今日は父のことを書いてみようと思う
父は 13年前に 右下肢の頚骨に悪性腫瘍がみつかった。
病院に家族も呼ばれ 父も含め 主治医からの説明を聞いた。
「足の骨に 癌が できています。あと少し遅ければ 足を切断しなければ
いけなかったけど 今なら手術できます。 骨を切り出して
がん細胞を除去し 骨を煮沸して 細胞を一度 殺し
もう一度 足に戻して そこに 腰から骨を採って 埋め込み 新しく骨が再生するのを
待ちましょう。」 というような 説明だった。
また そこの病院では その手術ができないため 遠く離れた
設備の整った よその県の大学病院で 手術をしなけれなならないとのことだった。
昔から 天然な父は 「誰が その病院に 行くとね? 」
「あんたが 行かなきゃ 誰が行くね!?」 と主治医
と おおボケをかまし シビアな 説明を 笑いの渦に変えてしまった。
今でも はっきりと 覚えているが 家族の 誰一人も
がん = 死
という イメージを 全く持たなかった。
しかし 持病に 糖尿病を持つ父には
やはり たいへんな手術では あったようで
5~6年間 でトータル 11回の 手術 入退院を 繰り返した。
しかし、 一度も 泣き言を言ったことは なかった。
いつ 病院を 訪ねても病室に 父が いることはなく
朝から 晩まで 自分でも リハビリを 続けていた。
また 元来明るく天然な 父は自分の 得意なことを活かし
病院の浴室の段差を 大工仕事で解消したり と
いろいろなことをして 人に喜ばれ 長い入院生活を送っていたようだ。
化学療法などがなかったことも幸いして
しっかり 歩けるようになり 退院し
自宅で 趣味の畑仕事もできるようになっていた。 また 車の運転もできるようになっていた。
もう 大丈夫と思っていた時 手術した骨が 疲労骨折してしまった。
その時 父は 75歳を過ぎていただろうか?
その時言った 父の言葉は
「 ちょうど よかったばい。 これでまた骨が強くなる。
あと一年 遅かったら おいもわからんけど ああ良かった良かった。」
心から そう言ったのである。
今は 83歳になるが 元気で 朝から晩まで 畑で野菜を作っている。
もちろん 車も運転している。
「 先生から 〇〇さん あんたは 整形外科の医者冥利につきるよ
と 褒められたばい」 と 嬉しそうに話す父。
父には かなわない。
元気で長生きして欲しい。
今努めている会社 今年はわずかではあるが昇給があった。
いまどき昇給があるだけでも感謝とみんな言う。
経営者は本当に人柄もよく尊敬できる人
もちろん 感謝している。
でも・・・ これで満足していいの?
少し違和感を感じるようになっている。
足りるを知るという言葉にも 違和感を感じる。
生かされている という言葉には もっと違和感を感じるようになった。
なぜなら 私たちは 創造主の一部であるから
私たち自身が クリエーターだから
生かされている いう感覚から 生きるという感覚に シフトしている。
これまで多くのスピリチャルな本を 漁るように読んできた。
自分が何者か知りたくて知りたくて。
ここ5年くらいは そのことを思い出すために生きているといっても過言じゃなかった。
すべてを 思い出せるのなら今日この3次元の世界を去ってもいいような
(死をむかえてもいい) そんな誘惑に駆られることもあった。
そして いつも思うのが 本当に ベストタイミング
新しい本に出会う度に 毎回思うのは 今のタイミングでなければ
その本の内容は理解できなかっただろうということ。
今回も そう。
以前から 「神との対話」 という 本の存在は知っていた。
でも なぜか 手にとって読むにはいたらなかった。
やっと この本を読む 機会を得た。
むさぼるように 1~3を読み終えた。
今の私に 必要な答えが全部書いてある。
また 再認識しなおす。
本当に導かれているとしか思えないタイミング。
一人ではないんだと つくづくく思う。
完璧なプロセスで 完璧な人生を送っているね。
今の住んでいるところに引越してきて9年がたつ。
自宅周囲は田んぼばかり。 なんでこんな田舎に来たのかなと後悔もした。
以前生まれ育ったところを思い ホームシックにもなった。
でも ワンコを 家族に迎えてから 散歩するようになると 毎日 いろんな発見があった。
小さな草花や 珍しい鳥たちもたくさんいる。 家に庭にはイノシシや狸も出る。
レンコン畑だってある 毎年 美しい蓮の華を 見ることができる。
近くの神社の風景が とても気に入っている。
まるで トトロに出てくるような 風景 きっとこの上空を 猫バスが走っているような
そんな感じ。
いつのまにか こんなに 自分の住んでいるところが好きになっている。
私もやさしくなってきているのかな。