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労働審判日記

弁護士に依頼せず、個人で会社に労働審判を申し立てました。

大学時代③

2017-08-26 07:24:28 | 学生時代
焼き鳥屋ではトータルで3年くらいお世話になっただろうか。バイトの日は賄い+生ビール一杯付きでその後飲みに連れてって貰うことも多々あった。マスターご夫妻には本当に良くしていただいて勝手に「東京の父、母」と思っていた。

いろんなお客さんが居て、会社の社長なんかも多く「うちの会社で働かないか」と言われることもたまにあった。

ようやく本題に繋がるのだが今回の労働審判の相手方であるT社長とはこの焼き鳥屋で初めて出会った。
最初はバイトとお客様という関係で特に印象も無かったが、寮の時の先輩がそこで働いていてその先輩経由で誘われた。

当時、焼き鳥屋は賃貸で借りていた。そちらの地主の意向で潰してマンションを建てるのでお店を移転するという話が出ていた。

そんな中でT社長にバイトに誘われた。ボイラーや給排水に関する工事をする会社らしい。
焼き鳥屋の移転の話もあったし、誘いに乗ることにした。この決断が私の人生を大きく左右することになる。





追記:大変繁盛していた焼き鳥屋であったが移転して大きく変わった。場所は元のお店の近くで常連客がそのまま来てくれると踏んだのであろうが、お店がビルの地下一階でカウンターが無い。

これでは一見さんは入りづらく、テーブル席しかないのでカウンターに座っていた一人客の常連さんの足も遠のいてしまった。
無駄に広く家賃も高かったであろう。

結局移転してから一年くらいで潰れてしまった。
噂では夜逃げ同然という話でマスターご夫婦とも今日まで連絡を取れていない。恩返しも出来なかったが、どこかで元気に暮らしていてほしい。

大学時代②

2017-08-25 14:01:51 | 学生時代
当然、雀荘は開店から3ヶ月もしないうちに潰れた。

そこから大学時代は色々なアルバイトを経験した。教材を売り付けるテレアポ、池袋西武内のレストラン、パチンコ屋の自動灰皿の掃除、洗車場、解体工。

バイトばかりしていたので、大学1年目に取得した単位は0。0でも進級出来るところもあるようだが
我が母校は違ったので留年。そんな感じで3回留年した為、大学卒業に7年も掛かってしまう。

大学1年目から4年目までは寮生活をしていた。そこの寮の先輩の紹介で巣鴨の焼き鳥屋でバイトをすることになった。大学4年目くらいだったと思う。

マスターとママのご夫婦と板前さん1人でやっているお店でカウンター10席くらい、小さなテーブルが2つと2階に座敷がある昔ながら焼き鳥屋さんといった感じのお店で、料理の味、お店の雰囲気も良く大変繁盛しているお店だった。
カウンター内で洗い物やお酒を作ったり料理を運んだりという仕事でマスターやお客さんも良い人ばかりで素晴らしい職場だった。

大学時代①

2017-08-25 13:42:15 | 学生時代
練馬駅の近くで新しい雀荘を開店する事になった。

宣伝をしないといけないので立て看板やポスターを電柱に張っていたが違法行為なので夜中の2時くらいからやったりしていた。

間も無くオープンしたのだが宣伝の甲斐もなく客はほとんど来なかった。元のお店の常連客で飲食店を経営している人がオーナーだったのだがほとんどその人しか来てないような惨状。資金繰りも立ちいかなくなり給料もほとんど支払われなかった。
従業員同士で相談して労基署に相談しようということになり行ったが、労基署は何もしてくれなかった。
僕はバイトだったのでせいぜい10万円くらいだったと思うが社員の人は50万くらいの未払いがあったと思う。
この経験は「労基署は何もしてくれない」との教訓を僕に与えた。現在もこの考えは変わっていない。


高校卒業後

2017-08-25 13:08:12 | 学生時代
青森県の高校を卒業後、大学進学のため上京。
大学時代はアルバイトに明け暮れていた。

東京で初めてやったアルバイトが雀荘のメンバー(店員)
めっちゃシフトを入れてたので月20万くらい稼いでたのだがメンバーの大事な仕事はメンツが足りないとき人数合わせで打つこと。
レートがピンの1-3と言ってビリになると1局で5000円くらいは負けるという高レート。加えて1回のゲーム代金が600円。一発裏ドラ赤のチップ500円。
上記が全て自腹なので手取りは5万くらいに減っていたがそれでも楽しくやっていたように思う。

入って3ヶ月くらいした後、チーフ社員から「常連客と組んで独立して店を出すから一緒に来ないか?」と誘われた。
当時一緒に働いていた別の社員に金をちょろまかされたり、仲の良かった先輩社員も行くと言うし、また新規店に携われるということにも魅力を感じて乗ることにしたがこれが分岐点となる。