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吉祥日和

オトナな大人の見かた・考えかた・感じかた,および出来事
~イケてる大人になるための自己応援ブログ~

仲間

2005年07月17日 23時47分38秒 | 出来事
本日は友人の結婚式に行ってきました。
招待客は新郎新婦の友人が中心になり、和気あいあいとした雰囲気で行なわれ大変良い挙式でした。

彼女は前の会社の同期入社です。
この時の同期はとても仲が良く、色々な企画を立てては遊びにいました。
今では私を含め転職した者が半数を占めるようになり、それぞれ所帯を持ったり、子供ができたりと当時のように会える機会は少なくなりましたが、変わらず大切な存在です。
新卒で入社して、辛いことや苦しいことを共に乗り越えてきたからでしょうか。
みんな言葉には出しませんが、そこにはというものが、確実に存在しています。

人の繋がりというものはとても貴重だと思います。
特に学生時代からの繋がりや、仕事での繋がりが自分の心の「支え」になっている人は多いのではないでしょうか。

自分が大切にしたいと思えば、きっと相手も自分のことを大切に思ってくれるはずです。
今繋がっている友人たちを大事にするとともに、これからも多くの繋がりができるようになりたいと思います。








ホワイトバンド

2005年07月07日 16時05分40秒 | 出来事
ホワイトバンド買ってきて!
言われるがままに書店に赴いた。
どんなものかわからないので、店員さんに「ホワイトバンドってあります?」と訪ねたら、売り切れとの回答。
帰ってから聞いてみたら、どうやらほっとけない世界のまずしさキャンペーンなるものの一環らしいです。

「3秒に1人、子どもが貧困から死んでいます。食べ物がない、水が汚い、そんなことで。この状況を変えるには、お金ではなく、あなたの声が必要です。貧困をなくそう、という声を表すホワイトバンドを身につけてください。」(HP引用)

このような趣旨です。
世界各地で同時開催されており、著名人も数多く参加してます。
ビル・ゲイツやブラット・ピット、サッカーの中田英寿、ミスチルの桜井和寿・・etc。

有名人がこういった活動を行なうと、「売名行為では」などと言われたりして意見が分かれるところですが、私は賛成です。
ボランティア活動に興味がない人や、興味があってもなかなかできない人にとって大きなきっかけになるじゃないですか。
特に若年層や我々日本人はわかっていても、きっかけがないとできないですよね。
私も学生の頃、サークル活動の一環として、駅前で募金活動やったことがあります。
気恥ずかしさもあり、口ではかったるいなどと漏らしていたものの、心は充実してた憶えがあります。

現在、品薄になっており手に入れるのが困難のようですが、それだけ社会の関心を得ており、賛同している人が多いと思うとなんだかうれしくなりますね








サイパン慰霊訪問

2005年06月30日 02時14分19秒 | 出来事
27・28日と天皇・皇后両陛下がサイパンに慰霊訪問されました。

私は6年ほど前にサイパン旅行に行ったことがある。
マリンスポーツやショッピングストアに満ち溢れ、海に潜り、空を飛び、ドライブにと満喫し、とても楽しく過ごすことができた。

そんな中、バンザイクリフに立ち寄る機会があった。
その近辺にはまだ、当時の戦火の様子がまざまざと残っている場所もあり、改めて感慨深い思いにふけったのだ。
そのときバンザイクリフから臨んだ様子は、今でも忘れることができないほどの印象を受け、考えさせられたことを思い出した。

当時、サイパンは南洋委任統治領として島へは3万人近くの日本人(8割は沖縄出身者)が移住し、市民(他に島民4000人)生活を送っていた。
島が戦時体制に移行後、60歳以上の老人と婦女子は本土強制送還の対象であったが、送還中に船は相次いで爆撃、撃沈。1000人を越す被害者が出、全員を送還できないうちに米軍が上陸した。
次第に追い詰められた日本軍は最後の「バンザイ突撃」を敢行して「玉砕」した。そのとき、「武器もない者も多く、棒の先に銃剣を付けたり、石を持った者もあった」という。
北端に追い詰められた日本人は、米軍の降伏投降の薦めにも関わらず、次々と自決、あるいはマッピ岬(サバネタ岬)の断崖から身を投げた。(現在のバンザイクリフ)
日本兵約4万3000人と在留邦人約1万2000人が亡くなった。米軍はテニアン島を含めて約5000人、チャモロ人ら現地住民約930人が死亡した。

戦後60年という節目に両陛下が慰霊目的で、太平洋戦争の激戦地であったサイパン島を訪問したことは再び考える機会を与えてもらった。

「戦争」について 「平和」について

私は戦争が「どういったもの」であったか
当時の人たちが「どんな思い」だったのか
実際にはわからない。

しかし、学ぶことはできるはずだ。
「どんなもの」だったか、「どんな思い」だったかを

私は幼い頃から、母親に広島の原爆の話を読むことを薦められ、関連した映画にも連れて行ってもらった。
今でもそのことをよく覚えている。
それは幼心にはとても強烈なインパクトがあり、夢にもでてくるほどの恐怖を感じたものだ。
今思えば、子供なりに必要性を感じていた。
そのおかげで、旅行に行った際には、こういった場所を必ず訪れようになった。
当時のことを「知りたい」と思っている。
絶対に忘れてはいけないし、繰り返してはいけないと思っている。

そのために「知る」必要があるはずだ。

我々がよく訪れるリゾート地には、過去にこういった歴史がある場所が数多くある。
もし訪れた際には、少しの時間でもこういった場所に立ち寄ってみてはいかがあろうか。

私の父親が生まれたのが昭和20年。
終戦の年だ。
父親の年齢が戦争が終わってからどれくらい経っているかを示してくれている。











激写!?

2005年06月26日 01時31分13秒 | 出来事
最近、「自然に触れる喜び」をよく感じる

家の庭に、よく鳥がやってくるのだが先日、珍しい鳥が来た。
体長はおよそ20センチくらいはあったであろうか。
「尾が長く、色鮮やかな鳥」であった。

これは写真に納めるべきとケータを手にした時には、既に時遅し・・。
とこかに飛んで行ってしまったらしい。

その日の午後、群馬県水上町の山中に行ったのだが、そこで「野猿」を目撃したのだ。
これにはたまげた。
7,8匹くらいの群れがいたのだ。

これこそ、シャッターチャンスと思い、ケータイのカメラで激写を試みるものの、運転していたため、操作に手こずり、あえなく失敗・・。

その後、群馬県渋川市にて、渋川・伊香保ICの入り口付近に見事に咲き誇る「紫陽花」を発見!

今度こそ、と思ったのだが、またしても運転中。
操作に手こずり、失敗・・。

再三の失敗について原因を追究することにした。

何てことはないすべては、ショートカットボタンを使用せずに、わざわざ「メニュー」からカメラを起動させていたのが、遅くなった理由である

これでも、先月までケータイの販売しておりました。
なんてとても言えません






噂の届きました

2005年06月20日 04時15分02秒 | 出来事
「mixi」の招待状。

噂では聞いていましたが、オレンジ色のにくいヤツ

何の前触れもなく友人から届いて「ウキッ」ってなりました(笑)

早速登録してみたさ。

早速日記もつけてみたさ。

けどまだよくわからん・・。

なんでも社会勉強ですよね、姉さん

創刊号!!

2005年06月13日 00時47分54秒 | 出来事
ぶろぐ・・・
ブログ・・・
blog・・・・・

ついに初創刊です
日々暮らしていく中での出来事を思いのまま書き綴りたいと考えております
なんたって書きたいことは盛りだくさんあるのですから
フッフッフ・・・(笑)

私、吉祥寺が好きです


吉祥寺日和

「吉祥寺」ものすごく好きな街だ。
なんでだろう。
それには様々な答えが思い浮かぶ。
ワクワクする。ドキドキする。ウキウキする。
なんて抽象的な答えだと思われるかもしれない。
だけどそんな抽象的な言葉があっているのだ。
理屈ではなく、ただ町を闊歩しているだけでもなんとなく楽しい気分になってしまう。

街を行き交う人々を眺めるのも楽しい。
井の頭公園でのんびり過ごしている老夫婦。
いせやで立ち飲みしながら、焼き鳥をつまんでいるオジサン。
カフェでうれしそうに話をしているカップル。
メンチカツを買うために、通りをまたぐほどの行列に並んでいる人々・・・etc

昔からの面影を残している反面、常に進化していく街。
オシャレな匂いを醸しだしつつ、田舎くささを残す街。
マニアなものと日用雑貨が交錯する街
着飾っても、普段着でも行ける街。
狭すぎず、広すぎない街。

そんな街。
それが吉祥寺という街。


ちなみに詩人ではありません(笑)

住みたい町の上位にランキングされるこの街は、老若男女問わず愛されています。
私もその一人でそこに居るだけで、なんか気持ちが癒されるんだよなぁ。

どうぞごひいきに