おも〜か〜じ(面舵)‼︎

偽善者が日本語を消している

間も無くパラリンピックが開催される。
 
吾は此れが楽しみでしょうがない。
 
各国のパラリンピック選手を見ると、此方迄奮い立つ。
 
車椅子競技は凄い。
 
あの方達は健常者である。
 
四肢に問題無い我々が、同じ事が出来るか?
 
出来ない。
 
我々よりも、より達者で自由である。
 
寧ろ我々こそ不自由である。
 
此処数年前から、障害者を「障碍者」、「障がい者」等と呼称している。
 
なんでも、害と云う言葉が差別的であり、差別を助長するからと云うのが理由なんだそうな…。
 
阿保らし…。
 
馬鹿馬鹿しい…。
 
そうやって、害を‘‘碍‘‘に変えたり、仮名の‘‘がい‘‘にしてみたりと…。
 
寧ろ、そうやって意識過剰になり、過剰に反応するから本来の意味を見失ってしまうのである。
 
障害者とは、身体(又は四肢)に障害を負っている者である。
 
他人の障害となる者ではない。
 
なにゆえ、そう呼称する連中は後者の様な意味合いに曲解したのであろうか。
 
障害者と云う響きが嫌なら、身障者で良かろう。
 
身体に障害を負った者と云う書いて字の如くである。
 
もう偽善はいい加減にしたらどうか。
 
障害者の方からみれば、要らんお節介である。
 
そうやって無理やり云い回しを変える事で、変に意識し偏見を助長している事に気付かないのだろうか。
 
そう呼称する事に賛同する人達は、人間的に余り賢くないのだろう。
 
こう云う強迫観念に捉われた人々が多くなってから、日本に本来から使われていた解かり易く、意味深い言葉が消滅している。
 
罪深い事をしている事に思いを致せよ。
 
 


 
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