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ワン ニャン 時々スピリチャル

シータヒーリングROSE(ロゼ)
シータヒーリングセラピストです。
ヒーリングのことや日常感じていることを書いてます

薔薇の波動

2012-06-01 21:39:01 | 日記

    

  1年半前くらいから 薔薇がマイブーム

  なぜか 薔薇のジュースや薔薇の花びらのジャムなど飲みたくて食べたくて

  ジュースはかなり飲んだっけ

  化粧品も  蓼科マリーローズ  http://www.maryrose.co.jp/main/main.html

  と出会ってからは ますます 薔薇にはまりました。

  無農薬・自然療法で育てられたダマスクローズから作られるローズウォーターが

  ふんだんに使われているそれら。

  その香りは 至福そのもの

  飲んでしまいたくなる衝動に駆られる 化粧水 

  その薔薇の化粧水と繋がってみた。

  高原の一面に咲くピンクの薔薇のイメージが広がり

  ハートチャクラが回転し心臓がバクバクする

  松果体のチャクラとクラウンチャクラが締め付けられる

  「 歓喜 」 そんな 感覚が浮かんでくる。

 私にとって 薔薇は 歓喜という 感覚

 昨年 韓国に遊びに行ったとき ごたぶんに漏れず 

 しわが伸びますよの誘惑に負け

 カタツムリや毒蛇などのコスメを どっさり買ってきたが

 成分より 自分の好きな 波動で選ぶべきだと 再認識している今日この頃です。

  

 

  


それぞれの世界

2012-05-30 20:49:44 | 日記

先日のキャンプでの話しだが

夜も更けて さあ眠ろうと 寝袋に入ったとき

隣のテントから 女性の話し声

聞くつもりはないが シーンと 静まりかえっているので

否応なく聞こえてくる。

その内容は なんだか ハードな内容の 身の上話

聞きたくないなあ と思いながら 疲れていたので 無事 眠りに落ちた。

翌朝 主人や友人との会話

私 :「夕べは なんか ハードな話だったね 

    嫁 姑の 話だったよね」

友人: 「結婚の話だったよ 」

夫 : 「 隣の 女性は 美人だった 」

それぞれ 同じ 話を 聞いているのに まるで 違うような 内容

姑さんと同居している私は 嫁姑問題

独身の友人は 結婚問題

きれいな女性にしか興味がない夫^^;

やはり 一人一人 見えているものを 聞こえているものも 違うんだね。

日常のちょっとしたことでも みんな 違った世界を生きている

2012年 これからはもっと明確に 自分の周波数の世界 

自分が選択した世界で 生きることになるんだよね。

 

 

     

     

     

     

     

 


今日の散歩道 道端の花

2012-05-23 00:01:09 | 散歩道

   

   

   

   

   

   

   

   


100万本の薔薇

2012-05-22 23:39:52 | 日記

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     


2012-05-12 19:47:37 | 日記

今日は父のことを書いてみようと思う

父は 13年前に 右下肢の頚骨に悪性腫瘍がみつかった。

病院に家族も呼ばれ 父も含め 主治医からの説明を聞いた。

「足の骨に 癌が できています。あと少し遅ければ 足を切断しなければ

いけなかったけど 今なら手術できます。 骨を切り出して

がん細胞を除去し 骨を煮沸して 細胞を一度 殺し

 もう一度 足に戻して そこに 腰から骨を採って 埋め込み 新しく骨が再生するのを

待ちましょう。」  というような 説明だった。

また そこの病院では その手術ができないため 遠く離れた

設備の整った よその県の大学病院で 手術をしなけれなならないとのことだった。

昔から 天然な父は   「誰が その病院に 行くとね? 」  

「あんたが 行かなきゃ 誰が行くね!?」 と主治医

と おおボケをかまし シビアな 説明を 笑いの渦に変えてしまった。

今でも はっきりと 覚えているが 家族の 誰一人も

 がん =  死

という イメージを 全く持たなかった。

しかし 持病に 糖尿病を持つ父には

やはり たいへんな手術では あったようで

5~6年間 でトータル 11回の 手術 入退院を 繰り返した。

しかし、 一度も 泣き言を言ったことは なかった。

いつ 病院を 訪ねても病室に 父が いることはなく

朝から 晩まで 自分でも リハビリを 続けていた。

また 元来明るく天然な 父は自分の 得意なことを活かし

病院の浴室の段差を 大工仕事で解消したり と

いろいろなことをして 人に喜ばれ  長い入院生活を送っていたようだ。

化学療法などがなかったことも幸いして

しっかり 歩けるようになり 退院し 

自宅で 趣味の畑仕事もできるようになっていた。 また 車の運転もできるようになっていた。

もう 大丈夫と思っていた時  手術した骨が 疲労骨折してしまった。

その時 父は 75歳を過ぎていただろうか?

その時言った 父の言葉は

「 ちょうど よかったばい。 これでまた骨が強くなる。

  あと一年 遅かったら おいもわからんけど ああ良かった良かった。」

心から そう言ったのである。

今は 83歳になるが 元気で 朝から晩まで 畑で野菜を作っている。

もちろん 車も運転している。  

「 先生から  〇〇さん あんたは 整形外科の医者冥利につきるよ

  と 褒められたばい」 と 嬉しそうに話す父。

父には かなわない。

元気で長生きして欲しい。