マンハッタン金融街の中心、ニューヨーク証券取引所とワールドトレードセンター公園の間に位置するズコッティ公園は、その日も多くの人の熱気に包まれていた。わたしはそこにいる間自分がとてもリラックスし、落ち着いていることに気が付いた。
公園入口にそびえる巨大なオブジェ"Joie de Vivre"の下ではタンバリンとギターといった鳴り物にあわせて踊る人たち。時おりシュプレヒコールが上がる公園はごった返しているがお互いに譲り合う風景も見られ殺伐とした雰囲気はない。公園の中心には無料で食事を提供する場や、本が読める図書スペースもある。公園内に落ちたごみを掃くメンバーの姿も見られる。CNNやABCといったメディアの車両と警察の車両が止まっているが、デモにありがちな激しさや物々しさは微塵も感じられない。「今日は逮捕者が何人」という連日の報道から、暴動さながらの様子を想像していたわたしは肩透かしを食らったようだった。
教師のシュプレッサ(30)さんは「反イラク戦争のデモを見たことがあるけど、その時と比べてもずっと組織化されてるのがわかる。これは、わたし達は現在の体制を受け入れられない、ということを表すためのはじめのステップにすぎない」と言った。
バンクオブアメリカ(銀行)、AT&T(電話会社)など巨大企業は税金を払えと主張する人、それらCEO(最高経営責任者)と平均労働者の所得格差を主張する人や、戦争にばかりお金を使わずホームレスにトレーニングや仕事を斡旋することが必要と主張する人、石油に代わる公害の出ない太陽水素エネルギーを研究、その効率を推奨する科学者もいる。
国別の給料比較 最高責任者(CEO):社員
バンクオブアメリカ、AT&T、これらは現代生活に欠かせないサービスを提供している企業だ。これらを避けて生活することは難しく、わたしたちの日常に深く浸透している。筆者の住むニューヨークにも地方銀行や信用金庫はあるが、街を歩いて目にするのはJPモーガンチェイスやバンクオブアメリカ、ウェルズファーゴといった大手企業銀行ばかりだ。
ニューヨーク市コミュニティーガーデン連合のレイモンドさんは「高級マンションやビルの建設を進める市や不動産会社によって、コミュニティーガーデンはどんどん隅に追いやられている」と嘆く。コミュニティーガーデンは地域住民によって作られる都市型小規模農園のことだ。連合が設立されたのは1996年だが、コミュニティーガーデンそのものの歴史は18世紀後半の産業革命直後まで遡り、都市への人口流入で爆発的に増えた失業者と貧困対策のために生まれた。都市農業とも呼ばれ、小さなスペースで自給自足ができるコミュニティーガーデンは、大恐慌が起こった1929年からはディプレッションリリーフガーデン(不況救済農園)と名づけられ、ニューディール政策の一環としてフランクリン・D・ルーズベルト大統領にも推奨された。雇用と食料の確保に大きな成果を挙げ、第二次大戦以降は70年代に大きなムーブメントを経て、現在まで地域の人々に自給自足の喜びを与えてきた。
NYコミュニティーガーデン
ポ-ランド系アメリカ人のクリスさんは、大学を出た後、ネットワークエンジニアとして大手通信会社に務めていた。しかし人員削減によって解雇され、それとともに無保険になった後に交通事故に遭ってしまった。
アメリカでは医療費が世界一といわれるほど高額であるにもかかわらず、公的保険制度は高齢者用(メディケア)と低所得者用(メディケイド)のみで日本のような国民健康保険制度がない。それが何を意味するかというと、低所得者ではない一定以上の収入がある普通の人たちは、医療費を全額自己負担するか月数百ドルといった高額な民間保険会社に加入するしかないということだ。勤めていれば保険費用は会社が負担してくれるが、そのカバー率も一定ではなく保険会社と契約のない医者や病院にかかった場合は保険金が下りないケースもある。事故後、左腕と左足、右胸に金属の補強を入れる大手術を受けたクリスさんは低所得者用の公的医療保険(メディケイド)に加入したが、それでも手術費用の半分しかカバーされなかった。現在も休職中のクリスさんは2万3千ドル(1ドル=80円換算で約184万円)の借金を抱えている。金属を埋め込んだことで障害者認定を受けているが、それも受理されるまでにとても時間がかかったという。
ブロンクスの病院で働くギリシャ系ヒスパニックのアレックスさんは、医療費が高く、リサーチや手術ができない現状では予防医療に力を入れるしかないと語る。しかし、クリスさんのように予期せぬ事故で手術が必要になった場合にはどうすればいいというのだろう。
アレックスさんはこのデモのことを「”言わなければならない”ことを表現する場」であり、「じかに顔をあわせて出会う場」と表現する。バーチャルではなく直接会うことが重要と強調した上で、「インターネットは離れている場所でも即座に連絡が取れるし、みんながここに集まることができたのもインターネットのおかげだろう。でもビデオチャットやツイッター、スカイプでは話はできても同じ時や同じ場所にじかに集まることはできない。ここをみれば人種や肌の色、立場や性別に関係なく集まって話をし合っているのがわかる。メルティングポットだ。これこそが本当のアメリカのあるべき姿なんだ」と言った。
アレックスさん(右)とクリスさん(左)
コミュニティーガーデン連合のレイモンドさんは「コミュニティーガーデンは犯罪を減らすだけじゃなく地域の活性化にもつながる」と語る。仕事がないと心もすさんでくる、フードスタンプの受給に必要な指紋摂取は犯罪を犯しているような気分にさせられるが、必要な物をその場で作り出すことにより地域に雇用が生まれ、働くことで精神的にも肉体的にも健康になり、生きることそのものへの尊厳が生れる。若者の犯罪防止にもつながると言う。空き地やビルの屋上を利用して自分たちの手で作るので、食の安全も確保されるし都市の緑化にもつながる。住民が必要な分だけ生産するというコミュニティーガーデンのコンセプトは、筆者がリーサーチする工場制畜産業をはじめ、絶えず利潤を生み続けていなければならない資本主義のもとで発展してきた大量生産・消費が原因となる様々な問題解決にも通じるものがあると感じた。
このデモが普通のデモと異なるのは参加者の要求が明確ではなく多岐にわたっているということだ。これには批判的な見解もあるようだが、その点こそがこのデモのまったく新しい側面であり注目すべき点でもある。なぜならそれは、企業や政府の政策さえ改められれば万事解決ということではなく、この社会を形成するわたしたち一人一人の生活意識の改善によってこそ解決される点が大きいからである。
集まった人たちは自作のプラカードに自分なりのメッセージを書いて掲げている。デモで配布されるビラに多く見られるのは「Mutual Responsibility(相互責任)」という文字だ。連邦建設業者としてイラクに駐留し、頭部に残る路肩爆弾の傷が生々しいドクさん(55)は「TASK(課題)」という言葉を掲げている。それはThink by you(自分で考える).Accept responsibility your act(自分の行動責任を持つ). Speak clealy & be understood(はっきりと話して理解してもらう).Keep an openmind(常にオープンマインドである)という意味を含んでいる。ドクさんは「テレビを見て世界を知った気になってるけど、ほんとうはテレビに映っていることしか知らされていないということに気付かなければならない」と言う。
フィルムメーカーのピーターさんは、このデモが政治に利用されることを懸念しながらも「ひとりひとりが今まで生きてきた習慣を変えなければならない」という。公園のベンチに腰掛けていたヒスパニック系の老夫婦もたどたどしい英語ながら「get involved and wake up(参加して目を覚まそう)」。デモ参加者は問題が自分たちの日常生活と相互に結びついているということをよくわかっている。だからこそ、自分ひとりのささやかな行動も世界に変化をもたらすことができると確信している。
シュプレッサさんは「職場の同僚にはデモを見て”彼らはただ職が欲しいだけだろ”という人もいるけど、そんな短絡的な決め付けや無関心こそが問題で、それは自分勝手な個人主義が引き起こしている」と指摘する。だが、朝9時の出勤時間のために自分のポケットにさえ手を伸ばせない満員電車に潰され、夜は5時かもっと遅い時間に会社を出、朝より少しだけ隙間のある電車に揺られて家にたどり着く頃には一日の気力と体力を使い果たしている。そんな毎日では、隣の人の声に耳を傾けるどころか自分自身の声にさえ気付くのも難しい。
オープンでフレンドリー。だれもが早足で、ぶつかっても謝る余裕すらないビジネス街の中で、ズコッティ公園にははみんなの、知りたい、話したい、聞きたいという雰囲気が立ちこめ、いたるところで議論を交わす姿が見られる。その空気の中でみんなが自然と礼儀をわきまえリラックスし、お互いを尊重しあっている。その不思議な空間のなかに立ち、わたしはニューヨークという街のどこよりも身の安全を感じた。
白人、黒人、ネイティブアメリカン、ヒスパニック、アジアン、ゲイ、レズビアン、若者、老人、子供、そこには、先のアレックスさんが言ったようにメルティングポットといわれる民主主義国アメリカの本来の姿があった。日本からの参加者もいた。日本山妙法寺の安田行純さんは、10月半ばからカリフォルニアで脱原発のピースウォークを行うという。それに先立ってこのデモにも参加した。「TASK」を掲げるドクさんは「大手テレビ局も取材に来てたみたいだけど、僕達のメッセージには見向きもしない。逮捕者とか暴動とか、センセーショナルなことが起こるのを待ってるんだろう」。
周りを固める警察官は観光客に「立ち止まらず歩いて」と言うほかはほとんどなにもしてない。フェンスにもたれて談笑したり、コーヒーを飲んだり、観光客と写真を撮ったりしている警察官もいる。これも行って目にしてみなければわからないことだ。第三者が介在しない実際の現場では情報操作もなにもあったものではない。相手は目の前にいて、息遣いや熱気、背後に揺れる木々のざわめき、握手した掌の温かさを感じることができる。
食べ物もみんなドネーション(寄付)
クリスさんは「自分はもうこんな目にあってしまったけど、自分の子供や次の世代にはこんな思いをしてほしくない。ここに立って自分の経験を話すことで、今この国に何が起きているのかということがみんなに伝わればいい。いろんな人の話に耳を傾けて、なぜこんなことが起こる世の中になってしまったのか考えることが大切」と、起こったことをただ嘆くだけではない強さが光る。
公園入口のオブジェ横で自作のプラカードを抱えた女性が「このデモはもう世界中83カ国に影響してるわ!」と声を上げた。
何かがおかしいと気付いたら、たとえはっきりとは見えなくても諦めずに考え、何か訴えようとしている人がいれば立ち止まって耳を傾ける。相手を尊重するということは目や耳を傾けるということだ。そうすれば、物語の英雄や一握りの選ばれた人たちのそばにだけあると思っていた歴史はわたしたちが思っているよりもずっと身近にあることに気付くだろう。