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ノーベル賞と日本人

2016-10-04 12:46:07 | 日記

今年もまたノーベル賞を日本人が受賞した。戦後の貧しい時代の昭和24年に湯川秀樹博士がノーベル物理学賞を受賞したときの驚きはいまでも鮮明に残っている。当時中学生であったが、新聞の一面を飾る報道に興奮したものであった。今年は大隅良典氏がノーベル生理学・医学賞を受賞したが、これで22人の日本人が受賞したことになる。もちろん、受賞者には文学者、政治家もいるが圧倒的に多くは自然科学者である。科学が西欧から渡ってきたのは江戸時代末期であり、本格的に入ってきたのは明治時代である。100年ほどの歴史しかないのに、なぜ東洋で日本だけにこれほどのノーベル賞受賞者が生まれたのであろうか。自然科学の分野では16人、アメリカに次ぎ第二位である。

その原因はいろいろあろうが、日本語で自然科学を学べたことが大きいと思う。明治時代の先人たちは哲学、医学、化学などの専門用語を日本語に翻訳し、日本語で思索できるようにしたことが大きかった。世界中で母国語で教育できる国はそれほど多くない。お隣の中国、韓国は自然科学は英語、フランス語、ドイツ語などの国語でしか学べない。鉄道、電信、電話、電気などの言葉は日本語の翻訳語を取り入れて理解しているわけで、漢字は表意文字だから日本語のカタカナのように外来語を表記できないわけである。だから先端技術は英語で学ぶしかない。

脳で考えるのは母国語であり、たとえばどんなに英語に達者な日本人でも英語で考えているわけではなく、日本語で考えているのである。だから素晴らしい発想というのは母国語でしかできないのではないだろうか。数学者の藤原正彦氏がどこかで語っていたが、優れた数学者は風光明媚な自然環境に育った人たちが多いという。そして数学の公式は簡潔で綺麗でなければならないそうだ。

そう考えると、日本に四季があること、風光明媚な自然環境が備わっていることとノーベル賞受賞者が多いこととは、どこかで繋がっているのかも知れない。

ノーベル賞の発案者ノーベルの恋敵が数学者であったのでノーベル賞に数学が入っていないという説があるが、数学者にノーベル賞が与えられていたら、日本人の受賞者はもっと多くなっていたといわれている。1635年生まれの数学者関孝和は円周率を11桁まで計算し、微積分学ではニュートンよりも早く基本定理を発見している。また、数学者の岡潔は多変数複素関数論の世界的権威であった。

イギリス人の航海士ウイリアム・アダムスが書き残しているが、日本に航海してきて九州に寄港するが、すぐに大阪に呼び出され、徳川家康に拝謁することになる。家康は好奇心旺盛で世界の国々のことを知りたがり、ついには江戸まで出向くことになり、帰国も許されず、折々に呼ばれて質問責めにあったという。面白いのは家康がとくに興味を示したのが幾何と代数だったという。

このころは家康の晩年であり、楽隠居であったのに数学に興味を持ったというのは意外でもあるが、案外ここに日本人の原点があったのかもしれない。家康恐るべきである。


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