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ナチカサヌ恋歌

歌うこと、踊ること、お酒を交えて語り合うこと、心動かされるヒト・モノ・コトとの出会いを楽しみに、毎日を過ごしています。

ウチナーンチュということ

2008年11月05日 | 沖縄 Okinawa
どれくらいの人が、自分は○○人だと認識した経験があるだろう。

私が、自己を認識するきっかけとなったのは、
かれこれ10数年前。
進学のために上京した時である。

一人暮らしをはじめるにあたって、
好きな食器や雑貨をそろえようと思い
ウキウキで渋谷を歩いていていると、

「すみませ~ん、少しお時間よろしいですか?」

今だったら、無視して素通りだが、
あの頃は、いい意味でイノセントだったので、
即座に「はい」と答えた。

それは、雑誌のWithとMore、どちらを読むか?
という質問形式のマーケティング調査だったのだが、
率直に素直に答える私に対して、調査員は私にこう聞いた。

「調査とは関係ないんですが、日本人ですか?
 いや、日本人離れしたお顔立ちなものですから」と。

イノセントな私は、その時、「日本人だと思います」と答えた。

しかしこれは、ことの始まりでしかなく、
それから数年は、何度も何度も「日本人?」と聞かれることから、
人との出会いがはじめることとなる。

おかげさまで、20代前半のうちに、
日本人って一体何?私って一体何?と考えるきっかけができ、
改めて、沖縄に生まれたことを認識し、
そのときは、自分よりも大きな存在「沖縄」という個性に、
どうしても埋没してしまう「己」を憂えていた。

だが、その後、留学した先で、さまざまな「○○系○○人」がたくさんいることを知り、
たくさんのマイノリティな人たちとの出会いを通して、
彼らが、生まれながらにして、
自身の中に、さまざまな要素を抱えながら生きていること、
その境遇を認めなければ、結果、道が開けないことなどを知った結果、
自分を規定する何かから自由になることが、
自分を認識することになるのかもしれないと、
改めて、その時、自分を認識するに至り、
ようやく、「沖縄」という要素は自分を規定する
一つの個性であると思えるようになった。
そして、沖縄から解放され、むしろ、沖縄を愛せるように、
いや、愛していることに気づいたと思う。

とはいえ、わした島、沖縄は、
抱えているものがあまりにも大きく、切なく、美しく、愛おしい。
その一つ一つに向き合い始めると、厄介なことになるので、
ウチナーンチュとして、できる範囲のことを少しずつ、やっていくしかないと思う・・・・・・ 11月5日午前2時52分でした。


ゆたしくゆたしく

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