花冠俳句叢書

花冠発行所 主宰高橋正子

第Ⅱ期第4巻「香田」井上治代句集

2010-08-21 16:48:41 | Weblog


 句集名の『香田』は、作者が嫁いできて住み慣れた地名であり、
  香田という地に住み慣れて木の芽和
の句から採った。美しい名で、その地が田園の広がる農業地帯に違いないであろうと思う。
  耕して今日のひと日の確かなる
  野菜採る喜びありて夏帽子
  作業後の秋水甘し一息に
  風吹けば刈田の匂い陽の匂い
  鳥の声種々聞き分けて冬耕す
 句集『香田』の著者井上治代さんは、愛媛大学卒業後すぐに小学校の教師となり、生涯の多くを学校で過ごしたが、退職後は、ご主人に教わって畑仕事をされている。農作業の句が勝れているのは、ご夫婦でのお仕事が楽しいからであろう。そして、農作業をしている、そのいい環境を見逃していない。「鳥の声」を「種々聞き分けて」いる。せせらぎの水であろうか。「作業後」の「秋水甘し一息に」という喜びがある。
 治代さんの農作業は、戸外での生活であって、大空の下、ひろびろとした大空とともにある。
  空に月地に脱穀の音しきり
 空と地が切り離されていないところに、治代さんの句の良さがあって、治代さんの独自の世界がある。
 小学校教師のお仕事を終えた治代さんは、今は農家の主婦なので、主婦の俳句にも多くの佳句がある。
  干しものを取り込む時よ笹鳴きす
  夏蓬摘み摘み歌を口ずさむ
  大根の白を確かめつつ洗う
 家族を詠めば、
  旅立ちの子に花明かりほしいまま
  春キャベツ吾子にもたせてグッドバイ
  労いの言葉を夫に秋灯し
  冬帽を目深にかぶる亡父遠し
  母編みしひざかけ軽く花菜色
といった句があって優しい。ふるさとを詠んでは、
  故郷の山の高きに春惜しむ
   八幡浜
  墓参り海群青に静かなり
といった風景の広がりに作者の故郷を想う抒情がやさしい。
  句集『香田』の代表句は、
   大洲・肱川
  川岸の菜の花明かり水明かり
であろうと思うが、戸外での句がいい。大空に心を向けた句にいい句がある。
  夏めくや竹しなやかに空にあり
  鳴き交わし夏鳥高き青空へ
  一日終え夕焼け雲へ背伸びする
  大いなる空に満月浮き立ちぬ
 これらの句を読むと、弘法大師の「遊心大空」という言葉を思う。人間界の俗な世界ではなくて、「大空」に心を向けなさい、という教えである。治代さんは、「遊心大空」の教えを実践されている。そういった生活俳句であり、明るくて深いところがあるのを嬉しく思う。

  平成二十二年夏
                   高 橋 信 之


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第Ⅱ期第5巻「葉桜」渋谷洋介句集

2010-07-27 12:17:17 | Weblog



 渋谷洋介さんの俳句は、人の気を引くような、派手なところはないが、葉桜の大樹に包まれているような安らぎを覚える。俳句という小さな世界から大自然のひろびろとした世界が見えてくる。あるいは、家族の絆で結ばれた快い世界が広がる。

  青空のかくも深きや鳥渡る
  葉桜の青にしばらく染まりいし
  大いなる冬満月の東天に
  町並みの切れてまあるい秋の海

 自然をしっかりと読んでいる作者の心の落着きは、日常生活の良さからくるものであろうし、そして、家族を詠んだ句がいい。

  桜咲く日を待たずして母逝きぬ
  オカリナを奏でる妻や春の雪

があり、母には「桜咲く」、妻には「春の雪」といった季節の言葉に詩情が込められ、洋介さんのいい人柄を見せてくれる。孫を詠んでは、

   孫新野颯太五歳
  袴着の孫の凛々しく育ちけり
   孫岡内あずみ
  二歳児の屈む庭先福寿草
   孫新野ななみ
  一歳の孫と留守居や杜鵑花
  三人の孫とつきあう紙風船
  団栗と胡桃は孫へ旅土産

などがあって、家族に向けられた愛情の大きさを知ることができる。
 洋介さんのいい生活は、俳句に顕われていて、いい俳句がいい生活から生まれた。

  萩の花その一枝を玄関に
  浜木綿の花茎太しガラス器に
  水仙の香を胸一杯に髭を剃り
  両の掌に溢れ絹莢摘む朝
  茗荷の子両手に余りお隣へ

 句集『葉桜』は、作者の身近な生活を詠んだ句が多いが、それらの句は、時代の大きな出来事も語っている。

  震災忌語りし姉の今は亡き
  十二月八日酒屋でありしわが生家
  予科練の兄の軍装菊薫る

などは、大正十二年九月一日の関東大震災、昭和十六年十二月八日の第二次世界大戦参戦を回想する句である。
 洋介さんは、多才で、俳句の他にも絵画などの趣味を持っておられるので、色彩感覚が豊かで、白、紅、朱を詠んでは、

  白梅の白くっきりと日を返し
  楪の茎鮮やかに紅に
  栃冬芽紅く鋭く空を指し

といった佳句があり、青を詠んでは、

  青空の青を返して犬ふぐり
  梅林の空真っ青に透きとおり
  真青な北を目指して雁帰る

と、大空の本源的なところを見せてくれる。句集『葉桜』の代表句を挙げるとすれば、

  赫々と空引き寄せる淩霄花
  北京好天故宮に吾に柳絮降る

であり、いい句集が出来上がったのを嬉しく思い、多くの方々に読んでいただきたい。

  平成二十二年六月
                        高橋信之


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■伝言板■

2010-01-27 12:34:42 | Weblog
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第Ⅰ期第25巻「樟」矢野文彦句集

2009-04-20 11:38:53 | Weblog
  序

 矢野文彦句集『樟』は、有季定型を食み出すことがなく、特に目立ったところは無いのだが、句の芯に強さがある。それは、作者の内面の強さでもあり、生まれながらにして身に付いているものであろう。作者は、物心ついた頃には既に重度の障害者であった。

  ふり仰ぐ天の深さよ春の雪
  車椅子落花を運び戻りけり
  年来る分相応の欲は捨てず

 車椅子を詠んだ句に佳句があり、生活に明るさがあるのは、作者の内面の強さがあってのことである。

  薫風や電池換えたる車いす
  車椅子薄一本挿し戻る

 作者の明るさは、生まれながらのものであろうが、親兄弟といった温かい家族があったからでもあろうと思う。亡き母を詠んだ句に

  亡き母の植えて好みし乱れ萩

があり、アメリカ在住の弟との交流では、

  外つ国の大年を聞く初電話 

という句があって、世界が広がる。
 少年時代の回想句は、

  ぽっぺんが割れ大泣きの遠き日よ
  少年に空青かりし終戦日

などに、喜びも悲しみもあって、心に残る思い出がある。

  蟋蟀の入り来し部屋の灯を消しぬ
  身のほとり清めるだけの大晦日
  着メロによろこびの歌年送る

 これらの句は、一人で居るときのもので、わが身に合った生活がいい。介護の世話になれば、その人達との交流がいい。
 
  祖母を語る若きヘルパー草青む
  介護ヘルパー時間励行息白し
  初風呂や介護の視線全身に
  七夕竹に一日華やぐデイの部屋

 障害者の生活は限られているが、楽しさがあれば、明るい。

  空に鳥地に蝶が舞い夏至暮るる
  チューリップどの色が好きみんな好き
  飲み余すワインの壜に夜長の灯

 矢野文彦さんは、昭和五年生まれで、十月になれば、七十九歳となり、八十歳の傘寿がすぐそこである。矢野文彦さんの永い人生があって、その人生を丁寧に生きてきた。そのことを句集『樟』が語っている。その代表句を挙げるとすれば、

  樟若葉大きな空はそのままに
  人見えぬながら春田となって来し
  立葵明日の高さを目で測る

であり、明るいところがあっても、浅きに流れていないのである。
 句集『樟』が多くの読者を得て、その俳句が人生の励ましともなればと願っている。

 平成二十一年二月
                   高 橋 信 之



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第Ⅰ期 第24巻「南港」高橋秀之句集

2009-04-07 16:58:40 | Weblog
  序

 高橋秀之さんは、大阪に生まれ、大阪で育ったので、大阪の良さを身に付けている。その俳句にも人間らしい暖かさがある。職場は、大阪港で、そこは、海の彼方へと大きな世界が広がっている。
 
 貝寄風に吹かれて広き大阪港
 桜舞う天保山に船が入る

 大阪の街と人によって育てられた俳句は、大きくて、安心のできるもので、読み手の心に触れて嬉しい。俳句が大きいばかりでなく、ひろびろとした世界を展開する。

 大空へ放つ七色出初式
 さよならの声高らかに日脚伸ぶ
 三が日溢れんばかりの靴の数

 本句集は、ふるさと大阪を詠んだ句に良い句が多いが、日常の家族を詠んで佳句を得た。三兄弟を詠んで、句が生きいきとしている。家庭のいい生活を見せてくれる。

 春の夜や寄り添い眠る三兄弟
 菖蒲湯が狭しと浸かる三兄弟

 家族と居る生活が楽しい。誰もが思い出に残す楽しさが俳句にある。

 抱き上げて葡萄の房が子の高さ
 堤防のものの芽踏んで鬼ごっこ
 朝日浴びゆらゆら揺れるしゃぼん玉
 行楽の帰り優しきいわし雲

 母や妻を詠んでも、その暖かさに変わりが無い。

 梅を干す夕暮れ時の母と妻
 秋茄子を洗う妻の手紺が付く

 秀之さんの大きくて暖かい世界は、虫の声や赤とんぼを捉えて、

 子の眠る深夜の部屋に虫の声
 キャッチボールする間をすっと赤とんぼ

という俳句が生まれた。子ども達と虫達が共に生きる世界は、生きいきとしている。ひろびろとした未来があり、見ていて楽しいのである。
 趣味のマラソンでは、妻子を連れての海外旅行となる。子ども達にとっての何よりの体験で、この体験は、大人になっての生活で必ず生きてくる。

 汗拭いゴールドコースト走り抜け
 赤道の陽の眩しきは雲の海

 SLなどの列車にも関心があって、家族との旅がある。

 SLの蒸気の匂い秋初め
 秋の日を背負いさよなら列車行く

 職場の仕事を忘れることがなく、楽しいことがある。

 鮮やかに仕事始めのはんこかな

 本句集は、作者の生活断片を切り取り、それらを繋ぎ、作者の総体を表現した。大きな世界である。
 句集「南港」の中でも私の挙げる代表句としては、

 夕焼けの温もり抱いて子ら帰る
 店先の蜜柑一盛り崩れ落つ
 暗がりで冬帽子脱ぐ通夜の列

である。生活の断片をさり気なく切り取り、深いのである。本句集は、日常にあって、大きな世界を展開し、明るくて深いところを目指した。そこが嬉しい。

 平成二十一年早春
                   高 橋 信 之



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第Ⅰ期 第23巻「花の昼」臼井愛代句集

2009-03-23 10:36:51 | Weblog
  序  

 臼井愛代さんは、九州佐世保の生まれだが、東京の大学に進学し、三十年
も東京の生活が続いているので、初心の俳句は、都会風で、軽く明るい。句
集冒頭の二句は、

  メトロ降り春浅き東京を歩く
  春ショールふわりと巻いて助手席に

で、「メトロ」、「ショール」といった外来語の片仮名表記も軽く明るい。
 愛代さんの句歴は、五年で若いが、日頃の精進があって、明るい句に少し
ずつ深みが加わってきた。

  秋草の触れくるままを触れ歩く
   皇居外苑
  噴水の斜めに流れ黄落も

 句が平面的でなく、時間の経過を詠んで、そこに深みがある。「触れくる
」、「触れ歩く」に、「斜めに流れ」、「黄落も」に時間の経過がある。
 明るくて深いところのある俳句は、かって無かったが、そこに向って進む
姿勢がいい。
 愛代さんの俳句は、東京に染まって小さく纏まっていないところが良い。故郷の精神風土を失っていないので、句柄が大きいのである。首都圏の東京や横浜や川崎を詠んでも大きい。

  春月を仰いで銀座四丁目
  横浜に汽笛の曳ける花の昼
   横浜・日吉本町
  葉桜が空と触れ合う丘のうえ
   川崎・梶ヶ谷
  吾が街に今日立冬の空の青

 句集「花の昼」の方向は、確と定まっている。明るくて深く、そして大きな世界である。迷うことは無い。ただひたすらに前へ前へと進めばいい。臼井愛代さんは、将来が楽しみな俳人である。 

 平成二十年初冬
                     高橋信之



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第Ⅰ期 第22巻「雲梯」飯島治朗句集

2009-03-23 10:36:36 | Weblog
  序

 飯島治朗さんは、祖父以来三代に渡る教育者で、その俳句の主なものは、子どもたちと接する日常の生活から生まれた。子どもたちを見守って、その視線が暖かい。

  子ら遊ぶおしくらまんじゅう花辛夷
  のぼり棒上りゆく子へ青葉風
  枯草の土手を声あげ滑る子ら

 教室の風景を詠んでも、子どもたちの心との触れ合いがある。
 
  長廊下歩けば触れる七夕笹
  教室の青いバケツに花すすき

 街角で出会った子ども達は、

  手を挙げて渡る双子の夏帽子
  お揃いの双子のTシャツさくらんぼ

と詠み、作り手の心が読み手に伝わってきて、その快い読後感が嬉しい。
 家族を詠んでも、作り手の心が快く伝わってくる。

  しゃぼん玉パッと弾けて孫の顔
  朧月長寿の母は寝ています

 作者のいい生活は、いい俳句となって、読み手を喜ばせてくれる。嬉しい俳句である。
 作者のこうした暖かさは、ご自分の家族や教え子達に限らない。施餓鬼会にあっても、さり気なく句を詠んで飯島治朗さんの心を見せてくれる。

  施餓鬼会や新盆の家前列に
 
 草花や大空に目を遣れば、それらとの出会いに作者の内面の深いところを見せてくれる。
 
  明るくてコスモス一輪ありて足る
  青穹や地上の秋を明らかに 
 
 芭蕉が遺した言葉に「高くこころをさとりて俗に帰るべし」がある。飯島治朗さんは、学校生活では、子どもたちと同じレベルにあって、明るくて浅いところに居るのだが、その内面は、高くて深い。それは、治朗さんの俳句を読めば、明らかである。
 本句集「雲梯」の代表句として、次の三句を挙げる。

  雲梯を渡り行く子の空高し
  かいつぶり潜り水輪を離れ出る
  平らかな冬田の向こうに富士聳ゆ

 これらの句は、ごく最近の句であって、その成長を嬉しく思う。俳句の技巧的な上手さといったことではなく、作者の内面の深さ、その高さである。それが俳句の言葉に現れているのである。

  平成二十一年早春
                          高 橋 信 之



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第Ⅰ期第21巻「艫綱」藤田荘二句集

2008-11-18 12:37:39 | Weblog
 序


 藤田荘二さんには優しさがあって、その笑顔がいい。それが俳句に表れているので、嬉しい。
  菜の花の風がこぼれて町中へ
  墓参りいつまで座る花の脇
 これらの優しさは、生来のものであろうが、生活体験の中から育ったものとも思われる。
 荘二さんは、川崎に生まれたが、父上の転勤で、小学低学年を函館で育った。北海道の開放的な風土のいい影響を受けた。北海道を詠んだ句では、
    留萌
  冬怒涛藍濃きところ高々と
があり、東北の山や海を詠んだ句では、
    月山遠望
  月山を仰ぎて高き夏の雲
    男鹿半島
  刈る人も無き藻大きく波の間に
がある。自然とのゆったりとした心の通い合いに作者の優しさを読み取ることができる。
 人生は、山あり谷ありで、その生老病死といった悲しみ、苦しみを誰もが体験し、それらを克服して大きく成長する。荘二さんにも多くの死別という試練があって、その姿を俳句に残した。
    父誠三郎十三回忌
  炎天に墓石鋭く手を焦がす
    畏友井上実君の葬
  どこよりも青き梅雨晴れ骨納む
 これらの句を読めば、亡き人を弔う姿に作者の人柄を知ることが出来るであろう。
 荘二さんが俳句を知ったのは、病床に伏せていたときであり、病という苦しみが俳句への道に誘った。ご自身の生活と俳句が深く結びついているので、本物なのである。技巧の凝った巧者の病がない。
  雷一閃輸液の管の青白し
  救急の受付ひそと息白し
 荘二さんは、小中高校時代が横浜で、横浜市の土木事務所に勤務しているので、本句集「艫綱」は、みなと横浜の風景が多い。横浜らしい句を詠んで、開放的な世界は、作者の心が開かれているからである。
    横浜港
  流れ星港の明かりを飛び越える
  稲妻に艫綱青き水垂らす
    山下公園
  冬の日を背負う女神にかもめ寄る
    外人墓地
  薔薇絡むレリーフの目の深き彫り
 本句集の代表句としては、
  桜咲く朝日が初めにあたる木に
  太陽も空もわがものみずすまし
の二句を挙げる。明るく快い世界を繰り広げて、読み手の心を楽しくさせてくれる。その優しさの奥には、広々として深い世界があって、自然と語り合う荘二さんがいる。俳句を知っているのである。本句集が世に出て、多くの読者に喜んでいただければと願っている。

  平成二十年仲秋
                              高 橋 信 之



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第Ⅰ期第20巻「花影」小川和子句集

2008-10-09 10:25:36 | Weblog


 和子俳句には、どこか洒落たところがあって明るい。派手なところがある句柄ではないのもいい。北海道の風土の中で育ち、大学の英文科で得たヨーロッパの教養がいい結果を生んだ。美しい句だ。
   
  白梅の満ちて高きへ香をはなつ
  風に鳴るなずな花咲く地の起伏
  さよならの子らに満月みずいろに
   北海道立余市高校時代
  朝ぼらけの青き雪踏み通学す

 和子さんは、家庭の主婦であって、その生活から優しくて美しい句が生まれる。

  青紫蘇を水に放ちてより刻む
  硝子戸を青一色にクローバー

 主婦としての生活は、

  障子貼る今日はそのこと念入りに

の句に、そのすべてを語ってくれる。日常に油断がなく、気負いもない。
 子どもの世界を詠んだ句には、

  花影に歓声あがる滑り台
  縄跳びの子らに校庭長四角
  信号を待つ間も春光子らにふる
  自転車を置いて子ら寄る蝌蚪の池

があって、明るくてレベルが高い。長女真理さんの成人式では

  晴れ着の子に冬天限りなく青き

と、未来があって明るい句を詠む。
 学生時代からの信仰生活を詠んだ句では、

  真っ白き一樹と出会うイースター

があって、和子俳句の代表句としたい。新鮮な驚きがある句で、下五の復活を意味するイースターが詩の言葉として生きいきとしている。どこか洒落たところがあって、読み手を惹きつける句である。
 句集「花影」を世に送り出すことを嬉しく思い、多くの読者との出会いによって、また新しい命を吹き込まれるであろう。
 
  平成二十年秋
                   高 橋 信 之



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第Ⅰ期第19巻「梅ひらく」藤田洋子句集

2008-09-29 10:04:11 | Weblog


 本句集「梅ひらく」を読めば、作者は、家族を何よりも大事にし、日常生活を疎かにしない方であって、俳句という詩の言葉でそのことを隈なく表現した。いい生活からいい俳句が生まれた。
 夫や子に囲まれて、

  ひと部屋の灯に集まりて晦日蕎麦

の句、亡き父母を詠んでは、

  父の日の山の青さに真向える
  冬灯し母の箪笥を引けば鳴る

の句があって、父母を想う情が作者の深いところで句となった。第一句の「青さに真向える」、第二句の「引けば鳴る」は、作者の感性が捉えたもので、読者の心深くに訴えてくる。兄を早くに亡くした作者が実家の父母を一人で看取ったことを知れば、なお強く訴えてくる。

  秋彼岸手に置く兄の文庫本

 専業主婦としての日常生活を詠んだ句に

  ペダル踏む籠に落葉とフランスパン

があり、読み手も楽しませてくれる。季語「落葉」が効いて、生活の実感を伝えてくれる。

  手のひらに塩あおあおと胡瓜もむ
  窓に干すハンカチ白し十三夜

 これらの句も日常生活を詠んでレベルが高い。「あおあお」や「白し」といった色彩の感覚の良さによるものである。

  新任の地へ向く朝浅蜊汁

 この句は、夫を詠んだものだが、言葉が少ないのがいい。夫婦の日常を詠んで充分である。

  冬椿嫁ぎ来しよりこの庭に
  装いの帯高く締め成人式

などの句があり、嫁ぎ来て三人の子を育てた。作者とは、十四年間の俳句のお付き合いだが、子育ての十四年間を俳句で見てきた。

  いってきます声も大きく遠足へ 
  日焼け子が海の香させて寝息立て
  風邪の子と古きアルバムめくりおり

 これらの句では、子らと共に居る母親のやさしさを知る。
 俳句の仲間との集まりでは、

  生き生きと声が動いて初句会

の句が新鮮で、横浜の俳句大会に参加しては、

  海見えて落葉の芝に旅鞄

と、旅の句を詠む。
 本句集の題名「梅ひらく」は、

  梅ひらく白のはじめを青空に

の句から作者自身が付けた。作者らしい感性がいい。
 代表句は、

  遠ざかる風船は今空のもの
  湯のはじく乳房の張りよ夕月夜
  海見える丘に椎の実拾いけり
  冬木立つその確かなる影を踏む

であって、十四年間の俳句生活を経て、その成長は明らかである。感性のみずみずしさがあって、実家の父母を看取るという苦しみと悲しみを体験し、内面の深みが加わった。句集「梅ひらく」を私たちの「水煙」の仲間から世に出すことを嬉しく思う。

平成二十年八月
                         高 橋 信 之



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第Ⅰ期第18巻「能笛」黒谷光子句集/平成20年9月刊

2008-09-19 11:22:14 | Weblog


 黒谷光子さんは、近江商人発祥の地である五個荘のお寺に生まれ、湖北のお寺に嫁いだ。琵琶湖周辺の豊かな自然と歴史のある伝統に恵まれ、そこから句集「能笛」が生まれた。
  
  湖(うみ)の街歩き梅の香のいくたびも
  片脚は湖に大きく春の虹
  湖北の灯近づき冬の旅終る

 琵琶湖の西の対岸には、比良山地が連なり、

  比良を背に菜の花明かりひろびろと

の句を詠む。お寺の境内の裏からは、東に伊吹山が見え、

伊吹嶺に一片の雲秋高し

など、琵琶湖周辺の美しい風景が句集「能笛」の背景であり、作者の生活の場である。
 光子さんの大事なお仕事として

  朝の鐘撞く境内の雪明り
  み仏の座の春塵を拭いけり
  朝日差す御堂へ今日は豆御飯

など、お寺を守っておられ、お寺のお勤めの句では、

   涅槃会
  悲しみの姿さまざま涅槃絵図
   花祭り
  乾きても濡れても光り甘茶仏

がある。日常生活では、

  大き蕪一つを抜きて提げ帰る
  俎板に溢れしゃきしゃき水菜切る
  選り終えて夜の灯りに青山椒

の佳句があって、家庭の主婦としても堅実なのである。家族が集まれば、

  みどり児を囲むうからの冬座敷

という団欒の句が楽しい。孫の句は、

  この家に幼も眠る二日の夜
  少年の書き初め希望と紙いっぱい

があり、嬉しい生活がある。

 本句集の題名「能笛」は、

   長浜八幡神社薪能
  能笛の秋夜の杜へ風と消ゆ

という句から付けた。光子さんの句には、「能笛」が相応しい。句の姿が正しいからで、そこに深さがある。どこか素朴なところがあって、きらびやかなところを抑えた美しさなのである。それは、日本の伝統文化の良さでもある。
 光子さんの内面は、活発に働いて、その活動範囲は広いが、生活を取り囲む自然や伝統の世界と離れることはない。そこから生まれた俳句がいい。体験と生活から生まれた俳句がいい。そこには真実がある。
 本句集の代表句を挙げれば、

  竹林の撓みゆたかに春の雪
  この道の先は海らし十三夜

などで、この美しい日本の風景に能笛を吹き鳴らしていただきたい。春雪のお寺に、十三夜の夜空に、琵琶湖の水面に鳴り響く能笛の音を聞いていただきたい。

  平成二十年初秋
                   高 橋 信 之



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第Ⅰ期第17巻「せせらぎ」河野啓一句集/平成20年8月刊

2008-09-19 11:22:02 | Weblog


 河野啓一さんは、旧制高校の時代があって、そこでの生活が俳句に影響を与えたに違いない。職場の第一線を引かれてからの多彩な生活は、若い頃に培った教養によるもので、医薬文献の翻訳、軽スポーツ、旅行、園芸、絵画、そして俳句などがある。

  虞美人草風に揺らせて画布のなか

 本句集には、画の俳句が多いが、その中でも、この句が優れていて、そこには詩がある。

  蒲公英の種ふと浮び空の詩

 大空のひろがり、その焦点に浮かぶ「蒲公英の種」、そのイメージに詩情があり、言葉のリズムにも音楽的な詩がある。中七の「種ふと浮び」は、二音二音三音のリズムで、その後の切れがいい。
 ご夫妻揃っての絵画の生活は、日常にいいリズムを作っておられるのだが、そのリズムが崩れたときの句は、妻を詠んで一見穏やかな詩情がいい。

  妻病みて山茶花の花咲きこぼれ 
  妻病みし初冬の日差しまぶしかり

 家族を詠んだ句に佳句があって、これらは、日常の生活の中から生まれたもので、その俳句は、その日常と切り離すことが出来ない。

   長男浩一家と生駒の観光農園
  鍬音も高く甘藷を掘り当てぬ

戸外での家族の楽しい団欒があり、孫娘を詠んでは、

  クロッカス摘みて持ちくる孫娘

の句がある。父の日にハイビスカスを贈られて

  ハイビスカス真っ直ぐ我に向きて咲く

と詠む。家族との絆が確かなのである。
 また、啓一さんの句には、趣味が園芸ということもあって、草花の句が多いが、家庭菜園を詠んだ句に
 
  京野菜摘みしばかりの涼しさに

等の佳句がある。
 啓一さんは、大阪大学大学院で生物学を専攻されたので、植物に詳しいのは、当然のことだが、それが学問に終ってしまわないで、詩となっているのが素晴らしい。それも生活の詩であって、そこには、現実があって、真実がある。
 本句集にアメリカ留学時代の回想句

   サンフランシスコ
  茹で蟹を漁師波止場に購えり

があり、ウイーン旅行では、

  ホイリゲのワインに酔いて風涼し

の句がある。ウイーンの森が見える郊外の酒場であろうか。「ホイリゲ」は、「今年の」というドイツ語で、ワインの新酒を飲ませるウイーンの酒場のことでもある。ウイーン体験のある者に懐旧の思いを抱かせてくれる。
 啓一さんの句は、その海外生活の体験があって、広々としたところがある。句集第二句の

  はるばると黄砂飛び来て吾が門に

は、中国大陸からの「黄砂」を詠んで、「吾が門に」という焦点が絞られ、その焦点からの広々とした自然を見ている。

  河鹿鳴くせせらぎの水汲み帰る

 本句集の代表句であって、ご両親の郷里である四国の渓流を詠んだ。故郷の自然がいい。広々とした自然の中の「せせらぎ」の音が聞こえてくる。その音は、深くから聞こえてくる。
 句集の題名は、この句の「せせらぎ」から取ったもので、作者自身が選んだ。

  平成二十年盛夏
                   高 橋 信 之



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■花冠第Ⅰ期(水煙)俳句叢書第1巻~第16巻■

2008-09-05 15:19:04 | Weblog
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