ある2人のF1関係者は、ホンダ、BMW、トヨタが撤退し、今ではルノーが撤退を検討していることが、F1終焉(しゅうえん)の前兆だとは考えていない。 「今のF1は、不必要なものを出してしまうサウナのようなものだ。新しいスタートが待っている」 「メルセデスの(より効率的な)哲学を他の自動車メーカーも導入し、この先数年で新しいメーカーが参入してくることもあるだろうと思っている」ニキ・ラウダは『Sport Bild(シュポルト・ビルト)』誌のコラムでこのように語った。 ウィリアムズのCEOであるアダム・パーも、F1の新時代が幕を開けようとしているという意見に賛成している。 「自動車メーカーが独占していた10年間が終わり、この先の10年間は1990年代に近くなるかもしれない」とパーは『Reuters(ロイター)』へ話した。 |
という意見が、報道されていました。大体これからの方向を表していると思います。私は今年の初めに「プライベートの時代」の始まりだと思っていました。メーカー系チームが、手を引いていくことは確かでしょう。F1で開発されたものが量産車に応用される時代ではなくなりました。むしろ、逆の場合も多い。量産車固有の問題に対処しなければいけない。
ところが、プライベートの性格が昔と違ってしまった。ガレージの様な工場を建て、アルミパネルと鋼管でフレームを作り、種々の部品とエンジンを買ってきて組み付ける。シャシーが出来れば、オイル屋、タイヤ屋、タバコ屋などのスポンサーを募ってドライバーと契約し、レースに出場する。
現在では、まず訳の分からない(?)金融の仕組みがあり、少数の人間が仕切るTV放映権料、レース主催者との金のやり取りのコントロールがある。ガレージレベルでは手に負えない、風洞、製作設備が必要であり膨大な費用なかかる。それらが整わないとドライバー、デザイナーの顔が見えてこない。これに関わる組織は、チームなのか、企業なのか、コンストラクターなのか。元に戻って、F1を戦うことは、スポーツなのか、コマーシャルビジネスなのか、興行ビジネスなのか。新規参入するチームの顔が中々見えてこないのが気がかりです。
ヨーロッパのスポーツ競技としての出自を見つめ直した方が良いと思うのですか。
こんな馬鹿げた自由度の低いものならば、 統一エンジン、統一ECU、統一ミッション 統一空力 統一タイアにする方がまだマシ。
INDYのようにシャーシもエンジンも複数チームに供給する義務を持たせる方がいいと思う。
溝付きタイアで幅を制限すれば、遥かに面白そう。