住まいと_環境・・・幸せへの道しるべとなりますように。

テーマー

 住まいと環境・・・健康である喜び・食生活を考へて、

 充実した生活を・道は近きにあり。

知恵の貸し借り・・・

2014-11-30 05:09:06 | 副業で稼ぐ・・・

     2014/11/30

私たちは有限である、

お金のことを深く考える

機会があるだろうか、

 

 

お金の貸し借りはほんの一部と思える、

 

 

申し上げたように、

 

 

有限なものを貸し借りしていると、

 

 

疎遠に成ると聞く、

 

知恵の貸し借りならどうだろうか・・・

考えに与えするであろう。

 

 

他人からきちんとお金を借りて返し、

 

 

また日頃、

 

 

銀行の門口を開いておくことである。

 

 

自分の分身のように、

 

 

思える友人にお金を借りると、

 

 

もし考えるなら、

 

 

友達を失う事に成るの、

 

 

で大きな間違えだと思う。

 

 

私達は今世紀は、

 

 

どんな方向に進むだろうか、

 

 

個人として自分に責任の持てる、

 

 

規律ある生き方を考えてみたい。

 

 

順序だったプランにより、

 

 

よりよいプログラムに、

 

 

自分を乗せる事であり其れには、

 

 

例外を許さない事であります。

 

 

何事にも疑問を感じているうちは、

 

 

実にまじめに行動を起こすが、

 

 

時間の経過とともに、

 

 

よしや、よしやと、

 

 

自分の力のなさを見直さない事が多い。

 

 

そうなると、

 

 

大切な イェス ノー が、

 

 

あいまいになる、

 

 

このときに

軌道を修正しなければ

いけないと思う。

 

 

積極的に気持ちを固めて、

 

 

ゆっくりと考えながら、

 

 

実は乱暴な位い、

 

 

急がなければ

実生活に遅れて間に合わなく

成る事が多い。

 

 

臆病にならづ、

 

 

おごらず、

最初に難しい事から始めよう。

 

 

道は自分でつけろ、

 

 

そうすれば他の人が続く、

 

 

道らしく成って

立派な道が出来ると思う。

 

 

このことに依って、

 

 

強烈なエネルギーが沸いてくる、

 

 

次第に基本的な考えが

発達し発展する。

 

 

頑丈な精神力が、

 

 

養われ何事にも

集中する事ができて、

 

 

このことが何より

重要であると考える。

 

 

考え過ぎや、

 

 

自分だけの物差しで、

 

 

他人を計る事をしなくなる、

 

 

同時に自分を、

 

 

計る物差しが

自分の中に考え出すことが

出来てくる。

 

 

これからは、

 

 

自分の人生を

依りよいものに築きあげ、

 

 

発展させて

前進させるには

行動であり、

 

 

多少まずいと思う時があっても、

 

 

進む事であります。

 

 

自分が思うように、

 

 

進まなかった時

其の理由を

他人のせいにしたがる。

 

 

それに気づかず言い訳に、

 

 

使う事は実に

滑稽な話であります。

 

 

実践行動する事は

 

 

不可能に挑戦するような

勇気が必要であります。

 

 

自分の計画に負ける事は、

 

 

スタートラインに立たず、

 

 

試合を放棄しているのと

同じで事で、

 

 

其の結果を論ずるのは、

 

 

は全くおかど違いで

あります。

 

 

其れでは亦・・・

 

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この先の生活環境は・・・

2014-11-29 03:23:21 | 副業で稼ぐ・・・

 

2014/11/29

 

これから先、

 

富裕層と下流層の差はもっと

 

激しくなっていくことは

 

間違いないと思います。

 

 

 

 

 

日本は、世界に比べて、

 

中流階級層がたくさんいます。

 

 

 

 

 

お金がないとか、

 

なんだかんだ言っても、

 

携帯代金は払えるし、

 

ご飯も食べれるし、

 

勤めるところも

 

家もあります。

 

 

 

 

 

モノが食べられないくらいに、

 

困っている状態な人が

 

稀なくらいです。

 

 

 

 

 

当然、

 

世界に比べればですが、

 

お金持ちは、

 

お金を落とす場所が

 

決まっています。

 

 

 

 

 

なので、

 

一部のところにしかお金は

 

ぐるぐる回らないのです。

 

 

 

 

 

もちろん、

 

お金は持っていない人は、

 

節約をするので、

 

当然企業にはお金が回らず、

 

社員のボーナスカット、

 

ヘタしたら、

 

会社が倒産という自体が

 

起こります。

 

 

 

 

 

これは、遅かれ、早かれ、

 

必ず来る未来だと

 

個人的には

 

思っています。

 

 

 

 

 

そうです。

 

 

 

 

 

これから先は、

 

企業に頼らなくても、

 

自分自身で稼ぐための

 

力が必要になります。

 

 

 

 

 

もう、何回も耳にしたことが

 

あるかもしれませんが、

 

自分で稼ぐスキルを,

 

身につけないと、

 

自分の未来を守れない時が

 

来てしまいます。

 

 

 

 

 

自分の未来を守れるのは、

 

自分だけだと

 

気づいてください。

 

 

 

其れでは亦・・・

 

 

 

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都会に人が集まるのは・・・

2014-11-28 00:55:32 | 副業で稼ぐ・・・

     2014/11/28

人は寂しがりやで、

自分が好み・

気に入った事を,

している時は一人で、

居る事を好みます。

 

然し自分に不都が、

生じたり生活環境上で、

自分の思うような、

条件が求められない時など、

多くの方が落ち込み、

やる気を失います。

 

こんな事を,

繰り返している中に、

何かの弾みで、

特に若い年代の方は、

その土地に,

定着する魅力を、

感じなくなり、

落ち着かなくなります。

 

農村地帯を見て見ると、

少子高齢化が多く目に付き、

老・若・男女の、

不均衡が特に感じます。

 

考えて見れば、

戦後の生活環境の変化が、

亦新しい政治のあり方の、

変化と共に、

大きく変わった事が、

解かります。

 

地方での資産の形成は、

今日では考える人は、

特に若年層では皆無です。

 

人の集まる所に、

富も集まると

考えるように、

多くの人々の思いが、

方向を、

変えたのであります。

 

自由という思想が、

多くの人の間に浸透して、

夢が膨らみ・・・

俺は都会に出て、

大成功して膨大な、

富を手に入れようと多くの、

若人の思いに挟まり、

中・高年の、

希望の目標と、

化したのであります。

 

棚からぼた餅の諺は

あるけれど、

都会の生活はさほど、

甘いものではありません。

 

亦都会での最低生活は、

田舎ほど世間の口は煩くなく、

むしろ他人の事は、

かまって居られないと、

言った所でしょうか、

其のうちに慣れ甘んじて、

落ち着き都会人の、

仲間入り・・・

 

こんな生活に慣れて、

夢は儚いと思うことも稀で、

何となく都会人として、

落ち着くことになる。

 

思ったら実行する、

長所でもあり、短所でもある。

 

こうして田舎は過疎化に、

拍車を掛ける。

 

此処で戦後の教育改革は、

今になって思わしくないことが、

次々に反省させられてくる。

 

親の面倒を子が見ない、

見れないのである。

 

わが子の面倒を、

保育機関に頼り入所待ち・・・

 

家族制度の、

完全崩壊であります。

 

昔は自分のお金で家を建てた。

 

今は借金も財産のうち・・・

これで人情や絆のことを語る。

 

借金を借入金と記入する。

 

ここは思案のしどころ・・・

 

其れでは亦・・・

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少年期からこんにち迄・・・

2014-11-27 05:45:08 | 副業で稼ぐ・・・

    2014/11/27

昭和20年8月15日終戦を迎え、

引き揚げ者が村に戻って来た。

 

 

初めはみんなが協力して

励ましたりしていたが、

やがて村中が飽和状態となり

其の手当に大変苦慮した。

 

 

公共施設や

住宅も増改築が進んだが、

高齢の大工頭領の

姿は見られなかった。

 

 

僕も新制中学高学年、

路を模索していた。

 

 

普通校、商業校、

工業校、難しいな・・・

 

 

工業校建築を選ぶが、

経済的に困難になり途中退学して

勤め乍ら進学を考えて

大学入学資格検定試験に挑戦・・・合格。

 

 

商業系の短期大学を目指し29年合格。

 

 

31年1部上場の建設会社に入社。

 

 

経理課・資材課・土木工事現場・建築工事現場、

 

 

建築工事課・住宅付き診療所担当など、

 

 

宅地建物取引主任者となり、

顧客相談の難しさを学ぶ。

 

 

お客さまは神様です。

 

 

昭和40年四年生大学の3年に編入した。

 

 

経済学を学ぶ、

必要で進学した大学であり、

 

 

教授もゼミを中心に親しい学友もふえた。

 

 

経済人・政治家・初め諸々の専門職を

排出している大学であった。

 

 

成功した先輩の

講演も時々聴いてそれなりに、

興味と関心が持てた。

 

 

私の独立への足がかりが出来たのも、

この時期であった。

 

 

昭和41年4月1日

会社の設立の基本になる定款が

できあがった。

 

 

建設会社は以前から建設業を技術、

と商い、を一緒にした、

企業と考えていた。

 

 

社名は日本商工株式会社とした。

 

 

然し請負と商い共に

中間搾取的内容が強い企業と、

常に思わずには、

いられなかったので思行錯誤を

繰り替えした。

 

 

昭和42年大学卒業。

ついに独立に至る。

 

 

土地の売買にも進出して

それなりの成果もあがった。

 

 

古い土地付家屋を買収、

改修して売り出した。

 

 

当時はやりの原野分譲など

歩合制の販売も行った。

 

 

前に進めるだけ進んだが、

何年か繰り返しているうちに、

疑似宅地としての、

原野分譲商法は改善に向かい、

小面積区画数など

取り締まりの網が張られ

商売がしづらく成る。

 

 

初和62年2月私のお世話に成っている、

お坊様のお言葉も応援して頂いき

東京に移転して参りました。

 

 

最初は知人と沿線の、

農地を買って

建て売り業者に販売した。

 

 

宅地建物取引業免許を

取得致しました。

 

 

大手の見積もりにも参加致し、

会社は力も着いて

来ました。

 

 

大手より応援の方も入社しました、

順調に売り上げは、

伸びて参りました。

 

 

大型景気も過ぎて

不動産業界も整理された。

 

 

資本の弱小な会社は

経営も難しい見通しになり、

大手銀行も小企業には、

貸し付けが出来なく成った。

 

 

不動産は縮小のやむなきに・・・

 

 

ここで亦思行錯誤が

繰り替えされ、

 

 

東京都知事許可建築業

登録を受けました。

 

 

小規模改修工事などに

着手しました。

 

 

三歳の頃から、

木の香りと細工する大工さん、

 

 

最初から大先生(大工頭領)の

知らずと薫陶(くんとう)を受け、

其のセンスが少年の僕に、

芽生えていたのでしょう。

 

 

技術の陶冶(とうや)は、

田舎も東京も遜色はないと、

自負しながら、

 

 

良い大工を探して、

手元には真面目な青年を

選び付けた。

 

 

仕事は量より質を選び、

手の込んだ仕事を施工した。

 

 

協力者もできて資本参加して頂き、

3倍5倍ついに会社の、

払い込み資本金は平成2年8月、

1億円に増資、授権資本は

4億円と成りました。

 

 

仕入れは現金、支払いも現金、

帳簿は予算差っ引き簿を、

(私が考案した)使う。

 

 

常に現金の残高が

判明出来るやり方であった。

 

 

経理人を雇わず、

自分で作成・・・

その割に銀行の信用は付かない。

 

 

あっという間に拾数年が過ぎた。

 

 

前ばかり見て、

ふりかえることを知らなかった。

 

 

建物と付帯する、

浄水装置をお客に勧められて、

会社の仕事の一部に取り入れた。

 

 

此はこれで社業に、

利をもたらした。

 

 

単純でロスのない仕事であった。

 

 

時々住宅改良の相談も、

受けるように成って、

相談にのった。

 

 

親切を売り物に頑張った。

 

 

拾数年前、

建築施工管理技術を学び、

 

 

二級建築施工管理技士試験に合格し更に、

 

 

一級建築施工管理技術検定

学科試験にも合格していた。

 

 

建築の仕組みや理論もマスター出来た。

 

 

何時も考えていたが、

当社は土台になる、

組織が貧弱であった。

 

 

18年の年の瀬に、

自分で浄水機具を持参し取付けに、

向かう途中、

事故にあい休業のやむなきに・・・

 

 

残念ながら永い休みを、

医者から宣告された。

 

 

此までの精算はすましたが、

 

 

仕事を

続けてゆくすべがなかった。

 

 

出資者の

株式を持って戴いている分は、

 

 

私が買い取り、

来年から会社は休業状態となる。

 

 

不動産業は当月廃業した。

 

 

落ち着かない療養生活が続き

平成18年と

終わりを告げる。

 

 

新年の予定もたたず、

気持ちだけが、

焦るがどうにもならない・・・

 

 

三年も経過した3月5日頭の中で

考えた事があった。

 

 

先ず当社の社章を

特許庁に申請する事にして、

正確なマークを作成した。

 

 

申請は素人には

無理では無いかとも言われたが、

3月5日申請した。

 

 

役所から

連絡がはいり、

所定のお金を納付して、

後は運を

天に任せて待った。

 

 

確定の納付金も納めた。

 

 

此から会社が

使用するマークは、

 

 

僕の考案した社章で

商標登録済みで

御座います。

 

 

治療のため

お休みしている間に

懸案の、

施主と当社の施工管理の

方法を企画致しました。

 

 

この先、賛同頂いた方々と、

実行に

進みたいと思います。

 

 

住宅改良の夢、

その出来映え品質の想像、

依頼者共々期待される

施工管理を持って

実現しょうと思います。

 

 

一緒になって施工者を

決め良いプランにより見積もりを

決定し依頼者、施工者、共々喜びあえる、

作品の引き渡しを受ける

理想的なマニアルを、

作り出すように、

心掛けて進みます。

 

 

どうぞ

ご賛同頂けます様に・・・

 

長時間のお付き合いを

戴きまして感謝いたします。

 

 

自己紹介と致します。

 

 

其れでは亦・・・

 

 

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満3歳ころの僕・・・

2014-11-26 02:43:12 | 副業で稼ぐ・・・

 

     2014/11/26

僕は1935/04/01日

生まれです。

僕は三歳くらいから,

大工さんとご縁があり、

 

 

細工場(さいくば)や

住宅も建築の最初から

見に行く事が

好きであった。

 

 

普通は子供が作業場に

出入りする事等は許されて

いなかった。

 

 

父の仕事上常に

施主の立場で合った事や

私が大工さんの、

注意を守った

からかも知れない。

 

大変可愛がって呉れた。

 

 

私を可愛がって頂いた

大工さんは、

頭領(とうりょう)と

呼ばれている事に

気が付いた。

 

 

其れは家の客間で、

父が役所の方と二、三人で

お話していた時、

頭領の

考え等とお役人さんに

父が語り始めたのを

聞いた。

 

 

その後も私は、

繰り返し時間があれば

大工さんの側で、

木の香を好んで嗅だ。

 

 

材料の切れ端を頂き

積み木に使って遊んだ。

 

 

七歳で小学校に入学、

通学帰り道、

大工さんの仕事場に立ち寄り

何となく時を過ごし

お茶やお茶菓子も頂いた。

 

 

棟上(むねあ)げの日、

お餅拾いに

おいでと言われ、

 

 

友達と参加、

お餅を頂いて帰るこの時、

 

 

神事(しんじ)進行(しんこう)係が

玉串奉奠で、

 

 

頭領北野様と呼ばれ

大工の頭領と知った。

 

 

特に頭領は、

僕にどんな職業に就くにも

学問は必要と、

 

 

亦時折来る役人の方も

僕に言って頂いた。

 

 

大工は

職人に成ることだが、

私にはその内に

夢が芽ばえ、

 

 

広い世界で羽ばたける人に

成りなさいとも

言って呉れた。

 

 

僕は目標を早く決めて

目標に向って進もうと考えた。

 

 

亦早く成りたいと思う

毎日が続いた。

 

 

昭和19年新しい場所に移転し、

小学校は少し近くなった。

 

 

大人達は大東亜戦争の話題で

持ちきりだった。

 

 

僕の村から大勢の方が、

戦地に向かった。

 

 

我が家は近所に新築した

官舎に移転した。

 

 

この頃から

木の香りを嗅ぐのは

珍しく成った。

 

 

ラジオニュースは

戦争の事が中心だ。

 

 

僕たちには

理解が難しかった。

 

 

このところ、

住宅の新築は見られない。

 

 

僕は大好きな木の香りを

嗅ぐ事が無くなった。

 

 

彼の頭領とも

何年もお逢い

していない。

 

 

大人達は景気の

良い話はタブーらしく、

 

 

本当の話が

聞こえなく成った。

 

 

子供の僕にも

良く解る・・・

 

 

お昼の弁当は

混ぜご飯亦は代用食。

 

 

田舎まで生活が

困窮してきた・・・もうダメか。

 

 

小学校5年の夏休み、

僕の母は80人程の女の方を使い

松の苗木を育てていた。

 

 

この時父は

苗木を山に植える仕事であった。

 

 

苗圃(なえぼ)で除草中の

頭上に米軍飛行機が飛来し。

 

 

爆弾が2個小学校の

向かいの林に落ちた。

 

 

大きな穴と爆風で

付近の立木をなぎ倒した。

 

 

神風は、何時吹くや・・・

 

 

最早駄目かと。

 

続きます。

 

其れでは亦・・・

 

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蝦夷で生まれた僕・・・

2014-11-25 03:23:06 | 副業で稼ぐ・・・

    2014/11/25

本日よりブログ

再開いさせて戴きます。

 

お時間の有る時にお読み下さい。

 

 

先ず自己紹介から・・・

 

 

北海道石狩市

厚田区で産声をあげました。

 

 

重いお餅を

背負ったのが記憶の、

始まりであります。

 

 

はっきり記憶はありません、

 

 

周りの方が話すのを聞いて、

感じたのでしょうか、

 

 

父や母の会話に参加したくて・・・

 

 

然し両親は、

僕の口元を見て何時も話し掛けた、

 

 

最初は僕の発生は、

言葉になる前に、

唇を前に出している、

 

 

此のことを繰り返しているうちに、

音声になった。

 

 

僕の取り巻きは何時も、

僕がお話を始めようとすれば、

 

 

唇が飛びだしていることを話しますが・・・

 

 

其れは僕だけのことではなく、

 

 

僕が声を出そうとする、

その時決まって、

周りの大人が僕に、

 

 

語り掛けてくるので、

僕の唇がとがっても声が出ないで、

 

 

口先が前のめりになるので

唇がとがると笑う・・・

 

 

僕は自分で聞くことは、

早かったようだが、

 

 

口が回らず話す事が、

出来るように成ったのは遅く、

 

 

3才の頃、

多少の文字が書けて、

 

 

僕の気持ちを、

両親に伝える事が、

出来るように成った。

 

 

僕は何処から来たのかと、

母に尋ねてみた、

 

 

人が生まれて来ると言うこと

を知ったのは、

 

 

それから少したった5月、

妹が生まれて、

からだった。

 

 

僕はそのころに成って、

 

 

実に不思議な事に、

兄弟はどことなく似ており、

 

 

特に近所のおばさん達が、

 

 

子供が生まれると、

父親似だとか母親似とか言って、

 

 

両親と話てるのを、

耳にしたが、

 

 

そんな会話が大人の、

話なんだと感じていた。

 

 

僕の家の前は水田で、

あったが、

 

 

其の地先には、

小川が曲がりくねって流れていた。

 

 

雪深い山村であったが、

積雪は真冬に地上2メートルより、

少し多い位と思う様な、

気がしたが、

 

 

屋根から落ちる雪と、

積もった雪で屋根と地上は、

続いていた。

 

 

4月になって其の積もった雪は、

毎日春の日差しで、

表面から解けだして、

夜には凍って堅くなる。

 

 

その上を大人も子供も、

歩くことが出来る様に成る。

 

 

その頃までは小川も氷おり、

雪に覆われていて、

その上を何処でも、

歩くことが出来た。

 

 

次に続きます。

 

其れでは亦・・・

 

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お休みのご連絡・・・

2014-11-14 23:17:31 | 副業で稼ぐ・・・

 

2014/11/14

各  位

当方機器点検と、

送授信環境点検のため、

2014年11月14日

より、

11月23日までブログを、

休刊させて戴きます。

 

何卒宜しくお願いおたします。

佐藤盛男

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実感の伴う文章・・・

2014-11-13 06:52:03 | 副業で稼ぐ・・・

   2014/11/13


お早うございます。

昨日は暖かかったですね。

お客様が一番反応するのは?

「およそ」
「だいたい」
という言葉で

表現されても、
頭の中ではイメージが
出来ませんよね。


キャッチコピーは、

「一瞬」がすべて、
と、先日お話した通り、

アバウトなキャッチコピーを使っても
意味がありません。


一瞬でインパクトを伝えるための文字。


それは、数字、です。


【数字で覚えさせるキャッチコピー】


もし、売る商品や
サービスに実績があるなら、
必ず、数字で表現すべきです。


更に、その数字は、
「事実」でなければなりません。


「売り上げ実績5298万円」
「お客様満足度、97%!」
「販売数1257戸」


というように、
数字を書く場合、

キリのいい
数字ではなく、
細かく書きましょう。


キリのよい数字は、
いかにも
適当に作った感じがしますよね?


それに比べ、
最小単位まで数字が書いてあると

リアリティが出ます。

事実による数字を入れる。
最小単位まで書く。


細かい数字が入っていると、
覚えてもらいやすくなります。


更に信憑性高いキャッチに
仕上がるはずですよ。

それでは亦・・・

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(完)来信のメールをご紹介・・・

2014-11-11 23:43:36 | 副業で稼ぐ・・・

   2014/11/12

 

日本人の寿命平均は
82歳と、

昔に比べれば本当に人生が

長いものになりました。

 

これは、

医療も発達し、国は豊かになり、

戦のない

世の中になったからです。

 

しかし、寿命が延びたことにより、

本当に死は遠いものに

なったのでしょうか?

 

医療が発達したとはいえ、

未だに不治の病は

多く存在します。


安全な国になったとはいえ、

毎日事故などで

多くの人が

命を落としています。


科学が発達したとはいえ、

東日本大震災では

天災の前に何もすることも

出来ず

多くの命が犠牲になりました。


人々は物に満たされたはずなのに、

なぜか

自殺者が後を絶ちません。

 

もしかしたら、

私は今日このメールを書き終わった後、

命を落とすかも知れません。


だからこのメールを書くのにも、

彼の全生命を集中して

綴っております。


いつ終わるかわからない

儚い人生だからこそ、

今死んでもいいように一瞬一瞬を

全力で生きているのです。

 

タイトルのように明日急に入院して、

そのまま死ぬかも知れません。


人の一生の長さなど、

自分ですらわからないのです。

あなたはどうでしょうか?

もしかしたら、

どこかで自分は大丈夫。

 

この先何十年も人生は続く。

そう思ってはいないでしょうか?

私は毎日「今日死ぬ」と

思って生きております。

 

人間長く生きられるようになったとはいえ

80年ほど。

 

伸びたのはたった30年です。


下天から見ればまだまだ

夢や幻のようなもの

 

だからこそ私は、

全力で毎日を生き抜く。


ただでさえ儚い人生、

何も考えずにダラダラと

惰性で過ごせば、

それこそ意味のない

存在になってしまう。

 

下天から見れば私の人生など

一瞬の輝きかも知れない。

 

しかし、一瞬輝ければ上出来。

花火は一瞬の内に

大輪を咲かせるからこそ、

人を魅了し、

心に深くその輝きを

残すことが出来る。

 

彼の全人生を持って、

遥か下天から見下ろす

天界の住人達に

今までに見たこともないような

大輪の大花火。

これを見せつけ震撼させる。

 

それに意味があるのかは、

知るよしもない。

 

私の人生はそれで

良いのだと思う。

 

毎日を全力で生きたい

健康第一で・・・・・
彼の今日の言葉に

励まされながら 

 

 

其れでは亦・・・

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■愛 称 :【青年の乃呟き】

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2)来信のメールをご紹介・・・

2014-11-11 03:18:45 | 副業で稼ぐ・・・

 

2014/11

 

「よくそんな状況で

 

のん気に舞など踊れるな」

 

そう考えるのが

 

普通でしょう。

 

 

 

敦盛の「人間五十年」から

 

始まる一節。

 

 

 

これはその当時は,

 

医療もまだ発達しておらず、

 

戦で命を落とすことも

 

多かったので、
世間一般で

 

一生は50年程度と言われて

 

いました。

 

 

 

しかしこれは

 

ただ単に寿命の長さを

 

詠っただけの

 

言葉ではないのです。

 

 

 

正しい意味はこうです。

 

 

 

「下天(天界の最下層)の一日は、

 

人間世界での50年と同じ長さ。
 つまり、人の一生など天界から見れば

 

夢や幻のようなものである。
 死を恐れず、

 

精一杯毎日を生きるべし」
この織田信長という偉人の

 

人生の中でも始まりと

 

最後の大舞台。

 

まさに、人生の大舞台に直面した時に

 

敦盛を舞った意味。

 

私はこの時の信長の気持ちを

 

考えると感慨深いものが

 

あります。

 

 

 

彼は倒産を経験し、

 

信頼していた仲間は私の元を離れ、
富、プライド、地位、自信、

 

その全てを失った

 

経験があります。

 

 

 

しかし、そこから2年ほどで

 

以前とは比べものにならぬほどの

 

成功を収め、
家族のような仲間に囲まれ、

 

今までの人生で

 

体感したことのない幸せを

 

手に入れました。

 

 

 

彼は何が何でも絶対に

 

この大切なものを

 

二度と無くさない。

 

もっともっと上を目指し、

 

精進し続けるという強い信念を

 

持っております。

 

その為なら

 

我が身が朽ち果て死んでも良いと

 

本気で考えています。

 

 

 

ただ、彼は倒産した当時も

 

同じ気概を持って人生を

 

生きていました。

 

それでも、どうすることも出来ず、

 

全てを失ったのです。

 

 

 

この時の彼の心境は、

 

桶狭間に出向いた時、本能寺の変で

 

最後を悟った時の、
信長の気持ちに非常に良く似ていた

 

ことでしょう。

 

 

 

信長がピンチの時にこそ

 

敦盛を舞ったのは、

 

私達人間の一生は、この広い世界。

 

 

 

ましてや人知を超えた天界の

 

最下層でいう

 

一日にしか過ぎない。

 

儚い命であるのならばなおさら、

 

今日が人生最後の日だと

 

命を燃やし、全力で一日を生き抜く。

 

悔いのないように

 

今この瞬間を

 

全力で生きよう。

 

今川軍に臆する兵や民に対して、

 

本能寺の変で自分が死んだ

 

後に

 

残される人々に対して、
このようなメッセージを

 

送りたかったのだと

 

思うのです。

 

 

 

それではまた・・・(2)

 

 

 

 

  

 


(1)来信のメールをご紹介・・・

2014-11-10 04:46:38 | 副業で稼ぐ・・・

 

2014/11/10

今日は実は、

あなたにひとつ

大事な話があるのです。

 

そして、それをお伝えする為に、

ひとつ、歴史の話を

したいと思います。


なぜこんなタイトルを

つけたのか?ご理解いただける

はずです。

 

「織田信長」

誰もが一度はその名を聞いたことが

あるでしょう。


信長は武芸、政治手腕に

優れていただけでなく日本文化にも

明るかった為、
大事な場面では

伝統芸能の「舞」を

舞って集中力を高めたと

言われています。

 

その中でも信長が好んで

舞ったのが

「敦盛」という作品でした。

 

「人間五十年、

天下のうちを比ぶれば、

夢幻の如くなり。


「ひとたび生を得て

滅せぬもののあるべきか」

 

これは敦盛の中でも

有名な一節です。

 

信長がこの敦盛を

舞った2つの有名な

シーンがあります


ひとつは「桶狭間の戦い」の出陣前、

そして、もうひとつは

「本能寺の変」です。

 

桶狭間の戦いとは、

その当時、現在の静岡県一帯を

治めていた今川義元という大大名が、
天下を手中に収めるべく

京都に向かって進軍を

開始したことが

発起となった戦です。

 

京都への進行ルート上に

あったのが織田信長の治める

現在の愛知県でした。

 

大大名の今川軍の

兵数は20,000人。

 

これに対しまだ小大名だった

織田軍は

わずか3,000人。

織田軍の敗北は

誰の目で見ても明らかでした。

 

今川軍がもう間もなく

こちらの城に近づいてきたという

知らせを聞き、

兵は萎縮し、民は怯えて

いました。

総大将の信長は

何をしていたかというと、

ろくに軍議も開かずに

酒を飲むばかり。

兵はその姿を見て焦燥感に

駆られていたといいます。

 

しかし、今川軍が自軍のある

砦に攻めかかった事を

聞いた信長は、
突如、敦盛の一節を

謡ながら舞うと、

猛然と出陣しました。

 

そして、

信長はわずかな軍勢のみを率いて

敵の大将の首を取る為の

奇襲作戦を決行。

あまりの信長の行動の

早さに兵は甲冑を身に着ける

暇すらなかったそうです。

 

そして、

信長は大将を

討ち取ることに成功。

 

今川軍は混乱に陥り、

見事大軍を

退けたのです。

 

これがそれまで

破天荒な振る舞いを

続けてきた為、

「うつけ」と馬鹿にされていた

信長の
人生を大きく飛躍させる

始まりの戦となったのです。

 

そして、もうひとつの

「本能寺の変」

こちらはご存知の方も多い

ことでしょう。

桶狭間の戦いの後、

飛躍的に勢力を

伸ばし続けた信長。

 

領土も拡充を続け、
名実共に誰もが天下を

治めるのは

織田信長である。

 

そう思っていた矢先の

出来事でした。

 

信頼していた重臣

「明智光秀」が

裏切りを起こし、

信長が宿泊していた

本能寺にいきなり

火を放ったのです。

無防備の信長は

本能寺の

周りを光秀軍に包囲され、

もはや逃げること叶わず。

そう悟った瞬間、

焼け落ちる本能寺の中で

この敦盛を最後に舞ったと

言われています。

 

それでは亦・・・(1)


「タオバオ」市場を紹介・・・

2014-11-08 09:41:32 | 副業で稼ぐ・・・

  26・11・08

「タオバオ」は

中国の巨大通販サイトで、

2013年の総流通額が、

「19兆円」という、

途方もない金額が、

動いている。

 

世界的に見てもモンスター級の、

マーケットです。

19兆円という金額は、

日本最大のECサイトである

「楽天市場」の10倍に相当し、

全米最大のオークションサイト、

 「eBay」の2.3倍という、

企画外の数字なのです。

 

「モンスター級」というのも、

言い過ぎではないと、

分かってもらえたんじゃ、

ないでしょうか?

 

ただ、

「タオバオが一体どんなところなのか?」

と、あなたもまだピンと

来ていないかもしれないですが

それは無理もないことです。

 

ですので、

タオバオから仕入れ、

アマゾンで販売を

行っている事例も、

ございます。

 

其れでは亦・・・

 

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言葉の使い方でこの様に・・・

2014-11-07 10:54:02 | 副業で稼ぐ・・・

   

2014/11/07

二度と買えないかもしれません。

 

「今回が最後となります」

 

 

と言われたら、

買わなければ後悔しそうな

気になりませんか?

 

 

「残り3個」というのも同じですよね。

 

 

僕も、そこまで興味のない洋服を

買ってしまったことがあります(笑)

 

 

このキャッチコピーは、

どんな人でも

動揺させてしまうのでは

ないでしょうか?

 

 

【後悔するかも、

と匂わせるキャッチコピー】

 

 

世の中には、本当に、

数が少ない商品で

タイミングを逃すと

買えないものも確かに存在します。

 

 

でも、多くの商品やサービスは、

そこまで希少性の高いものは

少ないはずですよね。

 

 

なのに・・・

 

 

なのに・・・

 

 

人は、この言葉に弱いのです。

 

 

「今回で最後になります」

「◯◯個のみ限定です」

「2月は、5社のみ」

「残り◯◯個だけ」

 

 

こう聞くと、なんとしても

手に入れねば、

という勝負魂のようなものが

湧いてきませんか?(笑)

 

 

二度と買えないような

気になってしまいます。

 

 

もしも、なぜ、

それだけしか買えないのか?という

理由が書かれていたら、

 

更に信憑性が増し、

言葉に誘導されてしまいますよね。

 

 

本当はそんなに

欲しいものでなかったとしても

財布の口は開いてしまうことでしょう。。。

 

 

このキャッチコピーを使うなら、

本当に「後悔するかも」と思っていただけるような

質の良いものを売りたいですね。

 

其れでは亦・・・

 

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早起きは三文の得・・・

2014-11-05 23:57:05 | 副業で稼ぐ・・・

 

   26/11/06

 


先ず集中力が長く続きます。

人を自問自答させてしまう

 

キャッチコピー


人は、どうしても、
誰かと自分を比べたく
なりますよね。

つい、心の中で比べて
ホッとしたり、
ガッカリしたり・・・


人が一瞬で比べたくなるような
キャッチコピーがあるのです。


それが、今回、
説明するタイプの
キャッチコピーです。


【比べさせるキャッチコピー】


比べさせるキャッチコピーは、
書籍に多いように思います。


「金持ち父さん、貧乏父さん」
「◯◯をして得をする人、損をする人」
「成功する人、失敗する人」
「人から好かれるタイプ、嫌われるタイプ」
「どうしても太る人、なにを食べても痩せる人」


書籍に多いということは、
反応の取れるキャッチコピーだと言えます。


確かに気になりませんか?


文章を読んだ瞬間


「自分はどっちに入るだろう」というように
自分を比べてみますよね?


例えば、

「人から好かれるタイプ、
嫌われるタイプ」という
本があるとします。


すると、あなたは、
表紙を見て、すぐに


「自分は人から好かれるタイプだよね。
いや、ちょっと待てよ。」

こんな風に、心の中で
自問自答しているはずです。


更に、その本の中身を読んで、
確認したくなりますよね。

目次を読んで、

「良かった~。嫌われる人には
当てはまらないみたい。」

と安心して本を閉じるか、


もしかしたら、

「ええ!! 私、嫌われるタイプに
入ってるじゃない。」

と思わず、先が気になり
本を購入し、少々寒気を
感じながら読み込んで
しまうかもしれませんね(苦笑)


このように一瞬で人の心を動かし、
行動させるタイプの
キャッチコピーが

「比べさせるキャッチコピー」

 

だと僕は思います。


比較できる言葉を探し、
早速、活用してみてください^^

またメールさせて頂きますね。

 

其れでは亦・・・

 

 

 

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楽しみながら仕事に励み・・・

2014-11-05 22:27:49 | 副業で稼ぐ・・・

   

2014/11/05

情報そして何よりも

変えがたいのは、

私は楽しみながら仕事に励み、

ビジネスの面白さに

魅了される毎日を

過ごしているということです。

しかし、

起業当初から

順風満帆だったわけでは

ありません。

どちらかと言えば、失敗

かっこつけずに言えば、

誰が見ても調子に乗って起業し、

即失敗のパターンでした。

レベルでいえば

一般的な社長以下。

しかもサラリーマン時代は

金融業界にいたのも影響し、

お金というものを

理解したつもりになって

いました。


お金を積んで

広告を出せば

お客さんは自然と集まると

勘違いしていたのです。

 

実際は広告を出しても

お客さんは順調に

集まりません。

そうです、

集客する方法が

全くわからない

アホ社長でした。

2002年に起業した

当時の話です。

女性向けの

情報提供サービス業とで

もいいましょうか、

アフィリエイターでは

ありません情報を

切り売りするビジネスで

スタートしました。

まずは集客するために

広告です。

 

ネット広告、電柱広告、

マンションなどの壁面広告など、

いろいろな選択肢があります。

結局、業界の定番だった、

雑誌広告一本で

宣伝していきました。

当時は今よりも

雑誌で情報を得る

人たちが多かったので、

反応の良い雑誌広告を

主体に事業展開して

いったのです。

 

お客さんが来るかと

思いきや、

最初の広告は散々でした。

雑誌の発売日に

申込みの電話が

鳴ることはありません。

電話の前で

数日待っても

電話は鳴らず、

本当に掲載誌が

発売されたか

コンビニを一軒一軒

見て回りました。

もちろんちゃんと雑誌は

売られていましたよ。

起業したてで、

気合と根拠のない

自信に満ちていた私。

 「いけるでしょ!」という

軽い気持ちで、

一発目の広告費に

50万円くらい

注ぎました。

某有名女性誌の

カラー1ページ

まるまる使ったのです。

今思えば、

ヘッドライン(見出し)は

デカデカと店の名前を書いて。

その下には

サービス内容の羅列。

 

住所、電話番号、きらびやかな

背景の広告でした。

今の私にはわかります。

そうです

これは集客できない

ダメな広告です。

今の自分なら

何時間でもダメな

ところを説明できます。

ですが、当時の私は
『反応がないのはまだまだ

広告の露出が

足りないからだ』
そう思い込んで、

売上がないのに

広告を載せまくりました。

すぐに開業資金が

底をついたのは

言うまでも

ありません。

 

寝る時間以外、

広告の研究をする日々

最初の広告が

載った雑誌の発売日を

過ぎて・・・

季節は真夏の

8月だったので

暑かったと思います。

しかし、

暑さなどまったく

覚えていません。

焦りでそれどころでは

ありませんでした。

次の9月、

10月に発売の雑誌にも

広告の枠を

買っていました。

集客に失敗した広告を

載せるわけにはいきません。

 

すぐに広告代理店に電話し、

広告を変えることを

告げました。

見出しを変えたり、

内容を変えたりと、

さっそく作業に

取りかかりました。

 

一回一回が本番の真剣勝負

 

結果が出なければ心の焦りは

増していきます。

お金も無くなっていきます。

2回目の広告では

真剣勝負で挑んだのもあり、

最初の広告より反応は

だいぶ良くなりました。

 

しかし、費用対効果は

まったくありません。

最初の広告は

50万円かけて売上が

5万円位でした。

次の改善した広告は、

枠の大きさを半分にしたので

25万円かけて8万円位の

売上でした。

良くなりましたが、

まだまだです。

いよいよ10月頃、

準備資金も底をつき、

借金初体験へと

突入します。

どこでリサーチして

情報を得ていたのか?

 

それまで広告を

載せた雑誌を代理店から

確認のため、

無料でいただき

いました。

開業するときも、

競合が広告を出していた

雑誌を数冊買っただけ。

つまり、

リサーチはそれらの雑誌に

載っている広告からしていました。

雑誌の後ろの方に

ある広告ページを広げ、自分が

良さそうだと思った

広告だけピックアップし、

比べて、マネて、

自社広告にしていました。

でも結果が出ない。

友達からの飲みの誘いに

金が無く付き合えなかったので

徐々に友達を失って

いったのもこの時期でした。

続きは亦の日に・・・

 

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