古代ギリシア以来、人間には四つの気質があるとされてきました。
赤を好む、割り算的な気性が、火のような胆汁質です。意志が強く、決断が早く、目的がはっきりしています。怒りやすく、危険を好みます。背は低く、肩幅が広く、首は短く、目鼻立ちがはっきりしています。地面にめりこむような歩き方をします。時間に正確で、食べ物に好き嫌いはありません。
黄色が好きな、掛け算的な性格は、風のような多血質です。気が変わりやすく、興味がつぎつぎに移っていきます。跳びはねるような歩き方です。ものの見方は肯定的・楽観的です。スタイルがよくて表情豊か、身のこなしは軽やかです。しかし、浅はかで、だらしなく、優柔不断なところがあります。
緑色を好む、足し算的な性格は、水のような粘液質です。太っていて無表情、だらだら歩きます。一人でいるのが好きです。整頓が好きで、人から言われたことは正確に行ないます。友だちを作りにくいのですが、できた友だちには忠実です。のんびりしていて、激することがありません。几帳面で、持続力があります。食べすぎ・寝すぎ・厚着の傾向があります。
藍・紫を好む、引き算的な性質が、土のような憂鬱質です。痩せていて、猫背になりがちです。足を引きずるように歩きます。寝付きが悪く、朝は不機嫌です。大人のように振る舞い、悲観的で敏感で、自己中心的です。自分を閉ざしているのですが、好きな人にはすなおです。不幸な人を見ると安心して、同情します。
胆汁質の子どもは、大きな関心を示していてもらわないと不満です。その子の能力を少し越えた課題を与えるのが有効です。尊敬できる権威者がいると、自制できます。多血質の子どもには、生活に静かなリズムが必要です。一つの遊びに変化をつけながら、その遊びを続けるようにします。
粘液質の子どもには、早朝の手伝いをさせるとよいでしょう。その子自身には、無関心なふうにしているのがよいのですが、その子がものごとに興味を持つようにさせる工夫が必要です。いっしょに散歩しているときに、「見てごらん、きれいな花が咲いているよ」と注意を促すのではなく、「ああ、きれいな花だなあ」と大人が気づいていればいいのです。一緒に遊ぶときに、すこしテンポを早めていきます。
憂鬱質の子は、心身の暖かさを必要としています。大人は人生の苦悩を背負う人間として、みずからの苦しみへの対処を、その子に語るようにします。お話も、悲話を選びます。
同気質で向かい合うという方法があります。胆汁質の子どもと競争して、大人が胆汁質的にがんばって、勝つようにします。多血質の子どもと一緒にいて、大人がその子以上に真面目に多血質的に振る舞ってみます。粘液質の子どもに対して、こちらがその子以上にゆっくりとしてみます。憂鬱質の子どもを、娯楽で楽しませようとすると、失敗します。
食べものによる対処法もあります。胆汁質の子どもには、穀物・生野菜のほか、甘いものを与えるとよいはずです。多血質の子どもには、砂糖や肉を控えめにします。乳製品がお薦めです。粘液質の子どもには、雑穀・葉菜を与え、おかずは塩味にします。卵は控えめにします。憂鬱質の子どもには、蜂蜜や、花のハーブティー、果物、サラダ、そして甘いお菓子を与えるようにします。考え込む癖があるのですから、思考を促す根菜は控えめにします。キャベツも控えめです。
老婆心ながら、気質に関係なく、一歳未満の子どもにはジャガ芋は与えません(妊娠期間中の大人もジャガ芋は摂りません。また、父親が飲酒していたら子どもは神経に問題が生じ、母親が飲酒すると子どもの内臓に影響が出ます)。子どもが口にするタンパク質・脂肪・糖分は、良質のものである必要があります。良質の食糧を摂っていると、必要な栄養素を本能的に欲し、味覚によって適量を判断できるようになります。砂糖は、天然のものだと適量で満足するのですが、人工的に精製したものは癖になって、度を越して欲しがるようになります。
どの気質も本来よいものなのですが、極端になると、弊害が出てきます。
親や教師の気質が、子どもに影響します。その影響は、その子が成長して中年になるころに、身体に現われます。大人は、自分の気質をよく認識して、適度なものにするように気遣う必要があります。
親・教師が胆汁質すぎる場合、子どもは血液循環に障害をきたすことがあり、リューマチになったり、消化器に症状が現われることがあります。大人が多血質すぎる場合、子どもは活力がなくなることがあります。方向が定まらず、意志・忍耐力の弱い人間になる可能性があります。大人が粘液質すぎる場合、子どもは精神的な呼吸困難に陥り、神経質になりがちです。愚鈍になることもあります。大人が憂鬱質すぎる場合、子どもは感情が抑圧され、呼吸器や心臓を病むことがあります。
胆汁質の大人は、子どもを驚かせるような言動をしてしまうので、子どもは不安を感じ、虐げられていると感じます。多血質の大人は子どもから深い印象を受けず、子どもは生命の喜びを抑えられます。シュタイナーは、唯物論は人間への興味を失わせるので、唯物論の影響を受けた大人は子どもに無関心、すなわち粘液質になる、と言います。憂鬱質の大人は自分自身に関わっており、子どもとの関係を築こうとしないので、子どもの心が冷えます。
大人は自分の気質を、みずからの努力によって改善することができます。たとえば多血質の人は、関心をつぎつぎと変えるのがふさわしい状況を作り出して、そこで多血質を使い果たすのです。胆汁質の人は、怒っても何もならない状況に身を置くようにします。憂鬱質の人は、自分の苦悩ではなく、世間の苦悩に関与してみます。粘液質の人は、本当に退屈なことをしてみます。粘液質の人は、適度のダイエットによっても、心魂の発達が促されます。
人間は大体、子どものころは多血質、青年期は胆汁質、中年は憂鬱質、晩年は粘液質的になります。
シュタイナーの精神科学=人智学によると、自我が強く出ている人は胆汁質、さまざまな心の思いが主になっている人は多血質、ゆるやかな生命の波のなかに生きている人は粘液質です。憂鬱質の人は頭脳を基盤として生きており、身体から解放されていないと感じています。
十歳以下の子どもの場合は、大人と異なっています。胆汁質の火のような力が、子どもの場合は、心をとおして現われます。多血質の子の軽快さは、生命領域において示されます。身体が優勢になっている場合、粘液質の子どもになります。憂鬱質の子どもの場合、自我が勝っています。
赤を好む、割り算的な気性が、火のような胆汁質です。意志が強く、決断が早く、目的がはっきりしています。怒りやすく、危険を好みます。背は低く、肩幅が広く、首は短く、目鼻立ちがはっきりしています。地面にめりこむような歩き方をします。時間に正確で、食べ物に好き嫌いはありません。
黄色が好きな、掛け算的な性格は、風のような多血質です。気が変わりやすく、興味がつぎつぎに移っていきます。跳びはねるような歩き方です。ものの見方は肯定的・楽観的です。スタイルがよくて表情豊か、身のこなしは軽やかです。しかし、浅はかで、だらしなく、優柔不断なところがあります。
緑色を好む、足し算的な性格は、水のような粘液質です。太っていて無表情、だらだら歩きます。一人でいるのが好きです。整頓が好きで、人から言われたことは正確に行ないます。友だちを作りにくいのですが、できた友だちには忠実です。のんびりしていて、激することがありません。几帳面で、持続力があります。食べすぎ・寝すぎ・厚着の傾向があります。
藍・紫を好む、引き算的な性質が、土のような憂鬱質です。痩せていて、猫背になりがちです。足を引きずるように歩きます。寝付きが悪く、朝は不機嫌です。大人のように振る舞い、悲観的で敏感で、自己中心的です。自分を閉ざしているのですが、好きな人にはすなおです。不幸な人を見ると安心して、同情します。
胆汁質の子どもは、大きな関心を示していてもらわないと不満です。その子の能力を少し越えた課題を与えるのが有効です。尊敬できる権威者がいると、自制できます。多血質の子どもには、生活に静かなリズムが必要です。一つの遊びに変化をつけながら、その遊びを続けるようにします。
粘液質の子どもには、早朝の手伝いをさせるとよいでしょう。その子自身には、無関心なふうにしているのがよいのですが、その子がものごとに興味を持つようにさせる工夫が必要です。いっしょに散歩しているときに、「見てごらん、きれいな花が咲いているよ」と注意を促すのではなく、「ああ、きれいな花だなあ」と大人が気づいていればいいのです。一緒に遊ぶときに、すこしテンポを早めていきます。
憂鬱質の子は、心身の暖かさを必要としています。大人は人生の苦悩を背負う人間として、みずからの苦しみへの対処を、その子に語るようにします。お話も、悲話を選びます。
同気質で向かい合うという方法があります。胆汁質の子どもと競争して、大人が胆汁質的にがんばって、勝つようにします。多血質の子どもと一緒にいて、大人がその子以上に真面目に多血質的に振る舞ってみます。粘液質の子どもに対して、こちらがその子以上にゆっくりとしてみます。憂鬱質の子どもを、娯楽で楽しませようとすると、失敗します。
食べものによる対処法もあります。胆汁質の子どもには、穀物・生野菜のほか、甘いものを与えるとよいはずです。多血質の子どもには、砂糖や肉を控えめにします。乳製品がお薦めです。粘液質の子どもには、雑穀・葉菜を与え、おかずは塩味にします。卵は控えめにします。憂鬱質の子どもには、蜂蜜や、花のハーブティー、果物、サラダ、そして甘いお菓子を与えるようにします。考え込む癖があるのですから、思考を促す根菜は控えめにします。キャベツも控えめです。
老婆心ながら、気質に関係なく、一歳未満の子どもにはジャガ芋は与えません(妊娠期間中の大人もジャガ芋は摂りません。また、父親が飲酒していたら子どもは神経に問題が生じ、母親が飲酒すると子どもの内臓に影響が出ます)。子どもが口にするタンパク質・脂肪・糖分は、良質のものである必要があります。良質の食糧を摂っていると、必要な栄養素を本能的に欲し、味覚によって適量を判断できるようになります。砂糖は、天然のものだと適量で満足するのですが、人工的に精製したものは癖になって、度を越して欲しがるようになります。
どの気質も本来よいものなのですが、極端になると、弊害が出てきます。
親や教師の気質が、子どもに影響します。その影響は、その子が成長して中年になるころに、身体に現われます。大人は、自分の気質をよく認識して、適度なものにするように気遣う必要があります。
親・教師が胆汁質すぎる場合、子どもは血液循環に障害をきたすことがあり、リューマチになったり、消化器に症状が現われることがあります。大人が多血質すぎる場合、子どもは活力がなくなることがあります。方向が定まらず、意志・忍耐力の弱い人間になる可能性があります。大人が粘液質すぎる場合、子どもは精神的な呼吸困難に陥り、神経質になりがちです。愚鈍になることもあります。大人が憂鬱質すぎる場合、子どもは感情が抑圧され、呼吸器や心臓を病むことがあります。
胆汁質の大人は、子どもを驚かせるような言動をしてしまうので、子どもは不安を感じ、虐げられていると感じます。多血質の大人は子どもから深い印象を受けず、子どもは生命の喜びを抑えられます。シュタイナーは、唯物論は人間への興味を失わせるので、唯物論の影響を受けた大人は子どもに無関心、すなわち粘液質になる、と言います。憂鬱質の大人は自分自身に関わっており、子どもとの関係を築こうとしないので、子どもの心が冷えます。
大人は自分の気質を、みずからの努力によって改善することができます。たとえば多血質の人は、関心をつぎつぎと変えるのがふさわしい状況を作り出して、そこで多血質を使い果たすのです。胆汁質の人は、怒っても何もならない状況に身を置くようにします。憂鬱質の人は、自分の苦悩ではなく、世間の苦悩に関与してみます。粘液質の人は、本当に退屈なことをしてみます。粘液質の人は、適度のダイエットによっても、心魂の発達が促されます。
人間は大体、子どものころは多血質、青年期は胆汁質、中年は憂鬱質、晩年は粘液質的になります。
シュタイナーの精神科学=人智学によると、自我が強く出ている人は胆汁質、さまざまな心の思いが主になっている人は多血質、ゆるやかな生命の波のなかに生きている人は粘液質です。憂鬱質の人は頭脳を基盤として生きており、身体から解放されていないと感じています。
十歳以下の子どもの場合は、大人と異なっています。胆汁質の火のような力が、子どもの場合は、心をとおして現われます。多血質の子の軽快さは、生命領域において示されます。身体が優勢になっている場合、粘液質の子どもになります。憂鬱質の子どもの場合、自我が勝っています。