朝の目覚めから雨の音


雨が降ろうが槍が降ろうが、本日は祖母の命日なので、浅草へお墓参り

金曜日のランチタイムの社内伝達でお花をお願いしておいたので、まずは引き取りに

和菓子より洋菓子が好きだったハイカラさんな祖母が好きそうな焼き菓子のセットを購入

実家に寄り父+母+妹を乗せて、一路浅草へ

今日で祖母が亡くなって丸5年になります。
ようやく最近高齢者向けの商品を見ると祖母ではなく、義父の顔が浮かぶようになりました。
初めての外孫で女の子だった私は祖母から寵愛を受けどうしようもないばーちゃん子

私の食道楽人生はきっとハイカラな祖母の影響だと思う。
一人前を食べるようになってからはそんなに連れて行って貰えなかったけど、祖母と行った
老舗と言われるお店は数知れず

お寿司屋さんや天麩羅屋さん等でカウンターを占領する生意気な子供でした。
自分の伴奏をさせたいと言う夢を抱き三味線まで習わされたっけか

特技と言えるほどの腕前までは行かなかったものの、祖母の民謡を一緒に歌える孫は私だけ

きっと姉妹の時代劇好きも祖母の影響だろうなぁ

そんなばーちゃん子は大人になった今、迷信に囚われたり、六曜を気にしたり、
江戸時代のお代官だかおかっぴきだかのような言葉を発したりと若年寄路線まっしぐら

アラ冠の上司にまで古めかしい言葉遣いを指摘される始末

しょうがないのよね。刷り込まれた物は一生変えられないと思うの。
祖母の側に置かれた私は祖母のお供として恥ずかしくないように言葉遣いや作法を叩き込まれ、
大人の(年寄り!?)世界にどっぷりと浸かる日々。
きっと私の江戸っ子気質や義理人情やの世界は祖母から譲り受けたものだろうね

祖母は娘の旦那である私の父もお気に入りだった。
父は親を早くに亡くし祖父母の面倒までみた苦労人らしい。
自分の身内を早くに亡くした、父の家族への思いを祖母は分かっていたのだろう。
病後同居することになった時も父は母の気の済む様にと介護に対する全面協力を惜しまなかった。
なかなかできないことだと思うよ

今日は父の日なので、墓参り後は父の大好きなもんじゃを食べに行きました

洋菓子だろうが 天ぷらだろうが
元気だろうが 病気だろうが
好きな人たちと寄り添って生活した毎日は
笑いも涙も 5年で「思い出」と
過去の出来事にするには まだ早すぎるね(^_^)
すずちゃんの「いざというとき」は
まだまだおばあちゃまが助けてくれるね♪
毒を吐いた後には、ばーちゃんに「お里が知れるわよ
言われてる気がする
亡くなってからは、悪行にしろ、善行にしろ直接言われないだけにばーちゃんの目を意識する。
ばーちゃんもいつまでも世話の焼ける孫を心配しているだろうね
心配をかけない立派な大人になれた時が想い出になるのかな