nobuの独り言

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池上彰のそうだったのか、東京裁判!

2015-07-28 09:12:34 | 日記・エッセイ・コラム
池上彰氏のそうだったのか、番組での東京裁判で、大東亜戦争の件まで持ち出し罰せられるのには違和感があると言って居るが?自分の考えでは違和感は全く無いと言わざる負えない。
何故違和感が無いと考えるのか、それは太平洋戦争の始まりは、大東環戦争のアジアへの侵略にあり日本が侵略を辞めないから各国が日本への輸出を停止したのであり、日本は其の為、世界から孤立し太平洋戦争へと無謀な戦争を始めたから、大東亜戦争と密接な関係が在ると言わざるおえないのである。
確かに日本からすれば、戦争は殺し合いだから戦争に負けたからと云え、何故!戦勝国から戦犯として裁判に掛けられなければ為らないのかと云うのが矛盾なのである。
日本の歴史を紐解くと、日本も昔から戦をし勝てば負けた方の人を裁判もせず復讐を恐れるあまり負けた方の家系を根絶やしにする惨殺を行って居り、他人事とは言えないのである。
大東亜戦争でも惨殺行為を行って居り、日本側の言い分では侵略戦争では無いと云うが?侵略された方から見れば間違い無く侵略されたのであるから東京裁判で戦犯として裁かれるのが当然と言えるのである。
然し、日本の立場からすれば世界から孤立し、自滅か戦争かと追い詰められた現状は他国から宣戦布告をされたものと考えるのも矛盾では無いが?
日本が無謀な太平洋戦争を行わなくても、日本が大東亜戦争から身を引けば孤立する事も無く、太平洋戦争を起こす事も無かったのでは無いだろうか?
現在、日本は他国と共に、日本がアメリカに対し戦争を起こした時と同じ状況を北朝鮮に対し行って居り、日本が大東亜戦争と太平洋戦争で負けたのも事実であり、東京裁判は矛盾だらけだと云うのは自分勝手と言うしか無いのである。
日本は過去の行いから何も学ぼうとせず!過去の反省も無く!未来志向で考えているが?未来とは過去が存在するから未来が存在するのであり、良い未来を創るのであれば過去を反省し過去から学び現在を良くすれば、自ずと未来は開けるのでは無いだろうか?
問題は少し離れたように思うが?池上彰氏の番組で取り上げた東京裁判は決して茶番とは言えないのである。
東京裁判がアメリカ側の茶番と云うなら?日本側こそ東京裁判を後の政治に利用した茶番と云えるのである?何故なら戦犯の生き残りは現在の自民党の前進とも云えるのであるから?
自民党はA級戦犯の東条英機を戦犯では無く英雄として靖国神社に祭ったのが何よりの証拠と云えるのである。
その自民党は過去の大東亜戦争に匹敵する過去の過ちを再び起こる事も念頭に安保法案を強行採決し戦争への道を進む事を選んだのであり、過去の戦争は過ちでは無く正当化しようとして居るのである。
安保法案が完全に成立した暁には安保法案に関連する秘密法案や盗聴法案が発動され、日本全国に存在する外国人や政府の反対勢力を全て監視の対象とし、個人の携帯電話やスマホ、それに個人宅の固定電話からPCまで盗聴できるのである。
そして安保法案が成立すると日本はアメリカの追従国と成り、アメリカが戦争する処なら何処でも自衛隊が出向き戦争する事が出来る法案であるから、イスラム国から完全に敵国と成り無差別の標的に成りえるのである。

東京国立競技場の問題と国民の現状!

2015-07-12 08:44:57 | 日記・エッセイ・コラム
東京国立競技場の問題は馬鹿げている。
東京オリンピック誘致を優先させる為、国立競技場のデザインが建設可能なデザインか中身を検証せず、未来的な素晴らしいデザイン画だからIOCの受けが好いと判断し決めた為である。
国立競技場のデザイン画はデザインであり中身の無いデザインとしか判断できない?
デザインを描いた人は建築的な骨格や中身を検証しデザインを仕上げたのか疑問である。
問題は誘致委員会に自民党の土建屋政治家が介入して居る事が問題である!
誘致委員に自民党の政治家が参加して居たなら、国立競技場は国の責任で建設すべきであり東京都に負担を押し付ける事に憤慨を覚える。
建設費の高昇に関しても疑問である!自民党政権は土建屋政権であり、此れまでゼネコンとの癒着を幾度も問題視されて来ており、建設費の高昇は自民党へのリベートが含まれていると考えなければ成らない。
今現在国民は税金の高昇で物価は上がり、生活は苦しく先の新幹線で自殺した年金受給者の現状を鑑みても生活は困窮し生活弱者の年金受給者は先に年金から、受けるか分からない介護保険料を天引きされ受給費が目減りした中で、
今度は国民健康保険料を年金から強制的に天引きする事を決めたのである。
年金とは何か?労働者が老後の安定した生活の為に永年、年金を支払って来たのであり、政治家や官僚そして公務員の給料を安定させる為の金では無い。
政治家と官僚そして今は年金事務所と名前を変えているが、年金を管理する公務員の官僚が食い潰し国民から預かっている年金が目減りしたから、自民党政権は社会福祉を充実させる為に消費税を上げて来たが、社会保障税とは名ばかりで実際はsy会保障に充てて無く、全てゼネコンに流れているのである。
そして東日本震災の復興も進まない中で何千億と云う国民の血税を、国立競技場に充て不足分はオリンピックを誘致した地元の東京都に負担させようと押し付けているのである。
オリンピックとは何なのか?スポーツ選手やスポーツ団体は、利益を求めるスポーツなのか?スポーツを介し人間の運動能力を試す為のスポーツ何か?良く考えてもらいたいものである。
スポーツを行うのに高級な施設が必要なのであろうか?
自分達の子供の頃は整備された施設が無くても、砂ぼこりの舞う運動場や稲刈りの終えた田畑が在ればスポーツは出来たのである。
プロのスポーツ選手から見れば、アマチュアなら稲刈りの終えた田畑や、砂ぼこりの舞う運動場で十分だと考えるかも知れない?
しかし現代のスポーツは化学や設備の整った施設で行い、年々施設も高級に成り、科学と結びつけた利益優先のスポーツに為って来ている事を思うと、それは本当の人間が限界に近いスポーツの記録とは言えないのでは無いだろうか?
以前の東京オリンピックでは、エチオピアのマラソン選手アベベ氏は裸足で走り続けた事を思うと、現代のスポーツ選手は近代設備と科学に頼る軟弱なスポーツ選手としか思えないのである。
確かにスポーツ選手は、スポーツ一辺倒で来ているからスポーツ以外では役に立たなく、怪我すればスポーツ人生の終焉を迎えると考えれば、怪我をしない設備の整った競技場と科学に頼るのは致し方ないと思えるが?其れで好いのであろうか?
スポーツも時代に合ったスポーツをと考えるなら?其れはスポーツ選手の極限を出したスポーツ記録とは言えないのでは無いだろうか?
今やオリンピックは商業科されたスポーツのイベントと成り、選手は商品であり賭け事の対象と成った、一大スポーツイベントに鳴って居る現状をスポーツ選手は如何様な考えで居るのであろうか?
たかが、スポーツの競技場に何千億と云う高額な血税が在るなら、その分を生活弱者を困窮から救う費用に充てて貰いたいものである、生活困窮者でも税金を納め三食の食事を一食に落としても生きて行くのが困難な現状であり、年寄りに成り仕事も無く食べて行くのも難しく毎日苦しい思いをするのであれば、死んだ方が楽だと考えても不思議では無いのである。
国民を救う事も出来ない政府が、外国に対し国民の血税をバラマキに外遊し、日本政府はアメリカの奴隷ですと演説を行い、日本の平和憲法まで捻じ曲げ戦争へと導く政府を選んだのも国民なのだと知るべきであり、今、国民は何をしなければ為らないのか良く考えるべきである。