6月になると思い出す。
もう数十年も昔の話である。
僕は南武線の武蔵中原に住んでいました。
学生時代の話です。
学校は蒲田にありました。
JR南武線に乗り、川崎駅から蒲田駅に向かう毎日でした。
また南武線が良かった。
次の武蔵小杉から東横線で渋谷まですぐだった。
若い僕は学校をサボり武蔵小杉から東横線で渋谷までエスケープした。
当時の渋谷はタワーレコードが流行り始めていて一日中タワレコで時間をつぶした。
レア物の輸入CDが手に入った。
当時はドーナッツ盤からCDに変わり行く時代でもあった。
若い僕は渋谷から多くの音楽影響を受けました。
そして川崎駅です。
ここから蒲田駅に向かう毎日ですが、川崎駅にはJR横須賀線が走ってました。
東京に来て6月にもなるとホームシックや寂しさがたまらなく辛く。
一種のうつ病見たくなっていました。
僕は川崎駅から横須賀線に乗り、週に一日は鎌倉に向かいました。
6月の鎌倉は美しく。
雨の北鎌倉から縁切り寺を歩き「明月院(あじさい寺)」
もう昔の話です。
その頃も6月の鎌倉は失恋した女性が多く訪れる場所でした。
今思うと傷心な切ない出会いもありました。
遠い思い出です。
多分今もあの頃の鎌倉と変わっていないと思います。
その頃、小椋佳の「6月の雨」は心に残りました。
「六月の雨」
作詞:小椋佳
作曲:小椋佳
六月の雨には 六月の花咲く
花の姿は変わるけれど
変わらぬ心を誓いながら
いくつ春を数えても いくつ秋を数えても
二人でいたい
そよ風は見えない 幸せも見えない
愛の姿も見えないけれど
見えない何かを信じながら
いくつ春を数えても いくつ秋を数えても
二人でいたい
あれから数十年。
僕は武蔵中原に行っていない。
しかし南武線から学校をサボり通った渋谷や鎌倉の思いでは今になってもキュンと胸の奥に残っているのです。
もう数十年も昔の話である。
僕は南武線の武蔵中原に住んでいました。
学生時代の話です。
学校は蒲田にありました。
JR南武線に乗り、川崎駅から蒲田駅に向かう毎日でした。
また南武線が良かった。
次の武蔵小杉から東横線で渋谷まですぐだった。
若い僕は学校をサボり武蔵小杉から東横線で渋谷までエスケープした。
当時の渋谷はタワーレコードが流行り始めていて一日中タワレコで時間をつぶした。
レア物の輸入CDが手に入った。
当時はドーナッツ盤からCDに変わり行く時代でもあった。
若い僕は渋谷から多くの音楽影響を受けました。
そして川崎駅です。
ここから蒲田駅に向かう毎日ですが、川崎駅にはJR横須賀線が走ってました。
東京に来て6月にもなるとホームシックや寂しさがたまらなく辛く。
一種のうつ病見たくなっていました。
僕は川崎駅から横須賀線に乗り、週に一日は鎌倉に向かいました。
6月の鎌倉は美しく。
雨の北鎌倉から縁切り寺を歩き「明月院(あじさい寺)」
もう昔の話です。
その頃も6月の鎌倉は失恋した女性が多く訪れる場所でした。
今思うと傷心な切ない出会いもありました。
遠い思い出です。
多分今もあの頃の鎌倉と変わっていないと思います。
その頃、小椋佳の「6月の雨」は心に残りました。
「六月の雨」
作詞:小椋佳
作曲:小椋佳
六月の雨には 六月の花咲く
花の姿は変わるけれど
変わらぬ心を誓いながら
いくつ春を数えても いくつ秋を数えても
二人でいたい
そよ風は見えない 幸せも見えない
愛の姿も見えないけれど
見えない何かを信じながら
いくつ春を数えても いくつ秋を数えても
二人でいたい
あれから数十年。
僕は武蔵中原に行っていない。
しかし南武線から学校をサボり通った渋谷や鎌倉の思いでは今になってもキュンと胸の奥に残っているのです。