皆さん、お勤めお疲れ様でございます。
さとうもりおでございます。
僕が生まれたのは蝦夷地の、
石狩湾を望む厚田村で御座います。
僕は三歳の頃から、
大工さんとご縁があった。
細工場(さいくば)や住宅も建築の、
最初から見に行く事が好きであった。
普通は子供が作業場に、
出入りする事等は、
許されていなかった。
父の仕事上常に施主の立場で、
合った事や私が大工さんの注意を、
良く守ったからかも知れない、
大変可愛がって呉れた。
私を可愛がって頂いた大工さんは、
頭領(とうりょう)と呼ばれている事を、
五歳に成ったとき気が付いた。
其れは我が家の客間で、
父が役所の方と二、三人でお話していた時、
頭領の考え等とお役人さんに、
父が語り始めたのを聞いた。
その後私は、
繰り返し時間があれば大工さんの側で、
木の香を好んで嗅だ。
材料の切れ端を頂き積み木に使って遊んだ、
七歳で小学校1年に入学、
通学帰り道彼の大工さんの仕事場に立ち寄り、
何となく時を過ごしお茶やお茶菓子も頂いた。
棟上(むねあげ)の日、お餅拾いにおいでと言われ、
友達と参加してお餅を頂いて帰るこの時、
神事(しんじ)進行(しんこう)係が、
玉串奉奠で、
頭領北野様と呼ばれ大工の頭領と知った。
僕にどんな職業に就くにも学問は必要と、
父や時折来る役人の方も、
私に言って頂いた。
特に頭領は、大工仕事は職人に成ることだが、
私にはその内に夢が芽ばい、
広い世界で羽ばたける人に成りなさい。
と何時も言って呉れた、
僕は目標を早く見いだしたい、
そして目標を決めて向かう人に、
早く成りたいと思う毎日が続いた。
昭和19年新しい家に移転し、
小学校は少し近くなった。
大人達は大東亜戦争の話題で、
持ちきりだった。
僕の村から大勢の方が戦地に向かった、
我が家は近所に新築した官舎に移転した。
この頃から、
木の香りを、嗅ぐのは珍しく成った。
この頃はラジオニュースは戦争の事が中心だ、
僕たちには理解が難しかった。
このところ5年ぐらいは、住宅の新築は見られない、
僕は大好きな木の香りを嗅ぐ事が無くなった、
彼の頭領とも何年もお逢いしていない。
大人達は景気の話はタブーらしく、
本当の話が聞こえなく成ったことが、
子供の僕にも良く解る。
お昼の弁当は混ぜご飯亦は代用食、
田舎まで生活が困窮してきた・・・
もうダメか。
小学校5年の夏休み、
僕の母は80人程の女の方を使い、
松の苗木を育てていた、
この時父は苗木を山に植える仕事であった。
苗圃(なえはた)で除草中の、
頭上を米軍飛行機が飛来して、
爆弾を2個落としてそれが、
小学校の向かいの林に落ちた。
大きな穴と爆風で付近の立木をなぎ倒した、
神風は何時吹くや・・・
最早駄目かと。
此の年の8月15日大東亜戦争は終わった。
それでは亦・・・
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