nobuの独り言

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言論の自由!

2022-11-30 12:01:45 | ブログ
久々にブログを更新する事にした、何故かと言えば今朝の朝日放送・羽鳥のモーニングショウーを見ていてコメンテーターが都立大学の教授が襲われた事件で教授の言論に対し義憤したのかも知れないが言論に対し暴力では無く言論で対するべきだと言ったのを聞いて、自分は少し違和感を抱いたからなのである。
言論の自由は認めるが!言論とは所詮言葉で書物に書いた事も言論で在り、言論の自由だからと言って何でも言ったり書いたりする事が本当に良い事となのだろうか?
言論とが即ち言葉で在り人が言う言論の言葉で人は傷付き又は苛めの原因に成って居るからである、苛め・言葉のハラスメントが人を傷つけているのが果たして言論の自由と言えるのだろうか!
言論即ち書物に書かれた言葉も言論であり、言葉は言霊である古来言葉には魂が在ると考えられて居り言葉で人を呪い傷付け人の心を狂わせる事も可能だと言われてきています。
何故なら宗教の初現は言葉で在り、ある宗教書を読んでも初めは言葉で在りキリスト教やイスラム教そして仏教と、その他宗教の教会で人は集合し全員で祝詞を述べるのも言霊で在り、言霊を述べるには一人の言葉より集団で同じ言霊を述べる方が効き目が在るからだと思う。
宗教に熱心な家庭では食事の時には皆が集まり神に感謝の言葉を述べて居りそれも言霊で在り言霊を述べる事に効き目が存在すると考えられてきたからかと思われるのである、ユダヤ教であれ神道であれ神官が神殿で祝詞を挙げるのも言霊であると考えられて居り!
仏教の寺では一人の僧侶が経を述べるより集団で述べる方が効き目が在るからだと思うのである!
現代社会に置いては詐欺師は言葉巧みで人を騙す事も言霊で人の心を操るからである!また弁護士は詐欺師の様に言葉巧みで在れば有利で在り日本で弁護士の誕生時は弁護士の事を口八百と言われ言葉巧みな事から出た言葉である。
自分は宗教家でも無ければ一介の普通の人であるが本を読むのが好きで各種の宗教書も読んできたが特に面白い書物は旧約聖書の初頭である!内容は「神は最初に光在れと述べられ光が闇を照らされた」即ち最初は言葉で在り言霊なのである!
不思議な事に如何様な宗教書を読んでも最初は神の言葉から始まって居るのである、中国や韓国そして日本には古来から宗教で呪符と言われるものが在り、即ち紙に書かれた言葉で在り言霊なのである!
此の事から考えると言葉は言霊で在り書物に書かれた言葉も言霊なのであるコメンテーターや権力を持つ人は容易く言論の自由を述べてはいるが、果たして全ての言論が自由だと言えるのだろうか!
特に子供達は学校等で言葉による苛めを受けるのも言葉が初めで言霊なのである、教育者も生徒に対し何気無く述べた言葉が言霊と成って生徒の心を傷付け、その言霊が周囲の生徒に影響を与え苛めの原因へと成って居るのも気が付かず問題が起きてから言葉が過ぎたと述べて居り言葉即ち言霊の恐ろしさを知らないから何気なく言霊を述べ周囲に影響を与えて居ると気が付かないのである。
言論に自由や表現の自由は大切な事だと言えるが!何でも言論の自由と表現の自由で片付けられるのは考えなければ為らないのである。

後談であるが事実かは分からないが戦前に日本政府がドイツの戦勝を願い大規模な祈祷を行なった事が在ると書かれた書物を読んだ覚えが在る事から、現在のロシアウクライナ戦争に関し世界で一斉にロシアのプーチンに呪いの言霊を放てば効き目が出てプーチンに影響を与える事が出来ればと考えるのである!此れは自分勝手な考えで在り余談である。

只、私が言いたい事は言葉とは言霊で在り、言論の自由とは何処まで許されるのか考えなければ為らない事だと思いテレビに出るコメンテーターの方々に考えて欲しいと思うのである。