もの忘れ名人の繰り言

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多重人格を装う「声優のアイコ」

2015-07-29 16:18:22 | 日記

よく自分探しの旅に出る、などということを耳にする。自分の中にもう一人の自分がいるが、それがどういう自分なのか気づかないということなのであろうか。

旅という非日常の中に身を置けば、見せかけの自分ではなく本当の自分に出会えると思っているのである。頭の悪い、要領の悪い、僻み根性の自分は虚像であり、真実の自分は頭がよく、親切で多くの人から信頼され、美人の妻と可愛い子供に恵まれている、そんなことを夢想しているのである。昨年、「声優のアイコ」という睡眠薬強盗が逮捕されたが、その裁判で自分は多重人格で、別人格の自分が罪を犯した、だから自分には罪はない、そう主張したと報じられている。

世界は広いけど、未だかつて多重人格という人間は実在しないといわれている。精神学者がつくった虚構であり、いまでは解離性同一障害という名前で呼ばれている。普段は借りてきた猫みたいにおとなしい人が、酒を飲むと人が変わったように饒舌になり、暴力を振るうという例はよくあることである。二重人格でも多重人格でもなく、本来人間とはいろいろな性質を併せ持っているのである。村では評判のお人好しが戦争にかりだされ、戦場で残虐非道な行為を繰り返し、軍法会議で処罰された例もある。戦争さえなければ一生を好人物で送ったであろうと思うと気の毒でもある。

西欧のキリスト教などでは精神と肉体は別であり、二元論の立場をとるが、仏教では精神も肉体も空であり一元論である。それはさておき、一元論にしても二元論にしても、世俗的な世界では精神に重きを置き、善悪の判断能力がない場合は心身喪失、判断能力が劣っていれば心神耗弱で、罪に問えない場合や罪を軽くすることが刑法で決められている。たとい刃物を振りかざし刺殺しても罪に問えないわけである。しかし刃物で刺したのは腕であり、手であり肉体である。この肉体は脳の指示がなければ寸毫も動けないのである、錯乱していようがいまいが、脳が行動を指示していたことは紛れもない事実である。

人間を銃で撃ったり、刃物で刺したりするのは一般には冷静ではできないことであり、むしろ眉毛一本も動かさず殺人を犯せる人間は異常である。ならば善悪の判断能力よりも殺意あるいは相手を攻撃する意志を持っているかどうかであり、刑法のいう責任能力があるかどうかというのは、はなはだ曖昧である。「声優のアイコ」も多重人格を主張すれば、罪が軽くなる、あるいは無罪になると勘違いしているのであろうが、百歩譲って多重人格だとしてももう一つの人格も紛れもない自分自身であり、何人も睡眠薬を飲ませて犯行をつづけていることは、計画性がありそんな与太話が通るはずもないのである。

近頃の裁判は弁護士が悪知恵をつけているのか、心神耗弱だのと作り話を平然と語る犯人が後を絶たない。こういう輩が服役しても到底更生するとは思えない。罪を憎んで人を憎まずというが、自称「アイコ」のような世間を舐め切った奴は極刑にすべきである。


平和主義と敗北主義

2015-07-19 10:51:12 | 日記

60年安保改定反対闘争はデモ隊が国会議事堂を取り囲み、革命が起きるのではないか、それほど切羽詰まった非常事態であった。このとき社会党の議員たちは議事堂の中で笑いながらデモ見物していたと、のちに報じられた。社会党、共産党の議員は安保が改定されれば、すぐにでも戦争に巻き込まれると学生や国民の恐怖を煽った。これも後日談であるが、あれほど反対闘争をした学生運動家も安保法制がどういうものか知らずに反対運動をしていたことが判明した。

そしていままた安保法制が衆議院で強行採決したといって野党は反対しているが、この法案が戦争法案だとか、これで直ぐに戦争に巻き込まれる、憲法違反だという反対論が根強いようだ。まさに歴史は繰り返されるのである。国会論戦を聞いていても、野党はわが国の安全保障をどうするか、基本的なそれでいて重要なことに触れず、ただ重箱の隅を突くという法案の瑣末に拘り、政治家の経綸をぶつけあうことがない。二言目には国民が理解してないというが、法案の隅々まで国民に理解させることは不可能である。国民もそんなことは期待してない。今回の安保法案によって日本国の安全がより高められるのか、世界の平和に日本が寄与できるのかどうか、それがわかれば十分である。

特定秘密保護法が2013年に公布され、2014年に施行されたが、あれほど治安維持法の再来だと反対したマスコミ、ジャーナリストたちは、その後この法律で誰か逮捕されたのか、知る権利が阻害されたのか、検証してみたことがあるのだろうか、この特定秘密保護法は公務員を対象にしたもので、民間人は対象外であり、外国のスパイは反対するであろうが、正当な取材が制限されることなどあり得ないのである。それを針小棒大に大騒ぎして国民を惑わせるのはいつもの手口なのである。

中東では毎日「イスラム国」や過激派によって殺戮が行われている。少女が奴隷として売買され、少年は兵士として狩り出されている。日本ではニュースで知らせるだけで、遠い異国の関係ない話だと、高を括っている。自分の命さえ守られていればそれでいいのである。憲法9条があるから平和であるという虚構を信じているのである。いや信じている振りをしているのである。あるジャーナリストは「どこの国が日本に攻めてくるのか、そんなものは幻想だ」と嘯いていたが、一国平和主義もここまでくると異常である。

平和主義と敗北主義は全く異なるのである。平和主義は自国の平和を守るためには敵と戦い、命がけで守ることをいうのである。敗北主義は敵が攻めて来たら手を挙げて降伏することである。妻や娘が敵に強姦されようが、親兄弟が殺されようが命乞いをするのである。こんなことは起こり得ないという人たちは当時の満州でソ連兵が何をしたか、日本人がどのような目にあったか知らないのである。

いまチベットでなにが起きているの、新疆ウイグルでなにが起こっているのか、国家を奪われた国民がいかに悲惨なものか、焼身自殺でしか中国政府に反対できない国民をだれが救えるのか、晩御飯の心配をしたこともない平和な国民にはわからないのである。命というのはもちろん大切なものである。でもそれは他人の命を大切にするということであって、自分の命は至高のものではないはずである。他人を助けるために自分の命を捧げる、その行為が至高なのであって、命そのものではない、そう思うのであるが。


正岡子規が見ることができなかった「文明開化」

2015-07-08 08:14:44 | 日記

だいぶ前のことだが東京根岸の子規庵を訪れたとき、非常に胸を打たれたのは子規愛用の座卓に深い切り込みがあったことである。物書きをするときこの切込みに膝を立てて入れなければ坐れなかったのであろう。脊髄カリエスに侵され激しい痛みに耐えながら執筆を続ける執念は神憑りなのか悪魔に魅入られたのか常人の出来る業ではない。正岡子規と夏目漱石は同じ慶応3年、明治元年生まれであり、二人は22歳のときに東京の大学予備門で出会い終生の友となったことは誰もが知るところである。漱石というペンネームも元は子規が使っていたもので、漱石はそれを貰い受けたわけである。俳諧といわれていたものを、俳句と名付けたのは子規であり、芭蕉から続いた俳諧というものが廃れ、忘れ去られたものを現代に甦らせのたが子規であり、蕪村の俳句を世に出したのも子規であった。ついでにいえば、友人であり俳句の弟子であった漱石に、キミは韻文よりも散文に向いているといって、小説家になることを進めたのが子規であり、子規主宰の俳句誌「ホトトギス」に連載したのが「吾輩は猫である」であり、この一作で作家の地位が確定してしまったのである。小説を諦め俳句で成功した子規と俳句を諦め小説で成功した漱石と並べると、なんとも皮肉なめぐり合わせである。

子規は病魔に侵されながら、膨大な作品を世に出すが、明治34年34歳のときに病状が悪化し精神が錯乱状態に陥り自殺を企てるが、未遂に終わる。35歳のときに「病床六尺」を連載するが、その中で、

「余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解していた。悟りという事はいかなる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事はいかなる場合にも平気で生きて居ることであった。」

と書いている。高僧の悟り談義よりよほど説得力がある。また、別のところで、出歩けなくなったが、自分の見たことがないもので、ちょっと見たいものとして「活動写真 / 自転車の競走及び曲乗 / 動物園の獅子及び駝鳥 / 浅草水族館 / 浅草花屋敷の狒々及び獺 / 見附の取除け跡 / 丸の内の楠公の像 / 自動電話及び紅色郵便箱 / ビヤホール / 女剣舞及び洋式演劇 / 鰕茶袴の運動会」などを挙げている。このころ映画館ができ、自転車が普及し始め、水族館、動物園、公衆電話、郵便ポストなどが出始めたのであろうか、見附の取り除け跡とは、明治35年に江戸城外郭門牛込見附の御門が取り壊され、当時評判になったのであろう。現在の飯田橋駅のすぐそばであり、石垣はいまも残されている。

江戸から東京へと発展した文明化開化の時代に二人の巨人が残した遺産はあまりに大きい。このたび第39回ユネスコ世界遺産委員会において,我が国が世界遺産に推薦していた「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」が,世界遺産一覧表に記載されることが決定されたが、芸術、文学分野においての明治の遺産はこれらに優るとも劣らないものだと思う。

子規の絶筆三句「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」「痰一斗糸瓜の水も間に合はず」「をとゝいのへちまの水も取らざりき」


酒鬼薔薇聖人の手記「絶歌」の出版は許されるのか

2015-07-01 10:01:22 | 日記

神戸連続児童殺傷事件が起こったのは1997年のことで、もう18年前のことである。事件そのものが風化しかけていたのに、当時14歳の少年A,酒鬼薔薇聖人が『絶歌』という手記を出版して物議を醸している。当時のことで印象に残っているのは、酒鬼薔薇聖人の名前で犯行声明を出したとき、多くの専門家たちがその文章力から30~40代の成人と判断していたことである。11歳の男児の首を中学校の正門の門柱に載せ、耳まで切り裂かれた口に犯行声明文をくわえさせるという猟奇事件は日本中が驚愕した事件であった。二名が死亡、三名が重軽傷を負った空前の犯行は世の中を震撼させた。ところが犯人が14歳の少年と判明するとマスコミは報道がトーンダウンして、犯行の動機も犯人の人間像も報道されないまま、関東医療少年院に送致され、2001年に東北少年院に移送され、2004年に仮退院を申請し受理され社会復帰している。その後神奈川県のガソリンスタンドで働いているとか、様々な情報が寄せられていたが、今回の出版でまた世間の耳目をそばだてることになった。

『絶歌』という本にどのようなことが書かれているのか、読んでないのでわからないが、精神異常者の脳の中は常人には理解できるはずもなく、果たしてどこまで事実が書かれているのかわからないので、読む気もしないというのが本心である。一部の書店が販売中止をしたというが、初版10万部が売り切れ増刷するというから、かなりの売れ行きであることは間違いない。出版することにいろいろな意見があるが、言論、出版の権利は誰にも等しく憲法が認めているところで、出版を差し止めることはむずかしであろう。一方で遺族の人たちのことを思えば、こんなことを許していいのかとも思う。

それにつけても、日ごろ国民の知る権利をかざし、言論の自由を声高に叫んでいるジャーナリストたちが、だんまりを決め込んでいるのは許しがたい。いかなるばあいも出版言論の自由があるのだから、少年Aの言論を封殺することは許されない、そのくらいの共同声明でも発表してしかるべきであろう。

夏目漱石は文学論において、たとい死刑囚であっても殺人の動機、犯行をありのまま、包み隠さず事実を書けば立派な文学となる、そう発言している。私小説が文学の一ジャンルを確立したのも、作家が恥部を曝け出して書くから文学になるのであって、悪いところを隠し、いいとこだけを書いたら、単なる三文小説でしかないわけである。酒鬼薔薇聖人がどこまで自分を曝け出し、事実を曲げずに本心を書いているかどうか、そこに読む価値があるかどうかがかかっているのであろう。

人肉を食うというカニバリズムで一世を風靡した佐川一政を描いた唐十郎の「佐川君からの手紙」は芥川賞を受賞している。ハリウッド映画ではトマス・ハリスの小説を映画化した、人肉を食う社会病質者のハンニバル・レクター博士を主人公にした「羊たちの沈黙」が大ヒットした。正常人間には異常者の心理は理解しがたいが、逆にいえばだからこそ興味が湧くのである。捜査記録もかなり公表されているのであろうから、資料を分析し、本人とのインタビューなども行い『絶歌』が文学であり得るのかどうか、本格的な論評を待ちたい。