美空ひばりが亡くなったのは1989年(平成元年)6月24日でした。平成に改元されたのが1月8日ですから、彼女の人生のほとんどが昭和の時代といってもいいでしょう。「昭和の歌姫」といわれる所以です。
毎年、6月24日になると多くのファンが彼女のお墓を訪れるそうです。おそらく今日も全国各地からお参りに来ているのでしょう。そんな混雑を避けて、1日前の23日に私は墓参してきました。コロナ禍の影響もあるのだと思いますが、昨日の墓前は無人状態でした。
公園墓地内には様々な看板が建っていますが、これもその中の一つ。港南中央駅から桜と緑をめぐるウォーキングマップです。その中に「美空ひばりの墓」との表示があります。初めて訪問した人たちは、おそらくこれを頼りにお参りしているのではないでしょうか。
ここが加藤家のお墓です。大勢の人が来るからでしょうね、立ち入り禁止になっています。
墓石の横に美空ひばりがつくった歌を刻んだ歌碑があります。
平成の 我れ新海に 流れつき
命の歌よ 穏やかに・・・
『一滴の雨が木の根を伝ってせせらぎが小川になる。やがて大河になってゆっくりと海にたどり着く。人生っていうのも同じように真っすぐだったり、曲がっていたり、流れが速かったり、遅かったり…本当に川の流れのようなものなのよ』
「川の流れのように」を作詞した秋元康に美空ひばりが語った言葉です。
墓所から滝頭・丸山方面を望む。緑の丘は汐見台・久良岐公園あたりでしょうかね。その向こうに美空ひばりが子供のころ生活していた町があり、近くを堀割川が流れています。
美空ひばりが「川の流れのように」を歌ったとき、この川の姿が彼女の脳裏をよぎっていたのではないかと、わたしは勝手に想像しているのですが、はたしてどうだったのでしょうか。(うめちゃん)
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