蝉が鳴き 日差しで照り返す路上にクッキリと壁の影が黒く延びていた ある暑い日の午後
友達が
「この道のあの曲がり角から先は 実は真っ暗闇なんだ」
「この目で見えている範囲より先は実は真っ暗闇なんだ っていつも思ってる」と言った
その先は無いと…
その話は ある意味納得
自分の視界から先 というより 視点よりぼやけているまわりの認識してない部分や
視野にはいらない部分は
きっと 自分にとっては ある意味 異次元の知らない世界かもしれない
視界に入らない頭の後ろには 常にリューク(デスノート)が引っ付いてるかもしれないし笑
自分が認識出来る世界というのは 限られている
そして その認識してる部分が 自分の現実なのだ
人の話でも 耳に引っ掛からずに 素通りしてしまう事がある
生半可に聴いているわけではなく 自分のフィルターに引っ掛からない
バカの壁(養老 孟司 著) みたいなものだろう
それと同時に
他人を見るとき 人は必ず自分というフィルターを通して他人を見る
そのとき 必ず自分の心を他人に照らすのだ
「きっと あの人はそう思っている」 とか 「あの人は こういう人だ」 とか
「あの人の言ったことはこういうことだ」 とか
それは 必ず自分の心を通した解釈であり 相手の立場には決して立てない
(立っていると思うことは出来るが それも自分の心の範疇である)
見るも聴くのも話すのも すべては 自分というフィルターを通した世界観でしかない
自分の心を通さずして 触れたり見たり出来る物は この世に存在しない
すなわち 心がまわりのものすべてに影響を与えているのだ
心が歪めば世界が歪む 心が澄めば世界も澄む
心しだいで世界観も変わるわけだ
友達が
「この道のあの曲がり角から先は 実は真っ暗闇なんだ」
「この目で見えている範囲より先は実は真っ暗闇なんだ っていつも思ってる」と言った
その先は無いと…
その話は ある意味納得
自分の視界から先 というより 視点よりぼやけているまわりの認識してない部分や
視野にはいらない部分は
きっと 自分にとっては ある意味 異次元の知らない世界かもしれない
視界に入らない頭の後ろには 常にリューク(デスノート)が引っ付いてるかもしれないし笑
自分が認識出来る世界というのは 限られている
そして その認識してる部分が 自分の現実なのだ
人の話でも 耳に引っ掛からずに 素通りしてしまう事がある
生半可に聴いているわけではなく 自分のフィルターに引っ掛からない
バカの壁(養老 孟司 著) みたいなものだろう
それと同時に
他人を見るとき 人は必ず自分というフィルターを通して他人を見る
そのとき 必ず自分の心を他人に照らすのだ
「きっと あの人はそう思っている」 とか 「あの人は こういう人だ」 とか
「あの人の言ったことはこういうことだ」 とか
それは 必ず自分の心を通した解釈であり 相手の立場には決して立てない
(立っていると思うことは出来るが それも自分の心の範疇である)
見るも聴くのも話すのも すべては 自分というフィルターを通した世界観でしかない
自分の心を通さずして 触れたり見たり出来る物は この世に存在しない
すなわち 心がまわりのものすべてに影響を与えているのだ
心が歪めば世界が歪む 心が澄めば世界も澄む
心しだいで世界観も変わるわけだ
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