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ある晴れた日の・・・

小雨の中を散歩

こんにちは☔

予報アプリでは、18:00ごろから雨となっていたけど、午後から降ったりやんだり。
たまには降ってくれないと乾燥がキツイからいいですが?

今日は方向をいつもと変えて歩きました。

なにげに神社前を見ると七五三詣で賑わっていました。



親子の撮影シーンがなるべく映り込まないように気を付けました。

私の七五三の思い出と言えば、七歳の時に着物が間に合わなかったことでした。行かなかったのかな?

呉服屋さんは近隣を巡回していて、何軒かで集まっては皆さん見たり注文したり人気でした。

私は幼稚園前からお琴を習っていたのでお正月には着物でお師匠さんのところに集まってはプチ演奏会と新年会をするので、着物はあったはずなんですけどね?

新調しようと思ったのかな?
そんな肩透かしは成人式の着物と帯も💦
自分で選んだ紫のグラデーション総絞りと何帯だったか、、、間に合わなくて(笑)
よく旅行を兼ねた着物の展示会は母と行っていたので、自分の好みで選んでいいと言われました。
(母は看板=免許取得後、着付け教室で助手をしたり、呉服屋さんがうちで内覧会みたいなのを定期的にしていたので)

結局、一度も袖を通すことなく従姉妹に譲ることになったらしい。振り袖を切って大人になっても着られるよと言われていたのですが、、、(母の)田舎=親戚から希望というかオファーがかかったらしい、、、トホホ

てか着物は小紋とかウールとか普段着と訪問用も作ってくれていたので、京都に湯豆腐を食べにいくためだけに友人とお互いウールのアンサンブルの色違いを着ていったりしました。

そう言えばお正月など美容院で髪をセットしてもらったりで、崩れないように寝ると熟睡できないのです!(-_-;)

母は着物が趣味で歌舞伎も友人たちと観に行くのが好きで、暇なときは自分で反物から買って縫っていました。男物の羽織と着物セットとか旅館にあるような分厚い重ね着用(丹前)とか。

あと、色々な紐状のもの、帯締めとか編んでいましたね。そういう木製の台とか転がっていました💦

着物で京都に遊びに行った友人は、小さいときにお母さんが病気で亡くなったのですが、父方のお婆様が(同居で)いつもお着物だったし、再婚で嫁いできたお継母様も着物が好きだったのかもしれません。

当時は5人グループで仲良くしていたのですがNさんは高校時代にお母さんと死別。それで母の日はカーネーションが白とかピンクとか言っていたのですが、

その着物の友人が「おNはああいうけど、ホントは私もピンク色のカーネーションやねん。でも、お継母さんに悪いから」と呟いていました。

三姉妹で、上(長女)と下(妹)が思春期からちょっと荒れましてね。中学高校ぐらいかな?
お継母様はその時の事は「絶対に、忘れない」と言っていたそうで、荒れなかった友人(次女)だけと「内緒で養子縁組をするからね」、とこっそり言っていたそうです。どうなったかは聞いていませんが、、、

舅姑が同居の三世帯家族で、お継母様は、継娘たちが荒れた当時、厳しい姑からの風当たりも強く、随分嫌な思いをされたようなのです。

その後、色々あって友人は実家を継ぐことになり、結婚して一度苗字が変わったのを戻して、ご主人が婿養子という形になり、養子縁組をするのですが、どこでどう養子関係が結ばれたのか、よその家庭内のことなのでわかりませんが、FP試験問題で登場したら意外と複雑な相続系の問題なのかなぁ?

一歩入れば事情は色々あるものですよね。
トルストイがそういうのをうまくまとめて言っていましたっけ?

幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである
(出典は"アンナ・カレーニナ"だそうです)



あらら?七五三と着物の話から大脱線でした🙏💦💦


今日は銀杏並木を歩きましたよ♪


最後までお読みくださり🙏多謝💞

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