急な依頼でしたが、出演メンバーに恵まれてなかなかいい演奏ができました。やはり、生井さんの演奏には華があります。新参加の裕希さんも、なかなかよい演奏でした。私のキーボード演奏とのマッチングも、なかなかよかったと感じています。ふじたまきさん(いつもこんな呼び方ですみません)お二人のレベルは相変わらず高く、安定していました。私のサックス演奏は・・・誠に申し訳ございませんでした。
<「まんぼうズ」ライブ in 花見川商店街特設ステージ>
期日:2024年9月21日(土)
時間:18時半~2ステージ
時間:18時半~2ステージ
<演奏曲>
Op.笑点のテーマ(in C)
1st Stage
1.Rosallina's observatory
2.月の砂漠〜ウイスキーがお好きでしょう(リクエスト曲)
3.Twilight In Upper West
4.炭坑節~Isn't She Lovely~炭坑節
5.高原列車は行く
6.アンパンマンのテーマ
2nd Stage
1.いつか王子様が
2.My Favorite Things〜Fly Me To The Moon(リクエスト曲)
3.浜辺の歌
4.母さんの歌
5.マンボウ?No.5
6.また逢う日まで
Enc.LOVE
<メンバー紹介>
トランペット:生井清太郎、キーボード&アルトサックス:マンボウ秋葉、キーボード:高橋裕希、ベース:玉木秀和、ドラム:藤田稔広

ライブ開始前から、この客の集まり方でしたので、緊張が高まりました。ビール目当ての人たちなんだから、BGM演奏に徹すればいいのだと自分に言い聞かせました。我々のライブをメインにしたビアホール開催であるということを言われたので、プレッシャーを感じました。

トイレに行った際に、ポスターを見つけました。太い円柱に大きく貼られていました。8月中のビアホールで「まんぼうズ」を呼ばなかったことが何らかのトラブルとなり、ここまで大々的に名前入りでPRされたということは明らかです。やはり、今回の出演依頼を断ることは難しかったですね。今回参加してくれたメンバーの皆様には、ただただ感謝するしかありません。特に、生井さんにはいつも窮地を救ってもらっています。彼のトランペット演奏がなければ、観客の反応も冷めたものとなったことでしょう。長年の付き合いですが、まさに恩人です。

ステージの大きさはこの程度。かなり厳しい狭さでした。PA音響機器は、全て私の持ち込みです。このことも、私自身の体調を考えるとかなり厳しい現実です。機材面については今後どうするべきか、検討が必要です。
偶然ですが、この演奏場所は、私達をこの演奏機会に導いてくださった関さんの妹さんである牧田さんのお店だった場所です。今は弟さん?あるいはご親族が場所を引き継いで弁当店を営んでいるようですが、運命に導かれたような気持ちです。コロナ禍前には、毎年毎年、夏にはこちらで演奏をさせていただき、たくさん飲み食いをしながらの、楽しい時間でした。牧田さんにも、いつかお会いしたいものです。演奏後には、弟さんからご丁寧なご挨拶をいただきました。
それにしても、弁当店の看板がバンド名のPRみたいでおもしろいですね。商店街での演奏ならではの楽しみ方でもあります。それこそ、かなり昔に牧田さんに声をかけていただいて初めて演奏した際には、ハワイっぽい図柄のシャッターの前で演奏することになり、そこに書かれていた店の名前をバンド名にして演奏したのでした。観客には大うけでした。懐かしい思い出です。今回は、このネタは行いませんでした。やるつもりがすっかりと忘れました。「みなさんこんばんは、私達は『プライム・ベントー』です。」とやればよかった。
それにしても、弁当店の看板がバンド名のPRみたいでおもしろいですね。商店街での演奏ならではの楽しみ方でもあります。それこそ、かなり昔に牧田さんに声をかけていただいて初めて演奏した際には、ハワイっぽい図柄のシャッターの前で演奏することになり、そこに書かれていた店の名前をバンド名にして演奏したのでした。観客には大うけでした。懐かしい思い出です。今回は、このネタは行いませんでした。やるつもりがすっかりと忘れました。「みなさんこんばんは、私達は『プライム・ベントー』です。」とやればよかった。

ファーストステージが終わる頃に、雨がざっと降ってきて、これだけいた観客が一気にいなくなってしまいました。私の雨男パワーには、我ながら驚かされます。キーボードにブルーシートをかけて雨が止むのを待ち、セカンドステージの開始時間を待ちました。
運よく雨はあがり、演奏を始めると徐々に観客が戻ってきました。最初にいた人たちとは明らかに違う、演奏が目当てのあたたかい観客の皆様でした。見たことのある顔もたくさんあり、ああ、帰ってきたのだなというような不思議な感覚になりました。

私のサックス演奏は、発展途上中です。場数が大切だと考えて、恥を忍んで何曲か演奏参加しました。そこでも生井さんがあたたかく耐えてくださるので笑、誠にありがたかったです。優しい人なのだと実感しました。ただ、このような期待の重い(大きい、ではない)ライブ機会では、観客が求める演奏ができないことへの歯がゆさも感じました。
休憩時間には、何人かの方から、ボーカルのロッキーさんとサックスの前川さんはいないのかと質問されました。誰もがそう言わなくても、きっと多くの観客がそう思っていたのでしょう。昨年もサックスの前川さんが不在で私はデジタルサックスを演奏しましたが、観客からは同じようなことを(今年よりももっと露骨に)言われました。長年にわたり出演を続けることにより、イメージが定着するということもあるのですね。
私のサックスでは実力不足であることは明白ですが、もし来年もこのライブに声がかかり、出演することになったとしたら、恥ずかしい演奏とならないように、日々の練習に励みたいと思います。1年後には、生井さんのトランペットと私のサックスの2管が売りのバンドです、と言えるほどのサックスプレーヤーになっていたいと夢見ています。生きていればです。もちろん死ぬつもりはありませんが、アブレーション手術の結果がよくなければ、元気に音楽活動が続けられるかどうかなんてわかりませんから。還暦からの私の新しい手習い、皆さんの応援をお願いします。
少し悲しくて切ないこともありました。ライブ後にかなりご年配のおばあさんが私のところに来て、もちろん演奏全体をほめてくださったのですが、サックスの前川さんは来ないのかと質問をしてきました。今回は急なステージの依頼だったので、いつものメンバーの全てが揃わなかったと答えました。私自身も、もちろん彼には出演の依頼メールはしましたが、可も不可も含めて何の連絡もなかったので、そればかりはどうしてなんだと言われてもどうしようもありません。
そのおばあさんは、コロナ禍前のステージで毎年の演奏を楽しみにしていて、前川さんからはCDも買ったことがあり、大切にしているのだそうです。昨年ライブが4年ぶりに復活したものの前川さんに会えなかったので、今年こそはと思ったのだそうです。多くの人が、ロッキーさんと前川さんに来てほしい感がありありでしたが、特にそのおばあさんは、他の人が私に言いづらいと感じていたことを自然に言うことができたということのようです。前川さんとの思い出を大切に長生きしていらっしゃるのですね。5年や6年も前の思い出をずっと大切にしてくれているのですから、ありがたいことです。こういう観客がたくさんいる演奏機会という意味からも、8月下旬のビアホール演奏で我々の出番をカットしたことについての抗議が多数出たということも納得できます。その事情が、あのポスターの書き方に表れていたのですね。

帰り道に、裕希さんと食事をして帰りました。この2年間は、ビアホール会場で飲み食いができていません。でも、こういった食事の機会は、いろいろと話もはずみ、むしろいいことです。裕希さんにも、末永く私の演奏サポートをお願いしたいものです。今回のバンドのみんなを誘って、ウチアゲ食事会をすればよかったと少々後悔しました。