もの忘れ名人の繰り言

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インフルエンザの予防接種はしないことにしたーーの弁

2015-10-27 14:57:11 | 日記

去年は夏が長く秋が短かったために、秋物衣料品が売れずアパレル業界は低迷したが、今年は夏から一気に涼しくなり、アパレル業界はうけにいっているらしい。東京も例年より3日早く木枯らし1号が吹いた。木枯らしの定義は晩秋から初冬にかけて吹く8m/以上の北よりの風(北から西北西)をそう呼ぶらしく、春は春一番と呼ぶのに、なぜ木枯らしは1号という味もそっけもない呼び方をするのか、前から疑問であったが、大した理由ではないのであろう。もあれ、今年も寒くなりインフルエンザ・ワクチンの接種に悩む季節になった。家人は早々に掛かりつけの内科医にいって接種してきて、赤く腫れて痛いと能書きいっていたが、自分だけ痛いのが癪なのか、早くワクチン打って来たら!と急かせる始末である。

昨年までは、インフルエンザの型が合わなくても、軽くて済むなんて都合よく解釈していたが、肺炎球菌のワクチンを接種したので、肺炎に罹る可能性がなくなったらインフルエンザなどそれほど恐れるに足らずじゃないかと、屁理屈を考えていたら、某大学教授が、インフルエンザ・ウイルスは低温と乾燥を好み、高温多湿では感染しないと語っていた。ここまでは何となく知っていたのだが、その先があって、口、喉の細胞からしか感染せず、しかも乾燥しているときだけで、のど飴でも舐めて十分に潤っていれば、ウイルスは入りこめないというのである。だからマスクなどするならのど飴でも舐めていた方が効果があると話されていた。冬になると大きなマスクをしているのは日本人くらいなもので、アメリカ、ヨーロッパなどでは誰もマスクなどしてない、銀行強盗に間違われるからではなく、科学的な知識を持っているからだろう。

人間の細胞には受容体という体外から刺激を受けるとそれに反応して細胞に取りこむ性質がある。だからインフルエンザ・ウイルスが魔の手を伸ばしてくるとそれに反応して細胞が取りこんでしまうのである。ところが、のどの細胞が潤っているとインフルエンザ・ウイルスの刺激に知らんぷりして、相手にしないわけで、これなら個別的自衛権でインフルエンザ・ウイルスを撃退できるというわけだ。ワクチンという集団的自衛権は必要ないわけで目出度しめでたしというわけである。

インフルエンザ・ウイルスの大きさは0.1マイクロ・メートルというから不織布マスクは5マイクロ・メートルだから到底侵入を防げないわけで、第一、こんなマスクをしていたら息苦しくてしょうがない。まあ、感染者がマスクをしていれば、まわりに唾と一緒に吐き出さないというメリットはあるかもしれないが、感染予防にはならないわけである。前述の教授によると、インフルエンザ・ウイルスに感染しても二三日家で安静にしていれば回復するそうだから、仕事でどうしても休めない人、児童など幼稚園、学校で感染を広めないため以外は、予防接種もそれほど必要がないわけである。

それほど用事もないのに電車に乗ったら人混みを歩いたりしないで、家で本でも読んでいれば、まず感染の恐れはない。ということで、今年はインフルエンザ・ウイルスのワクチン接種はしないことにした。

しかし、厚生省もマスコミもなぜこういう大事な情報を知らせずにいるのか不思議だが、もしかして、ワクチン業者、医師会の圧力があるるのであろうか、背筋が寒くなってきた。

 


型を重んじて型を破る

2015-10-15 15:53:16 | 日記

型破りということばがある。型とは元になる形であり、鋳型、金型などのように遣われるが、能、歌舞伎や剣道、柔道のような伝統的な型もある。学校教育で問題になるのは、型に嵌めて画一的な教育をすると個性が失われる、もっと個人の独自性を育てることが必要だ、個性的な教育か、画一的な教育かという論争が古くからり、いまも続いている。

世の中には善悪は別にしてそれぞれに規範、規律があり、それが暗黙の型になり、それからはみ出すものを嫌う風潮がある。家庭にしても親にすれば子供たちは親の言い付けを守り、兄弟仲良くして勉強に専念する、そんな型に嵌った子供の方が育てやすい。

しかし、最近の風潮は型に嵌めることを嫌い、子供の自主性、独自性など、学校という集団の枠を超えた教育を主張する親や先生が多くなったようだ。個人の個性ももちろん大切だが、自主性を伸ばすといえば聞こえはいいが、自由奔放では教育にならないこともまた事実である。少なくとも小学校、中学校まではある程度は型に嵌めた教育をしないと、独自性も個性も育たないような気がする。型があるから安心してその中で学べるし、知識が増えればいずれ型を破ってさらに成長する生徒も生まれるのである。サッカーでも手を使えないから足技に磨きがかかるのであって、そこにサッカーというスポーツの醍醐味がある。自由と束縛はコインの裏表であって、束縛があるから自由があるのである。能や歌舞伎にしても伝統的な型があり、その中で安住していれば役者としては楽なのである。しかしその型に飽き足らず必ず型を破るものが出てくる。型があるから型破りができるのである。能の型を完全に破ってしまっては能にならない、能という伝統芸能の型を残しながら、新しい型を作り出して行く、そこに進歩があるのであろう。

算数の九九算は理屈ではなく丸暗記するもので、これができないと算数の授業が成り立たない。しかし学校ではほとんど教えず、家庭での学習に任せきっていると聞く。だから親が忙しく子供に教える時間が割けないと子供は授業について行けなくなってしまう。家で躾ができてない子は学校でも授業に集中できないどころか、45分間椅子に坐って先生の話を聞くことすらできないという。隣の子と話をしたり、教室を歩きまわる子まで珍しくないそうだ。学級崩壊である。

ラグビーの日本代表が南アに勝ったとき、日本中がにわかラグビーファンと化し、3勝したときは優勝したような騒ぎであった。しかしこの弱い日本チームがここまで成長するには、コーチが作った練習メニューを毎日繰り返す過酷な日々があったと報じられていた。そしてチームの型を作ったからこそ好成績が残せたのだと思う。いずれこの型も破りさらなる型をつくるコーチ、選手が出てくるのであろう。

柔道でも相撲でも自分の型を持っている選手は強い。型を持たずつねに奇襲戦法で向かう選手は決して強くなれない、それは自分に自信が持てないからである。

 


「東寺百合文書」ユネスコ記憶遺産になるか

2015-10-01 16:53:12 | 日記

9月30日の読売新聞朝刊に、「東寺百合文書 記憶遺産になるか」という記事が掲載されており、無知なために「ゆり文書」とはなんだろうと思った。ところが記事を読むと「ひゃくごうもんじょ」と読み、京都市の東寺(教王護国寺)に伝わった奈良~江戸時代の古文書だということがわかった。古文書に関心が強かった加賀藩主前田綱紀が文書を保管するため百合(百個)の桐箱を寄進したことが「百合文書」の名前の由来だという。

ユネスコの「記憶遺産」は過去にベートヴェンの第九の直筆譜面とかアンネの日記などがあるそうで、日本からは「山本作兵衛炭坑記録画」「御堂関白記」「慶長遣欧使節関係資料」の3件が登録されているそうだ。要するにコピーではない本物の図書ということで価値があるのであろう。

東寺は平安京鎮護のために官寺として建立されたもので、後に嵯峨天皇から空海に下賜された、真言密教の根本道場である。空海縁の国宝級の資料のほとんどは東寺に保管されており、後に嵯峨天皇から許可され空海が修行の場として開いた高野山には価値あるものはほとんど残されていない。

この「東寺百合文書」は和紙に墨書、桐箱保管という形態が保存性の点で非常に有益だと評価されたもので、内容は寺院運営や荘園経営の中で蓄積された土地の証文、寺僧組織の会議録など約2万5千通に及び、中には足利義満が東寺の仏舎利を貰い受けた際の自筆の受取状、足利義昭を擁して入京した織田信長が東寺での横暴を自らの軍勢に禁じ「天下布武」の印を押した文書もあるそうだ。

しかし不思議なのは当時としてはそれほど貴重とは思えない文書がなぜこれほど保管されていたのかである。上島有摂南大名誉教授は「東寺は伝統的に寺宝など保存する意識が高かったことに加え、組織的な文書の保存・管理体制が整えられていた」と指摘している。

平安京の正門である羅生門の東西に「東寺」と「西寺」があり、平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺として建立されたが現在は東寺だけが残っている。

空海が唐から持ち帰った密教は当時の最先端の仏教であり、それまでの仏教と違い、国家護持と結びつき、天皇家からも篤い保護を受けることになる。嵯峨天皇や最澄も空海から灌頂を受けている。密教では仏の世界を曼荼羅に描き、儀式に使用されているが、東寺の講堂には空海が初めて試みた大日如来を中心に如来、菩薩などの立像が立体的に配置された立体曼荼羅があり、庶民にも仏の世界がヴィジュアルに感得されるようになっている。空海はなかなかのアイデアマンであった。

三筆といえば嵯峨天皇、空海、橘逸勢(たちばなのはやなり)であり、書を通じても交流が深い。天皇家には王羲之の書が伝わっており、嵯峨天皇も当然のことながら王羲之の臨書で学んでおり、空海も王羲之の書はとくに唐の都でも評判になるくらいの腕前であり、仏教もさることながら書での交流もかなり濃密であったのであろう。最澄が団長の一六次遣唐使船には空海、橘逸勢も同行しており、身分上は最澄が社長なら空海は平社員ほどの隔たりがあったが、帰国したあとは立場が逆転してしまう。

東寺に文書が大切に保管されていたのは、空海の書を重んじたことが弟子たちに伝承されていったのではないか、そんな気がしてならない。それにしても日本人は書き散らしみたいなものまでよく保存しておくものだと感心する。中国、朝鮮などには見られない気質である。