を含む幅広い保護者とのコミュニケーションがきちんと取れていれば、「他の人は嫌がるのに自分はやりたい」と思う事なんてほとんどないと思います。だって「知り合いのあの人が困る顔は見たくない」って思うじゃないですか。
なので、私が「どうしてもやりたい」と思うことがあるとすれば、ほとんどの場合、他の人も少なからず賛同できるような内容なのではないかと。
―ありがとうございます。非常に興味深いインタビューになったと感じています。Sさんの考えるPTAの意義や目的について教えてください。
全保護者と教職員、また学校と家庭との連携の促進。それから子供たちや学校、保護者のための活動ですね。
PTAの成り立ちはさておき、昨今の親同士がろくに知り合いにならない、思ったことを言わない状況においては、子どものための直接的行動(ボランティア活動)よりは、親同士をどう繋ぎ(別に友達になれということではありません)、それによって子どもにとっての良い環境を構築するかの方がよほど重要だと思っています。
家庭と学校だけで全てが完結するなんて事はあり得ません。子どもが学校に通う以上、子ども同士の関わりがあり、子ども同士が関わる以上は家同士も間接的に関わることになります。その時に、相手の保護者の顔を知っているか、どんな人かを知っているか、話をしたことがあるか、はとても重要です。
そして、その子の事を知っている人がたくさんいる、いつもどこかで誰かが見ていてくれる、という安心感は、親にも子どもにも良い影響を与えるはずです。
―各学校のPTAの実態については、記事になりやすい事例ばかりでなく、さまざまなかたちで光が当てられることが大切だと感じています。最後に、PTAで悩んでいる方に向けてのメッセージが何かあれば、お願いします。
学校が違えば様々なことが違います。詳細に調査したわけではありませんが組織のあり方から保護者の関わり方、学校や地域との関係まで全国津々浦々千差万別だと感じているので、一般論として何かを語るのはとても難しいことだと思います。
ですから多種多様な方々に共通に届くメッセージというのは実に難しく、すぐには思いつきませんし一言では言い表せません。
1つ思いついたのは、総会についてです。
多くの場合、「総会は執行部の思いのまま」という印象があると思います。総会で何を言っても仕方ない、という印象を持っている人も多いでしょう。
「みんな不満である」「みんな苦しんでいる」とよく聞きますが、私が不思議に思うのはその不満や苦しみが総会に向かないことです。
一致団結して総会に出て、活動報告などに反対してみてはいかがでしょうか。質問などしなくても良いのです。採決の時に手を挙げない、拍手をしない、ただそれだけで良いのです。
数人では不安でも、その人数が多くなればなるほど、よく言われる「仕返し」を恐れる必要もなくなります。
本当に「みんな」が不満だったり苦しんでいたりするのであれば、できるはずです。先入観なく、結論ありきでなく、相手の意見をすぐには否定せず、落ち着いて話をすることができれば、きっと賛同者は集まります。
そして、もしあなたが役員側であれば、保護者会(PTA)の改革の第一歩は、「総会資料の事前配布(見てから委任するかを決められる)」、「議長以外の任意の人への委任を可能にする」辺りから始めてみてはいかがでしょうか。当日の参加者が減る事を心配される方もいらっしゃるようですが、委任状さえきちんと出してもらえれば総会は成立しますから、出席者の人数はあまり気にする必要はないと思います。
最後に、遠くの他人より近くの他人。ネットの情報に重きを置きすぎず、近くのリアルな保護者ときちんと向き合うことをおすすめします。
きちんと向き合った中での保護者会(PTA)活動なのであれば、それがたとえ他と違っていてもきっと良い活動のはずです。
どうしても近くに相談者がいなくて、何か相談したい、意見を聞きたい事があれば、ツイッターID:@hikosまで、遠慮なく声をおかけ下さいませ。時間が許す範囲でお答えいたします。
PTAと言うと何かこう「あるべき正しい姿」があって、全国津々浦々どこでもそうあるべき、という印象を受ける人が多いように感じますが、地域性、共働き率や役員の男女比といった保護者の構成率、学校規模、歴史など、組織のあり方に影響を与える要素が多く、「同じあり方」で通用するとはとても思えないのです。メディアでとりあげられるPTA像は自分の知っているものと違うことが多すぎです。
―そうですね。メディア報道はどうしても特別な事例をとりあげるか、あるいは最大公約数的な一般論になりがちで、そこは私もいつも気になっています。しかし、一般論でも、PTAの意義や理念を知ることには意味があるのではないですか?
歴史や参考意見という意味では一般論としての「PTAの意義や理念」にも意味があると思いますが、それが現実の組織としてのPTA(単P)にどの程度影響を及ぼすかと言えば、はっきり言ってあまり大きくないのではないでしょうか。個々のPTAの意義や理念は、正直に申し上げると千差万別でも良いのではないかと考えています。
―細かいところではそうでしょうが、学校自体は法律に基づいてある程度、均質につくられていますし、PTAにも共通するものはたくさんあると思います。地域のローカルルールで苦しむ人が出ないように、スタンダードや他の地域の事例を知るという意味で、新聞・書籍をはじめとするメディア報道にも一定の意味があると思います。
私は会長1年目にPTA本を3冊読みましたが、私が知りたいことが書かれていないと感じました。私が知りたかったのは、「普通の会長としての立ち回り方」であり、「会を運営するために必要なことは何か」という事だったのです。ですからおそらく、本に問題があると言うよりは、私が本の選択を間違えた、と言う方が正しいです。
PTAのあるべき姿は1つではないと思いますし、成り立ちから時間も経って存在意義が変わっていても不思議ではないし、またそれは必ずしも悪いことではないと思います。
保護者が受け容れられる負担で、保護者や教職員の賛同を得られる活動をし、最終的に子どもたちの利益になる。そのためにどのように保護者同士が話し合い、理解し合い、誰かを置き去りにせず、手を携えて子どもたちを守り育むのか。役員という立場で、会長という立場で、また一般保護者として、それをどう担って受け継いでいくべきなのか。私が読みたかったのは、きっとそんな本だったのだと思います。
―よくわかりました。では、SさんのPTAの話をおうかがいします。特徴としては、学校自体が3年前に統合によってできた新しい小学校で、Sさんは初代会長として今年で4年目を迎えるとのことですね。それから、正式名称はPTAではなく、「保護者と教職員の会」だとか。PTA(Parents Teacher Association)は「保護者と教職員で構成された団体は規模や活動内容に拠らず一般的にPTAと呼ばれる」という意味で一般名詞だと考えられがちですが、日本PTA全国協議会などに見られるように、特定の団体にひもづいた固有名詞だと感じる人も多いようです。Sさんの組織の名称がPTAでないのは、やはり市P連に加入していないこと関係するのでしょうか?
私の住んでいる地区は埋め立て地にできた町で、町自体が比較的新しいのです。この埋め立て地全体で約30校の小中学校がありますが、市P連に加盟しているのは3校だけです。統合前にうちの子が通っていた小学校は「保護者会」でしたし、統合した隣の小学校は「保護者と教職員の会」でした。統合後は「保護者と教職員の会」になりました。
―町自体が70年代以降にできた新しい地域というのはとても興味深いです。たとえば、地域コミュニティ関連でしばしばメディアにとりあげられる千葉県習志野市の秋津小学校も1980年開校の新しい学校です。秋津コミュニティ顧問の岸裕司さんは、新住民として学校の開校に立会い、PTAに参加して、会長を務めて、地域の顏になっていったようなところがあります。組織が新しいゆえのやりやすさがあったのではないでしょうか。ちなみに、統合後の新しいPTAとして、P連に参加するかどうかをあらためて検討したりはしなかったのですか?
統合後にP連に加盟するかどうかは、全く議論しませんでした。どちらの小学校も加盟していなかった以上、どちらのやり方を引き継いでも加盟するという発想がなかったからです。
とは言え、P連から何十周年かの冊子やPTA新聞のようなものが保護者と教職員の会宛に送られてきた事もあって、一応目を通した上で、ネットで情報を収集し、個人的に加盟の是非を検討したことはあります。しかし、負担に対する見返りが少ないと判断したので、他の役員にそのことを話したりはしませんでした。
うちの地区はもともと中学校区の青少年育成委員会という組織の理事会が毎月開催されており、小中学校の校長、保護者会会長、地域団体の代表、地域自治会の代表が集うので、それで地域のほとんどの情報交換ができるほか、中学校区に存在する中学校と小学校の保護者会による連絡会が年2回開催されており、主にP連に加盟することで得られるだろう情報は既に得られているんです。
それに加えて加盟すれば何が得られるの? となると、例えば講演会は参加するメリットより開催のためのお手伝いの負担が大きく、ネットで情報を収集したり意見を交換したりも可能なので、残念ながら利益と負担とのバランスが悪いと判断して加盟は見送りました。
―よくわかりました。では、話は少し戻りますが、そもそもSさんが新しいPTAの会長になられたきっかけを教えてください。
もともと統合前の小学校保護者会で役員をしていました。 第1子が1年生の時に「他にいなければやっても良い」に丸をしたら、役員をしていたお母さんから電話がかかってきて、役員を引き受けることになったからです。 資源回収とベルマークが担当の部の部長でした。
次の年から隣の小学校と統合する事になっていたので、隣の小学校の役員さんと新しい保護者会(PTA)でのやり方について打ち合わせを重ねたのですが、次第に「これを次の人に丸投げするのは無責任なのでは」と思うようになり、次年度も役員に立候補。
ところが、役職決めで男性1名だった事や、元々物怖じせず話すタイプで全員ほぼ初対面の役職決めでもよく話していた事もあって「会長やりませんか?」と他の役員さんに言われて、断りきれませんでした。
なので、なりたくてなったわけではなく、ただの不可抗力です。まさか何年もやる事になるなんて、当時は全く想像もできませんでした。
―というわりには、PTAについて一家言お持ちのように見えますし、ツイッター上では、いろいろな意見をはっきり言ってくださる「改革派」の熱心な会長に見えます。
意見は基本的にはっきり言いますが、きちんと相手の意向をくみ取りながら、ですよ? 自分が思った事は絶対に口にする、という事ではないです。それに、ネット上では「伝わらなさそうな人に伝える努力」はほぼ徒労だと思っているので、はっきり言っても話が伝わりそうな人にしか、はっきりは言いません。
その辺の取捨選択というか駆け引きというか、そういうものは高校合唱部、大学合唱団、社会人合唱団でのべ10年ほど指揮者をしていた経験が生きていると思います。
保護者の間では統合後に私がいろいろと改革をした事になっているようですが、そんなことはありません。私はある程度旗を振りましたが、中盤以降はむしろ他の役員さんの方がノリノリで、私は意見の整理と、整理した意見をまとめた資料の作成に忙殺されていた記憶しかないです。
正直に言えば、メディアにとりあげられるような「会長発の改革」には興味がなかったですし、今でもありません。そもそも、私自身が「特定個人の熱い思い(だけ)で組織全体が変わるのは、必ずしも健全ではない」と思っています。
会長就任が決まった後に、PTA役員を経験したことがある仕事関係の知人との会話で「あー、熱い会長っているよねー。(3秒くらいの間)うざいよねー」と言われたのも鮮烈に印象に残っていました。
また、小学校から高校までPTAに関わっていた母に助言を求めた時に「会長さんは口を出しすぎない。お手紙の文案でここがちょっとと思っても、大きな問題がないならそのままで。そうでないと他の人のやる気が失われるし、じゃあ会長さんがやって下さいよ、になるから」と言われたのもあります。
―なるほど。わかりやすさを優先して、特定のヒーローやストーリーをつくりがちな、メディア報道に対する辛辣なご意見と受け止めます。では「会長発」ではない、SさんのPTAの「改革」はどのようなものだったか教えてください。
会長になった当初、私には特に保護者と教職員の会の理想像に対する強い思いはありませんでした。
ただ、効率が悪いと思われるところはありましたし、統合初年度ということで「何でも確認する(全てが新規事業)」という雰囲気もありましたから、「それでいいと思う」「それ、前から思っていたけど不要じゃない?」といった意見がどんどん出ているうちに、本校での保護者と教職員の会のあるべき姿が見えてきた、というのが正直なところです。
私は確かに「会則を変えない?」という問題提起はしました。私にとって、変える手続きが明確であるものは、賛同さえ得られれば変えても良いものだという認識でしたので、会則を変えるということに特に躊躇する理由はなかったからです。
ですが、私は100のうち10くらい変えれば良いと思っていたんです。不明確なところを明確にする、明らかにやりにくいところは変える、くらいの意識です。
ところが「面倒な部分は会長が引き受けてくれる」という安心感なのでしょうか、役員さんから私が思っていた以上にどんどん変えたいところが出てきて、それは組織のあり方そのものに関わる部分にも及びました。
結果的に、私が思っていたよりはるかに大きな改定になりましたが、それはそれで役員さん達の自主性の結果なので、良かったと思っています。
―「面倒な部分は会長が引き受けてくれる」とは、どのようなことでしょうか?
私自身は、保護者と教職員の会のあり方について強い意向を示しませんでしたが、役員の一定数がやりたいと思う(そして反対が少ない)ことは強力に推進しました。たとえば、「口頭説明」に信頼を置いていなかったので、初年度には自分が発起人でなくても何でも私が説明資料を作りました。
また、学校や保護者に対する説明責任を積極的に果たしました。私の、物怖じせず話す力が、保護者向け説明会や総会の時に役に立っていたと思います。
私としては、役員さんの「会長さんがあれこれやってくれるなら、どんどん言ってしまえ」という雰囲気を後押ししていたら、いつのまにか今のような「改革」のかたちに行き着いたと思っています。
―非常に、興味深いですね。では、具体的にどのような「改革」があったのかについて教えてください。
たいしたことはしていないです。そもそも、まったく新しい組織でもなく、統合前に存在した2つの保護者会のやり方をひきついでいる部分も多いのです。ただし、隣の学校でもやり方は結構違うので、まず統合前の役員さん同士で統合校でのやり方について話し合いをしました。
そのとき、隣の小学校には、力強く自校の方式を推薦する会長がいて、こちらは自校の方式をあまり強く押し出さずに統合後の良い方法を探る会長だったので、結果的に多くの部分で後者が押し切られた形になりました。
具体的に言えば、隣の小学校は保護者会の仕事を「基本的に役員がすべて担う(必要な時だけ個別にお手伝いを募る)」方式でしたが、こちらは「役員だけでなく、役員以外の保護者にも仕事を分担」する方式でした。
そして、「改革」と言われるものの多くは、統合時に隣の小学校のやり方に多くを揃えていた部分を、うちの子が通っていた小学校の「役員の負担は少なく、その代わり役員以外の保護者に少しずつ作業を負担してもらうことで、少しでも学校や保護者会と関わり合いを持ってもらいたい」というやり方に戻したものです。
隣の学校出身の保護者にとっては未知のものを導入する事になるので説明責任はしっかり果たしました。ただ、私自身が新しい発想で何かをしたという事はほとんどありません。
―そこは重要なところだと思います。私はPTAは大きく2つに分けられると考えていて、一つは「役員が仕事を担う」、もう一つは「全員で仕事を分担」です。よく言われる「役員決めの憂鬱」は役員負担が過大な前者のPTAに特徴的なもので、後者ではそれほどでもありません。しかし「役員決め」という言葉でごちゃまぜに扱われているために、お互いに話が通じていないところがあるような気がします。また、前者ではたまたま役員になってしまった方だけがPTAについて意識的になりますが、後者では、毎年全員にPTAへの参加が強制されるためにPTAに対する会員の意識がいい意味でも悪い意味でも強くなりがちです。私は、退会の自由があったうえで「全員で仕事を薄く広く分担」するPTAのほうが健全ではないかと考えています。
おっしゃるとおりだと思います。
うちは会員世帯数が約250、役員数が28です。28人の役員がそれぞれ100の力を出しても集まる力は2800ですが、これは役員以外の全世帯が13ずつ割いた力の合計とほぼ同等です。
現実問題として、役員が100の力を割くのは困難です。また、役員になるとそれだけの事を求められるとなれば、役員のなり手もいなくなります。
保護者会がどんな活動ができるかは、いかに無理なく多くの力を集められるかにかかっています。役員にそれを求めれば負担がとても大きくなりますが、全世帯からの協力が得られれば会員も一般保護者も無理なく、それでいて役員だけでは担えないほどの力が集まります。
ですから、「全員に仕事を割り振る」方式のほうが、「役員が仕事を負担する」方式よりもベターであると思うのです。
役員になりさえしなければ「役員が仕事を負担する」方が楽なんですけど、いつ自分が役員になるかと戦々恐々とするのは、健全ではないですよね。
―しかし「全員に仕事を分担してもらう」方式であると、どうしても一定数の「何もやらない」人が、目に見えるかたちであぶりだされてきてしまいます。「役員が仕事を担う」方式だと、そのような人は(くじびきや欠席選出など相当の強制がない限り)そもそも役員に選ばれないので、問題は表面化しません。「全員に仕事を割り振る」と「仕事をやらない」人が可視化されてしまうので「不公平だ」などの声があがりがちではないでしょうか?
まず、うちのやり方を説明します。保護者と教職員の会全体としての仕事は割と少ないと思います。
特徴をあげるならば、大きなところでは、バザーがありません。また、「○○講座」的なもの(プリザーブドフラワー作りとか)もありません。PTA連盟に加盟していないこともあって、講演会などもありません。「主催行事」と呼べるものは、夏休み最後の3日間に行っているラジオ体操と給食試食会くらいでしょうか。
役員の仕事は広報紙の作成を除くと、ほとんどが係活動(役員以外の世帯に割当)の統括作業です。係の方へお手紙を出したり、希望日時アンケートを取って係を割り振ったり、係の方が使用するものを準備したり、といった作業になります。
係活動はラジオ体操、ベルマーク仕分け、資源回収の掲示、放課後子ども教室のお手伝い、交通安全指導(4月と9月の朝3日間)、運動会(駐輪場整理と場内パトロール)等です。これを役員以外の保護者で分担して行ってもらっています。
係活動は1年間で1~4時間程度のお手伝いをお願いしているのですが、事前にアンケートを採って、やりたい係を選んでもらいます。必ずしも第1希望の係になれるとは限りませんが、多くの場合は第2希望までに収まります。
おっしゃるように希望係のアンケートを返してくれない方もいます。そのような方には児童を通じて、丁寧なお手紙をお送りします。それでも出してくれない方が全体の5%くらいいます。
希望係のアンケートを出していただけない方は「どれでも良い」と理解して割り振りますが、実際にはそういう方は係活動を割り振っても無断欠席される事がそれなりにあります。ですから、なるべく1人2人いなくても問題のない係に割り振ります。
割り振られた係活動を欠席した方には別な日程でお願いしますが、再度欠席される場合もあります。「ずるい」と個人的感想を持つ役員もいますが、そういった方々に無理にでも参加してもらうための労力がもったいないので、基本的には放置しています。
そもそも、アンケートの不提出や係活動の不参加への「ずるい」という評価は、卒業までの6年間全体で下すべきです。ある年だけどうしても忙しくてアンケートを出せなかったり活動に参加できなかったりすることもあるでしょうから。そして卒業と同時に「結局一度もやってくれなかった」と分かっても、卒業してしまった人に文句を言っても仕方ないですからね。「ずるい」と考える人から見れば「逃げ得」ではありますが、仕方ない。
「何もやらない」人を減らすために、できなさそうなことは依頼しないことと、丁寧なお手紙を出し続けることを心掛けてはいます。しかし、それ以上に何かしようとすると、最終的にその方から提供していただく力より、その方に力を提供していただくために役員がかける労力の方が大きくなって本末転倒です。
この「得られる効果と必要とされる労力(含時間)とのバランス」の問題であるという事が他の保護者に理解していただければ、不満もそれほど大きくならないように感じています。
―では、努力はするものの、どうしても出てくる一定数の「何もやらない人」は許容すべきだというお考えですね。もう一つの解決策として「何もやらない人」は、そもそもPTAの活動に賛同していないのだろうから、負担応分のない非会員になってもらえばいいのではないか、という考え方もあります。いわゆる「任意入会」論ですが、これについてはどのような考えをお持ちでしょうか?
私の考えが、必ずしもその他の役員の考えと完全に一致しているかどうかは保証の限りではありませんが、「本校の保護者と教職員の会は、自治会ではなく管理組合であると考えているので、そもそも任意入会であるべきとは考えていない」というのが回答になります。
学校に対してそれぞれの家庭が均等に責任を持つ必要があり、それは団地やマンションで共有部分の管理のために管理組合があって未入会や脱会ができない(区分所有法で定められています)のと同様という考えです。
ですから入会時に「任意加入」の説明はしませんし、そこを説明しない以上、入会をお願いしたりはしませんが、「~をしてもらいます」という言葉遣いをせず、役員や係活動、会費についても「~をお願いしています」と言うように心がけています。
―なるほど。たしかにPTA創設を推進したGHQの1946年の資料でも、PTAの意義について「学校の管理に関し、父兄及びその他の市民が責任を有している。」と書かれています。PTAは任意団体とはいえ、実質的には全保護者が参加すべきものだ、というお考えですね。しかし、PTAはマンション管理組合のように法的な位置づけがありません。「未入会や脱会ができない」と言い切ることはできないのではありませんか?
法的な根拠がない事はご指摘の通りです。 なので、うちがそういう趣旨で活動している事を丁寧に説明して、ご理解いただくという事ですね。
実際にはそのような方にお会いしたことはないのですが、もし「退会したい」もしくは「入会したくない」という方が現れた場合は、おそらく個別対応になります。
まず、大前提として「退会(入会しない)なんてとんでもない」とは、思いません(少なくとも私は)。
その上で、何が原因で退会を希望されるのかをしっかりとお聞きして、それが組織としての問題点で改善するのが妥当である、と判断した場合は、必要な変更を行います。これで済むのであれば、「問題点を指摘してくださってありがとうございます」という気持ちです。
私は、きちんとお話しさえ聞いていただければ、現在の本校保護者と教職員の会の活動内容や目指しているものに賛同いただけない方はいらっしゃらないと思っています。
ただし、賛同できても家庭としてできることとできない事があって、できない事を強制される不安というのもまた理解します。
それらを、先入観なく、結論ありきでもなく、きちんとお話し合いをした結果として「もうそれは入っていただくのは困難ですね」となれば、退会や入会しないという選択肢を否定するものではありません。
―わかりました。たしかに「PTAは入会が当たり前」という言葉も、「PTAは任意が当たり前」という言葉も、どちらも話し合いを拒否しているという意味では似ていますね。では、その「きちんとお話し」の内容をうかがってもよろしいでしょうか。
保護者と教職員の会の活動は、もちろん全て子どもたちのためになる活動であると同時に、保護者同士が接点を持つきっかけとして大切なのです。
例えばベルマーク回収は時代遅れの象徴のように言われることもありますが、学校に集まってベルマークを会社ごとに仕分けたり点数計算する作業は、居合わせた他の保護者との雑談の場となり、知らない保護者と知り合えたり、学校の様子や他学年の状況を知ることができたり、という利点があります。
これを「強制」するから問題があるのであって、係を希望してくれた人で、かつ日程調整を行って参加できる日に参加していただくのであれば、ベルマークで得られる物品ではなく活動そのものが有意義であると考えています。
昨今、保護者は共働きも多く、繋がりが少なかったり偏っていたり希薄だったりします。
そのため、子ども同士がトラブルになった場合にやり取りが全て学校経由となりがちで(学校側も相手の名前を言わなかったりします)、解決に時間がかかったり後にしこりを残すことがあります。保護者と教職員の会などで保護者同士に接点があれば、そのような事態をある程度ふせぐことができます。
ですから、子どもが学校に通っていれば、自分の子どもの問題は他の子どもや家庭に影響を与える訳で、保護者と教職員の会に参加しなくても自分の子どもさえしっかり見ていれば良い、学校とだけ向き合っていれば良い、という事にはならないと考えています。
もちろん、そういう組織である以上、負荷が過重になることは当然許されません。
保護者間の関係強化は、学校での問題発生を未然に防止し、あるいは発生した問題に迅速かつ適切に対処できる方法だと考えますが、だからと言ってできない事を強制すると目的の達成を困難にします。
得られる効果と必要とされる労力(含時間)とのバランスをしっかりと見極め、わずかなメリットのために多大な労力をかけるのは避けなければならないでしょう。
このバランスは時代や地域によって変わるのでとても難しいのですが、難しいからやらなくて良い訳ではなく、子どもたちの健やかな成長と楽しく意義深い学校生活のためには、学校任せにせずに保護者もそれぞれができる範囲でやらなければならない事ではないでしょうか。
負荷が過重かどうかなどは、本来総会での議決で判断されるべきものだと思うのですが、総会の議案書に目を通さない方も多く、なかなか難しいなと思う今日この頃です。(「負荷の高い活動計画案が提案されたら、当然否決される」というのがあるべき姿だと思うのですが)
―なるほど。「全員入会」のためには「負担の軽減」をセットで推進しなければならないわけですね。では、実際にどの程度の「負担」なのかをおうかがいします。さきほど、役員以外の人は、毎年1~4時間程度の係活動をしてもらうという話がありました。では、役員の「負担」はどの程度のものでしょうか?
役員の具体的な負担は役職にもよるので一概には言えませんが、半分以上の役員は学校に来るのは年間で10日です。
これは総会と、3月と8月以外の毎月1回開催される役員会(約1時間)および役員会の後に開かれる部会や部の作業のためで、時と場合にもよりますが9時半頃から2~3時間程度です。 半休を取って参加し、「仕事なので途中で失礼します」と帰られる方もたくさんいます。
ちなみに9月は学校の引き渡し訓練と同日、4月の総会と2月は学習参観と同日なので、「他に用がないのにわざわざ学校に来る」のは年間7回ですね。
この役員会や部会等は、もちろん欠席可能です。 部の誰かが報告してくれれば役員会は行えますし、部会や作業はいる人でやるのが基本です。
事務局や書記は、お手紙の配布作業等があるのでもう少し学校に来ますが、それは事前に分かっている事なので無理な方がこの役職に就くことはほぼありませんし、こちらも結局は来られる人で作業するので、欠席できない訳ではありません。
過去には、役員さん同士の話し合いの結果「役員会と部会は全欠席。その代わり自宅でできる部のパソコン作業を一手に引き受けてメールでやり取り」という役員さんもいました。
―たしか「役員の負担が少ないから、役員の立候補が定員の2倍ある」とおっしゃられていたと思います。役員の選出方法についてもおうかがいしてよろしいでしょうか?
会員の皆さんには「お子様1人につき6年間で1回の役員」をお願いしています。しかし決まりではないので、実際のところ、6年間で1回も役員をせずに卒業される方が学年の人数にもよりますが4~5割ほどいます。
これを個人的に「ずるい」と思う人はいるでしょうが、組織としては「ずるい」とは考えません。役員には定員がある以上「仕方ない」事です。役員の定員を増やせば素晴らしい活動ができるかと言えば、必ずしもそうではないですし、ある年になり手が集中した結果、別な年に人材不足になるのも組織の継続性にとってはデメリットなので、立候補者が余るくらいのほうがよいと考えています。
ちなみに、会員世帯250に対して、役員数は28名とほぼ1割です。そして、役員決めにあたっては、立候補する人が全体の2割、免除を申請する人が全体の4割、残りの4割が立候補はしないけど免除も申請しない人(くじ引きで当たればやる)という感じです。現在のところ、立候補者が多いのでくじ引きになることはほとんどありません。
なお、免除申請者の9割は役員経験者です。「すでに役員を経験したから」以外の理由(会則内の規定で定められている兄弟姉妹が特別支援学級に在籍、妊娠中、出産後1年以内、など)で免除を申請する人は毎年一桁しかいません(この方々はほぼそのまま免除になります)。
―なるほどですね。「6年間一度も役員をしなくてすむ人が4~5割いる」なおかつ「役員になってもその負担は比較的少ない」から、SさんのPTAには不満が少なく、うまく回っているということでよろしいでしょうか?
何事にも例外はあるので、あまり断言したくはないのですが、その認識でほぼ間違いないかと思います。
私が活動をする際に気をつけているのは「割ける労力や時間には個人差がある」という事です。役員と言っても、その量を超えて何かをお願いするような権利はありません。
ただ逆に言えば、「相手にとって問題なく割ける程度の労力と時間で、かつ相手の都合とのすり合わせをきちんとすれば、ほとんどの事はやっていただける」とも思っています。これを丁寧にやる事こそ、今苦心してマニュアル化しようとしている部分です。
ですから、会員の皆さんに「それくらいならやってもいいかな」と思えるところまで役員の負担を減らすようにしていますし、だからこそ立候補もたくさん出る。
―ネットで目にする意見の中には、「役員はうまく回っていると考えているが、現場では不満の声ばかり」というものがあります。あえておうかがいしますが、一般会員と役員との間の意識の乖離はないでしょうか?
「役員との間の意識の乖離」というのは私も常に気にしていますし、私自身は様々な場面に顔を出してできるだけたくさんの一般の保護者の方とお話しするように心がけています。保護者と教職員の会のメールアドレスもあるので、毎回おたよりの最後に載せてご意見を寄せてもらうようにもしています。
また、メールで寄せられたり役員が見聞きしたりした、ほんの少しの疑問や意見でも、役員会の「保護者の声」コーナー(あるんです、そういうコーナーが)で報告してもらって役員全体で確認するようにもしています。もちろんどうしても必要な場合を除いて、お名前は出ません。
ちなみにうちの会については入学説明会で新入生の保護者にご説明していますが、口頭での説明は最小限にとどめ、活動内容やQ&Aをまとめた6ページのパンフレットを配布して読んでいただいています。同時に、会則や前年度の総会議案書も配布します。「どんな会か分からない」という不安を和らげると同時に、「後ろめたいことは何もない」「全てが明確になっている」事を知ってもらうためです。
―少し話はそれますが、PTAのコンプライアンス(法律順守)についてはいかがでしょうか。個人情報保護や学校との間の公私混同などはありませんか?
うちは会員の住所や電話番号を情報として持っていません。また、基本的にお手紙と人づての情報交換で何とかなっているので、現時点では必要だとも思っていません。もちろん学校に確認することもありません。
また、学校の費用と同時に会費が引き落とされる事に忌避感を抱く方がいらっしゃるようですが、うちは封筒を配布して子ども→担任を通じての手集金です。
会計は保護者が全て担っており、学校側(教頭先生とか)が勝手に支出することはあり得ませんし、また予算に「学校が自由に使える費目」のようなものもありません。(ただし、学校からの依頼があり、役員会で支出に賛同が得られれば、支出することもあります)
会費は支出項目の多くが子ども単位という事もあり、子ども1名につき年額2,000円です。
―よくわかりました。SさんのPTAは、私の所属するPTAと共通点が多いので、親しみを感じます。ところで、それでも私は「入会の強制」はよくないのではないかと考えていますが、いかがでしょうか?
活動が衰退しないのであれば、自動入会より任意入会のほうが理想的だとは思います。
ですが、私の場合は前述の通り「保護者のつながり」が大切なのであり、漏れる人がいては意味がないと考えます。
つまり、任意入会で加入率100%が目指すところなのですが、現実的に、それはほぼあり得ないと思います。
となると、次善の策として「管理組合」が最も良いと考える次第です。
理想論としては「任意入会」はありです。ただ、 全国展開を考えると、管理組合方式が地域性(同じことをしてもあるPTAではうまくいくが、別のPTAではうまくいかない)等に左右されなくて良いと思いますが。
もちろん、法的な根拠がないので、現状では「管理組合」といっても反発する方が多いでしょう。
あくまで個人的な意見ですが、前述の通り「過度の負担を強制されない」前提で、保護者会(PTA)は保護者(と教職員)による学校管理組合として、法整備されても良いと思います。
もちろん過度の負担防止のための条文整備や、会計(報告)の方法の明文化なども、同時に当然行われるべきです。
もし、本当に管理組合的な法律が整備されれば「退会」という選択肢そのものがなくなりますので、「任意かどうか」や「入会の強制」の問題は消滅します。
―私も何度かその案について考えてみました。正直なところ、法律で管理されるのはあまりいい気分ではありませんが、親が子どもに教育を受けさせる「義務」の一環として、最低限の学校の管理への参加はあってもよいと思います。あくまでも最低限ですが。
話は変わりますが、PTAへの参加意識も高く、積極的に役員をやろうとする人同士であっても、意見が対立して物別れになることが多いように感じています。特に、任意入退会の周知や退会規定の整備については、それぞれの思いが異なるでしょう。SさんのPTAで、そのような対立はなかったのでしょうか? Sさんの意見に反対する方などはいませんでしたか?
すでに述べたように、私には当初「こうしたい」あるいは「こうすべき」という意見は全く何もありませんでした。それがあるように見えるのであれば、この3年間で役員さんを含めた本校保護者や教職員との関わりの中で構築されていったものです。
私の意見が否定された事は、記憶にある限りでは「広報誌は内容が古くなりがちなので、A4裏表程度で良いので毎月発行にできないか?」くらいだと思います。それも思いつきで言っただけで、そこまで強く「そうあるべきだ」と思っていたわけではなく、他の役員さん達が今のかたちが良いと思うならそれでよい、という感じです。
また、私が「それは別にそのままでもいいのでは?」と思ったことが、「負担だから」という理由でなくなった事もありました。それも「あっても良い」程度の感覚だったので、役員の負担が軽くなるのであればなくなったのが「残念」とも思いません。
役員を含む幅広い保護者とのコミュニケーションがきちんと取れていれば、「他の人は嫌がるのに自分はやりたい」と思う事なんてほとんどないと思います。だって「知り合いのあの人が困る顔は見たくない」って思うじゃないですか。
なので、私が「どうしてもやりたい」と思うことがあるとすれば、ほとんどの場合、他の人も少なからず賛同できるような内容なのではないかと。
―ありがとうございます。非常に興味深いインタビューになったと感じています。Sさんの考えるPTAの意義や目的について教えてください。
全保護者と教職員、また学校と家庭との連携の促進。それから子供たちや学校、保護者のための活動ですね。
PTAの成り立ちはさておき、昨今の親同士がろくに知り合いにならない、思ったことを言わない状況においては、子どものための直接的行動(ボランティア活動)よりは、親同士をどう繋ぎ(別に友達になれということではありません)、それによって子どもにとっての良い環境を構築するかの方がよほど重要だと思っています。
家庭と学校だけで全てが完結するなんて事はあり得ません。子どもが学校に通う以上、子ども同士の関わりがあり、子ども同士が関わる以上は家同士も間接的に関わることになります。その時に、相手の保護者の顔を知っているか、どんな人かを知っているか、話をしたことがあるか、はとても重要です。
そして、その子の事を知っている人がたくさんいる、いつもどこかで誰かが見ていてくれる、という安心感は、親にも子どもにも良い影響を与えるはずです。
―各学校のPTAの実態については、記事になりやすい事例ばかりでなく、さまざまなかたちで光が当てられることが大切だと感じています。最後に、PTAで悩んでいる方に向けてのメッセージが何かあれば、お願いします。
学校が違えば様々なことが違います。詳細に調査したわけではありませんが組織のあり方から保護者の関わり方、学校や地域との関係まで全国津々浦々千差万別だと感じているので、一般論として何かを語るのはとても難しいことだと思います。
ですから多種多様な方々に共通に届くメッセージというのは実に難しく、すぐには思いつきませんし一言では言い表せません。
1つ思いついたのは、総会についてです。
多くの場合、「総会は執行部の思いのまま」という印象があると思います。総会で何を言っても仕方ない、という印象を持っている人も多いでしょう。
「みんな不満である」「みんな苦しんでいる」とよく聞きますが、私が不思議に思うのはその不満や苦しみが総会に向かないことです。
一致団結して総会に出て、活動報告などに反対してみてはいかがでしょうか。質問などしなくても良いのです。採決の時に手を挙げない、拍手をしない、ただそれだけで良いのです。
数人では不安でも、その人数が多くなればなるほど、よく言われる「仕返し」を恐れる必要もなくなります。
本当に「みんな」が不満だったり苦しんでいたりするのであれば、できるはずです。先入観なく、結論ありきでなく、相手の意見をすぐには否定せず、落ち着いて話をすることができれば、きっと賛同者は集まります。
そして、もしあなたが役員側であれば、保護者会(PTA)の改革の第一歩は、「総会資料の事前配布(見てから委任するかを決められる)」、「議長以外の任意の人への委任を可能にする」辺りから始めてみてはいかがでしょうか。当日の参加者が減る事を心配される方もいらっしゃるようですが、委任状さえきちんと出してもらえれば総会は成立しますから、出席者の人数はあまり気にする必要はないと思います。
最後に、遠くの他人より近くの他人。ネットの情報に重きを置きすぎず、近くのリアルな保護者ときちんと向き合うことをおすすめします。
きちんと向き合った中での保護者会(PTA)活動なのであれば、それがたとえ他と違っていてもきっと良い活動のはずです。
どうしても近くに相談者がいなくて、何か相談したい、意見を聞きたい事があれば、ツイッターID:@hikosまで、遠慮なく声をおかけ下さいませ。時間が許す範囲でお答えいたします。
今頃で恐縮ですが、メモを取りながらがっつり拝読しました。
まずは、男性会長の強力なリーダーシップによる改革ばかりが報道で目立つ昨今で、PTAをよくしたいと思っている私は歯がゆい思いをしていました。
そうではなく、会員の意見を吸い上げながら活動負担の少ないPTAを自然体でつくりあげていった実例に素直な驚きをかくせません。
よかった、ちゃんとあった、という思いです。
この会長さん、Twitterでときどきお見かけしている方です(^^)
どんな方だろう、と思っていました。
いろんなご発言の背景がわかったように思います。
P連加入なし、本部役員は広報と「係活動」の切り盛り、PTA運営に特化している活動内容とのことで、
うちの小学校PTAに比べれば、随分とスリムでうらやましい限りです。
それと会員世帯数の割に、役員数が多いな、と思いました。
こちらの会長さんのお考えには、私も賛同する点が多々あります。
いろんな意見をくみ上げながら、
(次世代への引継ぎを考えつつ:Twitterのご発言より)
ニュートラルに会を運営していこうという姿勢には共感します。
「やらない人はずるい」という悪感情への配慮など、
(ただ、この配慮の文脈には違和感を感じますが)
PTA運営のための知恵をいっぱいもっていらっしゃる。
申し上げたいことがいくつかありますので、こちらにも書かせてください。
■1点目
>私の考えが、必ずしもその他の役員の考えと完全に一致しているかどうかは保証の限りではありませんが、「本校の保護者と教職員の会は、自治会ではなく管理組合であると考えているので、そもそも任意入会であるべきとは考えていない」というのが回答になります。
ちょっとそれは拡大解釈だと思います。
田所さんの丁寧なつっこみには感謝です。
> あくまで個人的な意見ですが、前述の通り「過度の負担を強制されない」前提で、保護者会(PTA)は保護者(と教職員)による学校管理組合として、法整備されても良いと思います。
私も、PTAは法整備された方がよっぽどすっきりすると考えたことがあります。
文科省へ電話して伺ってみたところ、PTAに関しては【議員立法となる】とのご回答でした。PTA法制化への道は、やたらと遠いです。
私はPTAについては任意加入論者です。
ですが、これを無理矢理進めて、PTA内部や学校地域がぎくしゃくするのは本意ではないと考えています。かといってキツイ運営がまかり通るPTAでは、「逃げて」と言いたくもなります。
任意加入制が先か、健全かつ無理ない運営が先か、という話になりますと、正直判断は難しいところです。ケースバイケースでよいと思っています。任意加入制、活発な運動、健全で無理ない運営、の三拍子がそろうことが理想のPTAです。
■2点目
> 活動が衰退しないのであれば、自動入会より任意入会のほうが理想的だとは思います。
> ですが、私の場合は前述の通り「保護者のつながり」が大切なのであり、漏れる人がいては意味がないと考えます
このお考えの根底には、会長さんがPTAの現代的意義(関係的貧困の解消)を見出していらっしゃることがあると感じます。
この点に関しては、ある程度賛同します。
普段から顔の見える地域づくりをすることは、万一の災害時にも役立つそうです。
問題を抱えている家庭ほど、閉じてしまいがちで、周りと繋がろうとしないそうです。
そして孤立して、ますます苦しい状況になっていくそうです。
でも、PTAは、あくまでも、「つながる機会の一つ」です。
学校にはPTA以外にも「保護者会」があります。
いまどきは、行政から、各種の救いのチャンネルが差し伸べられています。
なにより、公務員には守秘義務がありますが、PTA役員会員に守秘義務はありません。
この差は、大きいです。
これが、法的には任意の団体であるPTAの限界だと思います。
それに、困って相談したのに、いつの間にか無責任なうわさの種になってしまう可能性も否定はできませんからね。
■3点目
この会長さんのPTA運営に関して(できない人へのアプローチ)
自動加入制のPTAで、一人一役ということですね。
参加希望アンケートの回答がない方に対しては、勝手に役を割り振る、活動当日欠席されたら別な日程を振る、それでも欠席の場合は追及しない、という方法を取っておいでです。
このやり方は、いくら丁寧なお手紙を発行したとしても、本当に事情のある方にとっては、脅迫にしか見えないでしょう。
私ががんで心身どん底だった時、自動加入制の我が校の丁寧なPTAのお誘いが、脅迫状にしか見えなかったように。
手紙を出さない、活動に応じない、というサイレントな意思表示をしたにもかかわらず、似たようなお手紙が何通も来る状況はたまりません。センシティブな状況を持った方への心情をどうか配慮してください。
本当につらい時、人は放っておいてほしいものだと思います。
ほかにも、拙ブログコメント欄にて、御エントリに関することが流れで出てきました。
ここに書いたことと重複する箇所もありますが、もしよろしかったらお目通しくださいませ。
http://blog.goo.ne.jp/yamyam00/e/0eb218655b616196fdee82a7da2d5adf
長文コメント、失礼いたしました。
まず、私の考えは、必ずしもSさんと100%一致するものではないことを申し上げておきます。
一方で、ブログ記事としてとりあげたのは、Sさんの考えは賛否はともかく傾聴に値するものであると感じたからです。
ご指摘の3点、いずれも重要な点です。
特に3点目は危ういところでバランス感覚が試されるところだと思います。
私は強制加入を支持しません。
一方で、私は、学用品の購入、給食費の支払いなどの保護者の「義務」の一部として、年間1~4時間程度の奉仕活動は、保護者のためにも、あっていいと考えています。もちろん無理な人は拒絶できることを前提としての話です。
そのお願いが脅迫に感じられるというのであれば、感じられないような方法を考えなければならないでしょう。
丁寧なレスをいただき、ありがとうございます。
お考えとお立場を明確にしていただき、ありがとうございます。(御レポートの文脈から読み取れることではありますが、こうして明快にお示しいただけると、またちがった味わいがありますね^^)
Sさんは、お考えが私と違う点はありますけれど、尊敬に値する方だと思っています。会員いろんな方への目配りをなさいつつPTA運営をなさっておいでだと思います。会長という立場もありますし。労作に感謝です。
PTAのあり方が難しい問題であることは、理解しているつもりです。
Sさんは、理想と現実を天秤にかけながら道を歩いていらっしゃることと思います。
■田所さんご提案の、無理な人は拒絶していいという前提条件あっての「保護者の『義務』として」「年間1~4時間程度の奉仕活動は、保護者のためにも、あっていい」につきましては、どうしてそう思われたのか、うかがいたいです。「義務」というお考えはどこから生まれたのでしょうか?そもそも「義務」と「無理な人は拒絶できる」は両立しないと思いますが?コメント欄でも、御エントリでもいいですので、いずれご回答いただければ幸甚です。
PTA参加のお誘いが「脅迫に感じられ」た理由は、単純です。
・私が、PTAは法的には任意の団体だ、と知っていたこと
・心身どんぞこで、活動をする余力などなかったこと
・文面から、事情ある人への配慮が感じられなかったこと(デリカシーの欠如)
以上、3点です。
***
ここからは参考情報です。
田所さんのおっしゃる、「学用品の購入、給食費の支払いなどの保護者の『義務』」にアレッ、(給食費は義務だけど、学用品はどうだったかな?)と思ってググってきました。
・給食費の支払いが保護者の義務なことは、法律に明文規定があります。(学校給食法 第十一条の2)
・教科書を中心とした学用品については、昭和38年の最高裁判例があります。
http://blog.livedoor.jp/cooshot5693/archives/52518156.html
*** 引用 ***
S39.02.26 大法廷・判決 昭和38(オ)361 義務教育費負担請求(第18巻2号343頁)
「授業料のほかに、教科書、学用品その他教育に必要な一切の費用まで無償としなければならないことを定めたものと解することはできない。」
*** 引用ここまで ***
とあります。ちなみにこのあたりの文科省見解をみますと、学用品については言及していません。教科書無償については言及があります。
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/004/a004_04.htm
つまり、学用品の保護者負担については、「法的義務」ではなく、「社会通念上の義務」、かと思われます。
(個人的意見ですが、税金投入するなら、学用品よりも大事なことはいっぱいあると思います。)
すみません、御ブログのフィールドで、勉強させていただきました。
「義務」という言葉に強い抵抗感をお持ちのようですね。であればわざわざ「義務」といわなくてもよいのですが。
私が使った「義務」は法的義務というより社会的義務に近いもので、人によっては「義務」と考えないくらいの範囲です。ですから、「義務」と「拒絶」は両立しうると考えています。
たとえば、授業参観への出席を「義務」と考える人もいれば、「権利」と考えて出ない人もいます。その程度の「義務感」でよいと思います。
また「義務として、あってもいい」という言葉は、現状は「義務」ではないことを含意しています。
答えになっているでしょうか?
お使いの「義務」に関するニュアンス、理解いたしました。
自然言語で、しかも対面ではなく文字ベースでコミュニケーションする難しさ、を感じます。
例えば、「赤」ときいて具体的に思い浮かべる色は、人によって違うでしょう?ことばの意味のすりあわせ、とご理解くださると幸いです。
猫紫紺さん、長文をお読みの上でのコメントをありがとうございます。
1点目と2点目については「そうですね」と同意するだけですので省かせていただいて(法整備などは論が大きくなりすぎるので)、3点目の根本的な問題は、実は「"できない"事を気軽に言えない」ところにあると考えます。
役員側の立場からすると、何の声もなければそれが単なる「提出忘れ」なのか「意思を持って提出されない」のか何なのかの判断がつきません。
うちの地区は共働き率が高い上にお子さんが複数いらっしゃるの方が多く(4人もそう珍しくなく、中には7人というご家庭も)、バタバタした毎日を過ごされる中で特にこの「提出忘れ」が頻発します。そこに悪意は全くなく、個別に聞けば「ごめん、そのプリントはきっと誰かのランドセルの中にあるわ……」となる事がほとんどです。紛失したのでお手紙を再度お渡しすることも多々あります。
ですので、提出されない方については「きっと子供が親に見せなかったか、バタバタしていてうっかり忘れてしまったのだな」と判断してお手紙をお出しする訳です。
もしこれをやめてしまうと、せっかくの「やる意思はある」方を漏らしてしまう事になるのでもったいないのです。
「サイレントな意思表示」は、保護者に余裕がなくアンケートなどの提出がきっちりしている方が減っている昨今、役員の方に正しく伝わらないのではないでしょうか。(少なくともうちの地区ではそうです)
申し訳ないですが、意思表示手段としてはあまり適切ではないように思います。
「できない」と言うに際して、おそらく懸念されているのは「根掘り葉掘り事情を聴かれる」あるいは「事情をクラスや学年全体に公にしなければならない」「個別にお話ししたつもりがいつの間にか噂として広まっている」事だと思います。
これはむしろ、これらの問題行為を許さない施策こそ必要ではないでしょうか。
会長や副会長といったごく一部の人に、詳しい事情は伏せて「できない」旨を伝えればそれ以上督促されない。
私はそれがより良い解決法だと考えます。
余談ですが、考えが違う部分があるのはごく当然だと思います。むしろ「100%同じ考えです」と言われた方がびっくりしますし、逆にちょっと胡散臭いです(笑)
うまく回っていると思ううちの中ですら、私と100%同じ考えの人なんていません。
そもそも違う考えの人がいるからこそ様々な角度からより良い方法を検討できるわけで、みんな100%同じなら行き詰ったら最後それ以上何をすることもできなくなって、むしろ良くないと思います。
根幹さえ共有できていれば、枝葉は違った方がむしろ楽しいと思うのは私だけでしょうか。
>3点目の根本的な問題は、実は「"できない"事を気軽に言えない」ところにあると考えます。
ここが本質、ですね。
できない人は、活動している人への気兼ねがあります。特に、PTAが義務だと思いこんでいる場合は。
そして、「一人一役」は、平等な参加の機会/気軽な活動という利点があると同時に、「全員参加」を(暗に)強制されるという欠点をもつと考えています。「PTAは義務」と誤解される温床だと。さじ加減、難しいですよ。(かといって、うちの小学校PTA@委員会制はどうかというと、それまた難しいのですが)
>役員側の立場からすると、何の声もなければそれが単なる「提出忘れ」なのか「意思を持って提出されない」のか何なのかの判断がつきません。
ごもっともです。詳しい事情を伺えば、なるほど、と納得します。お子さんが4人とか7人とかいらっしゃると、どんなにか毎日が忙しいことでしょう!うちは一人っ子なので、リアルには想像できません。
>もしこれをやめてしまうと、せっかくの「やる意思はある」方を漏らしてしまう事になるのでもったいないのです。
ご事情よくわかりました。そちらのPTAでは、そのやり方がよいのでしょう。
ただやっぱり、自分が辛い経験をしたものですから、本当にできない方への配慮の一言くらい、最初の文書にそえてほしいです。例えば「この活動は強制ではありませんから、できない方は〇〇へご連絡ください」とかなんとか。
>申し訳ないですが、意思表示手段としてはあまり適切ではないように思います。
こちらはご指摘の通りです。
「サイレントな意思表示」は、わが身振り返ると、非常手段でありました。運営側は、判断に困りますもの。(ママ友の口コミ・子ども情報から理由が推察できる場合もありますが、それに頼る運営は歪みのもとだと考えます)私も、PTA本部役員の経験がありますので、その辺は想像できるつもりです。
話はそれますが、自分のいいたいことをわかりやすく伝えようとすると、話を単純化する必要があると思っています。いろんな視点に立ってものを考えようとしていても、どうしても欠ける部分がでてきてしまいます。難しいものですね。
>「できない」と言うに際して、おそらく懸念されているのは~
ご推察の通りです。
あと、運営側としても、個人の繊細な事情をお伺いすること自体が、ストレスになるのではないでしょうか。この点も懸念しております。(他人の不幸でメシウマ、なんてやつは論外にしたいところですが…その対策も必要でしょう)
>これはむしろ、これらの問題行為を許さない施策こそ必要ではないでしょうか。
>会長や副会長といったごく一部の人に、詳しい事情は伏せて「できない」旨を伝えればそれ以上督促されない。
>私はそれがより良い解決法だと考えます。
さすが、ソリューションをお持ちです。
「詳しい事情は伏せて」がミソだと思います。有給をとるのに、理由が問われなくてもよいのと同じように。
ぜひ、その対処法を明文化して、次代に引き継いでいってください。
>根幹さえ共有できていれば、枝葉は違った方がむしろ楽しいと思うのは私だけでしょうか。
Sさんだけではありません。私もです。大いに賛同いたします(^^)
田所さんとはツイッターでやり取りした事があります。
さとっちのネームにてツイッターでつぶやいています。
諸事情があって、カギ付きですが。
記事で気になる所が何点かあります。
管理組合は建物維持管理、共有部分のメンテなどの資産にかかる部分管理、および、修繕計画、消防設備、建築設備などの設備管理などと言った、マンションの財産管理する事を法律で義務付けられておりますが、PTAは社会教育を主としてる団体です。
確かに管理組合でモラルの啓発をしている組合さんもありますが、それは、義務でもないです。
任意での啓発運動ってだけです。
PTAは、老人会、子供会、ボースカウトと言った、コミュセンやスポセンで登録、活動してる「社会教育関係団体」ですから同等にして説明する、この会長の意図が分かりかねます。
マンション管理組合でも、最近、管理費天引きで町内会費を徴収する、いわゆる、「強制加入制度」が問題になってますが判例を見るとこう言った、法令違反に勝ち目はないですね。
国土交通省作成のマンション標準管理規約[20][21]では、「自治会費、町内会費等…居住者が任意に負担するもの」であり、「マンションという共有財産を維持・管理していくための費用である管理費等とは別のもの」としている。
とあります。
PTAはこの悪徳町内会のような手法で、マンション(学校)を利用してるだけの話だと思います。
この会長さん、ツイッターでもたびたび、PTAと管理組合を同列にして、法律をなし崩しにしており、多いに弊害があると感じております。
何軒が続いて脱退されたご家庭があったそうですが、
「図々しい」
「ケチだ」
「退会できないのにしてる」
と、同じ住民さんなのに、非国民扱いだったそうです。
こう言った構図もPTAと同じです。
法的な観点から見れば、管理組合ではなく町内会と同じであり、マンションの町内会強制加入問題と事の本質は全く同じです
「マンション管理組合」は、もちろん「自治会(町内会)」とも「PTA」とも違いますが、あくまでも比喩として使っていると考えています。
Sさんは新しい制度として、保護者と教職員による学校の管理組合を理想としているのではないでしょうか。
もちろん、現状ではそのような制度はなく、SさんのPTAも現状では任意団体であることは間違いありません。多くのPTAと同じようにそれを周知していないだけです。
これ以上の回答はSさんご本人のコメントをお待ちください。