西川隆範:シュタイナー人智学の研究

シュタイナー思想を日本語で語りなおす

シュタイナー語録88(その8)

2011-01-23 19:11:50 | Weblog
62 天使とその末裔
 人間は自分自身を乗り越えて、利己主義的な関心を克服することができる。そうすると、人間は自分を導く存在が見出される領域へと高まる。
 人間を導くのは、西洋の秘教で「天使」と呼ばれる存在である。ついで「大天使」と言われる種族神・民族神を知るにいたる。それから、文化の経過のなかで活動する時代精神「権天使」が見出される。
 修行の道を歩んでいくと、しだいに自分が別の意識状態へと進んでいくのが分かる。そして、下級三隊の神霊たちを透視できるようになる。
 この意識状態は、個我とアストラル体が物質体とエーテル体から解き放たれている点で、眠りと似ている。
 この状態は、私たちが意識を失わずに周囲に神的・霊的存在たちを知覚するという点で、通常の眠りとは区別される。
 初めに、「神的・霊的存在が自分の周囲にいる」という、漠然とした感情が生まれる。ついで透視意識が開け、下級三隊の神霊たちと、その末裔である自然霊たちが、生きいきと見えてくる。
 つぎの第二段階の透視においては、エーテル体が使用される。
 第二段階の透視において、私たちは植物・動物、そして他者とともに生きることができるようになる。それだけではない。そこに生きるものすべての背後に、私たちは中級三隊の神霊たちの世界を知る。
 下級三隊の神霊たち、すなわち権天使・大天使・天使が空気の精、水の精、土の精という末裔を持っているように、中級三隊の神霊たちも末裔を持っている。
 中級三隊の神霊たちから分離して自然界のなかに下った霊的存在たちは、神秘学で「植物の群の霊魂」「動物の群の霊魂」と呼ばれる存在たちである。
 第二段階の透視において、私たちが他の存在と一体であると知る瞬間、私たちは「自分も存在している。自分が他の存在のかたわらにいる」ということを知っている。
 第三段階の透視に上昇するためには、この利己的な体験の最後の名残もなくさなくてはならない。その存在と一体になって、その存在の側から自分を眺めるのである。
 上級三隊の神霊たちも末裔を分離する。周期の霊、自然界のなかで律動的に繰り返すものを整え、指揮する霊たちである。
Die geistigen Wesenheiten in den Himmelskoerpern und Naturreichen

63 土の精・水の精
 植物は根を大地のなかに伸ばしている。本来、何が植物から大地のなかに伸びているのかを追求できる人、霊的なまなざしをもって根を正しく透視できる人は、植物の根のいたるところを自然元素霊たちが取り巻き、活動しているのを見る。この元素霊たちは、昔は「グノーム」と呼ばれていたが、「根の精霊たち」と名づけることができる。
 地球のいたるところにいる根の精霊たちは、多少なりとも透明な岩石や、金属に貫かれた鉱石のなかにいることを好む。そこが彼らの本拠地である。
 彼らはまったく感覚から成り立っている。彼らは、まったく感覚である。その感覚は、同時に悟性でもある。植物は、宇宙の秘密を集めて地中に送る。植物をとおして霊的に滴ってきたものを、グノームたちは自らの内に受け取る。
 秋から冬にかけて、グノームたちは鉱石と岩石をとおって地中を旅するときに、植物をとおして滴ってきたものを運んでいく。そのように、彼らは全宇宙の理念を地中に流し込みながら、旅する妖精なのである。
 このように、グノームたちは地中にあって、宇宙の理念の担い手である。しかし、彼らは大地そものは全然好きではない。彼らは地中を動き回るが、大地を憎んでいる。
 大地は絶えず、グノームたちに両棲類、特に蛙の姿を取らせる恐れがあるのだ。
 植物は上方へと生長し、グノームの領域を離れて、湿気-土領域から湿気-空気領域へと移る。そうすると、植物は葉の形態を発展させる。葉のなかで活動するものには他の妖精、つまり水の精たちが作用する。水の元素霊を、古代の透視者たちは「ウンディーネ」と呼んだ。
 ウンディーネは、グノームのように目覚めた存在ではない。ウンディーネは絶えず夢を見ている。彼らの夢は、同時に、彼らの姿でもある。
 彼らは水のエーテル元素のなかに生きている。そのなかを泳ぎ、漂っている。彼らは、魚すべてに対して敏感だ。魚の形姿が彼らを脅かすからである。彼らは時おり、魚の姿を取るが、すぐにその姿を捨てて、べつの姿へと変容していく。
 彼らは不思議な方法で、空気を葉のなかにもたらす。グノームが生長させた植物のなかに、ウンディーネは空気を運んでいく。
 ウンディーネの夢という不思議なものに包まれ、そのなかに植物は生長していく。
Der Mensch als Zusammenklang des schaffenden, bildenden und gestaltenden Weltenwortes

64 空気の精・火の精
 グノームが湿気-土元素のなかに生き、ウンディーネが湿気-空気元素のなかに生きるように、空気-熱元素のなかに生きる精霊たちの領域のなかへと、植物は入っていく。空気-熱元素のなかに生きる妖精たちを、古代の透視者たちは「シルフ」と呼んでいた。空気は光に浸透されているので、シルフたちは光へと突き進み、光と親和する。
 燕は飛んでいくときに、空気を振動させ、空気の流動を呼び起こす。どの鳥も空気の流動を引き起こす。この空気の振動を、シルフは聞くことができる。そこから宇宙の音楽が、シルフに向かって響いてくる。船に乗ってどこかに出かけるとしよう。鴎が飛んでくると、鴎の飛行によって霊的な響き、霊的な音楽が引き起こされて、その音が船に付き添う。
 その音のなかで展開・発展するのがシルフだ。このようにして引き起こされた空気の流れのなかに、シルフは自分の故郷を見出す。霊的に響きつつ動く空気のなかに、シルフは自分の故郷を見出す。そして、その際、光の力がその空気の振動のなかに送り込むものを受け取る。そのことをとおして、多かれ少なかれ眠っている存在であるシルフは、鳥が空気中を飛び過ぎるところを心地よく、我が家のように感じる。
 シルフは鳥を見る。そうすると、そこに個我を感受する。空気を貫いて飛ぶ鳥から、シルフは印象を受ける。そして、そこに個我を見出す。シルフは個我を外部に燃え立たせることによって、宇宙的な愛を、空気を貫いて運ぶ者になる。
 シルフは、愛のなかで植物に光をもたらすという課題を持っている。
 植物は、シルフの領域を通過したあと、上方のサラマンダーたちの領域へといたる。サラマンダーたちは、熱-光の住民である。
 シルフが光を集めたように、サラマンダーたちは熱を集め、その熱を花のなかにもたらす。
 グノームは「生命エーテル」を根に運んでいく。さらに植物のなかで、ウンディーネが「化学エーテル」、シルフが「光エーテル」、サラマンダーが「熱エーテル」を育成する。
 サラマンダーは蝶々、そもそも昆虫全体に対して自己を感じる。サラマンダーは、子房に熱を仲介するために、昆虫のあとを追っていくのを最も好む。理念的な形姿と結び付いて、地中に入ってくるべき凝縮した熱を運ぶために、蝶々の世界、昆虫の世界全体と内密に繋がっているのをサラマンダーは感じる。
Der Mensch als Zusammenklang des schaffenden, bildenden und gestaltenden Weltenwortes

65 妖精たちの性格
 グノームほど注意深い地球観察者は、ほかにいない。グノームは自分の生命を保つために、すべてを知って理解しなければならないので、すべてに注意を払っている。グノームは、いつも目覚めていなくてはならない。
 グノームは月から来る印象を感じ取ることに特別秀でている。グノームは絶えず、注意深く、月に耳を澄ます。グノームは生まれながらの神経衰弱症なのである。
 満月のとき、グノームは居心地悪く感じる。物質的な月光はグノームには適さない。
 イマジネーション的な観照能力のある人には、満月のとき、グノームは輝きを発する鎧を付けた小さな騎士のように見える。グノームは、霊的な鎧のようなものを身につける。不快な月光を防ぐために、鎧のようなものがグノームの体から外に現われてくる。新月になると、グノームは透明になり、素晴らしい姿を示す。
 水の元素霊は生命を欲しない。彼らは、「自分は死ぬときに本来の生命を得る」という感情を持っている。
 何百万・何千万という水生動物が海のなかで死ぬとき、海はウンディーネにとって、素晴らしい青い燐光を放つ色彩の戯れで輝く。
 ウンディーネがこの色彩の戯れを受け入れ、自分自身が青い燐光を放つようになることによって、ウンディーネのなかに「上方に漂いたい」という大きな憧れが生まれる。この憧れに導かれて、ウンディーネは上方に漂う。そして、この憧れをもって、ウンディーネは高次の位階の存在である天使・大天使などに地の糧をもたらす。そうすることが、ウンディーネに至福を感じさせる。
 一年の経過のなかで、鳥たちが死ぬ。死ぬ鳥たちは霊化された実質を有し、その実質を高次の世界に手渡すことによって、地球から上方にいたりたいと思っている。
 死ぬ鳥たちをとおして、空気は絶えずアストラル実質、低次のアストラル性で満たされる。このアストラル実質のなかをシルフは漂う。シルフは、死ぬ鳥たちからやってくるものを受け取る。それを、憧れをもって高みにもたらして、自分が高次の天界存在たちに呼吸されたいと思う。
 季節の経過のなかで蝶々が死滅する時期になると、すべては内的にきらきらと輝く。この輝きのなかにサラマンダーが入っていき、その輝きを受け取る。
 サラマンダーは、高次の天界存在の霊眼に自分がどのように映るかを感じ取るのを最高の快楽とする。
Der Mensch als Zusammenklang des schaffenden, bildenden und gestaltenden Weltenwortes

66 悪魔対策
 人間は、最初にルシファーの影響に捕われることがなければ、アーリマンの影響に捕われることはない。
 ルシファーを退ける力がある。道徳である。道徳は、ルシファーを焼き尽くす激しい炎である。アーリマンに対抗する手段は、精神科学によって修練された判断力と識別能力以外にはない。私たちが地上で獲得する健全な判断力は、アーリマンにとって恐ろしいものであり、健全な判断力に面してアーリマンは逃げ去る。私たちが健全な個我意識の修練をとおして達成するものが、アーリマンは大嫌いなのである。
 私たちが地上で獲得する健全な判断力に出合うと、アーリマンは大変な恐怖を感じる。健全な判断力というのは、アーリマンにとってはまったく見知らぬものであり、それゆえに大きな恐怖を感じるのである。生まれてから死ぬまでの人生において健全な判断力を育成しようと努力すると、私たちはアーリマンに対抗できる。霊的世界について出鱈目なことを語る人々が、理性と識別能力を獲得する努力をしなければ、アーリマンは大きな力をふるう。その力に対抗することは、ほとんどできない。
 アーリマンの誘惑が音によって表現されるようになると、アーリマンの力は強くなる。幻像に対しては、音や声に対するよりも対抗手段がたくさんある。
 幻影のなかに生きる人々は、生まれてから死ぬまでのあいだに個我意識のために獲得すべきものを学ぶことを毛嫌いする。
 人間が健全な判断力を育成し、目を醒ますと、すみやかに声や幻覚が消える。それらはアーリマン的な幻であり、アーリマンは「この人間には健全な判断力がある」と感じると、恐ろしい不安に襲われる。
 健全な判断を持ち、謙虚、控え目であり、自分を過大視しないことは、ルシファーの気に入らない。それに対して、功名心・虚栄心のあるところでは、ルシファーは汚い部屋のなかの蝿のように飛びまわる。
 功名心・虚栄心、特に自分についての誤った思い込みが、今度はアーリマンに道を開く。アーリマンから身を守るには、生まれてから死ぬまでの人生から学べる健全な思考の育成に努めるしかない。
 アーリマン的な影響によるものも、間接的にはルシファーに帰すのである。
Die Offenbarungen des Karma

語録後編(67~88)は「西川隆範:シュタイナー教育随想」に収録