・・・美濃国 酒呑童子の会 地酒から地元酒へ!!・・・
《酒蔵ツーリズム・・・その4「福久若松」池田屋酒造(揖斐川町)》
揖斐川町の旧道を歩いてゆくと、その酒蔵はあった。創業は元禄2年(1689年)、今から420年前の江戸時代である。そんな歴史がそこかしこに感じられる老舗の酒蔵であった。

(酒蔵の全景)
「甕口(かめぐち)」という銘柄の新酒ができたよと、緑の濃い杉玉と、連子格子に貼られた文字が誇らしげであった。

(杉玉)
仕込み水は、「神の恵み」と云われる揖斐川の伏流水。優れた新米だけを使って仕込まれた新酒は、なかなか手に入らないそうだ。

(店頭)
なんといっても、その歴史は古い。西美濃では一番とか・・・その伝統に裏打ちされた味は、日本酒の通を唸らせるとか。

(新酒の案内)
こんな張り紙一つも嬉しい。見たことも、聞いたこともない遠くの酒蔵より、こんな張り紙で地元の方に親しまれている酒蔵が嬉しい。「今年の新酒はどうかな!」「杜氏さんは、今年も頑張っているかな!」そんな呑ん兵衛のつぶやきが聞こえてきそうであった。

(帳場)
江戸時代前期より、ここで商われてきた商売が偲ばれる。建物は変わったかもしれないが、この店先から揖斐川の船便にて全国へ酒が送り出されたのであろう。

(煙突の見える風景)
揖斐川町は小さな田舎町である。谷汲街道が町の中を抜け、多くの巡礼が池田屋酒造の前を通ったことであろう。西国三十三観音霊場の華厳寺で満願を迎えた巡礼が、装束や杖を笈鶴堂に納め、精進落ちにお酒を求めたのかもしれない。
煙突の見える風景・・・昭和30年代、ちょっとした田舎町には煙突が幾つもあった。町工場、銭湯、造り酒屋・・・その先から煙が出ていることが、その町の活気を物語っていた時代であった。
池田屋酒造株式会社
揖斐郡揖斐川町三輪612-1
電話 0585-22-0016
代表銘柄 「福久若松」「甕口」「祝菊」「美濃冨士」
《酒蔵ツーリズム・・・その4「福久若松」池田屋酒造(揖斐川町)》
揖斐川町の旧道を歩いてゆくと、その酒蔵はあった。創業は元禄2年(1689年)、今から420年前の江戸時代である。そんな歴史がそこかしこに感じられる老舗の酒蔵であった。

(酒蔵の全景)
「甕口(かめぐち)」という銘柄の新酒ができたよと、緑の濃い杉玉と、連子格子に貼られた文字が誇らしげであった。

(杉玉)
仕込み水は、「神の恵み」と云われる揖斐川の伏流水。優れた新米だけを使って仕込まれた新酒は、なかなか手に入らないそうだ。

(店頭)
なんといっても、その歴史は古い。西美濃では一番とか・・・その伝統に裏打ちされた味は、日本酒の通を唸らせるとか。

(新酒の案内)
こんな張り紙一つも嬉しい。見たことも、聞いたこともない遠くの酒蔵より、こんな張り紙で地元の方に親しまれている酒蔵が嬉しい。「今年の新酒はどうかな!」「杜氏さんは、今年も頑張っているかな!」そんな呑ん兵衛のつぶやきが聞こえてきそうであった。

(帳場)
江戸時代前期より、ここで商われてきた商売が偲ばれる。建物は変わったかもしれないが、この店先から揖斐川の船便にて全国へ酒が送り出されたのであろう。

(煙突の見える風景)
揖斐川町は小さな田舎町である。谷汲街道が町の中を抜け、多くの巡礼が池田屋酒造の前を通ったことであろう。西国三十三観音霊場の華厳寺で満願を迎えた巡礼が、装束や杖を笈鶴堂に納め、精進落ちにお酒を求めたのかもしれない。
煙突の見える風景・・・昭和30年代、ちょっとした田舎町には煙突が幾つもあった。町工場、銭湯、造り酒屋・・・その先から煙が出ていることが、その町の活気を物語っていた時代であった。
池田屋酒造株式会社
揖斐郡揖斐川町三輪612-1
電話 0585-22-0016
代表銘柄 「福久若松」「甕口」「祝菊」「美濃冨士」
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