よれよれシステムエンジニア

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ルールと統制

2007-05-05 01:08:56 | 日記
最近、ルールや法令についての遵守が厳しくなり、常識と思っていたことから大幅に乖離したルールの遵守強制や、そういったルールへの過剰な遵守状況を鑑みるにつけ、世界全体が中央集権的な統制体制に慣れてしまうことを恐れる今日この頃です。

なんてね。

でも、そういうのって、結局、経済活動は萎むし、非効率になるし、人間性は失われるし、自分の直感として非常によろしくない。

そうなると、会社も社会も国家もすぐに窮地に陥るから、打開するために戦え、なんてなっちゃう。

似たような国が今までも今でもあるわけだ。。。

全世界的に蔓延しているこの状況を以下に憂えてみると。。。

※最初の書き出しから比べると、非常に小さい話になっちゃうんですけどねっ、、、(汗)

(1)高野連

 野球特待生を『今更』ながら憲章違反とか言い出して、どういうこと?野球だけは歴史が違うとか、訳判らん。コワイナー。

 厳密には、なんら処分を決定する権限も無い団体であり、各高校の特待生制度までも揺るがすような影響を与えていることから、なんらかの越権行為に該当するのではないか、と告訴されてもおかしくないような気がするぞ。

 戦前に文部省の統制下に入れられた歴史から、自主管理になった歴史があるとのことだけど、自分達で時代錯誤の統制していたら、そもそも自主管理にした思想からずれまくってるじゃん。つまり、野球統制令を引き継いだだけ?

 今こそ、読売新聞社よ、スポンサーとなって高校野球連合を設立し、春の後楽園、夏の後楽園を開催するのだ!

 もちろん、そこは当然、特待生あり。優勝高校は、巨人軍からの一週間コーチあり。で、東京開催なので、見に行きやすいし。

(2)イラン

 女性のファッションが欧米的だからといって、10日間で1000人を身柄拘束。『今更』ながら、どういうことだ!という声が多数。

女性には向かない法律ではないか、なんて声も上がってくる。一瞬ほほえましいが、非常に薄気味悪い。

与党政権の行き詰まり打破で行われた取締りだとすると、そのうち、行き詰まれば核兵器を打ち上げるくらいはやりそうだ。

(3)印紙税法

 先月、先々月と、年度の切り替わりで契約更新がうんざりするほど沢山発生。そのときに頭にきたのが「印紙」。

 ある一つの覚書を巡って、200円貼ればいいのか、4000円貼ればいいのか、貼らなくていいのか、二転三転して、一体何なんだこれは!!と誰にぶつけることもできずに印紙税法に対して個人的に小爆発。

 印紙は別に契約内容の正当性を裏付けるとか、そういうものでもなく、単に重要な契約の取引については、税金とりますよ、というだけのもの。

 第7号文書というのが、基本契約的文書に該当しますが、これだと4000円。個別契約だと、対象金額によって違うけど、今回は200円。しかし、委任契約だと貼らないで無料。

ちなみに、「紙」の文書だけが対象であり、「電子」の取引には課税されない。

もう、ここまで来ると、印紙税法が現代の技術進歩と商取引の進化についていけておらず、課税の中立性と公平性が失われているわけですよ。

そんなわけで、近年では殊更ややこしい状態に陥り、かつ、貼る金額も元来ややこしいルールになっていて、合理性も効率性もへったくれも無いようなこんな法律なんとかしてくれよっ!!!と思った次第。

これ、間違えて少ない金額貼ると『脱税』ですから、嫌な感じです。

これも、ある日、税務官が査察に来て、間違いを見つけて大騒ぎしたりする恐怖があります。高野連とイランみたいなもんです。

ちなみに、こんな合理性も無ければ、効率性も無い法律ですが、やっぱり、そういうことが嫌いな国はあるんですね。

ドイツとアメリカは、とっくの昔に印紙税法が廃止になっています。アメリカなんか、私の生まれた頃には廃止されてました。

(4)その他もろもろ

 本当は、こっちのことを色々言いたいのですが、相当慎重な発言が必要になるので、頭出しだけ。。。

・個人情報保護法
・JSOX法(内部統制関連法)
・労基法
・内部監査とセキュリティ監査
等々

「善き人のためのソナタ」という映画に東ドイツの統制が生々しく描かれていましたが、そんなのと似た統制が社会や企業や学校内に蔓延したら、擬似的に東ドイツと同じ現象が起きるでしょうね。簡単に言うと、人間辞めるしかなくなるわけです。

統制の結果、考える人と考えなくなる人が出てくると思いますが、考えなくなる人が多数を占めた段階で、国も会社も学校もおかしくなるんでしょうね。

「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」なんて誰かが言ったらしいですが、希望があるとすれば、経験も歴史も浅いコンシューマー発信型のメディア(CGM)の存在によって、そういう全体主義的な統制による「弊害」を打破できそうな気がします。

ホリエモンみたいな言い方ですが。

だから、歴史を見て、全く同じことが起きると思うのではなく、今のコミュニケーション技術と歴史の両方から考えてみて、同じことを繰り返さないように考えることが大切だ、なんて思ったりするのでした。

企業内の似たような状況下でも、自分自身はそう考えて行くしかないんだろうな、と。

※ところで、延々とルールへの過剰反応や厳重な遵守に批判的に見える文章となっていますが、厳重化されて良いことの方が多いかもしれないとも思っています。飲酒運転とか、情報セキュリティとか。

GWで、長々と書いてしまいました。。。


なかのひと