昨日最終回を迎えたドラマ、「知らなくていいコト」がすごく良かった。
キャスト、脚本、演出、音楽すべて素敵だった。
わーよかったなーと思う流れで、考えていた。
愛する、とは。
愛とは、守りたい、苦しませたくない、楽しませたいをひっくるめた
「幸せにしたい」という気持ちだと、私は結論を出した。
子どものような弱い存在には、守らなければという気持ちが自然に生じる。
自分の子どもは特別にそう思うだろう。
対して、夫には基本自己責任で勝手に生きてくれ〜だが、
仮に夫が重い病にかかった時、彼を苦しみから解放したい、側にいたいと強く思うのであれば、
ちゃんと夫への愛があるんだと思う。
そして、気持ちがあっても、それを行動として示すことができるか。
相手を幸せにするための行動をとるには、能力と運も必要だ。
持ってる能力と運が1/2の人間にとったら、2倍の努力が必要で、その源となる愛も2倍必要だと思う。
子どもへの無償の愛と違って、男女間の愛はよく分からない。
「少しは痛い目にあえばいい」憎しみやら独占欲やら色々とごちゃついているんだろう。
不倫は最低と言われるが、結婚は、子どもや経済格差がある女性の生活を守る実用的な契約でしかなく、人の気持ちまで縛ることはできない。
自分も含めて人の気持ちなんて無責任なもので、相手の気持ちに自分の幸せを依存しても、どうしようもない。
私にとって生きていく上で大事なのは、たとえ刹那的であっても、大切な存在と輝く瞬間を紡いでいくことだ。
時間は宝物のように心にしまわれ、生きていく支えになる。
私にとって人生は死ぬまでの暇つぶしでしかないが、
簡単に死ぬこともできず、守るべきものもあるので、このおかしな世の中でどうにか生きていかなければいけない。
でも輝く時間は心の中にじんわりと染み込んでいて、ずっと私を助けているように思う。
自分が明日死ぬと分かったら、誰に会いたいだろうか。
あの人が深く苦しんでいるとしたら、真っ先に飛んでいきたいか、側にいたいと思うか。
頭に浮かんだのが、私の愛する存在達なのだろうか。