SYUUの勉強部屋:仏教思想概要

勉強中の仏教思想、整理した概要をご紹介しています。

仏教思想概要9:《空海》(第3回)

2024-02-24 08:54:39 | 09仏教思想9

(神代植物公園の梅園にて     2月8日にて)

 


仏教思想概要9:《空海》(第2回)

2024-02-17 08:26:04 | 09仏教思想9

(神代植物公園の梅園にて     2月8日にて)

 


仏教思想概要9:《空海》(第1回)

2024-02-10 09:16:18 | 09仏教思想9

(神代植物公園の梅園にて     2月8日にて)

 

 仏教思想概要9《空海》の第1回目のご紹介です。
 仏教思想概要も「インド編」「中国編」を終え、本日より日本編に入ります。
 日本編は「空海」「親鸞」「道元」「日蓮」の4人の聖人より構成されています。
 そして、本日より、最澄とともに、平安仏教の大成者である「空海」を取り上げます。

 今回は、序章として全体概要をまずご紹介します。この後、7回程度に分けてご紹介の予定です。どうぞよろしくお付き合いください。

 

序章 全体概要

 空海と言えば「真言密教」の大成者と言っていいのかと思います。
 空海は三十一歳で入唐、当時の中国の密教教祖「恵果」より密教教義を学び日本に持ち帰り、真言密教として大成します。
 さて、その密教ですが、空海はこの密教という言葉を一般的な仏教(密教以外の全ての仏教。これを空海は「顕教(けんぎょう)」と呼ぶ。)との対比で、宗教的な体験の極意の仏教、「秘密の仏教」と呼んでいます。
 では、密教は顕教と何が違うのでしょうか。その最も大きな違いは、顕教が「お釈迦様」の教えをもとにしたものであるのに対して、密教では「大日如来」の教えをもとにしたものである点です。
 これまで仏教はお釈迦さまが開祖者と思っていたのですが、ここではビックリの思想の大転換が起こっているわけです。
 それでは、大日如来が説く仏教とは何か、ということになるわけですが、ここからはかなり難しい話になりますが、その教えを一般大衆のために「密教の言葉」として表したものが、密教を特徴づける「曼荼羅」ということになります。
 「曼荼羅」というと、一般的には仏や菩薩など仏尊が集合した絵図「曼荼羅図」ということになります。曼荼羅世界には「胎蔵曼陀羅」と「金剛界曼荼羅」の二つの世界があり、この二つで、密教の世界を教えています。
 仏教はお釈迦様が創造した思想・宗教ですが、不思議なことに多くの「仏様」が登場します。
 それでは、お釈迦様と仏様はどう違うのでしょうか?
 この多くの仏様は大乗仏教になって登場してきます。小乗仏教では仏は釈迦一人でしたが、大乗仏教では、釈迦はさとりをひらいて仏になったが、仏は一人ではなく、過去にもいたのではないか、という訳です。
 こうして出来上がった仏は歴史上の実在の仏=釈迦から離れて、我々のようには身体をもたず、色も形も目に見えない永遠不滅の真理そのものとしての仏として形而上学的(理念的)に創造されます。
 これを仏教用語では「法身仏(ほっしんぶつ)」と呼びます。
 つまり、お釈迦様は、この法身仏がこの世に姿を現したもの(これを「応身仏(おうじんぶつ)」と呼ぶ)という訳です。

 そこで、やっと本題に入りますが、密教以外の顕教(けんぎょう)では、あくまで法身仏=釈迦だったのですが、密教になると、法身仏=大日如来となって、お釈迦様はその主役の座を追われてしまうことになるわけです。つまりこの点が密教の最大の特徴と言えます。

 こうして、密教では永遠不滅の無限の大宇宙の真理を体現した「大日如来」中心の仏教が展開されることになった訳です。
 とはいえ、全ての仏教真理を大日如来一人で広めるのは大変と、それぞれの役目を持った仏や菩薩など多くの仏尊が大日如来の代役として(これを仏教では「化身」と呼びます)登場します。(密教では、釈迦もその一人にすぎないことになります。)
 空海は入唐時、密教以外の当時の唐で流布されていた多くの思想・宗教の勉強も同時に行い、単に仏教に限らず多くの思想を取り入れて真言密教を集大成したと言われており、これらの仏尊にも、仏教以外の神が取り入れられています。
 つまりは、多くの仏尊は大日如来の一部であり、多くの仏尊を集約すれば大日如来となるという訳です。
 この大日如来と多くの仏尊の関係を目で見て分かりやすく表したのが、「曼荼羅図」という訳です。
 曼荼羅図のうち「胎蔵曼荼羅」における胎蔵は母胎を意味します。大宇宙(生きとし生けるものあらゆるもの全てという意味)の絶対者(大日如来)の理性をつまりは慈悲を表していると言われています。やがて、この理性、慈悲は知恵となって現れますが、その世界を表したものが「金剛界曼荼羅」ということです。そして、この金剛界曼荼羅の知恵は逆に慈悲となって現れ、胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅は相互に一体となって、理(理性)と智(知恵)は不可分(「理智不二(りちふに)」の真言密教、大日如来の世界が成立しています。

 密教の法身仏(ほっしんぶつ)が大日如来であること、そしてその世界を絵図で表現した物が曼荼羅図であることを説明してきましたが、それでは空海の真言密教がめざすものとは何か、それと真言密教の特徴的な世界観を最後に見てみたいと思います。
 真言密教の究極の目標、空海はそれを端的に「即身成仏」という言葉で表しています。
 空海は自己がそのまま絶対者(大日如来)であることを現証することが、真言密教のあらゆる実践において究極とするものであると説いています。
 そのためには、絶対者の偉大な慈悲のはたらきとわれわれの信心が合一することで、そのことを「加持(かじ)と呼びます。
 そのため密教の独自な深秘(じんび)の瞑想が実践され、それを「三摩地(さんまじ)」と言います。
 また、密教では「三密(さんみつ)加持」という実践法が行われます。これは絶対者がかって行ったと同じように、密教信者が印を結び、真言を唱え、自己の心を絶対者と同一の瞑想の境地にすえることで、自己の全行為が絶対者の全行為と合一し、ただちにこよなき完成が得られるとするものです。
 密教で有名な「護摩(ごま)行」も奇跡を願って行うものではなく、自己の信心を絶対者の力を借りて、絶対者に近づき両者が合一するために本来行われるものです。

 以上、絶対者の理性、慈悲、知恵と自己の信心が合一することで、今の肉体のままで宗教的理想の境地に到達すると説いているわけです。

 それでは、最後に、真言密教の説く世界観を見てみたいと思います。その世界は、自然中心の肯定的な世界です。
 一般的な仏教はその対象を人間としていますが、密教では「生きとし生けるものすべて」が対象です。動物にも植物にも心がある、と空海は説きます。釈迦から大日如来へ法身仏の移動は、人間崇拝から「自然崇拝」への思想の変化をもたらしました。このことは、八百万の神を信仰する我が国の固有の信仰とも一致し、密教がわが国でも早くから定着する大きな要素ともなりました。
 自然崇拝とともに見られる特徴は、「肯定的」な教義です。一般の仏教には常に死後と、否定の影が付いて回ります。「空」思想は大乗仏教の根本教義ですが、その教義も「こだわり」を捨てることを説いています。そこには否定の影が見られます。
 これに対して、密教では一般仏教で否定的にとらえられている教義のほとんどを肯定的にとられます。
 まずは「生」です。「即身成仏」まさに死後ではなく、現世で仏になることが究極目標です。肉体の快楽さえも肯定しています。
 不動明王は密教で初めて登場するか神ですが、仏教一般では戒められている憤怒の表情をしています。密教では、真理を実現させるための怒りは許されるのです。仏教一般では静かなる慈悲の笑いは許されますが、大笑いは禁じられます。それも、密教では楽しみかな生命よ、と大笑いも許されます。色についてもそうです。一般仏教では白黒の2色ですが、密教では5色、つまり全ての色が許されます。
 密教芸術は、絢爛豪華です。如来は通常裸形ですが、大日如来は菩薩形で絢爛に着飾っています。

 長く死をみつめ、情感を抑えてきた仏教は、密教によって、肯定の思想へと大転換を図ったのです。

 

 以上、長々とした文章となりましたが、序章として全体の概要をまとめてみました。

 以下、各論に入ります。

 

 ということで、本日はここまでです。次回より各論に入り、次回は「第1章 空海の思想の背景」のうち「1.空海の経歴」「2.空海の経歴の要点」を取り上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


仏教思想概要8:《中国浄土》(第5回・最終回)

2024-02-03 09:50:41 | 08仏教思想8

(神代植物公園・つばき園にて    2023年12月7日撮影)

 

 仏教思想概要8《中国浄土》の第5回目、そして最終回です。
 「第3章 中国浄土教の成立と発展」に入り、「1.中国浄土教の成立―他力本願の浄土教-」「2.曇鸞の浄土教」「3.道綽の浄土教」と見てきました。
 そして本日は最後に「4.善導の浄土教」「5.中国浄土教の思想概要のまとめ」を取り上げます。

 

 

4.善導の浄土教

4.1.善導の略歴
 本文では、善導の略歴についてあまり書かれていません。このためウキペディアの情報を中心に整理してみました。(表20)

4.2.善導の思想

4.2.1.善導の教化

(1)『続高僧伝』にみる善導
  導(613-81)の伝では、善導と同時代長安南方の終南山で戒律研究と仏教史伝編纂につとめた道宣(どうせん)が書いた『続高僧伝』が善導の宗教的人格をあざやかに浮き彫りにしています。(下表21参照)

(2)善導教化の跡

 善導の教化の跡は下表22のように整理できます。

4.2.2. 善導の現存する著述
 善導の現存する著述を整理すると以下のとおりとなります。(表23)


 善導の主著は(1)の『観経疏』にあると言えます。以上の(2)~(5)の四部は、常に自己が無限の過去から今日まで、限りない罪過を犯してきた罪悪凡人であることを、大衆とともに告白懺悔し、心を浄める宗教礼儀を行うべきと一貫して強調しています。

4.2.3.『観経疏』の意義

(1)玄義分について
 玄義分は『観経疏』の総論ですが、その概要は以下のように整理できます。(表24)

(2)序分義について
 善導は、『観経』の序文・王舎城の悲劇に解釈について、独自の見解を示しています。
 その内容は次のとおりです。
 「多くの学者は、釈尊から観経を聞いた韋堤希(いだいけ)はすでにさとっている聖者が女身の姿をかりて仏の説法を求めたのだと説いた。これは韋堤希夫人を高く聖者に昇化して、聖典の尊さを高めようとしたものだが、しかし善導は彼女を親子が相憎み争うというような、たえがたい矛盾罪悪に満ちるこの世界を生きる愚痴の女性であるとしている」
 つまり、観経は、今の世の罪悪凡人一切のために広く開かれた救済の教えだと確信して、王舎城の悲劇を「今時の大衆」のために説き教えたのが当時の学者と異なった善導の教えであったのです。

(3)定善義と散善義
『観経』の実践法として観経十六観があります。従来、この十六観全部が定善義であると定義づけられていました。これに対して、善導は、前十三観が韋堤希の致請に答えた定心(じょうしん)による浄土観見法(定善)の教えであり、のちの三観は仏が請わざるにみずから進んで説いたあらゆる凡人のための教え、散善で、したがって観経の直接目的は後三観(九品)にあるとの新説を打ち出したのです。
 定善十三観は心を静めて、極楽浄土を観想することであったが、それは万人にとって必ずしも可能なことではない。瞑想出来ない人間が極楽浄土に行くには善をつめばよい、それが散善というわけです。
 『観経』では人間を上の上から下の下までの九段階に分け、その階位に応じて極楽浄土へ行く早さや、そこでの仏さまのサービスを区分しているのです。
 (九品:浄土教で分けられた九等の階位。極楽浄土に往生するための散善行の九つの種類。九品の人とは、すなわち未来世も善悪あらゆる衆生・聖者に非ず、凡人であることで共通している一切の人々である)(参考:観経十六観 表25)

4.2.4.善導の専修一行への道
 善導の仏教においては、念仏の対象は十方浄土の諸仏のいずれの仏でもよいわけである。彼は無理な牽強付会(けんきょうふかい:強引な理屈で事実や道理を曲解するさま)の注釈はしなかったのです。
 善導時代に入ると、先輩の高僧信行の三階教がふたたび盛んに復興し、僧俗一体の新現代仏教運動としての活動が行われていました。善導は普敬普行(ふっきょうふぎょう)の主張を認め、「自讃毀(じさんき)他罪」(自宗のみを主張して、他宗を非難攻撃すること)を仏徒として犯してはならぬと戒めています。
 しかし、善導は信行の『普敬普行、普の実践仏教』では、いまどきの凡人には誘惑雑念が集まり、紛乱して、実践修行の効をあげえない、専修一行でなければならないと説いたのです。

(1)仏道成就への三つのステップと善導の立場
 仏道を成就するには、安心(あんじん)・起行(きぎょう)・作業(さごう)の三に立脚すべきであるといわれています。
 善導は『往生礼讃』で「安心して起行し作業して必定して浄土に往生す」とし、以下のようにまとめて説明しています。

・三心(さんじん:安心)
・五種正行(ごしゅのしょうぎょう:起行)
・四修法(ししゅほう:作業)

(2) 三心とは
 『観経疏』では、善導は経文の「至誠心(しじょうしん)」・「深心(じんしん)」・「回向発願心(えこうほつがんしん)」の三心こそ、浄土信仰者の安心であり、実践の根底となるものとし「三心すでに具われば、行として成らざるなし」と説いています。(下表26参照)

 

(3)起行とは
 実践行について浄土信仰をいかに確立していくかというで、善導は独自に五種正行(しょうぎょう)(礼拝正行・讃嘆(さんだん)供養正行・観察正行・読誦(どくじゅ)正行・称名正行)を立てています(『往生礼讃』にて)。(下表27参照)


 この中で彼は「称名」こそ一切衆生の生活を貫いて共通に専修されるべき浄土正行としたのです。
 「散善義」の終りに「上来、定散両門の益を説くといえども、仏の本願の意に対応すれば、仏の意は衆生が一向もっぱら彌陀仏名を称するにあり」と結論しているのです。
 さらに以下のように断言しています。(表28)


 ここに曇鸞-道綽を経て善導に継承された浄土三部経を所依とする浄土教義・信仰はアミダ仏の本願力を深く信じ頼んだ念仏一行として結実したのです。その念仏は禅定の心中を観念思惟する念仏ではなく、アミダ仏の名を称する専修称名念仏一行に帰結したのです。

(3) 作業とは
 称名行を相続して、生涯を称名行の信仰実践で貫き生きることで、「四修(ししゅ)」をさします。(下表29参照)


 要するに、三心・五種正行・四修という教義も、ひっきょう、専修称名の一行一本願力念仏の信仰に帰するものです。

(4) 日本の「法然」への影響
 「散善義」の一文(「一心に専ら云々」(表28の文)は、念仏宗開創に回心決行した、法然の感激回心の一文にあったと伝わっています。
 「ひとえに善導に依る」と浄土宗開創に標榜した法然が、例えば死にさきだって「下表30」と遺誡(いかい)したのも、唐の善導の「念仏で生活を貫く」信仰の日本における提唱であり、実践であり、徹底であるといえます。

4.2.5.善導の修行への姿勢

(1) 「念々常懺悔(ねんねんじょうさんげ)
 善導は持戒厳重、修道真剣な僧でありながら、自分の人間としての生活は、感覚があるかぎり、生活がつづくかぎり、常に罪過にまみれることを自覚し肯定する凡人であった。さればこそ日々六時の礼賛に必ずきびしいさんげをすることを忘れなかったのです。
 彼は仏前、大衆を前にきびしい罪の告白懺悔を日々する。否、一日六時にする愚悪の凡人善導、日々六時に清浄なり、日々に清浄になり、一切衆生とともに理想の道を進む同志として南無阿彌陀仏する。日々に罪を浄めて聖、聖にしてまた罪にそむ。凡聖の生活をくりかえしつつ浄土欣求してやまざるものが、善導の生涯であった。まさに「念々常懺悔」の念仏行者であり、市民男女への伝道奉仕行の宗教家であったのです。

(2) 半金色の聖者
 一方で、『観経疏』の結文をみると、そこでは善導は、相反する矛盾したような告白、霊夢を告げ、仏のような強い自信の語で結文しているのです。
 はじめに「余はすでに生死の凡夫、智慧浅短・・・」と言を起こしているが、アミダ仏などの霊夢の後、「上のごとき夢中の霊相は、われが本心から衆生のためにと願い、少しも自分のためにしたものではないので、(中略)この疏は已(すで)にかくのごとき霊夢によって証定され竟(お)わったものである。余はあえて確信をもって告げる。一句一字も加減すべからず、写さんと欲するものは、一に経法のごとくせよ。まさに知るべし」と仏説聖典に等しと確信する信念をもつにいたっているのです。

(3) 「二河百道(にがびゃくどう)」の譬(たとえ)とは
 善導が現実における浄土信仰のすがたを説いた譬え、日本の浄土信仰の指導者も、この譬の図をもって、浄土信仰を鼓吹したのです。
 この譬は、西へ向かう旅人が、旅半ばで二つの火の大河や無人の曠野、群賊・悪獣などに前進を阻まれたとき、大河の中間に出来たあまりに狭い「白道」に導かれた様を表したもので、その趣旨は以下のようなものです。(表31)


 この譬は善導の修道体験そのものを語っていると考えられます。

(4) 善導の結び(「法事讃」より 表32)

5.「中国浄土教の思想」概要のまとめ
 中国浄土教は、『般舟三昧経』による慧遠の自立本願の浄土教としてスタートしました。その後、般若教学の成立とともに翻訳された「浄土三部経」(『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』による他力本願の浄土教へと発展・成立をみます。この成立には、『阿弥陀経』の翻訳者でもあった鳩摩羅什やその弟子の僧肇も大きな影響を与えることとなりました。
 他力本願浄土教の開祖曇鸞は「浄土三部経」による浄土教を確立するとともに、『無量寿経』のアミダの本願を特に重視、仏教理論に基づく布教を行い人々の尊敬を強く受けます。
 曇鸞を引継いだ道綽はこれに対して庶民派の僧として、浄土教を一般大衆へと広めます。その道綽から特に『観無量寿経』を学んだ善導は唐の都長安での積極的な布教活動を行い、当時の中国における浄土教の地位を確立します。
 特に善導により、専修称名念仏一行の中国浄土教を確立することとなりました。ただし、宗派としての浄土教は、唐以降宋代になると、慧遠を慕う念仏結社「白蓮社」などが主流となる歴史をたどることとなりました。

 

 以上で、「仏教思想概要8 《中国浄土》」は終わりです。
 如何でしたでしょうか。長らくお付き合いいただきありがとうございました。
 次回からはいよいよ日本編に入ります。日本編は「空海」「親鸞」「道元」「日蓮」と四人の聖人を扱います。
 まず最初は、いい意味で人間たらしの大天才「空海」です。お楽しみに!しばらくお待ちください。