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動物と一緒に生きる!

ニューヨーク在住フリーライターYoshikoのブログ

小沢健二とニューヨーク

2011-11-10 03:47:27 | 日常どうでもいいことなど

小沢健二はいまでもNYに住んでいるのだろうか。。。?

大分前に某音楽雑誌に投稿して没ったのを、くやしいので載せときます。

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ガゾリンスタンドの休憩所に簡易絨毯を敷いてお祈りを始めるムスリムのおじさん。カールした長いもみ上げを帽子の横から垂らす全身黒尽くめのユダヤ人紳士。腕を組んで楽しそうに歩くイタリア系のおじさんゲイカップル。わたしの住む街は世界で一番多くの人種が共生し「常識」さえも民族によって異なる移民の街ニューヨーク。一日五十セントの記帳係から一代で富を築いたロックフェラーのように、自分次第でアメリカンドリームを実現できるとされるこの国へ世界中から多くの人達がやってくる。
 頑張ればいつかセントラルパークを望むアッパーイーストの高級マンションにも住むことができる。みんな毎日一生懸命、昼も夜も関係なく働き続けている。だけどこの国に来て数年、日本で何となく感じていた「何かおかしい」の形が明らかになってきた。

 レストランの厨房にいたホセは笑うと歯が何本かないエクアドル出身のおじいちゃんだ。朝五時の仕込みからランチタイムのピークが過ぎる午後三時まで働くホセは英語が話せず文字も数字も読めない。ゴキブリが這う夏場は息をするのも苦しい地下倉庫が彼の更衣室兼休憩所だ。小さな体で自分の身長よりも大きなデリバリを一人黙々と運んでいた。ホセが運ぶのは工場で大量に下ごしらえされたチキンマリネやスライスドポーク。これらの肉は原価の安い工場制畜産農場から仕入れている。オーガニック店以外ニューヨークのほとんどの店の肉や卵は工場制畜産農場からのものだ。A4サイズのケージに二羽ずつ詰め込まれて死ぬまで卵を産ませられ続けるの鶏、卵を産まない雄のヒヨコは生きたままシュレッダーにかけられる。この国で年間殺される食肉用牛の数は三千万頭以上で、一時間に三百頭以上の加工スピードを誇る食肉工場で働くのは南米からの不法移民だ。家族のために危険と隣り合わせの仕事に安い賃金で従事する彼らの中には、指や腕がなかったりする人が少なくない。ホセの指はちゃんとあったけど肉体労働をする彼らの給料はわたしたちより遥かに安かった。
 美しい泉の底に沈んだありとあらゆるものの残骸。目を覆って今までの痛みのない生活に問題なく帰っていくには、その光景はあまりにも残酷すぎた。
 世界を一つにするという完璧なシステムが万物の法則のように鎮座して、すごいスピードでわたし達から思考と感覚を奪う。生暖かい泥の中でいつしかその手足になったわたし達は多様性と可能性を楽しむ代わりに、百年前から佇んでいた草や虫までも速度の中に巻き込んでいく。
 地下鉄で誰かがボブ・ディランとトム・パクストンを奏でている。散らばったゴミと黒く変色したガムの群れがホームに奇妙なアートを作る空間に一筋の清らかな旋律が流れる。みんな立ち止まるけど、ホームに休みなく行き来する車両に吸い込まれる体に逆らえる人は誰もいなかった。幸せになるためには休んでいる暇なんてない。受け取り手を失くした旋律は茶色くくすんだトンネルの中に散ってしまった。

 小沢健二に出会ったのは十五年以上も前、高校生だったわたしは弾むような「ラブリー」に心を奪われ、レンタルしたシングルをカセットテープに録音して駅までの道のりを毎日聴いて歩いた。重そうにギターを抱えお世辞にも上手いとはいえない歌を呼吸困難気味に歌う「王子様」に、わたしの目が周りの女の子達のようにハートマークになることはなかったけど、彼の歌は何回も聴いた。単発的にリリースした宝石のようなシングルと複数のアルバムを残して姿を消した彼が社会主義めいたエコ活動に没頭しているという噂を聞いた時は、ドラッグや新興宗教にはまる落ち目の有名人のようで悲しかった。だけど二十年以上無意識に生きてきた「日常」外に出て「何かおかしい」の原因が見えてきた時、彼が同じ「日常」内にいながら外の目も持つことが出来ていたことに気付いた。ファーストフード、ハリウッド映画と、「英語」という外国語が溢れるアジアの一国の「日常」。

 自分でも出来ることからやろううとして、放し飼い飼育の卵や、飼育状況が明記されてるものを選んで買うようにした。だけど値段は倍以上、財布はすぐに悲鳴を上げ始める。自然派商品を誇る大手スーパーマーケットでさえ放し飼い飼育の製品の産地情報は公開していない。このままではベジタリアン、果てはヴィーガンにならないといけない。スーパーマーケットの隣のペットショップでは犬や猫が狭い檻の中からわたしを眺めている。
 オーナーの不当な搾取に対抗しようと呼びかけた友人活動家の提案に、家族のために貴重な収入源を失うわけにはいかないホセや他のラティーノ達が応じてくることはなかった。自分なんかに何が出来る。できると信じて膨大な時間を費やして何も変わらなかったとしたら。
 どうしようもなくなったとき、いつも記憶の底から引っ張り出していたのは彼の歌だった。駅までの道のりや自転車で行くだだっ広いだけの田圃道や、足元に転がっていたもの達が目に映る感動。それは懐かしさとか思い出とかいう不安定なものではなく、地球が周り朝が来て夜が来るのと同じ確かさを持ったものだ。こんな風に言うと王子様幻想をしぶとく抱く信者だと思われるかもしれないけど。彼の歌には昔から、目を逸らすことができない普遍の美しさがあった。

 2010年5月、日本でのコンサートに参加することは叶わなかったけど、その内容を見ただけでも素晴らしかったことがよくわかる。懐メロでもなく、かといって新生小沢健二を披露したわけでもない。それでも違和感を感じないのは、彼が今も昔も変わっていないからだとわたしは思う。アルバム一つ一つの色は違っても、生きることそのものを再確認させてくれる彼の世界観はフリッパーズ時代から変化していない。アメリカ人、メキシコ人、日本人。鳥や魚の種類が違うように人間にも人種や民族がある。コンサートの題名は「ワン、ツー、スリー、フォー」ではなく「ひ、ふ、み、よ」。自分の国の言葉で数を数え歌を歌うという素朴な行為のかけがえのなさに気付いたとき「いつも外にいるのが役割」と言っていた小沢健二の言葉が腑に落ちた。
 ”JFK”から”東京タワー”、”いちょう並木”や”公園通り”へ。
 小沢健二は聴き手と演奏者のささやかな瞬間を媒体に、外側からの目でのみ見ることができる景色感覚を届ける。跳ねるピアノ、夜明けを告げるトランペット、脈打つベース。否定不可能な現実の音がゴスペルのような高揚感をもって目の前に差し出される。
 ”日向で眠る猫”や、”薄紅色に晴れた町色”。
 目の前にぽっこりとあらわれたLIFEの煌きひとつひとつを彼はいつも拾い上げ続けてきた。そして”暖かな血が流れていく”自分の体。

 彼が旅したという南米の風景や動物、虫たちの映像がスクリーンに映し出される。訪れた人たちはコンサートを通して、世界は一つではなく、だからこそ美しく限りない可能性に溢れていることに気付く。その昔世界を巡る吟遊詩人や”ほんの一夜の物語”が果たしていた役割はいまでも世界の道端にある。音がわたし達を貫き体中の血を躍らせるのは、夜空の星に無限の宇宙を想像して小さな悩み事なんかどうでもよくなる事に似ている。それは鳥が羽いっぱいに風を含むことや魚の鱗を滑る水流と同じ。
 欧米が征服を始める十七世紀より前、花や鳥とともに生きていた人達は、今置き去りにされた時を乗り越えるように国境を越え続ける。ある人は歩いてある人は荷台に隠れて、見つかれば射ち殺されるかもしれない危険を冒しながら。この国でのスペイン語人口は三千四百万人。ある州では「スペイン語を公用語に」という主張が議会にまで達した。ひとつひとつの足跡は完璧なシステムに走る一筋の亀裂になる。

 そしていつか夏のある日 太陽のあたる場所へ行こう (戦場のボーイズライフ)

 ニューヨーク北部にファームサンクチュアリーという牧場がある。そこは工場制畜産農場からレスキューされた動物達が生涯安心して暮らせる場所だ。
 子牛ほどの大きさの豚が太陽の下で泥浴びをして、鶏や七面鳥が羽を広げて走り回っている。七面鳥の丸焼きでお祝いする感謝祭の日に、ここでは文字通り七面鳥に感謝のご馳走をふるまう。つい最近わたしがフェイスブックにアップした翻訳を見て飼い犬をシェルターに送るのを思いとどまった人がいるという知らせを聞いた。

 いつか悲しみで胸がいっぱいでも
 OH BABY LOVELY LOVELY 続いてくのさデイズ (ラブリー)

 あれから十五年。みんな誰かを待っていていつか必ず誰かに出会う。彼の歌の根拠のない明るさに裏切られたことは今まで一度だってない。初めて彼の歌に出会った学校帰りの夕暮れ。水たまりが光る道路。右手にレンタルショップがある駅までの道のり。未来は雨上がりの空のように輝き、色を変えながら輝き続ける日常の中でわたしは”誰かの待つ歩道を歩いていく”。


国際宇宙ステーション(ISS)からの眺め

2011-09-04 08:07:07 | 日常どうでもいいことなど

国際宇宙ステーション(ISS)からみた地球の風景を集めたサイトがあり、とても感動したのでリンクをのせておきます。

http://triggerpit.com/2011/04/21/beautiful-planet-oh-i-so-want-to-go-to-the-iss/

(上のサイトから転載)


写真は全部で34あり、
宇宙から見た天の川や、放射線状に広がる夜のモスクワの市街など、癒されます。
上の写真の上部にはISSの一部と日の丸に「JAPAN」の文字が写っていて、なんかちょっと嬉しい。

一つ一つの写真の説明文もとても素晴らしかったので、とくに感動した文の一つを訳してみました。

21番目:イラク、カデシャー湖とユーフラテス川
「ハディーサ・ダム ユーフラテスの土堰堤でハディーサ北部にあり、カディシャー湖を形成する。宇宙から見たその姿は中国のドラゴンのようだ。イラクのたくさんの美しい場所がそこにはあるが、残念ながら果てしなく続く暴力と戦争がその行く手を阻んでいる。いつの日か、この見事なチグリス・ユーフラテスデルタと、そこに隠された史跡のすべてを、わたしたちが訪れることができる日が来るだろう、おそらくその頃にはエデンの園でさえも。」


地元 滋賀

2011-07-02 12:05:17 | 日常どうでもいいことなど

今週あたまから日本に帰ってきてます!

いま実家の滋賀県です

日本、やっぱりいい!暮らしやすい!

青い田んぼと山。昼はひばりが空の上で騒いでて、夜は竹林が風になびく音と川にナマズがあがってくる音が聞こえる。

今の季節は枇杷が盛りのようで、行くとこ行くとこ橙色の枇杷がびっしりとおいしそうに実をつけて、さらにそれをカラスが食べに来ています。


(7/20再アップ)

 

され中です。

でもデジカメのメモリーカードがおかしくなって、ここにアップしようと思ってた写真が消えてしまった。。。

でも新しいメモリーカードを買うのでこれからどんどん撮りまくります。

来週末から、宮城と福島に行ってきます。


風呂洗い洗剤

2010-06-10 06:07:21 | 日常どうでもいいことなど
お気に入りの風呂洗い洗剤がある。

なぜならイメージマスコットがかわいいから。

アメリカにはじめてきたとき使って以来、その丸い形状のかわいさにハマってます。

なにがかわいいって?

あたまの丸さとか、頭から直接生えたブラシとか。

年代ごとに微妙に進化してるとこがマニア心をくすぐるんです。

(↑写真は一年ほど前のやつ、最新バージョンでは目が大きく顔全体の堀が深く進化を遂げている)

ちなみに一番最初に買ったときは眉毛がなかった。

洗剤として優れてるかどうかはどうでもいいんです。
(とりあえずきれいになるから洗剤としての役目は果たしてる)

ヘルスィーくによし

2010-04-28 10:26:52 | 日常どうでもいいことなど
ヘイHayHey塀HayHeyHayHeyヘイ!

注:Hay=牧草

ばりばりばり!
ぼりぼり!
やったーーーーーー!
食ってます!
くによしがHayを!

つ、ついに。。。!

事の発端は彼が草を拒否し始め、うんこの大きさががタイ米からコシヒカリにかわったことだった。

以前はむさぼるように食っていた牧草を投げ捨てるようになり、やわらかいレーズンやペレットしか食べないようになった。

原因は不正咬合で葉が変形して伸びてる
獣医につれていき削ってもらったものの、

三ヶ月たってもあまりかわらずこんどは食欲まで落ちてきた。
初診ですでに$600以上もかかってたのでヤブかな。。。と疑いながらも再び同じ獣医の所へ行くと「ああ~また伸びてるなあ」と、再び削る羽目になった。
二回目の治療費は、レントゲンなどを撮らずにすんだので$300。

たかいですなあ。
でも
ここは医療費が払えず破産する人が後を立たない国、アメリカ。
ペットも例外ではない。

病院から帰った後は、なにがなんでも牧草しかあげないようにした。

投げ捨てられても牧草。
暴れても牧草。
ぶつぶつ文句言ってても牧草。

そしたら!

もさもさもさ。。。ばりばりばり。。。もさもさ。。。ばりぼりばり。。。

まさかとおもってそっと盗み見てみると。

く、食っている。。。!

齧り木を与えてみると。。。

ばりばりばり!

くによすぃいいいいい!!!

いまでは歯のためにペレットは週に一回ていどで、あとは毎日牧草です。
草を食って歯を

ヘルスィーばんざい!
くによしばんざい!




日本

2009-09-24 00:39:07 | 日常どうでもいいことなど
っていい国だとおもった。
こういう言い方をするといろいろ語弊があるかもしれませんが。

毎年8月になると、「広島」、「長崎」、「終戦」という言葉がどかしこから聞こえてきて
平和ってなに?戦争ってなに?
と考えるきっかけになる時期が一年に一回はかならずあるからです。

とあるミュージシャンのブログをなんとなく読んでいてふと、8月の日記にはそれ関係の内容が多いのに気づいたからです。
ブログの内容から、そのミュージシャンは普段からいろんなことを考えている人なのだなというのがわかるんですが、でもやっぱりその時期になるとそれに関係した語句が多くなります。

こんなふうに、なんとなくでも戦争や平和についていろんな人が一瞬でも考えるきっかけをもてるということはとても貴重なことだと思いました。

それだけでも、とても恵まれた国なんだと思います。

すごい勘違い

2009-09-01 05:46:53 | 日常どうでもいいことなど
きょうサブウェイにのっててipodを大音量で聞いてるやつがいました。
NYの地下鉄は騒音がすごいです。
そのためでっかくして聞いていたのでしょうが、イヤホンの意味がないくらいにもれまくっている。

他の乗客も結構彼をチラ見したりしてうざったそう。
わたしがイヤホンで音楽を聴いていてもその上から聞こえてくるのでかなりうざい。

わたしは公共の場でまわりの迷惑を顧みない行動をとる奴をみるとものすごく腹が立ってしまいます。
そして気にしてるくせに何も言わない周りの連中にも怒りがわいてきます。

その時もそういったことに対する怒りがわいてきました。

「ボリュームをさげてくれませんか」
といいました。
でも彼は地下鉄の騒音の中+大音量の音楽のためかわたしの言ってることを理解できなかった様子。

でも「おれ?」と自分を指差してたのでわかってくれたのかなと思いました。
でも笑顔でなんかうれしそう。

でもいつまでたってもボリュームはさがらない。

こんなこと何回もいいたくないしなあ。はやく下げろよボリューム。

わたしのイライラは最高潮に達してきましたが、降りる駅も近づいてきてたことやしそのままでいました。

そして電車を降りるとき、彼がいきなり紙切れを手渡してきました。

内容は
「いつでも電話してきてネ」
しかもかわいいイラストつき

まじでか。

あまりの勘違いぶりに、最高潮だった怒りが一気にしぼみ、いままでの怒りは失せてしまいました。
そして彼の純朴さに、不覚にもすさんだこころがあったかくなってしまったではないか。

けんかを仕掛けようとして家に殴りこんだところを「うちでごはんたべていく?」と言われてしまった気分です。

わたしはいったい何をそんなにイライラしていたんだろうと。

でもおかげで重要なことを確信した気がする。

今回は勘違いでしたが、彼がいやな奴ではないということがわかりました。
説明すれば彼はきっとわかってくれるでしょう。

アメリカに住んでる人たち(とくにラテン系など)は陽気で細かいことにこだわらない人が多いので、大音量で音楽を流したり大勢で道をヨコ一列にならんで歩いたりします。

「他人に迷惑をかけるな」といわれ続けて育ったわたしたち日本の常識からみればありえないことですが、一方的に怒るのは間違っている、と職場の日本人のボスが言っていたのを思い出し、なるほどと思いました。

確かにそうですよね。
このひとたちはこういうことが気にならないんですから。

わたしたちにはうざい音も、気にならない人にとっては気にならないわけやし。
だからそんなときは、一方的に怒るのではなく、特に「こっちの気持ちもわかってね」という姿勢が大事なんだと思いました。

わざと迷惑をかけようとしているようなチンピラは問題外ですが。

くによしさん

2009-06-09 03:39:56 | 日常どうでもいいことなど
きみはきょうも檻に前歯をひっかけたままじっとしているね。

パンと勢いよく突き出たお腹。

みんなはきみのこと太り過ぎだって言うけど、それはお腹と毛皮のせいで、ほんとは君が折れそうなほど細い手足を持っているのを知っているよ。

いつもさわらせてくれてありがとう。
君のそのお腹にどんなけ心が癒されたことだろう。

きみが元祖ピカチュウだという事実をいったいどれだけの人が知っているのかな。

腹いっぱいになったときにドスンと横たわるきみの姿は人間のおっさんそのもの。
たまに床に落ちてるなまなましい長いひげは、時々わたしをぎょっとさせてくれるね。

きみはただ日々を生きてるだけ、だけど毛玉のように丸いきみのその姿にわたしはどんなに救われたか知れない。

あんまり外に出してあげられなくてごめんよ。

部屋をかじりまくるきみ、わたしの家は借家だけど、そんなこときみは心配しなくてもいい。
ペットとして一日中檻の中に閉じ込められているきみには、ストレスを発散する権利がある。

いつかきみがケージなしでもおもいっきり飛び回って遊べるような安全な場所に連れて行くよ。そのときは本能を思い切り開放して、チンチラとして生まれてきた喜びを思い切りあじわってしてほしい。

怒り爆発のポイント

2009-05-14 01:21:56 | 日常どうでもいいことなど
きのうボスが新聞にのってる記事を見せてれましたが、あまりに残酷で直視できませんでした。

それは「ペリカンが飛行機にぶつかってこなごなになってる」写真。

なんでこんな残酷な記事が新聞に、しかもただの「珍しいこと」としてとりあげられてるのか、理解できませんでした。

「こんなかわいそうなことが起こっている」と訴えるための記事なら納得できますが、ただ珍しいからというだけで、冗談めいた言葉までついて載っている。

このペリカンが人間ならありえないことなのに、ただの鳥だから「すげー、珍しいー」ですむんでしょうか。

ありえん。

わたしはNYの地下鉄のことはむかつく(基本以下の仕事をしておきながらお金だけはしっかり値上げしたりする)けど、本気で奴らに立ち向かっていこうとしていたらものすごい時間とお金と労力がかかります。
だからこれに対して何もできないわたしはあえてなにもいいません。

でも動物のことに関してはすこしずつでも変えていけるところから変えていきたいと思っています。

たぶんわたしがすごい衝撃を受けてるこのペリカンの写真事件だって、違う人から見れば、「確かに残酷かもしれんけどなにをそんなに怒ってるん?」って思う人もいると思います。

そういう人は、わたしの地下鉄に対する姿勢と同じで何もしないだろうし、なにも改善することはできません。

みんながこんなことあたりまえじゃんって思ってたら、物事は何にも改善しないし前進もしません。

世の中で起こってることはほとんど自分には「直接関係のないこと」です。

でも、怒りが爆発するポイントはみんなそれぞれ違っていると思います。

何かを変えていくことは大変だしめんどくさいことだけど、そのめんどくささをも上回るような、許すことのできない怒りのポイントの頂点に達するような事柄をすこしずつ改善させていこうと努力するようになれば、世の中はもっと住みよい、居心地のいいものになるんじゃないでしょうか。

受け流しの極意

2009-03-22 01:29:17 | 日常どうでもいいことなど
剣術に「受け流し」というのがあります。

これは、相手の剣を受けていては刀がポッキリ折れてしまうので、ちょっと斜めにして受け流すという方法らしいのですが、この「受け流す」という考えがどんなに大事かということを最近学んでいます。

なるほどよく考えるとこれは人間関係においても同じことが言えるのです。

例えば理不尽な理由で誰かから怒りをぶつけられたとします。

相手の怒りを正面から受けてしまうと、カッとなってすごい言い合いになったり、相当なエネルギーを消費してしまいます。

怒るということ自体がすごいエネルギーを消費するので、せっかくの貴重な一日がそれのせいで丸つぶれになってしまったりすることがあるのです。

でも、それを何らかの形で受け流すことができれば、自分も相手も時間を無駄に消費することなく気持ちよく怒りのパワーをスルーすることができるのです。

まあ、明らかに自分に非がある場合はあやまるしかないですが。

スルーの仕方については怒りの内容にもよるのでいろいろですが。とりあえず相手の怒りをまともに受けていては自分が損をするだけなんだということだけを肝に銘じていればいいのです。

わたしはこれを

・旦那とのやりとり(たいてい相手のことまで気がまわらず、自分の視点だけで常に何かに怒っている)、
・仕事の客(ヘルプデスクの業務上、電話をかけてくる時点で客はすでにパニクってるかムカついている)、
・NYの地下鉄(電車がこない(反対側ホームはすでに電車3本通過))

で学びました。

日々精進です。