もの忘れ名人の繰り言

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電力小売自由化のウソばなし

2016-02-26 16:36:50 | 日記

世の中にはわからないことが多いが、今年4月から実施される電力小売りの自由化ほどわからないものはない。既存の電力会社の財産である送電線、配電線、電力量計を使用して、誰でも電気の小売りをできるというのが、そもそも理解できない。電力会社を立ち上げ、発電所を建設し、送配電線の使用料を払って、自前の電気を安く供給するというなら、立派な商行為であるが、発電はしない、電力会社から電気を買って、小売するだけなら、既存の電力会社より安く電気を供給できるはずがない、これで企業として成り立つなら、こんな楽な話はない。これで需要家と契約するとは詐欺まがいのはなしである。万一、新規契約した企業が倒産してもその尻拭いは既存の電力会社が即時に電気を供給するので需要家には迷惑がかからないそうだが、これで自由競争というのは言葉遊びに過ぎない。既存の電力会社から電気を仕入れて、電力会社より安く供給できるというのはおとぎ話の世界である。

電力自由化で電気料金が安くなった国はゼロであり、イギリス、フランス、ドイツでも独占状態が続いており、新規参入企業はほとんどが倒産したそうだ。アメリカでは電力会社を新たに設立して発電所も建設し、安売り競争に勝った企業が、その後地域独占し一挙に料金値上げした例があるそうだが、どの国も自由化して電気料金が安くなった、需要家が得をしたという例はほとんどない。むしろ保守点検を手抜きしたり、需要増を見越して新規に発電所を建設したりしないから、供給信頼性が低くなり需要家は迷惑を被っている例が多い。

確かに日本の9電力独占体制はいろいろな歪も生んでいるが、戦後の経済復興に信頼性の高い電力供給が大きく寄与したことは事実である。しかし、原発事故以来、電力会社を悪の権化のようにして、電力会社の活動を制限し、自然エネルギーのコストを国民に押し付けたのは、電力独占よりはるかに悪質である。太陽光発電などという日本の気象に合わないものを42/kWhという信じられない高額で買い取るなど狂気の沙汰である。当時の民主党菅首相がソフトバンクの孫社長と結託して国民に付けを押し付けたのである。現在は24円/kWhまで買い取り価格を下げたが、当時の料金は14年間続くので、国民への付けは大きい。台風で太陽光パネルが吹き飛び民家の屋根を突き破ったとか、傾斜地に太陽光パネルを敷き詰めたため、土砂崩れが起きてかなりの被害が出たという事件も起きている。

原発に反対するのは個人の自由であるが、コスト高の自然エネルギー、環境に悪い石炭火力に賛成する人たちは、その分のコストも引き受けてもらわないと不公平である。そして原発に賛成の人には電気料金を値引きするということにすれば公平というものである。それともう一つ、太陽光パネルに寿命がきたらどうやって廃棄するというのか、産業廃棄物としてもあまりに量が多く、途中で設置企業が倒産したらその処理はだれが責任を持つのであろうか。核廃棄物の処理で大騒ぎしているが、太陽光パネルの処理は比較にならないほどの量であることを忘れてはならない。太陽光を推進した人たちに責任をとってもらわなければ、その処理まで国民に負担を押し付けられたらたまらない。

家人は4月から電気の契約をどうするかとない知恵を絞っているようだが、いままでどおり電力会社との契約は変更しない、そういいつけてある。こんな筋の悪いはなしに乗るのは常識人のすることではない。


始皇帝の兵馬俑展に思うこと

2016-02-12 09:42:37 | 日記

もっと早くと思いながら、つい延び延びになっていたが東京上野国立博物館の「始皇帝と大兵馬俑展」にいってきた。これまでにも「兵馬俑」についてはニュースや写真報道などで見聞きしていたが、実物を目の当たりにすると当時の人間の彫刻技術の高さに圧倒される。おそらく当時の人々は芸術作品を造ろうとか自分の技量を誇示するような考えは皆無で、ただひたすら実物を忠実に模写するこことだけ集中していたのであろうが、それにしても、これほどの技量をもった職人を揃えるのは大変であったと思う。

「俑」とは人を埋葬するときに副葬として埋葬される人型のことで、中国の古代からある殉死者の代わりに人型で代替したものである。まず驚くのは人間がすべて実物大であることで、顔などは日本人とは似ても似つかぬ、どちらかといえば仏を守る神将のように厳つく、農耕人というよりは騎馬民族に近いつくりでモンゴル人に近い扁平な顔貌である。四頭立ての馬車は二分の一の縮尺でつくられたレプリカであったが、彩色が当時のままであったらさぞかし美しいものであったと想像される。

秦の始皇帝は在位が紀元前246~221年のわずか21年間であったが、封建制、中央集権、貨幣・度量衡の統一、漢字の統一、万里の長城の建設、悪名高い焚書坑儒(書物を焼き捨て、儒者を穴に埋めて殺した)、広大な宮殿の建設などなど、よくもまあやったものだと呆れるほどである。その上、秦の国の王であったのが始めて皇帝という名称を遣い、創始者であることから自ら秦の始皇帝と名乗った。たしかに群雄割拠の戦国時代を平定し中国を統一した功績は大きいが、一人の人間が統治するには余りに国土が広すぎて、たび重なる地方巡行のため、ついに旅の途中で死んでしまうという、まことに哀れな末路ではあった。

度肝を抜く広大な墓にしても、皇帝に就いてすぐに自分の墓の建設に取りかかったわけで、まだまだ自分の地位が安定しているわけではないのに、よくもまあ死後のことまで考えるとは想像の範囲を越えている。しかも地下に軍隊を駐留させ死後の世界を守らせるとは、宗教なのか哲学なのかよく分からない。また、地下に川まで造るとは、まさか三途の川ではないだろうが、どのようなものか見てみたいものだ。しかも水ではなく水銀で造らせたというのだから桁違いである。

三皇五帝という言葉があるが、三皇とは天皇、地皇、人皇であり、五帝はどの時代の帝から数えるか定説はない、最後の二つの尭、舜にしても神話の域を脱してない。秦の始皇帝の皇帝は三皇五帝の上の位ということで、一介の地方の王であったものが、よくもあつかましく僭称したものだと呆れる。

現在は「中国」といわれているが、英語ではチャイナであり、これはよく知られているとおり、秦をシナ、チャナイなどと音読みしたもので、歴史上最初に統一国家としてシナ、チャイナと呼ぶことに異論はないが、漢、晋、隋、唐、宗、金、元、明、清と続く時代は人種も違うし、とても同一の国家とはいえない、すくなくとも日本人が考える国家とは異なるといえる。清の後は中華民国であり、そして現在は中華人民共和国である。中華人民共和国が誕生した当初は日本では「中共」と略称し、中国とは呼んでいなかった。日本も戦前まではシナと呼称していたわけで、欧米はチャイナと呼称し現在も変わっていない。日本がシナと呼称するのはダメだというのは一体誰がいいはじめたのであろうか、案外、日本人の左翼学者がいいはじめ、それに中共が乗ったのではないかと密かに思っているが、どうだろうか。